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残像  作者: 伊藤宏


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11/11

11.

最終話

 何をやってもうまくいかねぇ日ってなぁあるもんだが、それにしたって。選りにも選って今日とはね……。



 道彦はバスに乗りなおし、行きつけの飲み屋 、“自由な(うたげ)” に向かった。

 こんな日は家飲みじゃだめだ、ちゃんと、店で厄落とししねえと。


 “自由な宴” は、飾り気のない庶民の立ち飲み酒場だ。仕事終わりの時間になると、店内はサラリーマンと肉体労働者で溢れかえる。

 目玉はホルモン焼きとおでん。他には煮物や照り焼き、干物を炙ったものが大皿に並べられていて、注文すると店の女性が小皿に取り分け、電子レンジで温めてくれる。


 今日、心身ともに疲れ果てた道彦が求めているのは、酒でもホルモン焼きでもない。ふたり居る女性のひとり、ムンちゃんの笑顔だった。

 ムンちゃんはおそらく四十歳前後。世間的には若いとはいえないが、道彦から見たら娘でもおかしくないピチピチの看板娘だ。


 ムンちゃんはいつも、若々しい思い切ったデザインの服を好んだ。そしてハロウィンやクリスマスには、魔女やサンタの扮装をするのだが、照れずに堂々とやるのでまるで違和感がなかった。おまけに客に振りまく愛嬌ときたら! 


 それでいて気配りは申し分がなく、客が用を思いつく前に、いつの間にか側に立っている。そういう動きができる頭のいい女性だった。

 澄ました美人顔で淑やかだった希美子とは、ある意味、正反対のタイプだ。道彦にはそれが新鮮で、気落ちした気分のときには、よく足を運んでいた。

 生まれ変わって女房にするなら、次は、こんなのがいいな……。

 よくそう思いなかがら。



 「ヒコさん珍しいじゃん、日曜日なのにお仕事ぉ?」

 開店を待って店に入ると、さっそくムンちゃんが話しかけてきた。


 「おお、そうじゃないんだけどな、今日は調子悪くってよ。あ、瓶ビールと、いつもの」


 「はぁい」

 微笑んだ目尻のしわまでが愛らしい。


 ビールを取りにいったムンちゃんの後ろ姿を目で追った。今日は、若い娘が履くようなショートパンツだ。少し肉のはみ出た腰回りに、若いのとは違う色気がある。

 こういう目つきで女を見るのを今じゃあセクハラっていうんだろうが、相手は後ろを向いてるんだ。何がハラスメントなもんか。


 ……やっぱり、次に結婚するならムンちゃんだな。

 道彦は瓶ビールをコップに注ぎ、にやついた顔で一気に半分ほど飲んだ。胃に向かってとくとくと降りていく冷たい感覚が心地よい。


 それにしても。

 本当に、ひどい一日だった。


 溜め息と一緒に大きく息を吐くと、肩から力が抜けた。凝りと疲れが少しずつ解れていく。


 ふと気がつくと、ムンちゃんが隣にいた。そして、

 「これサービス。だめよ、いつもホルモンとビールばっかじゃ」

 そう言って笑うと、ほうれん草のお浸しが乗った小鉢をテーブルに置いた。削り節が扇風機の風に揺れている。

 「おぅ」とムンちゃんを見たら、彼女は一瞬笑顔を見せただけで、さっさとレジ前の定位置に戻っていった。


 ほんと、いい女だよなあ。

 コップに残ったビールを空け、瓶からビールを継ぎ足し、ありがたくほうれん草を摘んだところで、なぜか希美子のことを思い出した。

 ほうれん草っていやぁ、あれはよく、胡麻和えを作ってくれたっけ。黒ゴマを直前にすってから作るんで、とても香りがよかった。


 思い出して目を瞑ったら、瞼の裏に希美子が現れた。

 生前、見慣れたエプロン姿だった。葡萄茶の無地で、ところどころに着いた染みの位置まで覚えている。

 希美子はやっぱり、笑うでもなく怒るでもなく、黙って道彦を見ていた。慈しみ、ということばが浮かんだが、思い浮かべてすぐ、そんな調子のいい話、と笑って打ち消した。

 すると、希美子の姿はゆらっと揺れて消え、道彦もまた、立ったままゆらりと揺れた気がした。

 チキショー、今日はやけに酒が効きやがる。普段なら瓶ビールのあとに酎ハイを四、五杯はいけるのに、今日はコップ一杯で


 ―――


 「ちょっとぉショウちゃん、くっつき過ぎ」

 半間(はんま)のれんの向こうにある厨房から聞こえてくるのはムンちゃんの声だ。


 「だめよぉ、キイちゃん帰ってくるよ」

 言い方は厳しいが、声がいくらか鼻にかかっている。

 

 「だいじょぶですよ。この時間のスーパーは混むんすから。わかってて買い物にやったんですよ、オレ」


 若い料理人が、タトゥーの入った腕をムンちゃんの胸に伸ばそうとして、ピシャリとその手を叩かれた。

 「だぁめ! お客さんいるんだからね」


 はっとした料理人が動きを止めた。そして指の背で厨房ののれんを少し開け、店内に、視線をひと巡りさせた。

 「客なんか、誰もいないじゃないすか」

 そう言って、今度はムンちゃんの腰に手を回した。


 「もおお」

 いたずらな弟をたしなめるような声が店内に漏れた。



 静かな店内で、テレビが、関東のローカルニュースを伝え始めた。

 「次は事故のニュースです。今日、午前六時四十分、JR新和田北タウン駅の上りホームで、平中道彦さん、六十七歳が、入線してきた上り電車に接触しました。

 平中さんは接触の際、頭を強く打ち、すぐに近くの病院に搬送されましたが、すでに心肺停止の状態で、その場で死亡が確認されました。

 この事故の影響で、老海(ろうなみ)線は上下線とも二時間の運休となり、運転再開のあとも、昼過ぎまでダイヤの乱れが続いたもようです。

 ホームに居合わせた方の情報によりますと、平中さんは陽の当たるホーム際で、長時間、電車を待ったあと、よろめくようにして前方に倒れていったということで、警察では熱中症の疑いもあるとみて、捜査を続けています」



 誰もいない店内の、小さな丸テーブルに、半分ほどビールが残った飲みさしのコップが残されていた。

 テレビの画面では、コメンテーターがホームの防護柵の必要性について述べており、隅には四角く抜かれた道彦の顔写真が映っている。



 十分もすると、店には仕事帰りの男たちが集まってきて、いつもの賑わいが始まった。

 ムンちゃんはテーブルに置きっぱなしになっているコップを見つめ、首を(かし)げた。

 あれ、どうしたんだっけ? なんで……。


 しかし、客から「ムンちゃん、そのテーブル空いてる?」と呼びかけられて我に返った。そして、

 「うん、だいじょぶ、今かたすねー」と答えて、奇妙な感覚と一緒にテーブルのコップを片付けた。


     《了》

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