桃山時代
身分の高そうな武士が馬に乗っていた。
ロバのような小さい馬。木曽馬と呼ばれる中型馬である。蹄鉄の習慣はなく、蹄が痛まないよう馬草履を履かしてあった。
「あれが武将の乗る馬か? 子供の馬じゃあ、ないよな」
勇ましい戦国武将の姿を想像していた隊員達には、その小ささに、いささか拍子抜けした。
「戦国最強の武田騎馬隊も、この馬に乗っていたんですよ。さぞ迫力がなかったでしょうね。重い甲冑を着た騎馬武者を乗せて走るから、人間が走る程度のスピードしか出ません。重宝されたのは輸送力、重い荷物を持つことで機動力を発揮したそうで、体が小さく動きも遅いため、馬上で戦うことはなく、馬から降りて戦ったそうです。戦の主力はあくまでも歩兵であり、投石による死傷者が多かったそうです。まあ、喧嘩の延長みたいなもので、戦国時代は、どんなことをしてでも生き残る、さながらサバイバル戦のようなものだったんです」
と、歴史に詳しく戦国マニアでもある佐藤が説明した。
この時代の平均身長もかなり低かった。
歴史は美化していたのを思い知らされる。これが現実の世界、本当の江戸時代? なのだと。
「御奉行様だ!」「増田様だ!」
との声が上がり、民衆が道を開ける。
人ごみを掻き分けるように、役人らしき人物が部下を引き連れ伊藤達の前に出て来た。
――マシタ? まさか……、目の前の人物は増田、京都奉行の一人である、上京担当の増田長盛か……そんな馬鹿な、と佐藤は驚きのあまり声が出ない。
「地震の混乱に乗じて略奪する輩を取り締まっていたが、案の定、お前達は伴天連追放令の発布を知らんのか? キリスト教の布教は禁止されている。それも白昼堂々と都に乗り込んで来よって、お前達の行為は、死罪に値する」
と増田長盛が言った。
「バテレン? 俺達が……」
言っている意味が分からず田中が首を傾げる。
「日本人は、渡来した宣教師をバテレンと呼んだそうです。元はポルトガル語のパードレで、カトリックの司祭を意味し、伴天連と当て字で書かれるようになったんです」
佐藤が小声で説明した。
「俺達は伴天連ではないし、切支丹でもない。ただ、人助けに来ただけだ。信じられないだろうが、俺達は未来から来たんだ」
伊籐が臆せず長盛に言った。
「未来だとぉ! お前は頭がおかしいのか? 誰がそんな話を信じるものか」
当然、増田長盛は信じない。
「俺達も信じられない。それを承知で言っているのだ。だが……俺達が未来から来た証拠は無い。信じよ、とい言うのが無理かもしれないな」
「隊長ぉ、何を弱気な。証拠ならほら、この銃に、ライターや時計など、この時代には無いハイテク物ばかりですよ」
慌てて田中が言うが、
「フン、そんな物、異国の南蛮人なら持っていよう。信じられるものではない」
聞く耳を持たない。
「俺達は南蛮人でもない、れっきとした日本人だ!」
きっぱりと伊藤は言った。
「ほう、なら、お前達は世を騒がす傾奇者か、その身なり、傾奇者に違いない」
「歌舞伎? 俺達が」
そう田中が言いながら、歌舞伎役者の決めポーズである見得を切った。
「ち、違いますよ、派手な格好で徒党を組む、無法者の傾奇です」
慌てて佐藤が言う。
「ヌヌッ、ふざけおって。こいつらを引っ捕えろ!」
怒りを露に、長盛が後方に控えている役人に合図すると、伊藤達は囲まれた。
身の危険を感じて隊員達は銃を構えるが、
「待て! 銃の発砲は禁止した筈だ」
伊藤は彼らの行動を制止する。
抵抗を許されない彼らは、役人達に捕縛されようとした。
「縄はいらぬ、付いて行く。いわれの無い罪で捕らわれたくはないからな」
「フン、傾奇者のお前達がいくら強がっても、御公儀には叶うまい。己の立場がまだ分かっていないようだな。まあいい、付いて参れ。面白い手土産が出来たわ」
増田長盛は上機嫌で伊藤達を連行した。
