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一話

 アーロン・シンセシスがギルティア・モーラントと出会ったのは、騎士団を退団した後のことだった。


「僕は惨めだ! だから騎士団を辞めてやったんだ!」


「うるさいぞ! 我が息子よ、剣を振るしか能のない馬鹿なおまえに手紙だ」


 騎士団長に辞表を叩きけて騎士団を後にし、子爵家に帰った数カ月後に届いた子爵家宛の手紙。それはアーロンへの釣書だった。子爵家当主は眉を潜めつつも、あまりにも美味しい条件に嬉々としてアーロンに告げた。


「おまえに縁談の話だ。だがもう婚姻したことになった。持参金もいらん、むしろ向こうが大金を払ってくれるそうだ。このままモーラント男爵家へ婿入りしろ!」


 当主は、剣を振ってばかりでまともに働きもしない息子を見ず知らずの男爵家へ売ったのだった。


「父上!? なぜ僕が名も知らぬ男爵令嬢に婿入りしないといけないんだ! これでは僕が訳アリの問題児みたいではないか!」


「うるさいッ! おまえは毎日毎日剣を振るばかり、金にもならんことで時間を潰し、果てには訓練用具を勝手に買い、我が家の経済を圧迫させる。堪当とまでは言わん、荷物をまとめて出て行け!」


 アーロンは学園で剣術を学び、そのまま騎士団に入団した。だから勉学はからっきしであり、当主である父は頭を悩ませていた。


 しかし「そういや五つ下の弟が来年には学園を卒業し帰ってくるではないか」と気付いた父は、やけに都合のいい釣書に釣られ、アーロンを追い出すことに決めた。


 経営を学び、優秀な成績を収めている弟が帰ってきて、兄は無料で追い出せてかつ大金も手に入る。父の判断はかつてないほどに早かった。


「いや、しかし父よ、僕を本当に追い出すのか⁉」


 なよなよとした声で父の脚にしがみつく息子に、ついに堪忍袋の緒が切れた。


「ええい、我が家に使い物にならん剣はいらん! 出て行けぇ!」


 こうしてアーロンは、背中を蹴られて家を追い出されたのだった。





後日、大金を手に入れホクホク顔の両親に家を追い出されるような形で向かった国の最西端。


ひと月あまり馬車にユラユラ揺られて辿り着いたモーラント男爵家は、本当にここで合っているのかと疑うような場所に屋敷は建っていた。


「こ、ここが男爵家の屋敷? 思い切り平屋ではないか!」


 手入れされていない草原のど真ん中にポツンと置くように建てられた屋敷のようなもの。外壁は頑丈なレンガ造りではあるが、背後には魔物が住む鬱蒼とした森。近くの街は寂れていて活気はなかった。


庭には整列して育てられた野菜畑と、蔦植物を菜園する小さなビニールハウス。その隣に屋敷は建っていた。


アーロンは辺りをキョロキョロと見回し「なんだここは? 本当に人が住める環境なのか?」と額の汗を拭った。背中を流れる冷や汗を隠すように剣の柄を握る。


 閑散としているが、手入れのされた畑を見るに誰かは住んでいるはず。おそるおそると屋敷に近づき、扉を叩くが返事はない。


「留守にしているのか?」


屋敷に門はなく守衛もいない。馬車はすでに引き返していて、この不気味な屋敷を訪ねる他にない。ぶるりと震える身体に活を入れ、呼吸を落ち着かせる。


 扉を叩いてしばらく。やはり一切の返事はなく、アーロンはあの釣書はいたずらだったのではないだろうかと疑い出したその時、ドアベルを鳴らす勢いと共に扉は開かれた。


 穢れなき白い羽衣が舞った。アーロンがそう勘違いするほどに美しい女性がすぐ目の前に現れた。


「おや、私は運がいい。ちょうど少年を迎え入れる準備を済ませたところだ」


 屋敷の中から現れたのは青いドレスに身を包んだ妙齢の女性。真っ白な髪に透き通った青い瞳、吊り上がった目尻は少々高圧的な印象もあるが、微笑んだ口元は柔らかさを含んでいた。低音交じりのハスキーな声で話しかけ、アーロンの淀んだ瞳を見つめた。


呼ばれ方に不満を持ったアーロンが「少年とは僕のことか?」と口をへの字に曲げ、「君以外に誰がいる」となぜか呆れられる。


アーロンは肩をあげて怒りを露わにした。


「僕はもう少年と呼ばれるような歳ではない」


 アーロンは見た目で判断されるのを嫌っていた。


すでに五年以上も前に学園は卒業していて、着痩せする体質ゆえ細身に見えるが、服の下はそれなりに絞られたたくましい肉体が隠れている。背は平均的だが、どうしても子犬のような丸く愛らしい瞳が彼を幼く見せてしまっていた。


