09 想定外のエラー
しばらくしたある日、特別サロンへ向かう途中でカトリーナはカインとアルトの姿を見つけて歩み寄った。
「カイン殿下、ご機嫌麗しゅうございます。アルト様もお元気そうで何よりですわ」
「あぁ」
「おはようございます。カトリーナ嬢もお元気そうですね」
カインは相変わらずぶっきらぼうで、アルトは癒やしのスマイルを向けてくる。
いや、カインに関しては態度が悪化している。以前よりも目線を合わさないどころか、カトリーナの姿を視界にすら入れようとせず顔をこちらに向けてくれない。
それを気にせずカトリーナは二人に並んで廊下を進み始めた。
「何か用でもあるのか?」
「特にございませんわ。それとも婚約者であるわたくしがお側にいることで不都合でも?エスコートくらいしてくれてもよろしいのではなくて」
カトリーナはニッコリと微笑み、カインの腕に手を回した。
「カトリーナ、ここは学園だ。婚約者といえど節度あ――――る……」
カインは歩みを止めて今にも舌打ちをしそうな顔をカトリーナに向け、すぐに言葉を途切れさせた。彼の瞳はカトリーナに向いておらず、視線の先を追うと表情を固くしたミアがいた。
演技だと知っていても、本当に嫉妬している表情だ。
「ミア嬢……」
「――――っ」
カインが名前を呟き、ミアの視線が重なった刹那、ミアはつま先を返して離れていってしまった。
カインが彼女を追いかけようとしたのは本能なのだろう。しかし彼は腕をカトリーナに掴まれていることを思い出し、踏みとどまった。
「彼女を家名ではなく名で呼んだこと、今なら聞かなかったことにして差し上げましてよ?」
カトリーナは笑みを深めれば、カインの腕の力は抜けた。
「カイン殿下の婚約者はわたくしカトリーナだということをお忘れになっていらっしゃらなくて安心いたしましたわ。あのような本来は貴族でもない娘と仲良くされては品位が疑われましてよ」
「カトリーナ、お前こそ学園のルールを忘れたわけではあるまいな」
カインの強く、そして冷たい視線がカトリーナを射抜く。これが情熱的なものだったら夢心地を味わえそうなのに――――とカトリーナも冷めた視線を返した。
「もちろんですわ」
「分かっているなら良い。私は所用を思い出した。あとはアルトに任せる」
カトリーナの手からカインの腕がするりと抜けていく。そして彼は振り返ることなく教室とは逆の方向へと行ってしまった。
カインの背中を見つめながらカトリーナは空いた手をぐっと握りしめ、拳を小さく震わせた。
「もう確定ね」
危なかった。サッカーの決勝試合でゴールを決めたときの如く、盛大なガッツポーズを繰り出すところだった。
ここでカインがミアを追いかけなければノーマルエンド、追いかければハッピーエンドへと繋がる重大な分岐点だったのだ。
結果はハッピーエンドまっしぐら。まだ途中で小さな分岐点はあるが、ミアはカトリーナお手製の攻略ノートを持っている。間違えることはないだろう。
断罪イベントに大きく近づいたことが嬉しくて、彼女は踊りださないように更に拳に力を込めて耐えた。
「カトリーナ嬢」
名前を呼ばれ、断罪スチルに思いを馳せていた思考が一気に現実に引き戻される。
「ア……ルト……様」
そういえば居たな、と申し訳なく微笑んだ。
するとアルトは、渋みきった紅茶のように苦々しい表情でカトリーナを見つめ返してきた。
いつも静寂なはずの闇色の瞳からは熱を感じ、それが怒りによるものだと気付く。
ミアへの嫌がらせについて怒っているのか。それとも主であるカインの邪魔をしていることに怒っているのか。カトリーナを信じていたアルトへの裏切り行為にか。いや、全てかもしれない。
アルトがこんなにもしっかりと怒りを滲ませる表情は初めて見た。どんな時も優しく、カトリーナを素晴らしいと褒めてくれた彼。
「あら、カイン殿下を追いかけなくても宜しいのですか?わたくしは失礼しますわ」
「お待ちください!」
ふと湧いた罪悪感から逃れるためにツンと澄ましてこの場を去ろうとするが、叶わない。
アルトに両肩を引かれ、背中を彼の胸に預ける形になってしまった。