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残像  作者: 伊藤宏
4/11

4.

この作品は11エピソードで完結します。

 ここで目が覚めた。

 見回せば、バスの最後部のシートだ。

 いつの間にか眠りこけ、四十年以上前のことを夢に見ていたようだ。なんだってあんな古い時分のことを……。きっとこれから(ひとつ)と会うんで思い出したんだな。

 道彦は鼻からゆっくりと息を吸い、夢の残り香を探った。


 だが探っているうちに意識は再び虚ろに溶け、混沌となって、また眠ってしまった。

 やはり、希美子の夢だった。


  ―――


 希美子と出会ったのは、建築現場に設置されていた仮設事務所だった。彼女は資材の手配を行う係だった。

 美しいが、笑わない女だった。

 仕事中はもちろん、休憩中や昼休みでさえ澄ました表情を崩さなかった。だが難攻不落だと思えば却って興味は募る。


 道彦は何かにつけて希美子を構い、顔を見れば積極的に話しかけた。それでも希美子は心を開かなかった。だが一か月もそんなことが続くと、十回に一回くらいは小さく笑みを返してくれるようになった。

 道彦は、その、一瞬の笑顔に惚れた。

 最後は、何度も頼み込んで一緒になった。

 知り合ってから結婚するまで四ケ月と少しという電撃結婚だった。


 だが熱するのが早ければ冷めるのも早い。

 五年も過ぎると肌を合わせる回数も少なくなり、道彦は、隠れて若いのに手を出すようになった。何しろ精力は(みなぎ)っていたし、世のなかには、いわゆるガテン系の荒っぽい手に身体を揉みしだかれるのが好きな女がけっこういたから、その気になりさえすれば、女は向こうから寄ってきた。


 それでも、道彦は希美子を手放したいと思わなかった。


 遊びたいが、家庭も壊したくない。

 そういう身勝手な生活のなかで、(ひとつ)は誕生した。

 しっかり稼いで、遊びだって上手いことやれば何だってできる。道彦はこのころ、すべてが思い通りにいくと信じて疑わなかった。



 希美子が道彦の放埓ぶりに気付いていたのかどうか。

 わからない。

 ただ、問い(ただ)すこともなく、ただ黙って道彦を見ていたあの目は『知ってるのよ』、という意味ではなかったか……。


 真偽は不明のままだ。

 だが、ともかく。

 貞淑にして厳格な妻のまっすぐな視線が、道彦の暴走に節度の(たが)をかけていた。それだけは確かだ。家庭が崩壊せず、曲がりなりにもその形を保ってこられたのは、ひとえに希美子の冷静さだったと思う。

 外見こそ(しと)やかでもの静かだったが、芯の通った(したた)かな女だった。

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