ある者への手土産が出来たと満足そうであった。
護送される伊籐達は増田長盛と共に、鴨川から十石舟と呼ばれる二艘の船に乗った。
船首に立つ船頭が櫂で漕ぎ、船は川の流れのまま進んで行く。
東山を通る時、
「あれは、奈良の大仏殿? 何故、京都に大仏が……」
崩れた掛けた大仏殿の隙間から、金色に輝く、大仏らしき頭部が見えた。
「フン、田舎者が、何も知らないんだな」
馬鹿にした長盛が、後方から付いて来ている伊藤達の乗る船を見やった。
やがて、鴨川から分かれて高瀬川に入り、伏見方面へと船は進んだ。
しばらくすると濠川に入り、船上から伏見の町並みが見えてきた。
「ちょうど、あの辺りに寺田屋があったんだよな。坂本龍馬が襲撃された、寺田屋事件の船宿があった場所」
立ち上がった佐藤が指差しながら言うと、
「処刑されるかもしれないというのに、呑気な奴だ」
呆れたように長盛は言った。
ほどなく、宇治川の合流地点である伏見港で船は止まる。
「――あれは、城か?」
そこで隊員達が目にしたものは、無残に倒壊した平山城だった。
野面積の石垣が崩れ、その上の櫓はことごとく倒壊していた。また、天守らしき高層の建物の上層部が崩れ、痛々しい姿を晒している。
崩れ掛けた天守閣を見て、佐藤は確信した。
彼には時代の一点がはっきり分かった。
「ここは戦国末期の桃山時代。自分達が見ている光景は、慶長伏見大地震の惨事。あれは天下人、豊臣秀吉が指月に築いた伏見城です。秀吉が命からがら外へ非難したという有名な地震ですよ」
夢見心地の隊員達に、活を入れるように佐藤は言った。
――文禄5年、慶長元年(1596年)9月5日、真夜中の子刻(午前零時頃)、暗闇の中で大地が激しく揺れた。マグニチュウード7.5、世に言う伏見地震である。
京都三条から伏見の間で被害が最も多く、東寺、天龍寺、二尊院、大覚寺などの有名な寺院が倒壊、所狭しと並んだ家々も倒壊して多くの人が命を失った……。
「山中で見掛けた広大な寺院群は、やはり延暦寺だったんです。根本中堂は、後に徳川家光が再建したとされ、あの時、無かったのも当然です。そして、奈良の大仏と見違えたのは、あれは秀吉が建てた方広寺の大仏殿でしょう」
「伏見城に秀吉、なら、やはりここは京都。あの時の大仏は、方広寺の幻の大仏だったのか……」
「じゃあ、ここは西暦1596年の過去……。今、俺達は慶長伏見大地震の真っただ中にいるんだな」
隊員達の誰もが感じ取っていた違和感が確信となった。
と同時に、何故、こんなことが起こったのか? 疑問と不安が交差し、分からなくなる。現代から過去へと紛れ込んだ彼らの頭の中が混乱した。
そんな隊員達の目の前に、年老いた一人の老人が、屈強な武士達に守られ近付いて来た。
杖を突いたその老人は背が小さく、顔の彫の深いシワの数は、まるで今までの苦労を物語っているようで、その眼光は鋭く隊員達を見詰めている。
「――秀吉?」
佐藤の口から声が漏れる。
彼こそが、日ノ本、六十余州を支配し、名だたる武将達を束ねる天下人、豊臣秀吉であった。
秀吉は関白職を退き、太閤として政治・軍事権を掌握する独裁者であった。気難しい顔の老人は猿顔と言うより、頬が痩せているせいか、どことなく狐に似ていた。
主君である織田家を乗っ取り、最下層の農民から、最高位の関白にまで上り詰めた。計り知れない苦労が、染みの数だけ顔ににじみ出ている。若い頃から命懸けの危険な仕事を数々こなして体を酷使して来たのだろう、その体は悲鳴を上げ満身創痍であった。
「あれが、豊臣秀吉? 肖像画と違って、よぼよぼの爺さんじゃないか」
田中が不思議そうに小声で言うと、
「この時代の平均寿命は35歳。確か秀吉は60歳、かなり長生きしている方ですよ」
佐藤が言い、
「70過ぎの、俺のじいちゃんの方が、よっぽど若々しいぞ」
