Ⅱ.恋の訪れ
「ロゼル、聞いて聞いて!」
午後の客もまばらな時間に嬉しそうに入ってきた少女に、ロゼルは微かに眉を顰めた。
年相応かそれより下に見られる幼い顔立ちに反し、胸やお尻は女性らしく豊かに成熟していて、いつも男の視線を一身に集めている。ちらほらいる男性客の下卑た視線に気づいているのかいないのか、ミレイユは満面の笑みをロゼルに向ける。
「どうしたの?」
ロゼルとしてはあまり好ましくない人物ではあるが、少女の性格が悪いわけではない。要は好き嫌いの問題だった。
家にいたころは引きこもってばかりだったが、人付き合いそのものは嫌いではなかった。ただ、関わるのが選民意識が高く、高慢ちきな者ばかりで、あまり馬が合わないために疎遠になってしまうのだ。
彼女たちよりはいいとはいえ苦手なことには変わりないが、年の近い子供が少ない中でミレイユの存在は大きい。彼女がよくやって来るのは話し相手が少なかったためだろう。新たに現れた少女が嬉しいからで、やがてロゼルの望む適度な距離感で接することができるようになるだろうと考えていた。
「実はね、きのう告白されたの」
えへへ、とはにかみながら告げるミレイユに、ロゼルはなるべく関心があると聞こえるように注意しながら訊く。
「相手はだれなの? ピエール? ドニ? あ、それともギィかしら」
思いついた順に名前を挙げた。三人とも年頃で、ミレイユに気がある少年ばかりだ。彼等はずいぶんと積極的なのだが、ミレイユにはまったく通じていなかった。ようやく苦労が報われたのだろうか。
「いいえ。だれだと思う?」
いたずらっぽく尋ねるミレイユに、ロゼルは考えるポーズをした。
「降参、勿体振らずに教えてよ」
「セルジュよ」
「セルジュって……あの?」
ロゼルはまだ会ったことはないが、町一番の美男子だと評判だった。
彼の浅黒い肌にたくましい体躯は、ミレイユと同じく人目を引く。
セルジュのものになったら勝ち目なんてない、とドニたちは話していた。多少の嫉妬と羨望が篭っていて、セルジュという男は見目よいだけでなく人望もあるらしい。
「それで、その申し出を受けるの?」
「んー……わからないわ。セルジュのことはかっこいいと思うけど、それだけなの。彼のことをほんとうに好きかどうかわからないのに付き合うなんてできない」
「そう」
馬鹿馬鹿しい、と出かかった言葉を飲み込む。
反応の乏しいロゼルに、ミレイユは唇を尖らせて不満を漏らす。
「そっけないよ、ロゼル!」
なら、わたしに関わらなければいいじゃない。反論することはないが、ミレイユのその天真爛漫さがひどく癪に障った。
どうしてこうも話し掛けてくるのか。それ自体は構わないのだが、彼女がロゼルに求めるものが重苦しくて滅入ってしまう。
きっと根本的にふたりの性質は合っていないのだ。彼女と出会ってからまだ一月も経っていないが、ロゼルとミレイユでは人付き合いに対する姿勢がまるっきり違うことを理解していた。それは他人と関わるに当たって重要なことのひとつだった。
「やっぱり断った方がいいかなぁ。セルジュに対して、中途半端な気持ちで向き合うのは失礼だもの。真面目にいってくれたんだから。ねえ、ロゼルはどう思う?」
「……わたしは受けても構わないと思うけど」
ミレイユは目をぱちくりして首を傾げた。
「今はまだセルジュを好きじゃないだろうけど、これから好きになることだってあると思うわ。セルジュは素敵な男性だし、人望だってある。あなたも嫌いではないのでしょう? いいじゃない、付き合ってみて考えれば」
両親を思う。ふたりが歩み寄ることは最後までなかった。愛し合うことはなくても尊敬し合う関係になることはできたはずだ。それを彼らはしなかった。そしてふたりの間に生まれた子供にさえ、一片の愛情も与えなかった。赤の他人の方がまだロゼルに優しかった。
好き合うだなんて夢物語だ。血が繋がっていても愛されることがないのに、そうでない者同士が愛し合うことなどできるはずがない。
どうせ、ミレイユとセルジュも同じだ。付き合ったって、碌な結果にならないだろう。
「そう……そうだよね。返事は保留にして、付き合うかどうかはこれから考えることにする。ありがとう、ロゼル!」
満面の笑みを浮かべ抱き着こうとするミレイユを押し止める。両親にさえ抱擁をされたことがないロゼルは、彼女の過度なスキンシップが苦手だった。
気恥ずかしい気持ちで、話をそらす。
「セルジュと近々あるお祭りに行ったらどう?」
「えー……私はロゼルと行きたいな。ここに来て初めてのお祭りなんだし、いろいろ教えてあげたいもの」
「わたしのことは気にしないで、ふたりで楽しんできなさいよ。恋人達の祭りともいわれてるんでしょう」
「そうなの!」
きゃあきゃあとはしゃぎながら、祭りのことを事細かにしゃべる彼女に相槌を打つ。興味深い風を装いながら、でもやっぱりロゼルといっしょに行きたいというミレイユを軽くいなした。
ある昼下がりのこと。
ロゼルはその日、休みを貰っていた。特にやることもないので買い物でもしようと、いつものように花屋の前を通り過ぎようとしたのだが、ふと目に入った花に目を奪われた。
店先に並べられたそれらに、ロゼルはいつになく心が弾む。
色恋沙汰には興味のない彼女だが、綺麗なものは人並みに好きだった。華美なものは好まないが、道端に咲いている小さな花も、さりげなく宝石がちりばめられたドレスや首飾りだって、心を温かくしてくれる。
「ロゼル、来てくれたんだ」
近づいてくる足音に気がついていなかったわけではない。だがロゼルは、話し掛けられるまで花から視線を上げなかった。
ロゼルの乏しい表情を読み取ったのだろうか、ケネスは苦笑を漏らした。
「欲しいのかい?」
「いいえ」
と首を振るが、ロゼルの熱心な視線は言葉とは真逆な本心を物語っていた。
ケネスはロゼルの視線の先にある薄桃色のガーベラを一輪取り出した。
ぼうっとそれを眺めていると、すっと目の前に差し出された。
「え……」
「あげるよ、お近づきの印に」
戸惑うロゼルに気づいているのかいないのか。子供のような笑みを浮かべている。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
そういって彼はにっと笑った。
ロゼルは思わずどきりとした。男性に損得勘定なしで優しくされることはなかった。今まで彼女に近づいてくる男は『ロザリー』ではなく『伯爵令嬢』として見ていた。なのに。
薄桃色に頬を染めた少女は、あどけない笑みを見せた。
それは彼女が初めて見せる、心からの笑顔だった。