1話 先輩、面倒くさくてごめんなさい
1話 先輩、面倒くさくてごめんなさい
「可愛いって……可愛いって言ってもらえた!」
狭い浴室でシャワーを浴びながら、ぷるぷると身体を震わせて今にも叫び出しそうな少女がいた。そう、えるである。
喜びの原因は当然、先の夏斗とのやり取り。慰める際に発せられた「可愛い」という言葉と、その後の頭なでなで。加えてそっと身を包んでくれた温かな手。
その全てが自分に向けられていたことが未だに信じられない。好きな人になでなでとかぎゅうとかさすさすとかしてもらえて、何度心臓が飛び出そうになったことか。
「先輩、好き。しゅき!!」
握り拳を作り、ほんのりと残っている細くも心強いあの手の感触を思い出しながら、人にはお見せできない身震いを見せるえる。しかもこれが真っ裸の浴室内で行われているのだから尚更だ。
だが抑えろと言うのも酷な話だろう。好きな異性にあそこまでの事をされて喜ばない女子もそうはいない。
「えへへ、思い出しただけで身体がぽっかぽかだよぉ。ナツ先輩っ。えへっ、えへへへっ」
ぽっかぽかなのはお湯を浴び続けているからである。四十二度のお湯により身体を熱されていることも忘れている彼女の姿は、まさに「恋は盲目」というやつだ。次は鼻歌混じりに髪をわしゃわしゃと洗い始めるが、時折夏斗への想いが漏れ出す。
ここだけ切り取ればただの純情な可愛い女の子なのだが……残念ながら長くは続かない。髪の泡を全部洗い流すと、ふと友人の言葉が頭をよぎった。
「この一年、あなたと想い人の関係の発展は難しいでしょう。また、想い人にはあなたとは別の恋人が出来てしまう可能性が高いでしょう。だって」
ズキンッ。心が痛む。先程の優しい表情や仕草が、自分以外にも向けられているのだとしたら。本当はこんな面倒くさい女、早くいなくなってしまえばいいのになんて思われてるとしたら。
「せ、先輩はそんな人じゃ、ない。でも……あんなにかっこいい人、いつ彼女さんができてもおかしくない、よね」
彼女の自己肯定感は、自分のことをそこら辺にいるダンゴムシと同等だと思うほどに低い。実際には影で彼女を思わんとするファンクラブ的なものができていたりするくらいには容姿のレベルが高いのだが。一切自覚のない彼女は、ありもしない被害妄想を広げて病んでいく。
面倒くさい女だ。自覚はある。けれど一度不安の種が芽吹くと、もう自分ではその成長を止められない。迷惑だと分かっていても、他の誰かに頼る事でしか心の平静を保てない。
「うぅ。だめ、泣いちゃだめだって。なんでいつも、すぐに泣いちゃうの。こんなんだから……こんなんだから!」
しゅん、と心を沈ませた彼女は、身体を洗い終え浴室を出る。
着替えのパンツの横には、百均のジュエリーでデコレーションされたカバーを付けた黒とピンクベースのスマホ。身体を拭こうとタオルに手を伸ばしたはずが、いてもたってもいられなくなって。びしょびしょの身体のまま、えるはスマホロックを解除してメッセージアプリを開く。
(先輩に、慰めてもらいたい。いつまでもこんなんじゃダメだって、分かってるけど……)
本日三回目の、夏斗へのメッセ。不安と早く楽になりたいという衝動から、えるは素早くメッセージを打ち込んでいく。
心の中で、謝罪を繰り返しながら。