10 想定外のエラー―2
「ア、アルト様……?」
あまりにも近すぎる距離に背中と、彼の手が触れている肩が発火したように熱を帯びる。カインには自らベタベタと触れて、イケメン具合に酔いしれてもこれ程までに熱さを感じたことはなかった。
「おやめください」
自分の心が乱れに危険を感じて離れようとするが、アルトの手の力は強くビクともしない。
強引に引き止めようとしているのは彼なのに、口を閉ざして何も答えてくれない。
「アルト様が怒っているのは知っていますわ。でもわたくしは改めませんわ」
断罪スチルを見るためにここまで来たのだ。何年も外見や素養を磨き、礼儀やダンスを完璧に習得し、傲慢を口に出して本音を飲み込んできたのだ。
カトリーナの陰湿な嫌がらせと、ミアの前向きで明るい性格はすでに噂で広まり、目指した悪役令嬢計画も集大成。
「もう……引けませんのよ」
力では敵わないため、カトリーナは抵抗を諦めた。すると肩にずしりと重みが加わり、体に力が入る。
見慣れた黒髪が横目に入る。アルトがカトリーナの肩に額を乗せていた。
「何故カイン殿下なのですか……カトリーナ嬢がこんなにも……こんなにも……」
絞り出すような声からは、まだアルトはカトリーナが善い人だと信じたいらしい。
何故カインかといえば、推しの攻略者だから。でもそんな事は言えない。
「アルト様こそ、何故わたくしを見捨てようとしませんの?もう形勢は明らかですわ」
「カトリーナ嬢こそ、何故いつも僕にお優しいのですか?」
「え?だって嫌う要素が何一つありませんもの」
「本当ですか?」
本気で思い浮かばず、コクリと頷いた。
「僕の黒髪、黒目が珍しいのはご存知ですよね?どう思いますか?」
「落ち着く色だと思いますわ。わたくしにとって馴染みの色ですもの。むしろ好ましい方ですわね」
元・純日本人としては黒髪、黒目は故郷の色。カトリーナにとって周囲はカラフルなキャラクターばかりなので、一番日本人に近いアルトはハニカミ笑顔も相まって癒やしてくれる存在だった。
今更そんなことを聞くとは、余計にアルトの思惑が分からなくなる。
「馴染みで好ましい……ですか。やっぱりあなたは残酷だ」
「……本当、今更ですわね」
どうして先程の質問で残酷に繋がるか不明だが、素晴らしい人間像は崩れてくれたようだ。
アルトの力が抜けるのを感じ、カトリーナはそっと彼から身を離して振り向いた。
アルトの表情は未だに苦渋に満ちてて、カトリーナの愚かさを攻め立てているようだった。
「カイン殿下とミア・ボーテン嬢から手を引くことをご検討ください」
「――――何を仰っておりますの?わたくしから手を引く選択肢など無いのはご存じでしょう?」
アルトがカトリーナの断罪を危惧してくれているのは分かるが、既に手遅れだ。婚約は国王とカトリーナの父であるクレマ公爵との間で締結されたもので、公表されている。
今になって解消するのであれば、解消による多大な利益がある、あるいはカインまたはカトリーナのどちらかに明らかな落ち度が必要だ。その落ち度は王族のカインを理由にしていけない。
それはアルトも重々に知っているはずなのに、彼の黒い瞳の熱は冷めることなくカトリーナを見つめている。視線だけで身が焦げてしまいそうだ。
「本当に、どうしてそこまで……」
「アルト様にはご理解できないでしょうね。分かるとしたら……」
分かるのはこの世界がゲームの世界で、シナリオ通りに動いていると知っている、転生したカトリーナとミアだけだ。
「僕以外に理解できる人がいると?」
「心当たりが一人だけですけれど」
「一人いるんですね……」
アルトの声の低さに身が震えた。
「――――っ」
そして空けたはずの距離を一瞬で詰められ、強く手を握られる。震える体で振り解くこともできず、カトリーナの手の甲にそのままアルトの唇が触れた。
「ア、ア、アル……ト……しゃま、なななな」
「カトリーナ嬢でもそのように余裕を崩されることがあるのですね。真っ赤でなんと可愛らしい。しかも僕が原因とか……ねぇ、カトリーナ嬢。今からでも僕にしませんか?」
「ひぇっ!?」
目の前にいるのはいったい誰なのだろうか。癒やし系モブの面影は一切なく、毒のように酷く甘い微笑みのアルトがいた。
カトリーナは悪役令嬢モードが強制終了してしまい、正常に再起動できない。
ハクハクと口を震わせ、やっと出た一言は情けない捨て台詞だった。
「一昨日来やがれですわ!」
手を振りほどき、カトリーナはヒールを鳴らしながら全力でその場から逃げ去った。
「来やがれ……ですか。あなた様がそう仰るのなら」
アルトはカトリーナの背を見て呟いた。




