11 想定外のエラー―3
旧校舎の裏庭はシロツメクサで覆い尽くされている。その白い花を割るように石畳が伸び、先には白い石造りの東屋があった。
以前はツタが巻き付き妖精の隠れ家ような東屋だったが、ツタが取り払われた今は緑の中に映える小さな神殿のようだった。
ここはカトリーナの縄張りであり、取り巻きすらも近づけさせない貴重な場所だ。
「気安く触れないでくださる!?わたくしはそこら辺の宝石よりも価値がありましてよ」
神聖な静寂を吹き飛ばすような声がこだましていた。カトリーナは内密に持ち込んだ鎌を、自ら刈り取ったばかりのツタの山に向けて台詞を吐いた。
「世迷言を言うなんて、そんな口が二度ときけぬよう縫い付けてさしあげましょうか?…………なんであの時は言えなかったの
よ、もうっ!」
ずっと最高の悪役令嬢を自認していたのに、先週アルトに対して何もできなかったことが悔しかった。
あの日から日課のカインへの嫌がらせの付きまといも出来なくなっていた。カインの側にいるアルトの姿を見ると、勝手に足が止まってしまうなんて、前代未聞のことだった。
「シナリオ通りに進んでいるからと、たるんでいたんだわ。悪役令嬢なのに情けない。でも練習したから大丈夫。最高の悪役令嬢カトリーナ・クレマの復活よ!おーほほほほほ」
カトリーナはもやもや発散の生贄として刈られたツタを踏みつけて、旧校舎の裏庭をあとにした。
すぐにカインがいるサロンに向かった。婚約者のカトリーナはもちろん顔パス――――だったはずなのに、入れない。
代わりにサロンの個室から出てきたのはアルトで、そのドアの隙間から一瞬だけミアの姿が見えた。
カトリーナは入室できない理由を察した。そしてアルトがわざとミアの姿が見えるような扉の開け方をしたのも。
「こうすれば、わたくしが諦めるとお思いですの?」
「なんのことでしょうか?」
「とぼけないでくださいませ」
「そう仰らずに、僕の相手をしてくださいませんか?」
護衛の人払いを済ませるとアルトは以前と同じ……いや以前よりも甘みを含んだ眼差しと声色で返してくる。
目が合うと心臓がぎゅっと苦しくなり、背中や手の甲にまだ火種が残っているのか熱が再燃した。
「おどきなさい。わたくしの邪魔をなさらないで」
「できません。あなた様を悲しませたくない」
カトリーナは生まれた恥ずかしさを誤魔化すように、アルトを避けて扉に手を伸ばそうとする。
しかしアルトに手を強く握られ遮られる。
「離して。悲しませたくないのであれば、アルト様はこうやって邪魔をせずに、わたくしの味方になるものではなくて?」
「残念ながら今の僕はカトリーナ嬢の味方にはなれません。ですが、悲しませたくないのは本心です」
「信じられません!もう宜しいですわ。帰ります」
熱い手を振り払って、つま先を返す。アルトの望み通りカトリーナはこの場を去ろうとした。その時僅かに髪が引っ張られる感覚があり、カトリーナは振り返って瞠目した。
アルトの指の間からカトリーナの薔薇色の縦ロールがするりと流れ落ちていた。
「カトリーナ……嬢……」
帰るように促していたはずのアルトの声は絞り出したように弱々しく切なげで、でも闇色の黒な瞳は強く求めるように真っ直ぐだ。
カトリーナが名残惜しいと言わんばかりに、流れ落ちる薔薇色の髪をアルトの指先が追おうと伸ばされる。
「き、気安く触れないで、く、くださいまままし。わたくしは、そこら辺の宝石よりも価値がありましてよ」
「知っております。僕にとってカトリーナ嬢は何者にも代えがたい存在です」
「なっ、えっと、えーっと世迷言を言うなんて、そんな口が二度ときけぬよう縫い付けてさしあげましょうか?」
「あなた様に縫われるなら悪くありません。いえ、縫われても何度でも申し上げましょう」
一週間かけて練習した努力は虚しく、見事にカウンターにあってしまった。
一瞬だけ情熱的な言葉にときめきそうになったが、むしろ病的だなと考えを改めて警戒を強めた。
「最近おかしくてよ!あなたは本当にアルト様?だってアルト様はいつだって優しくて、穏やかなお方よ。こんなこと」
「僕も覚悟を決めただけです。カトリーナ嬢、僕は――――」
「部屋の前でうるさい。何を言い争っている」
アルトの言葉を遮るように怒りを滲ませたカインが扉をあけた。ミアとの甘い時間を邪魔されたことに苛立っているようだ。
「申し訳ございません」
先程の熱量が嘘だったかのように、アルトは恭しくカインに頭を下げた。カインはアルトを一瞥すると、限り無く冷たく青い眼差しをカトリーナに移した。
「どうせカトリーナが原因なのだろう?おい、婚約者といえど私の時間の邪魔はするな……なんだその赤い顔は。風邪をうつされてはたまらない。さっさと帰るがいい」
以前だったらその美しい冷徹な迫力に、シナリオ通りだとわかっていても足がすくんだだろう。しかし頭が熱さでクラクラしている今は救いの冷水だった。
「まぁカイン殿下はなんとお優しいのでしょう!お気遣いありがとうございます。さすが殿下ですわね。嬉しいですわ!もちろん帰ります。今すぐ帰りますわ。殿下もご無理なさらないでくださいませ。では御機嫌よう!」
今までで最高にカインが輝いて見える。素直な言葉がペラペラと口からでた。
そしてシュバっと音が出そうなほど機敏な動きで淑女の礼をして、競歩でサロンの前から退散した。
カトリーナは宣言通りすぐに屋敷へと帰還した。
その日から何度もアルトの事が頭をよぎり、胸が痛くて仕方ない日が始まった。
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