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難しい注文

Y氏はN県の片田舎の木造一軒家で一人で暮らしている。家の周囲は森林が生い茂り、500m先には小さいけれども美しい清流がある。電気もガスも水道もあるが、非常な田舎なため道路は舗装されていない。Y氏の仕事は椅子職人だ。彼の家は東京から何百キロも離れているが、腕が非常に良いため、噂を聞いた人々が彼の家を訪ねてくる。今日もまた誰かが訪ねてきた。


「ごめんください。お邪魔しますよ。あなたがY氏ですか。」


「ええ如何にもそうですが。」


「実はね、私は非常にインテリアマニアでね。うちの家具はほとんどすべてオーダーメイドなんだよ。ベッドからテーブルから絨毯からお箸までね。椅子もオーダーメイドなんだが、もう古くなってしまってね。そこでわざわざ東京から車でここに来たんだ。」


「それはどうも。で、どんな椅子をご注文で。」


「ああ、世界に1つしかない椅子を作ってもらいたい。色は温かみのあるブラウン系を基調とし、クッションは私の好きな赤色にしてもらいたい。もちろん、座り心地の良い椅子にしてくれよ。それと私はまだ40歳なんだが、腰が悪くてね。腰痛のことも考えて設計してくれたまえ。あと、肘掛けもつけてくれ。」


「かしこまりました。他にご希望はございますか。」


「ああ、これが一番大事なんだ。実は、私は極度の潔癖症でね。普段、私は自分専用の椅子以外座らないんだ。他人が座った椅子に座るくらいなら何時間でも立っていたい男なんだ。失礼だが、私が買う椅子にあなたに座ってほしくないんだ。」


「いや、しかし、座り心地やでき具合を調べるには私が座らないといけません。それで良い椅子を作れとはあまりにもむちゃくちゃだ。」


「うん、確かにその通りだが、なんとか頼むよ。金ならいくらでも出す。」


「うーん、では100万円いただきましょう。なんとかしてみます。」


「おお、ありがとう。ではこれが私の電話番号だ。できたら連絡をくれ。くれぐれも私が注文した通りの物をつくるんだぞ。」


そう言い残して、客は赤色のスポーツカーに乗って、帰っていった。Y氏はどうしたものかと考えていた。


1ヶ月後、客はY氏から電話をもらい、赤色のスポーツカーでまたやってきた。


「1ヶ月間、首を長くして待っていたが、ついにできたか。いま使っている椅子はそろそろ限界だったんだ。早速、見せてくれたまえ。」


Y氏は客を製作部屋まで連れていき、例の椅子を見せた。その椅子は温かみのあるブラウン系を基調とし、クッションは美しい赤色、大きさも形も完璧な一品であった。しかし、同じ椅子が2つ隣同士で並んでいた。


「噂に聞いた以上、いやそれを遥かに上回るできだ。とてもすばらしい。しかし、なぜ同じものが2つあるんだ。私は世界に1つだけといったはずだ。」


「あなた様から椅子に座らないでくれと言われましたので、私も困りました。自分が作る椅子に座らないで、良い物などできるはずがありませんから。ですので、最初の椅子に私は何度も座って、最高のできにするために製作しました。」


Y氏の話を遮って、怒った客が顔を赤らめて言う。


「おいおい、あんたが座ったら約束と違うじゃないか。」


「話を最後まで聞いてください。確かに、最初に作った椅子はお約束と違いますが、もう1つの椅子はこの世で誰も座ったことがない椅子でございます。複製ならば、私が座らなくとも作ることができます。どうぞお好きなだけご覧ください。」


Y氏が客から見て左側の椅子に手を向ける。言われた通り、客は椅子に近づいて細部まで凝視する。遠くからみても近くからみても、Y氏が作った椅子はあまりにも美しかった。客は嬉しくなって言う。


「私は、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ヴェネツィアなど世界のいろいろの家具を見てきたが、あなたの作品は人生で最もすばらしい。だが、座り心地が悪ければ買わないからな。」


客は左の椅子に腰掛けて驚く。客の体に完璧にフィットする設計だからだ。肩も腰もお尻も足も体全体にしっくりくる座り心地。椅子の足の高さ、背もたれの高さも完璧だ。この椅子ならば、何時間座ろうとも、毎日座ろうとも腰を痛めることはないに違いない。


「なんて良い座り心地なんだ。奇跡だ。」


客は、彼の人生で経験したことのない芸術的、機能的感動を覚えた。客がY氏に言う。


「本当にありがとう。こんなにすばらしい椅子に出会ったことがない。私の想像をはるかに超えていたよ。だが、もう1つお願いがある。」


「はい、なんでしょう。」


「私は世界に1つしかない椅子が欲しいのだ。隣の椅子は今ここで壊してほしい。せっかく作ってもらって申し訳ないのだが。」


「いえいえ、ご注文は世界に1つしかない椅子でございますので、当然でございます。ただ、本当によろしいので?こちらもあなたに差し上げることができますが。」


「いや、世界に1つだけというのがわたしのこだわりなのだ。それは壊してくれ。」


Y氏は、誰も座っていない椅子のねじをすべて外して分解し、外に出て、燃やしてしまった。


「ありがとう。これが約束の100万だ。この椅子はもらっていくよ。また注文させてくれ。」


客は上機嫌で、赤色のスポーツカーに乗って帰っていった。

本作はエブリスタでも投稿しています。

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