北の土地から 嫁来たる
「どうしてもダメですか?」
「ダメ、というか……そんな場合じゃないかと」
「そこを何とか出来ませんか?」
俺と彼女が話している場所は、会議室でも応接室でも事務所でもない。
南の辺境伯家の屋敷の奥、そこに設えられたばかりの寝室のベッドの上だった。
俺はこの地、南の辺境伯家の嫡男である。
彼女は遠く離れた、北の辺境伯家の娘だ。
二人は先日、婚姻したばかり。
互いの領地が離れているので、中間地点の王都の教会で婚姻式をした。
その後、彼女と共に南に帰って来たのだ。
屋敷の大食堂で、騎士団を交えての披露宴も盛況のうちに終わり、今は二人きりの寝室の中。
すなわち初夜である。
辺境伯家同士の婚姻ともなれば、実のところ政略の側面が強い。
武力を旨とする南、それに対して魔法を旨とする北。
遠く離れてはいるが、時には力を合わせ国防を担って行く領地同士。
王家からも祝福を受け、期待をかけられている。
俺たちは幼いころからの許嫁で、南の騎士団と北の魔法師団の交流時には、数回顔を合わせている。
彼女のデビュタント時には王都で待ち合わせ、ダンスパーティーにも参加した。
踊る様を見た観衆からは、南の屈強な若獅子と北の優美な白鳥のベストカップルと称えられたほどだ。
文を送り合い、その他にも誕生日など折々に贈り物をしあって、離れていながらも良好な関係を築いて来たと思う。
しかし今、初夜の寝室で揉めている。
少しばかり煩わしい付き合いが済んで、本日のメインイベントである初夜に臨む俺は、やっとたどり着いたこの時に期待しかなかった。
目の前で柔らかく微笑む彼女。
スリムな身体つきながら出るとこ出ている俺のミューズ!
この時を、どれだけ待ち望んでいたか!
ところが、である。
有り得ないことに、さてこれからというタイミングで扉を叩く者がいた。
無視しようとしたが、しつこい。
とうとう大声まで上げだした。
「若様、こんな時ですが、ご報告しなければならないことが……」
俺は瞑目した。これはとりあえず、話を聞かなければならないようだ。
「済まん。少しだけ待ってくれるか」
「はい」
彼女は不安げな様子も見せず、頷いた。
俺はガウンを羽織りなおすと、天蓋から垂れる布をめくって扉へ向かう。
「若様、本当に申し訳ございません」
「それほどの用事なのだろう? 何があった?」
そこにいた男は、事務方の側近だった。
「襲撃です」
「披露宴で油断していると思われたか」
「おそらく」
「対応できそうか?」
「心配ございません。ですが、一応ご報告まで」
「ご苦労だった」
「何かありましたか?」
ベッドに戻ると彼女に訊かれる。
「ああ、予想通り、隣国の部族の一派が仕掛けてきたようだ」
「そうですか」
「もちろん、心配いらない。
披露宴で飲んでいたのは、酔うほどに強くなると豪語する者ばかりだからな」
「まあ」
彼女は目を瞠っても美しい。
「では……」
俺に身体をあずけてきた彼女を、両手で止める。
実に心苦しい。
「しかし、念のため……その……事に及ぶのは」
油断は禁物である。
魔法使いとして前線に出ることもある彼女も分かってくれるはずだ。
俺はそう考えたのだが……
「どうしてもダメですか?」
「ダメ、というか……そんな場合じゃないかと」
「そこを何とか出来ませんか?」
愛しい新妻にそう言われては堪らん。
実に堪らん、だがしかし。
「わずかな油断で、大事な君に万一のことがあったら、悔やんでも悔やみきれない。わかってくれ」
お互いに、生まれつき国防に従事してきたようなものだ。
家族は全員、辺境守備に携わっている。
子供のころからホッとする暇なんてなかった。
彼女も同じだということは、嫌というほどわかっている。
出来れば、自分の側に居る時くらいは、寛がせてやりたい。
甘やかしてやりたい。
しかし今はダメだ。
「……我が儘言ってごめんなさい」
