18 カトリーナの敗北―2
悪役令嬢を止めてもカトリーナの美学に「戦略的撤退」はあっても「逃げ」の文字はない。
アルトに逃げようとしていたと疑われたのは心外だ。彼は本当のカトリーナを知らないのだなと改めて分かった。
だからこそ燃える。
そっちは演技だったのかもしれないが、こちらは完全に好きになってしまったのだ。凹むなんて情けない、何もせずにノコノコと諦める質ではないと自分を叱責した。
そうして領地にて誰にも邪魔されず、アルトを落とす綿密な作戦を立てるつもりだったのだ。
しかし引き止められてしまったから仕方ない。駆け引きの準備も何もないが挑むだけだ。
「確か、わたくしに揺さぶりをかけた件でしたわよね。本当に参りましたわ。この件に関してわたくしにも考えがございましてよ。責任……取れまして?」
「責任……そうですね。僕にできることならば」
「言いましたわね?」
第一関門突破にカトリーナの口元が弧を描く。
アルトはわずかに警戒を滲ませる。
「何かお望みでもありましたか?」
「そうですわね……」
カトリーナは「内密でいいから責任をとって恋人になって欲しい」と言おうと決めていた。そして「本当にわたくしを好きになったら婚約して欲しい」とも伝え、全力でアタックする。駄目だったら恋人解消するだけで、アルトには婚約解消という汚名は残らない。
表向き事故物件のカトリーナができる最大の提案だった。
そう伝える決心をしていたが、これは告白だ。緊張でカトリーナの口は少し開いては閉じるを数回繰り返し、結局は小さなため息しか出なかった。
「お考えがまとまらないのであれば、僕から提案してもよろしいですか?」
「……それも有りですわね。まずはお聞かせくださいませ」
カトリーナは話を聞く間に腹をくくることにした。手のひらをアルトに向けて、話を促した。
「カトリーナ嬢」
先程までの弱々しさは消え、緊張を含んだ硬質なアルトの声が自分の名を呼んだ。それと同時に出した手のひらが、彼の両手の中に収まった。
アルトはベンチから腰を上げ、改めて腰を下ろし片膝を地につけた。
「アルト様?」
「カトリーナ嬢、僕と婚約をしてくださいませんか?」
予想だにしなかったアルトの提案に、一瞬にして顔に全ての熱が集まった。カトリーナにとっては好条件すぎて、いまいち信じられない。
「ほ、本気で仰ってますの?」
「はい。僕にチャンスを下さい。婚約をしている間に僕はあなたに好きになってもらう努力をします」
アルトの闇色の瞳がカトリーナを見上げる。闇色なのに小さな光が反射して夜空の様に輝いている。そのまま吸い込まれそうなほど、その瞳はカトリーナを望んでいた。
「わたくしは王太子に婚約破棄された悪者でございます。周囲からアルト様はどんな目で見られるか」
「大丈夫です。王太子が婚約破棄以外に罰を与えず、側仕えに婚約を許したとなれば口に出さずとも聡いものは真実に気付きます。その者はむしろ味方につくでしょう」
「先にうつつを抜かした王太子に捨てられ、もらい手が難しい可哀相な令嬢への同情とも思われそうね」
「そうですね。だから周囲から強い反発は無いと前向きに考えることができます。僕の心配は必要ありません。問題はカトリーナ嬢の気持ちだけです……その」
アルトは言葉を濁すが、カインからアルトへの心移りが早いと白い目で見られるかもしれないと言いたいのだろう。それはカトリーナの誇りが傷つくのを心配しての言葉だ。
「周囲から冷めた目で見られることが怖かったら、初めからわたくしは今回の嫌がらせ事件は計画しておりませんわ」
「僕もです。怖かったらカトリーナ嬢にこの提案はしておりません。提案は本気だと伝わりましたか?」
顔の熱が伝播するように、握られた手も熱を帯びてくる。それに対してアルトの手が冷たいことに気が付く。
「ねぇ、緊張なさってますの?」
「はは……分かりますか。はい、とても」
アルトは困ったように微笑んだ。
カトリーナは静かに奥歯を噛んだ。こんなにも彼が緊張しつつも話してくれているというのに、自分のなんと情けないことか。
どうしてそこまでしてくれるの?――――と相手に答えを言わせることもできる。でもそれこそカトリーナのプライドが許さない。
「本当は僕は、前から」
「待って!お願い言わないで」
「――――っ」
カトリーナはアルトの手に空いている自分の手を重ねた。手は緊張で震えており、きっと彼にも伝わっている。
ゆっくりひと呼吸おいて、金色の瞳を闇色の瞳に合わせた。
「わたくしはアルト様に恋に落ちております。悔しくも貴方様の駆け引きに揺さぶられ自覚しました。立場上許されず、気付いていなかっただけで、本当はずっと前から惹かれておりました」
「もしかして……」
「ふふふ、実は同じような提案をしようとしていたのです。ですので婚約の件、わたくしは喜んでお受けしたいと思います。何が何でも両家を説得いたしましょう。大好きです、アルト様」
「――――夢のようです」
アルトに手を振り解かれ、手の代わりに体が包み込まれる。苦しいほどに抱き締められ、求められているとカトリーナは全身で喜びを感じた。




