08 悪役令嬢の使命―4
今日もカトリーナは早朝登校し、嫌がらせの仕込みをした。ロッカーに置きっぱなしの辞書をビリビリに破き、扉を開けたら花吹雪のように散る仕掛けを施した。
悲惨だけれども綺麗な演出になるだろう。
ミアはカトリーナが嫌がらせしやすいようにノートも置いてあったが、手は付けてない。ヒロインの誘導を感じる獲物には、親友の心遣いと分かっていても手は出さない。嫌がらせにもサプライズ感をもたすのがカトリーナの美学だ。
カトリーナは予定よりも嫌がらせ工作が早く終わったため、校内を散歩することにした。貴族が多く通うため建物の意匠は美しく、銅の彫刻や花壇も多い。
それに朝早い時間は陰湿な視線も、建前だけの雑音も少なく、心なしか空気が澄んでいる。
歩く足取りも軽く、自然と花を見るだけで顔が綻んでしまう。
「カトリーナ嬢」
後ろから名前を呼ばれ振り向くとアルトがいた。いつも一緒にいるはずのカインはいない。
「あら、おはようございます、アルト様。お早いのですね。カイン殿下はどちらに?」
「おはようございます。カイン殿下が登校なさる前にサロンの資料を整理したかったので、今は僕だけなのです」
アルトは申し訳なさそうに微笑んだ。あえてカインがいないことを残念に思う言い方をしたものの、カトリーナの胸は罪悪感でチクリと痛む。
「まぁ、朝からお疲れ様です。カイン殿下のことは気になさらないでくださいませ。ただ珍しかっただけなのですから」
「ありがとうございます」
「もうお仕事は終わりまして?それとも休憩ですの?」
「終わりました。始業時間にあわせて殿下がいらっしゃるので、それまで散歩中といったところです」
カトリーナは手持ちの時計を確認すると、授業までまだ時間がたっぷりあった。
「アルト様、わたくしのお散歩に付き合ってくださいませんか?」
「僕だけなのに宜しいのですか?」
「えぇ、もちろんですわ」
「カトリーナ嬢から誘ってもらえるのも貴重な機会ですから、お供させてください」
カインがいないのに誘ったことを不思議に思っているようだ。
歩きながら他愛のない話をする。殿方と淑女では授業が異なるのでその内容であったり、新しい紅茶屋の茶葉の感想だったり。
散歩の途中で食堂で新入荷したコーヒーを買って、併設のテラスに腰を下ろした。カトリーナの奢りだ。
まもなく他の生徒たちが登校する頃だろう。この一杯を飲んだらアルトと解散だ。
「うっ……やはり苦いですね」
コーヒーを一口飲んで黒い水面を睨むアルトは少し幼く見え、なんだかほっこりする。
「好き嫌いを先に聞くべきでしたね。とりあえずホイップクリームを足しましょう」
カトリーナとアルトの飲み物の好みは似ているため、平気と思い込んでしまっていた。
カトリーナはアルトのカップに、食堂から分けてもらった生クリームをスプーンですくって入れた。
クルクル混ぜるとコーヒーは黒から柔らかいブラウンへと変わった。
「どうぞお試しになって。でも苦手でしたらお止めになってくださいね」
「ありがとうございます。ん……飲める。良かった。残さずに済みそうです」
「無理して飲むことはありませんわよ」
「とても美味しいですよ。こういう飲み方もあるのですね。カトリーナ嬢が教えてくれたおかげで、コーヒーが好きになれそうです」
アルトはすぐに二口、三口目と穏やかな表情で飲み進めた。本当に無理はしていないようだ。
カトリーナは何も足さずに飲んでいく。
「カトリーナ嬢、クリームは……」
「黒のまま飲むのが好きなのですわ。目や脳は冴え、逆に心は休まる気がしますの。苦味も馴れてしまえば、その奥に旨味を感じましてよ。もちろんクリーム入りも好きだけれど」
「なるほど。黒でも良いところがあるのですね」
「えぇ!まだこの国では黒い飲み物は珍しくコーヒーが浸透しておりませんが、是非とも色を恐れず、皆様には魅力を知ってほしいと思ってますの」
前世のOL時代、職場環境がブラックで、帰宅時間はブラックな夜道で、ブラックコーヒーに支えられた人生。コーヒーはパートナーと言っても過言ではなかった。
輸入品ではあるが、この世界にもコーヒーがあって良かった、としみじみ思いながらカップを傾ける。
「最近またお元気そうで良かったです。いい事でもありましたか?」
アルトに言われ一瞬カトリーナはきょとんとするが、すぐに理由は思い当たる。
ミアと打ち解け、胸の引っ掛かりが消えたことが原因だろう。
それだけではない。カトリーナが領地へ行っても文通をしようだとか、ミアが慈悲を装い領地に訪問してお泊り会をしようだとか、断罪後の楽しみが増えたのも一因だ。
アルトに言われて、以前よりもこの世界を楽しめていると自分の変化に気が付いた。
そしてアルトに気づいてもらったことが、どこか嬉しい。
「ふふふ、アルト様の観察眼には敵いませんわね。少し胸のうちがスッキリすることがありましたの」
「どんなことか、お聞きしても?」
「乙女の秘密ですわ」
カトリーナは気分よくコーヒーを飲みきった。まもなくコーヒータイムも終わりだ。
アルトもカトリーナに合わせるようにコーヒーミルクを飲み干した。
「ごちそうさまでした。朝の疲れも取れそうです」
アルトは空になったカップの底を見ながら言った。
「そういえばカトリーナ嬢は何故こんなにも朝早く学園にいらしたのですか?」
「それはお父様とお兄様の登城に合わせて来たものですから」
予め考えていた理由を言っている間に、カトリーナの手の中からコーヒーカップが抜き取られる。アルトがまとめて片付けてくれるようだ。いつものことなので、その行為を自然と受け入れる。
「カトリーナ嬢は個人の馬車もお持ちだったはず。あとで一人でゆっくりと登校するのもできるのに?」
「大好きな家族とできるだけ一緒に過ごしたいのです」
カトリーナは立ち上がったアルトを見上げた。
ぶつかったアルトの視線は一瞬だけ疑いの色を宿し、すぐにいつもの穏やかなものへと戻った。
「何かございまして?」
アリバイの確認をしているのだと分かった。カトリーナは気付かぬふりをして、いつものように微笑む。アルトも微笑みを返してくる。
「最近、学園内にどうも不届き者がいるらしいのです。どうかお気を付けください」
「お気遣いありがとうございますわ。不審者がいましたらご連絡いたしますわね」
「ありがとうございます。では僕はカイン殿下のお迎えに行ってまいりますので、これで失礼いたします」
「えぇ、ごきげんよう」
カトリーナは小さく手を振り、アルトの背を見送った。
わざとらしく一緒にカインを出迎えようと誘ってこないあたり、カトリーナと一線引くことを決めたようだ。単にカトリーナと会いたくないカインの指示かもしれないが。
しかしアルトは疑いつつも変わらずカトリーナに優しいままだ。全部演技とも思えない。おそらくカインと板挟みに違いない。
「もう少しですから我慢なさって」
カトリーナはそう呟き、教室へと向かった。




