第12話 桂木家の夕食
「……で、お前はいつになったら帰るんだ?」
そう苦言を呈さずにいられないのも無理はない。
長旅の疲れを風呂場で洗い流し、カラの胃をきゅんきゅんさせながらダイニングルームに戻ると、何故かテーブルの目の前には近衛が鎮座している。
あの流れは普通帰るところだろ。なんでまだいんの?
「いやぁ……雪花さんがせっかくだから夕飯ご一緒にどうですかって」
「断れよ。社交辞令に決まってんだろ」
「に・い・さ・ん・?」
地獄耳に定評のある雪花が秒で台所から飛んでくる。
「ちょっと待って雪花、その手に持ってるオタマはなに?」
なんかものすごい湯気立ってるんだけど、まさかソレをお兄様のお顔に押し付けたりとかしないよな……?
「これ以上結衣さんにご迷惑を掛けるつもりなら、兄さんだけ晩ご飯抜きにしますからね」
「……自重します」
仕方がない。目下の天秤は、近衛より雪花のスペシャルディナーの方が遥かに上だ。
「あ、雪花さん、私も何か手伝おうか?」
「いえ、結衣さんは大事なお客様なのでゆっくり寛いでいてください。兄さんのことは路傍の石のように無視していただいて結構ですから」
「こ、この俺が、路傍の石……だと……?」
常にスポットライトに当てられ続け、世界一のヴァイオリニストとして名声をほしいままにしてきたこの俺を、言うに事欠いて路傍の石だと? いいだろう、家庭内戦争だ。いかに血を分けた妹といえどここは兄の威厳を見せつけなくてはならぬ。
「おい、雪花――」
「兄さん、もうすぐジェノヴェーゼが出来上がるので、お皿とフォークの用意をお願いします」
「あ、はーい」
郷土料理という最強の外交カードを切られては、こちらも歩み寄りの姿勢を見せるべきだろう。決して俺が折れたわけではない。
◇
「「「いただきます」」」
ややあって、俺たちは所狭しと並べられた和洋折衷の夕食にありつく。
向こうではエマさん(クリスの嫁)が一人で家事全般をこなしていたから雪花が手料理を振る舞う機会はあまりなかった。自慢ではないが、俺の妹は料理の腕もゴードン・ラ○ゼイ級なのだ。
久々の家庭の味に舌鼓をうっていると、招かれざる客が口を開いた。
「雪花さんと雪弥くんって今までアメリカにいたんだよね?」
「……はい」
「…………」
この野郎、食事中にいきなりぶっ込んできやがった。
俺としては〝アノン〟の正体に繋がりかねない話題は避けたいと思っていたのだが、やはりここは避けて通れない道らしい。
「向こうでの生活とかって聞いてもいいのかな?」
「えーと……兄さん?」
「飯食って寝る。以上」
ぐるぐるとパスタを巻きながら簡潔にそう答えると、近衛のこめかみにうっすらと青筋が浮かぶ。
「って、そういえば雪弥くん、最近ヴァイオリンは調子はどう?」
「調子も何もヴァイオリンならもうとっくに辞めたし」
「ああ、そうなんだ、へぇーー………………って、え?」
俺があっさりそう答えると、少しの間を置いて近衛の手からフォークが落ちた。
「おい、行儀悪いぞ」
「あはは……私、ちょっと疲れてるみたい。幻聴が聞こえてびっくりしちゃった!」
「そうか。耳も悪いと大変だな」
「〝も〟って何よ、〝も〟って! まるで他も悪いみたいな言い方しないでくれる!?」
「ちょ、おまっ、俺のパスタに唾液飛ばすなって! ばっちぃだろ!」
「ばっちくないし!」
「おー、えらい自信だな。知ってるか? 寝起きのフレンチキスは誰だって死ぬほど臭いんだぜ。ということはだな――って、おい聞いてるのか?」
「「……………………」」
前世の体験を基にした俺の一言をきっかけに、場の空気が一変した。
「……雪弥くんは、したことあるの?」
「……兄さんは、したことあるんですか?」
視点の定まらないハイライトの消えた瞳と、背後にドス黒い負のオーラを漂わせながら二人は同時にハモった。その光景がかつて俺が宮廷楽長だった頃、嫉妬に狂ったナポレオン姉妹にどっちを取るかのと迫られ、あやうく刀傷沙汰になりかけた一件と重なり背筋が凍りつく。
「な、なんだよぅ……そんなの別にどうだっていいだろ……」
「「……………………」」
実質的に遥かに年下のはずの二人に俺は気圧され、語尾につれてだんだんと小声になっていく。
やはり神はどうあっても俺に試練を与え続けたいようだ。




