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残像  作者: 伊藤宏
2/11

2.

この作品は11エピソードで完結します。

 ふいに視界が暗くなった。

 「おさがりください、電車が到着します」


 暗くなったのは電車の影、ではなかった。電車はまだホームに差し掛かったところで入線していない。立ちくらみだ!

 

「おーさーがーりーくーだーさあい!」

 今度はホームが傾き始めた。もちろん錯覚だが、傾斜は、道彦の身体を低い方へと引きずり降ろそうとした。

 道彦は、足裏から感じるコンクリートの継ぎ目を、地下足袋の指で掴むようにして踏ん張った。

 よし、もう大丈夫だ、と身を屈めた瞬間だった。

 道彦は、横っ面を張り倒されたような衝撃で一旦宙に浮いたあと、斜めに一回転してホームに倒れた。



 

 春のうたたねのような心地よい時間を経て、少しずつ、意識を覆っていた(かすみ)が晴れてきた。

 最初に聞こえたのは非常ベルの音だった。

 道彦は横になったまま、ベルの音に聞き入った。


 懐かしいねえ、昔は発車の合図っていやあ、みんなこの音だったなあ。緊迫感があったよ。走るか待つか。人に選択を迫る厳しさがあった。

 それが今はどうよ。ちんちろちんちろメロディが鳴ってよ、それから『ドアが閉まります。無理なご乗車はおやめください』ってか? それで終わりかと思ったら、今度は車掌が『ドア閉まってます』とくらぁ。んなことやってっから駆け込み乗車がなくなんねえんだよ。高校中退の俺だって、そんくれぇのことはわかるってんだ。



 「大丈夫ですか」


 人の声がする方を向いて静かに目を開いた。だが、最初、間近にある何かが駅員の顔だとわからなかった。それほど近かったのだ。


 「今、救急車きますからね」


 救急車と聞いて、ゆっくりと身体を動かし、各部位の機能を確かめた。

 右手に軽い痺れが残っている。

 腕の内側に汚れがついているところを見ると、無意識に受け身をとったようだ。

 だが、たいしたことはなさそうだな。


 落ち着いてくると、左膝と、腰の左側に痛みがあるのに気が付いた。動かしてみたが、機能的には問題なさそうだ。打ち身からくる一時的な痛みだろう。この程度なら時間が経てば消える。

 首を回して服装を確認すると真っ白に洗濯したはずの七分の右の腿のところに、金属で擦ったような黒い太い線が残っていた。車両のどこかが当たった痕跡かもしれない。線は彗星の尾のように延びて内股で消えていた。

 出血は、どこにもない。

 身体の機能や服装を確認しながら事実と記憶を順序立て、ようやく起きたことの全体を把握することができた。軽く接触したらしい。

 ゆっくりと起き上がりその場を立ち去ろうと人混みの僅かな隙間に向かって歩き出すと、駅員が慌てて言った。


 「じきに救急車きますから」


 冗談じゃねえや。

 今日は大事な約束があるんだ。時間はまだ余裕だが、これから駅の職員に情聴取を受けたのでは二、三時間はかかる。増してや病院に入れられちまったら……。


 非常ベルが止まった。だが頭上の電光掲示板にはまだ “非常停止” というオレンジ色の文字が点滅している。この分では電車は当分動かないだろう。

 道彦はチっと小さく舌打ちして、駅員が肩に乗せた手をそっと振り払った。


 「ごめんよ、今日は急ぐんでな」


 道彦は、素早く人混みのなかに分け入り、その場を去った。

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