ゆう
春の風が校舎の窓をさらりと抜けていった。
朝倉湊は、いつものように教室の隅の席に座り、開いた文庫本に視線を落としていた。騒がしいクラスメイトの声がBGMのように耳をかすめていくけれど、ページをめくる手は止まらない。
——穏やかで、誰にも干渉されない時間。
それが、彼の「日常」だった。
「おーい、湊ー。今日の読書は何だ?」
声をかけてきたのは、クラスの人気者・成瀬悠真。涼しげな目元に、余裕の笑み。いつだって中心にいるタイプなのに、なぜか湊の隣に座っている。
「ただの短編集。適当に選んだやつ」
「ふーん。お前、マジで渋い趣味してるよな。でもさ、もうすぐ変わるかもよ?」
「変わる?」
「……ま、それは来てからのお楽しみってことで」
言い終わるや否や、教室のドアが開いた。
担任の佐々木先生が、誰かを伴って入ってきた。視線が自然とその人物に集まる。
「今日からこのクラスに新しい仲間が加わるぞ。はい、自己紹介を」
その少女は、ゆっくりと一歩前に出た。
「——綾瀬 凛です。よろしくお願いします」
その瞬間、時間が止まったように感じた。
肩までの黒髪に、真っ直ぐな瞳。凛と名乗ったその少女は、湊の記憶の奥に眠っていた誰かと——ぴたりと重なった。
「……嘘だろ」