女性は「ふむ……」と腕を組み、じろじろとアーロンを見つめ「私からすれば君は少年だ」と結果は変わらず。


「僕にはアーロン・シンセシスという名がある! せめて名前で呼んでくれ」


「ふむ、検討しよう。ああ、自己紹介が遅れたね、私はギルティア・モーラントだ。好きに呼ぶといい」


 まったく検討するつもりのないギルティアは、アーロンを屋敷に招き入れた。使用人はおらず、一人で悠々自適に生活するギルティアには少々大きな家だった。


 日差しがよく入る明るい廊下の壁に手を添えながら歩くアーロンに、ギルティアは「おや?」と首を傾げると、


「先ほどから歩行にぎこちなさが垣間見えるが、脚が悪いのかい?」


 とアーロンが気にしていることをズバリと聞く。


 騎士の矜持はあるが、隠すことも出来ない怪我を誤魔化すのはまさに少年のようだと観念した。


「そうだ、僕は左脚を怪我したから騎士団を辞めたんだ」


 近頃活動が活発化してきた魔物を討伐するため前線にて剣を振るってきたアーロンだったが、仲間とはぐれた際に不覚にも魔物に左脚を噛まれてしまい、その怪我で踏ん張りが利かなくなってしまった。


 唇を尖らせて「これでも優秀な騎士だったんだ」という呟きはギルティアの耳には届かない。


 脚が治ればもう一度騎士として活躍できると信じてリハビリに努めていたアーロンだったが、一向に回復の兆しは見えず、ついには親に売られてしまった。


「何も知らずに僕を選んだのか?」


「正直、若い男なら誰でもよかったからね。騎士団を辞めて暇をしているが、問題を起こしたわけでもなく婚約者もいないと聞いて、思わず資産の一部をぶん投げてしまったよ。はははっ」


 軽快に笑うギルティアは、応接室の扉を開けてアーロンを通した。すでにお茶の準備は出来ていて、ポットからは湯気が立ち昇っている。


 アーロンは二度目の怒りをなんとか心の内に留め、腰の剣を外してふかふかのソファに腰を下ろし、なみなみと紅茶が注がれたティーカップに口を付けた。ギルティアはガラス製の四角いテーブルをはさんで反対に座り、一緒に用意していたクッキーを摘まむ。


 サクッと一口齧ったギルティアは「私が言うのもなんだが」と優雅に紅茶を飲み、「こんな辺鄙な場所から逃げようとは思わなかったのかい?」と素朴な疑問をアーロンにぶつけた。


 だが開き直ったアーロンは手ごわかった。


「曲がりなりにも僕たちは結婚した。貴族らしいことはほとんどしなくてもいいみたいだからな、条件としては悪くない」


 ここら一帯には何もないと皮肉を込めたつもりだったが、ギルティアは特に気にした様子もなく感謝を述べた。


「そう言ってくれると助かるよ。遠路はるばる来てくれたからね、雑談でもしながらのんびりしようではないか、時間ならいくらでもある」


 ギルティアは食べていたクッキーを勧めたが、お菓子の甘さが苦手であるアーロンは拒否するように背筋を伸ばし、ゆっくりと背もたれに背中をくっ付けた。


「そうか、ではいくつか聞きたい。ギルティア、君は本当に男爵なのか?」


 アーロンは子爵家の人間であり、興味はなくとも最低限貴族名鑑に記載されている名前は叩き込まれていた。夜会へ参加したこともあったが、アーロンの記憶にモーラントという名前に覚えがなかった。


「ああ、私はちゃんと男爵さ。と言っても一代限りの金で買った貴族位だがね」


「金で買った? そういや僕のことも大金を積んだという話を両親から聞いた。君は一体何者なんだ?」


「貴族として大したものじゃないさ。ただ私は運がいいだけなのだよ」


「運がいい?」


「ギャンブルだよ、少年。私は王都のカジノで運よく勝ち続け、その大金で男爵位を買ったのだよ」


「ぼ、僕はそんな汚れた金で買われたのか? 僕が怪我で苦しんでいる間にギャンブルなんて穢れた遊びで稼いで」


 アーロンは肩をブルブルと震わせ、ギルティアを睨んだ。三度目の怒りは我慢も限界を超え、「ふざけるな!」と怒りに任せて手を薙ぎ払ったことでティーカップがテーブルから落ちた。落としたティーカップから紅茶がこぼれ、カーペットにオレンジ色のシミを作った。