「君は少しも悪くない。俺がもっと豪胆だったらな」
笑って見せたつもりが、少し情けない顔になったようだ。
彼女が、悲しそうな顔をする。
「そんな顔をさせたかったのではないんです」
シンとした空気の中、彼女はゆっくりと息を吐いた。
「では、問題を解決しましょう」
「え?」
「ここにいても、何も出来ないんですから」
そう言うとフンと気合を入れ、スケスケのヒラヒラだった魅惑の衣装を、魔法使いの戦闘服に一瞬で着替えた。
「は?」
「貴方も出ますか?」
「あ、ああ」
返事をしてすぐに、俺も馴染んだ武器防具一式を纏っていた。
「飛びます!」
「はい?」
一瞬で転移した先は、襲撃部族の本拠地だ。
「……なぜ、襲撃者の本拠地がここだと?」
「事前に、敵対勢力の資料は読み込んでいます。
それに基づいて絞り込み、更に襲撃者の痕跡を遡りました」
言いながら、奴らのテントを全て吹っ飛ばした。
転がり出てきた者どもは俺たちには目もくれず、天を仰いで腰を抜かす。
夜空には、隣国で信仰されている神の姿が現れていた。
凄まじい怒りの形相で地を這う人間たちを睨むと、人差し指を地に向かって振り下ろす。
そこから雷が生まれ、近くにあった大木を真っ二つに割いた。
奴らはひれ伏し、動けない。
その中で一人、年老いたシャーマンらしき男が立ち上がる。
彼の言葉は神を代弁するかのごとく、不思議な響きを帯びていた。
『敵対する国の者とはいえ、祝いの日に襲撃するとは。
我が民は、なんと恥ずべき者ばかりであるのか』
「お、お許しを……」
もう一度、雷鳴が轟くと、そこにいた全員が気を失っていた。
「戻りましょう」
「全て、君の魔法か?」
「はい。うまくいって良かったです。
こんな夜に、殺生はしたくありませんもの」
「君は……優しい人だな」
と言いつつ思った。
時を遡り、どこから来たか痕跡を辿れるとは。
浮気など、たちどころに露見してしまう。
何も無かったとしても疑われるだけで危険だ。
彼女の夫が気の毒だ……って俺かー。
うちの嫁は頼もしい。そして、絶対に逆らってはいけない。
帰ってみれば、すっかり屋敷は落ち着いていた。
襲撃部隊は全員捕縛されたようだ。
部屋の中に転移してすぐ、先ほどの側近が扉越しに声をかけて来た。
「若様、事態は無事収束いたしました」
「ご苦労だった。俺たちは休ませてもらう」
「はい、失礼いたします」
あれだけの魔法を使った彼女は、さすがに疲れて眠そうだ。
「さ、休もう」
「その前に……」
まだ、そんな元気が残っているのかと思ったが、彼女は魔法で装備を解き、浄化をかけてくれたのだ。
一緒に行ったものの見ていただけの俺は、申し訳なく思う。
何と声を掛けたらいいかと迷っている間に、眠りに落ちる新妻。
あれだけの魔法を使って敵を懲らしめた冷徹な魔法使いとは思えない、無邪気な寝顔だ。
「わ、わたしったら……」
翌朝、隣で目覚めた彼女は真っ青になっていた。
「おはよう。よく眠れたかな?」
「ええ、お陰様でぐっすり……って、もう朝なのね。
初夜が……何も無いまま明けてしまったわ」
「大事な夜だとは思うけど、そこまで思い入れが?」
「だって、物語では幸せな夫婦は、幸せな初夜から始まるもの」
なんて可愛いことを言うんだ。
「大丈夫だ。凛々しい君に惚れ直したから、俺が君を必ず幸せにする」
「わたしも貴方を必ず幸せにするわ」
「うん。頼むよ」
「ええ、任せて」
それから俺たちは、少し長めのキスをした。
着替えて騎士団の食堂に行くと、皆が温かく迎えてくれる。
襲撃があったせいで、むしろ妙な気まずさが無い。
しっかり眠って疲れが取れた妻は、物凄く空腹だったらしく、たっぷりと朝食を食べた。
俺は給仕に徹し、彼女の皿に次々とパンケーキを積み上げる。
それを見ていた既婚の騎士たちは何かを察し、独身の騎士たちは羨望のため息をついたのであった。