19 カトリーナの敗北―3
旧校舎は人が寄り付かないとはいえ絶対ではない。まだ公表前のため、世間ではカトリーナはカインの婚約者。カトリーナの二股疑惑やアルトの略奪愛だと醜聞が広がってはいけない。
温もりを惜しみながら二人は体を離した。
お互いに恥ずかしく思いながら、少しだけ距離を開けてベンチに座る。
でもアルトの瞳はカトリーナを捕らえたままだ。
「ずっと焦がれておりました。その美しい金の瞳に長く映されるカイン殿下に憧れ、時に僕だけに見せてくれる綻ぶ笑顔に優越感を感じ、愛称を呼ぶことを許されたミア嬢に嫉妬してました」
「アルト様がそんなことを思ってるなんて想像しておりませんでしたわ」
「言ったでしょう?狭量ですと。最も、カトリーナ嬢と一番長く時間をともに過ごし、寝顔から寝起きまでお世話している侍女が憎……羨ましかったですが」
不穏なワードがチラついたが、頭に花が咲いてしまったカトリーナの耳はスルーした。
「でもまだ実感できませんわ。わたくしはアルト様に何もしておりませんのに、好意を持っていただけたなんて」
「以前、黒髪黒目について聞きましたよね?この色が多くの人に恐れられていることはご存じのはずなのに」
アルトは気にするように前髪をいじる。傷みを知らない黒髪は艶がきれいで、黒曜石のようだ。黒い瞳だって夜空のように美しいのではとカトリーナは思う。
「黒髪は魔王一族の末裔の特徴であり、黒い瞳は嘘や不正を見抜くと言われているのは知っておりますが、迷信でしょう?だって、わたくし出会ったときからカイン殿下が好きと嘘をついていたのに全くバレてなかったですもの。皆様はその迷信を信じておりましたの?情けない」
「はは、カトリーナ嬢の前では誰もが恐れる迷信も型無しですね。あなただけは家格や迷信抜きで僕自身を見て、笑いかけてくれました。好きになりました。だから僕も笑えたのです」
「あ、ありがとうございますわ」
自分で聞いたものの、改めて知るととても恥ずかしい。カトリーナはバラ色の髪に負けないくらい熟れた顔を隠すように俯いた。
「お顔が見えないのは残念ですが、いつも堂々としているカトリーナ嬢が僕にだけとってくれる態度だと思うと嬉しいです」
「おだまりになって!さぁ、わたくしたちも行きますわよ!」
「もう帰られるのですか?僕はもっと一緒にいたいのに」
悪戯な笑顔のアルトは見慣れず、ドキドキしてしまう。主導権を握られているのが悔しくて、カトリーナは立ち上がり薔薇色の髪をかきあげて告げた。
「善は急げ――――クレマ公爵家に行き、お父様とお母様を説得しますわよ!あとお兄様もね。それともアルト様のご両親へのご挨拶が先かしら」
カトリーナはアルトに背を向けて、先に旧校舎の外を目指そうと東屋をでた。しかしアルトが立ち上がる気配がない。
「怖じ気づきましたの?」
挑発するようにカトリーナは振り向いた。しかしアルトの笑みは崩れていなかった。
「ご安心を。もう両家とも根回し済みです」
「へ?」
「クレマ公爵から出された唯一の条件であるカトリーナ嬢のお気持ちは満たされましたし、あとは書類を提出するだけです。これから一緒に王城に出しに行きませんか?」
アルトは胸ポケットから両家当主の委任状を取り出し見せた。そして立ち上がりカトリーナを追い越していく。そして数歩前で立ち止まり振り向いた。
「それとも、怖じ気づきましたか?」
「〜〜〜〜望むところですわ!」
そうして勢いのままに馬車に乗り込んだ。馬車の中ではアルトに「カトリーナ嬢に使おうと思っていた口説き文句なのです」と砂糖を大量に投げつけられた。
恥ずかしくて途中で逃げたくても馬車は止まらなかった。
王城に着けば、謁見の予約なしに国王陛下が婚約届を受理するなど、アルトの根回しに本気度を知った。
カトリーナの恋を超える、アルトの愛があった。
常勝のカトリーナ、初めて敗北感を味わった。
それはとびきり甘い味だった。




