プロローグ
プロローグ、エピローグ含む全八話の短編となります。
「ああ! 私は運がいい。本当に死ぬことができるとは!」
高揚に頬を赤く染めた妙齢の女性、ギルティア・モーラントは青い瞳を大きく見開いて笑った。
死への恐怖か、悲願への渇望か、ギルティアは初めての経験に興奮を露わにすると、
「そうか、これか。これが人としての痛み、そして死というものなのか! ……あぁ」
少しずつ何かが失われていく喪失感に感嘆の声をあげた。
尽き欠けのろうそくが一本だけ灯る薄暗い部屋の中、惜しげもなく白磁のように白い肌を晒したギルティアは、長年忘れていたものが甦った感傷に浸り、溜息のように大きく息を吐く。
ベッドに仰向けのまま木目の天井を見上げ、両手を伸ばした先は虚空。狂ったように何かを掴もうとして、やっと触れたのは少年の頬だった。
少年は何かを堪える様に下唇を噛み、身体をユラユラユラ揺らす少年の頬からポタリと落ちた一滴が、ギルティアの胸元をわずかに濡らした。ギルティアが「どうして泣いているんだい?」と聞けば、少年は「心が痛いんだ」と苦し気に答えた。
同じく肌を晒していた少年は、頬を伝う涙のようにぽつりと一つ聞いた。
「死ぬことがそんなに怖い?」
ギルティアはなぜ当たり前のことを聞くのだろうと、目を丸く見開いてきょとんとした。
――そして断言した。
「当然ではないか!」
ニヤリと笑ったギルティアは「死への恐怖とは私が唯一忘れていた感情だ」と鳥肌が浮き立った震える身体を抱いた。
「死ぬことが出来なかった私がやっと死ぬことができる。これほど恐怖に満ち溢れていて素晴らしいことがあるかい?」
狂人のように笑うギルティアは、残り僅かな残滓を明け渡すべく少年の裸体に触れた。触れた肌にはぬるりと赤い血が付着し、それを見てギルティアは告げた。
「少年よ、私の全てを奪え。命も、尊厳も、処女も、呼吸も。私の全ては君のものだ」
少年は手を伸ばしてギルティアに触れた。割れ物に触れるような優しい手つきはギルティアの肌を這い、やがてその両手は首に添えられた。少しだけ力を籠めると、「もう、名前で呼んでくれないのか?」と問い、青い瞳を覗き込んだ。
ギルティアは少々息苦しさを覚えつつも頬を更に赤く染めた。先ほどの威勢はどこへやら、
「……すまない、これはただの照れ隠しなんだ。その、……初めてだったからな」
と視線を横にずらした。
「じゃあ、呼んでよ。ギルティアが死ぬ前に一度だけ」
少年の手に力が籠る。ギルティアの苦悶の表情を潤んだ瞳が見つめる。熱を帯びた視線はギルティアの瞳を釘付けにした。
「ああ、さよならだ、……アーロン。……愛している」
アーロンと呼ばれた少年は、ボロボロと涙を流しながらさらに力を込め続けた。
「――――」
ギルティアは最後に何かを伝えようとした。だが、それがアーロンへ届くことはなかった。
決して元には戻せないものを捻り潰した嫌な感触。この感触を永遠に忘れることはないだろう。ギルティアの瞳から少しずつ光が失われていき、やがて二度と目覚めない眠りに就いた。
ギルティアが抱えてきたものを背負ったアーロンは、見下ろす視界の中で自分の手形が残った首を撫でる。そして、体温が失われていく身体に覆いかぶさった。
最後に残った微熱を取り込むように、
「ギルティア、愛している」
二度と微笑むことのない唇に、涙で濡れた唇を押し付けた。




