【閑話】この5年間
「近衛さん、俺と付き合ってください!」
「…………」
これで何度目だろうか。そろそろ数えるのも嫌になる。今日も私は顔も名前も認知しない上級生らしき男子生徒に、校舎裏に呼び出されていた。
三年生の卒業が間近に迫り、学内のあちらこちらで告白と称される風習めいたイベントが量産されているという。仮に失敗しても、もう顔を突き合わせることもない――そんな逃げ道が彼らの背中を押すのだろう。
「……話は、それだけですか?」
「っ!」
私はどこまでも冷めた目でそう言うと、相手は途端に固まってしまう。きっと学年が違うから、私が普段こういった状況でどんな対応を取っているか知らないのかもしれない。
「あ、あの……返事は……?」
「聞きたいですか?」
「い、いえ……その……すみませんでした……」
「そうですか。では私はこれで失礼します」
そう言って私は踵を返した。
この学園の誰であっても告白に対する返事が決まっている私にとっては、このイベントは迷惑以外の何物でもなかった。
彼がどんな顔をして私を見送っているのか、それは知る由もない。
「あ、近衛さん! さようなら!」
「…………」
放課後の校内に戻ると、下級生らしき女子生徒から声を掛けられる。すれ違いざまに軽く会釈をしながら、やはり相手の名前を知らないことに心の中で苦笑い。こちらが覚えていなくても、あちらは私を知っている。
名前とセットにラベリングされた『孤高の北風』の姿を。
◇
「はぁ……」
誰もいない音楽室で、一人ため息をつく。
この5年間、私はそれまで築いてきた全ての交友関係を断ち切って、ヴァイオリンだけに時間を捧げてきた。それもこれも全て桂木雪弥のせい――いや、おかげと言ってもいいのかもしれない。
いつか彼に認められるような、本物のヴァイオリニストになるために。
それまでは恋愛や友達と遊んでいる暇なんてない。
数年前、突如彗星の如く現れた〝アノン〟と名乗る天才ヴァイオリニスト。
最初はまさか桂木雪弥を超えるようなヴァイオリニストが、本当に世に出てくるのか半信半疑だった。けれど私は彼の演奏を聴いた瞬間に、この人こそが勇二さんの言っていた人物に間違いないと確信した。
そしてミュンヘン国際コンクールまであと数日――
私はあれから独学で死にもの狂いに練習をして、ようやくファイナリストにまで食い込んだ。
私はなんとしてもアノンに直接対面して、教えを請わなくてはならない。それこそが桂木雪弥を認めさせる唯一方法だと勇二さんは言った。
世間では世界一のヴァイオリニストと評されるアノンを踏み台にするのはどうかと思ったけれど、それでも私の目的はあくまで桂木雪弥ただ一人だった。
「……よしっ!」
私は改めて気合いを入れ直し、ケースから〝エゾルディオ〟を取り出す。
今は亡き勇二さんから託された大切な形見だ。
5年前のあの日、私から全ての自信を失わせたこのヴァイオリンを、今では愛器として肌身離さず持ち歩いている。
私にはまだ彼のようにこの子を自由に歌わせるほどの技量は無いけれど、1日1日と弾くたびに心が近づいていくような感覚はある。
いつかこの子と完全に心を通わせられるようになれたら、私にも――
そんなことを考えていると、不意に後ろから抱きつかれた。
「ゆ~いっ! そんな湿気た顔してどうしたんだいっ!」
「真奈……」
この子は高梨真奈。中学からの同級生だ。
スキンシップが激しめなのが玉に瑕だけれど、今の私にとっては友人と呼べる唯一の存在であった。
「さっき校舎裏から青い顔して出てきたのは、どうして彼女がいないのか学園の七不思議に数えられるくらいのイケメンなのにもったないことしましたなぁ、結衣さんや」
「そんなの私には関係ないわ。それにイケメン? アレのどこが?」
「結衣ってばちょっとハードル高すぎない!? って、あー……確かにあの雪弥くんと比べたら霞んで見えちゃうかー」
「――っ!」
雪弥くん。その名を真奈が口にした瞬間、鈍器で頭を殴られたような衝撃が走った。
そう、真奈は小学校時代の桂木雪弥を知る、この学園で唯一の人物でもあった。
「それにしても雪弥くんも薄情よね~、こんなに純情で一途な結衣ちゃんを放って行方をくらますなんてさぁ……」
「ちょっ、真奈っ! 雪弥くんは関係な――」
「あれれー、あたしに雪弥くんのことを根掘り葉掘り聞いてきたのはどこの誰だっけなぁ……」
「うっ……」
「そんでもって、あたしから聞いた雪弥くんの言動や所作をそっくり真似て『孤高の北風』とか呼ばれてる人がいるらしいんだけどぉ?」
「ま、真奈ぁ……」
真奈がグサグサと、私の痛いところばかりを突いてきて、自分でもメッキがどんどん剥がれていくのが分かる。
「だってさー、さっき先輩に言った台詞って、あたしが雪弥くんに告って振られたときとまんま同じなんだもん。ちょっと腹立ったし」
「しかも聞かれてた!?」
「いやー、好きな人を真似たくなる気持ちは分からなくもないけど、せめて小学生まででしょw」
「も、もう勘弁してぇ……」
容赦のない追撃に、私は真っ赤になる顔を両手で覆い、早々に音を上げる。
外面だけを真似ても、内面はちっとも変わっていない私であった。
「で、素に戻ったところで聞きたいんだけど、あれから進展はあったの?」
「……ないよ」
「ふぅん。でも実家は押さえてるんだからいつかは帰ってくるでしょ」
「押さえてるって……私はただ、恩人の家を勝手に掃除してるだけで……」
「ふむふむ。そうやって着実に外堀は埋めていく、と」
「そ、そんなことは、ない、ヨ?」
「目を泳がせながら言っても全然説得力ないし。ほれほれ、このお姉さんに正直に話してみ?」
そう言いながら真奈は肘で何度も私をつつく。
彼女の言う通り、まったく下心がないと言えば嘘になる。
私が異性として意識する男子は今も昔も、私が10歳の頃にコンクール会場で出会った桂木雪弥ただ一人。あの日から彼は私の憧れとなり、やがて恋心に変わるまでそう時間は掛からなかった。
あれからもう5年――
彼とは一度も会ってはいないけれど、気持ちは少しも薄れることはなく、むしろ時間と共に膨れあがる一方だった。
たんぱく質は一定以上の熱に対して不可逆だけれど、恋愛も同じなのかもしれない。
私はいつまでも初恋を燻らせていた。




