9.
この作品は11エピソードで完結します。
「お義父さん、来なかったわね」
「昔から偏屈なんだよ」
「ねえ、ティラミス頼んでいい?」
「もういいだろ、出ようぜ」
一は伝票を掴んで立ち上がった。
今日は、静かで隠れ家的な雰囲気のあるカフェアルカサールのなかでも、人目を気にせずゆっくり話ができる席を取っていた。
それなのに……。
今考えると、電話したときから、声がどことなく不機嫌だった。
だから、何となく予感のようなものはあった。
三時間半待つあいだに頼んだのはコーヒー、プリン、アイスクリーム、そして最後に鴨肉とゴルゴンゾーラのパニーニ。食事に来たのなら順番が逆だ。
「は~ぁ」
一新妻である平中美穂が気の抜けたようなため息をついた。
無理もない。
気難しくて頑固者だと聞かされていた親父との、初めての面会のために、気を張って三時間も待ち続けたのだ。
店から追加オーダーを促されてアイスクリームとパニーニを注文したのは一時間前だ。一にしても、「もう来ない」と判断せざるを得なかった。
「お義父さん、やっぱり難しい方なのね。ねえイチ君から電話で言っちゃってよ。あたし目の前で怒られんのヤだよ」
「だめだって。勝手に籍入れたなんて言ったら、それこそ、その場で電話切られちまうよ」
「だって今日、約束したんでしょ。なのに来ないんだよ、そうするしかないじゃん」
「……こうなったら黙って押し掛けるしかないな。でもなんだかさ、ものごとの順序とか道理? そういう体裁みたいなことに妙にこだわるんだよな。そんな偉そうな人生送ってないくせにさ」
美穂がテーブルに残された空の食器を眺めながら、
「順番なんてさ……、人生なんて、計画通りになんかなんないよねー」
そう呟いて少し膨らみ始めた腹をさすり、一に笑いかけた。
報告したいことはたくさんあった。
あと半年もすれば子供が生まれる。生活環境をきちんとするために籍も入れた。
それだけではない。
建築のプロである親父に相談もせず、家を買った。ローンで苦労した親父が聞けば怒るに決まっている。今にも声が聞こえてくるようだ。
『筋が通らねえ!』と。
それでも一にしてみたら、孫が生まれると知った父が優しい顔を見せてくれるのではないか、という淡い期待もあったのだが……。
「行くぞ!」
当てが外れた一は、乱暴にそう言ってレジに向かった。
その歩き方が父親そっくりなのを、美穂はもちろん、一自身も知らない。