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流行アレルギー

作者: P4rn0s

彼女の話すことには、どこか不思議な静けさがあった。


たとえば、冬のはじまりに街が静かになるような、音が雪に吸い込まれていくような、そんな静けさ。明るい声でも、ふとした間に余白のようなものが生まれて、そこに誰も踏み入れられない何かが残る。僕は、その空白が妙に心に引っかかっていた。


彼女がまだクラスで誰にも注目されていなかった頃、たまたま席が近くなって、たまたま同じタイミングで教室の窓の外を見た。それだけだった。でも、それが始まりだった。


彼女は、僕がそれまで出会った誰とも違った。


休み時間に音楽の話になったとき、彼女はあまり知られていない海外のシンガーの名前を出した。日本語のWikipediaにも載っていないような。僕は当然知らなかったが、それでも彼女は嬉しそうに、真っ直ぐ目を見て、「すごく、よくてさ」と言った。


その「よくてさ」という言い方に、少しだけ胸が詰まった。


その数週間後、そのシンガーが突然SNSでバズった。ある有名な配信者が取り上げたらしく、TikTokでも曲が流れ、YouTubeでもおすすめに上がるようになった。クラスのあちこちでも話題になって、誰もがその名前を口にするようになった。


でも彼女は、あの時の嬉しそうな顔をもう見せなかった。ただ、静かにその話題から距離を取っていた。


「嬉しくないの?」と聞いてみたことがある。彼女は首をすくめて、「別に。嫌じゃないけど」と言った。でもその声には、何か小さな亀裂のようなものがあった。僕は何も言えなくなった。


それからも彼女は、誰よりも早く何かを見つけていた。次は文房具の話だった。あのシャーペンの芯が柔らかくて書きやすい、あのノートの紙質が絶妙で好き、そんな話を誰に誇るでもなく、ただ、僕にだけ話してくれた。


そしてまた、数ヶ月後にはその商品がどこでも品切れになった。SNSで話題になって、ランキングにも載って、店頭のポップには「話題沸騰!」の文字が躍っていた。


「また流行っちゃったね」と僕が言うと、彼女は目を細めて笑った。だけどその笑いは、まるで透明なガラスみたいに冷たくて、すぐに壊れそうだった。


僕は、それでも彼女の話すことが好きだった。彼女の目が輝く瞬間や、何かを見つけたときの小さな息遣い、その全部が。


だけど、ある時から、自分自身が変わってきていることに気づいた。


「あの人、最近人気だよね」と、誰かが言う。


「ああ、◯◯ちゃん、それ前から好きって言ってたよね」と、僕が言う。


気づけば、僕は「流行る前に知っていた彼女」を話すようになっていた。まるでその事実だけが、彼女の価値を示す証拠かのように。


彼女がすごいのではなく、「彼女がすごかったことを、僕が知っている」という自分自身に、どこか満足していた。


それに気づいた瞬間、僕は自分がひどく小さく、薄っぺらく思えた。


何が好きで、何を大切に思っていたのか。


彼女が「先に知っていた」から好きだったんじゃない。誰よりも先に何かを愛しているその姿が、僕にとってはただ、まぶしかっただけなのに。


今では、彼女はもう、クラスで静かにしている。話しかけてくれることも、ほとんどない。


流行は過ぎ去る。ブームも、熱狂も、すぐに次のものへ移る。なのに僕は、その一瞬にすがって、自分が彼女を知っていた証明のように、それを語っていた。


彼女が見つけていたものたちは、すべて僕の中で「誰かが話題にした後」の景色になってしまった。彼女の見ていた、最初の景色に追いつけることは、もうない。


夕方、教室に一人残っていたとき、窓の外をぼんやりと見ていたら、あのときと同じ空の色だった。何かが始まるような、何かが終わっていくような。


もう一度、彼女と話したいと思った。


だけど、彼女があの透明な声で何かを語ったとして、それを僕がまっすぐに受け取れるのかどうか、自信がなかった。


だから僕は、その日は何も言わず、静かに席を立った。


僕の中にはまだ、誰かの光を借りて、自分を照らそうとする弱さが残っていた。


その弱さを、あの子はたぶん、すべて見抜いていたのだろう。

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