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残像  作者: 伊藤宏
1/11

1.

11エピソードで完結します。

書籍なら[短編]に分類される文字数ですが、サイトでの読みやすさを考慮して連載形式にしました。

 午前六時三十八分、JR新和田北タウン駅。その上りホームに、平中道彦は立っていた。


 平日なら通勤通学の乗客が姿を見せ始める時間だ。だが日曜日の今日、ホーム上に人は(まば)らで、そのわずかな人影も、駅舎の影にへばりつくようにして固まっている。

 無理もない。

 日光はまだ朝の色を残しているとはいえ、早くも、ちりちりと肌を焦がす凶暴さを見せ始めている。


 視界の端で何かが羽ばたいた。

 道彦は眼だけ動かして残像を追った。

 ピュルっという鳴き声を発した黒点が、天空に吸い込まれるような軌跡を残していった。飛び立ったのはヒバリだろうか。



 新和田北タウン市は、和田北市と丹野町(たんのちょう)、そして斧田村(おのだむら)が市町村合併してできた新しい自治体である。合併に伴い丹野町駅は無人駅となり、駅の機能は新和田北タウンに統合された。斧田村には、最初から駅がない。


 道彦は、もう二十分も前からホーム際で腕を組み、夏の陽を正面から受けて立っていた。(まと)っているのは道彦にとっての正装、金糸で鳶長(とびちょう)と刺繍が入った純白の七分ニッカと同色のベスト、足元は黒の地下足袋。一張羅である。


 道彦の、足場鳶としてのキャリアは、見習いの時期を入れると五十年になる。六十七歳になった今でも現場に出ているが最近は高所に上がっていない。上がろうとすると若い衆が止めるからだ。


 日焼けを繰り返した肌は、風合いも色も、素朴な土器のように乾いている。

 頬の肉は年齢と共に少しずつそぎ落とされ、最近、少し(ゆる)んで()けた。

 眼窩(がんか)に収まる鋭い目。

 若いころの男ぶりが偲ばれる形の良い鼻梁(びりょう)。控えめだがきりっと結ばれた薄い唇には思慮深さと意志の強さが現れ、どこか、老いたボス猿のような風格があった。


 道彦が今日、仕事でもないのに鳶の正装に身を包んだのには理由がある。

 九年ぶりに、ひとり息子に会いにいくのだ。

 ちょっとしたことですれ違いが生じ、それきり疎遠になってしまったひとり息子。別に勘当したつもりもないし、九年も張り通す意地があったわけでもない。

 顔も身体つきもまるで違う息子だが、意固地なところだけはしっかり遺伝していて、お互い、一旦こうと決めたら頑として態度を変えない。

 九年も口を利かなかったのはそのせいだ。


 再会のきっかけは向こうが作った。


 「会ってもらいたい女性がいる」


 電話の用件はそれだけだった。あとは待ち合わせの場所とか日時とか、そういった事務的な会話だけ。

 さてはあいつ、結婚する気だな、とすぐに察した。きっと向こうさんの家の手前、父親にも認めてもらいたいんだろう。

 道彦は、電話ではつっけんどんな態度を貫いたものの、内心、まんざらでもない気分で、受話器から流れる息子の声を味わった。

 本当をいえば、あまりに長い音信不通で、息子に忘れられているような気がして寂しかった。それが、人生の節目で意を決して連絡してきた。頑固な気性のくせして自分から折れてきたのだ。これで応えない親がどこにいる。


 今日のような日のためにスーツはひと揃え持っていた。妻が生きていれば、きっと着て行けと言ったはずだ。だが道彦はあえて仕事着を選んだ。これが自分の正装だという意地と、浮ついた心を見破られたくないという照れのようなものが、まだあった。

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