「ふざけてなんてないさ、ただ私は運がいいだけのこと。金ならいくらでもある。だが国を傾けるわけにはいかないからこうして買い物をしたわけだ」


 買い物と口にした時にちらりとアーロンを見たギルティアは、向けられた怒りの視線をひらりと躱した。


「ギルティア、結局君は何がしたいんだ? あまりにもこの国を軽く見ている。時と場所によっては不敬罪で首が飛ぶぞ」


「飛ばせるものなら飛ばして欲しいものだがね。ただ、私が少年に求めることはたった一つ。私を抱くことだ」


「……は?」


「なんのために結婚したと思っている。私はな、少年に抱かれたいんだ」


「ま、待て! それは、一体何を言っている? 僕に抱かれたいだと?」


「何を戸惑っているのかね? もしや童貞だったか。安心したまえ、私も処女だ。初めて同士慰め合おうではないか」


 ギルティアはわざとらしく腕を組み、胸を持ち上げて強調した。足を組むとドレスの裾から素足が見え、アーロンを誘惑する。


 しかし、アーロンはその誘惑に絆されることはなく、逆に怒りを露わにして傍らに置いていた剣に手を掛けた。再度「ふざけるな!」と怒声を発し、


「誰が男娼のような真似をするか! その首、僕が斬って落としてくれる!」


 と鞘から銀色に輝く剣を引き抜いた。


「女性に向かって剣を抜くとは、すでに騎士としての矜持はないのか?」


「いいや、これは騎士としての粛清だ。国はあんたを許さない!」


「そういう言い分か、なるほど」


 怒りの感情に任せて剣を振るう。しかし、アーロンの心はやはり騎士の矜持で染まりきっている。当然寸止めにして反省を促すつもりだった。だが振るった剣は思いもよらぬ方法で阻まれ、宙で制止した。


アーロンの「なっ⁉」と驚く声に続いて「ああ、やはり私は運がいい」というギルティアの恍惚とした声音。


「まさかこうも上手く白刃取りが成功するなんてね」


 ギルティアに届くよりもずっと前に、アーロンの剣はギルティアの両手の平に挟まれて止められていた。


 特別訓練を受けた事のないギルティアに剣筋は全く見えていない。婦女子相応の身体能力で伸ばした両手が、運よく迫りくる剣を受け止めた。


 くるりと手を捻ると剣はぽかんとしているアーロンの手からあっさり離れ、コトンとテーブルの上に置かれた。


「勝負のつもりはなかったが、私の勝ちでいいかな?」


「……くっ」


「少年は少し感情的になっているだけさ。少し頭を冷やすといい」


 冷静になったアーロンは、自分は何をしているのだと頭を抱えた。たとえ金で買われた事が事実であろうが、間違いを犯しているのは自分だと反省した。


 余裕綽々とした表情のギルティアは、話を進めるために机に置いた剣の刃を人差し指でつーっとなぞる。皮膚を裂いてバックリと切れた指先からはどくどくと血があふれ出し、テーブルにぽたぽたと血の雫が滴る。


アーロンが「え?」と呆けた声を出した時にはテーブルは小さな赤い水たまりを作り、アーロンは慌てて身を乗り出しギルティアの手を掴んだ。


「何をしている! 指が切れたではないか!」


「心配してくれるのかい? 私の旦那は優しいな」


「そんなことを言っている場合か! すぐに治療……を?」


 アーロンはまずは血を拭こうとしたが、今さっきまでどくどくと血を流していた指先に傷がないことに戸惑った。見間違ったかとハンカチで優しく拭ったがやはり傷口はない。しかし血にまみれていたのはその指で間違いなかった。


「どういうことだ? どうして傷がない」


 指とギルティアを交互に見るアーロンは何が起きたのか理解できず目を回す。


 慣れた手つきで血を拭ったギルティアは、傷一つない綺麗な指先をアーロンに突きつけた。


「不思議で不思議で仕方ないだろう? それもそうだ。この事は王家しか知らないからな。では改めて自己紹介をしよう」


 ギルティアはソファから立ち上がり、呆然としているアーロンに対してカーテシーをする。


「私はこのダイナス王国の下敷きとなったモーラント王国の第一王女、すべての悪を引き受け、最悪の罪を身に背負いし女、ギルティア・モーラントだ。お見知りおきを」


 怪しく微笑んだギルティアは、獲物を狙う目つきでアーロンの前に跪く。


「最悪の……罪? な、なんだそれは」


 アーロンの疑問に先ほど血を流した指先を左右に振り「見ただろう?」と微笑む。


「罪とは不老不死の事さ。私は死なない。そして死ねない。だから……どうか私を殺しておくれ、旦那様?」


 すべてが夢であってくれと願うアーロンの鼻孔を、鉄のような匂いが刺激した。


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