第1話 みんなの憧れ、セシリア様
――神聖国の聖女セシリアは、誰もが憧れる存在だった。
「わぁ……! セシリア様よ……!」
「今日もとってもお美しいわ……!」
白銀の艶やかな髪をなびかせ、女神のごとき美貌に柔和な笑みを浮かべながら、大聖堂内部の主要通路をコツコツと軽やかに靴音を立てて歩いていく。
顔、良し。
スタイル、良し。
性格、もちろん良し。
男性だけではなく女性からも人気の高いセシリアは、いままさにすれ違ったばかりの見習い聖女たちも歓声をあげて振り返るほどの有名人だ。
セシリア・マーヴェル。
20歳。
レーヴェンス神聖国の次席聖女にして――、次期筆頭聖女。
「セシリア様」
そうして、セシリアを呼び止め、現れ出た影。
「ヴィクター様」
――ヴィクター・ドヴォルザーク。
この、神聖国に置かれる聖騎士団の副騎士団長にして次期団長候補でもある、実に見目麗しい好青年は。
「見て……! セシリア様とヴィクター様が一緒にいらっしゃるわ……!」
「素敵……。おふたりがいるだけで、辺りがなんだか神々しく輝いて見えますわ……」
セシリアに引けを取らぬほどの、有名人であり人気者であった。
「セシリア様。こちら大司教様から、セシリア様にお渡しするようにと」
急ぎお渡しした方が良いかと思いまして、と、封筒を差し出しながら爽やかな顔で微笑むヴィクターに対し、セシリアも実に麗しい笑顔でにこにこと答える。
「まあ……、わざわざこんなところまでお持ちいただいて……。ありがとうございます」
そうして、セシリアのその桜貝のような唇からコロコロと紡がれる声は、耳にするだけで万人がため息をこぼすほどの、優しく温かみを帯びた美声であった。
「セシリア様。次のご予定は予算会議ですよね? 私も今日の会議には参加しますので、よろしければ道中、ご一緒してもよろしいですか?」
「あら。聖騎士団随一の騎士様にご同行いただけるなんて心強いですわ。遠慮なくご厚意にあずからせていただきますわね」
と、周囲の注目もどこ吹く風で、ヴィクターの提案に乗ったセシリアたちは二人仲良く連れ立ってその場を立ち去っていく。
その去りゆく後ろ姿だけでもため息が出るほどに美しく見えるのは、もはやなにか女神の加護でもかかっているのではと思うほどだ。
――神聖国の、皆の憧れの聖女、セシリア・マーヴェル。
これが、この物語の主人公であり、才色兼備・完全無欠のスーパーヒロインである――――というのは、表向きの姿だった。
◇
セシリア・マーヴェル。
聖女の力を見出され、マーヴェル侯爵家の娘として大聖堂に上がった才女として知られるセシリアだが、実は彼女は侯爵家の実子ではなかった。
幼い頃に事故で両親を亡くし、7歳で叔父夫妻に引き取られた彼女は、そのまま侯爵家の養女となった。
可哀想なことにセシリアは、引き取られた侯爵家でその存在を疎んじられ、激しいいじめを受け――ることもなく、人格者であるマーヴェル侯爵夫妻とその嫡男である従兄弟に、人並み以上に可愛がられて幸せに育った。
その後、セシリアは12歳で高い神聖力を見込まれ聖女として神殿入りすることになるのだが、その時も叔父夫妻は「嫌なら無理をしなくて良いからね、侯爵家の総力を上げてでもなんとかする」とまで言ってくれた。
だからこそ――、優しい養父母と従兄弟のために、誰よりも優秀な聖女となって恩返しをしたい。
それが、セシリアの現在に至るまでの原動力だった。
――この国において、聖女とは。
強い神聖力を持って神に仕え、民衆に貢献するために神聖国の国教であるウルド教に身を置く女性のことを指す。
中でも特に優秀な者は、レーヴェンス神聖国の聖地である聖都ヴェルドに集められ、神聖国の未来を担う要人として育てられるのだが。
セシリアはその中でも、次代の筆頭聖女最有力候補としてみなされるほどに優秀な人物であった。
女性は結婚という形で実家に貢献するのがスタンダードなこの時代に、聖女になって出世するというのは、数少ない特例だ。
筆頭聖女ともなれば神聖国の幹部の一角ともなるし、発言権も格段に大きくなる。
ここまでやってきたのであれば、できれば筆頭聖女になって家族孝行をしたい――、と思うセシリアなのだったのだが。
彼女は今。
宿舎内にある自室で、絶賛大号泣中だった。
「うっ……、お、お兄さま……」
セシリアの養父母の息子であり、従兄弟でもあるリカルドは、彼女が淡い恋心を抱いている相手であった。
従兄弟ではあるが、「家族になったのだから兄と呼んで欲しい」とリカルドから言われて、セシリアはリカルドをずっと兄と呼び慕い続けてきた。
従兄弟だし、兄妹みたいな関係にはなってしまっているけれど。
想うこと自体は自由よね――?
そんな想いを抱きながらも、ほんのりと小さな恋心を暖めていたセシリアなのだったが。
この日、セシリアに『リカルドの結婚が決まった』という知らせが届いた。
――相手が誰なのかは知らない。
それでも、あの養父母のことだから、政治的な観点だけでの婚姻ではなく、ちゃんとリカルドの意志を尊重した上での婚姻なのだろう。
そう思うと、自分が口を挟む余地などないことに思い至り、一層悲しみで涙にくれた。
頑健で、優しくて、朗らかな兄。
幸せになってくれるのならば良いという思いと、彼を幸せにしてあげる相手が自分ではなかったということが悲しく、堂々巡りを繰り返す。
――明日から休日を取っていてよかった。そうでなければ、きっと明日は泣き腫らした目で勤務をする羽目になっていただろうから。
たまたま、溜まっている休暇を消化しろと上から言われて、明日明後日は珍しく連休を取得していたのだ。
ある意味、ちょうど良いタイミングであったとも言える。
連休を取得はしていたものの、特に何か用事を入れていたわけではなかった。
セシリアは――、表向きには完璧美女だったし、仕事も超がつくほどに優秀ではあったが、一旦私生活に戻ると驚くほどになにもできないのだった。
いや、できないのではなく、やる気がおきないからしない――、と言った方が正しい。
平時、仕事で常に気を張り、全方位への集中力を怠らずに発揮しているセシリアは、部屋に帰ってくるとほぼ廃人と言って良いほどのくずおれっぷりで。
休日も、特別しなければならない用事がない限りは、部屋から出ずにだらだら過ごすというのが当たり前の日常なのであった。
くぴり、と、手元にあった酒をあおる。
ちなみに、この国では神職者たちは別に酒は御法度ではない。
前後不覚になるほどに酩酊をすることさえなければ、特にお咎めされることもない。
セシリアは一応周囲には、「お酒は全然飲めませんの」と宣言をしていたが、それは不届きな人間に無理に飲まされて悪酔いしないようにするための措置であり、本当に飲めないわけではなかった。
むしろ、部屋でひとりでちびちびと嗜むことを好むほうで、適度に摂取し飲みすぎなければしばしの間でも現実を忘れ癒しを与えてくれるアイテムとして重宝していた。
「うっ……、はあ……」
そうして、兄の結婚報告により、涙と酒と悲しみに暮れた部屋の中。
セシリアの貴重な連休が、無為に費やされていくのであった――。