と岸が言った。
秀吉は隊員の持つ銃に興味を抱き近寄って来た。
そして低い声で言った。
「これが新しい鉄砲(火縄銃)か、火は使わないのか?」
興味の眼差しで、田中の持つ銃を触ろうとする秀吉に、危険と察して大きく振り払った。
「無礼者ぉ!」
田中の態度に、周りの側近達が刀に手を掛ける。
その中の一人、立派な口髭を蓄えた気の荒そうな男が、今にも切り掛からんと身構えた。
彼から放たれる殺気に、金縛りにあったように身動き出来ない。一瞬、蛇に睨まれた蛙と化した。
「よせ! 虎、虎之助」
秀吉が制すると、
「虎? 加藤清正なのか」
驚くように佐藤が言う。
清正が、自分達と変わらない背丈に佐藤は目を疑った。虎退治をした二メートルの大男だと聞かされていたからである。
背は高くなかったが、死をも恐れない鋭い視線を放っている。猛獣に睨まれたような威圧感。数々の死線を潜り抜けて来た、戦国の世を生き抜いた猛将の威圧を感じずにはいられなかった。
一帯は、現代には味わえない緊張感が漂っていた。
――加藤清正は朝鮮出兵で三成と対立し、それが原因で秀吉から京都に召還された後、伏見に蟄居されていた。
この地震が起こった時、三百の手勢を率いて一早く秀吉の下に駆け付け警護を務めた。蟄居身分でありながら秀吉の許しも無く駆け付けたため、一つ間違えれば切腹となるところだったが、秀吉は清正の忠義を賞賛して朝鮮での罪を許した。
これに気を良くした清正は、更に秀吉の気を引こうと真っ先に切り掛かろうとしたが、秀吉に制止され、やむなく刀を収めた。
獲物を狙う獣のように、清正は田中をにらんだまま。
「安全装置が働いている、誤爆することはない。好きにさせてやれ」
隊員達は伊藤を見やり大きく頷いた。
すると、秀吉が物珍しそうに隊員達を隅々まで見回しながら、
「ほおう、指に金を付けているとは洒落な奴らだ。首にも金の首飾りを。貴重な金を惜しげもなく体に身に付けるとは、まさに傾奇者だ」
秀吉は伊藤に視線を向け、
「うぬが、頭目か。で、何用で京に参った?」
伊籐に聞いた。
「私と共に未来から来た、吉田秀樹と言う男と、その部下十一人を捜しています」
「未来から来た、ヨシダ、ヒデキだとぉ! よくも、殿下の前で抜け抜けと嘘を付きおって」
側近達が、どっと笑い出した。
未来から来たという言葉と、場違いな名前に一同はあざ笑った。
「吉田に会いに来ただと、抜け抜けとほざきよるわい。傾くなら、もっとマシなことを言え。お前達は未来の仲間ではなく、今の仲間を探しに来たのではないのか?」
秀吉がそう言った後、奥の方から、彼らの目の前に三人の男が引きずり出された。
「お前達、ここに居たのか! 心配したぞ」
その男達は、山中で別れた山県と桂、寺内だった。
「上陸した途端、見たことのない格好の民衆に取り囲まれた挙句、古代? の役人らしき者達によってここに連れて来られたんです」
山県が言うと、
「なんなんですか、この連中は? それに、まるで江戸時代に居るかのような周りの建物群は」
桂が言った。
「正確には、桃山時代です」
佐藤が答える。
「桃山時代だって! そんな、馬鹿な……」
三人は顔を見合わせた。
「この者、櫂を持たず、流れに逆らって進む船に乗っていたのです。怪しい者だと思い捕縛しました。お前達は南蛮人だろう! そうに違いない」
引きずり出した警護の役人が報告した。
「櫂を持たず、流れに逆らって船が進むか……」
秀吉は小さく呟く。
秀吉は伊藤の未来と言った言葉を気に留めていた。彼が嘘を付いているようには見えず、嘘ぶいている節が見当たらなかったからである。
秀吉は伊藤の顔をしばらく見詰めながら言った。
「気に入った、二万石でワシに仕えろ」
「そ、そんな!」「殿下! 御戯れを」
秀吉の発言に側近達は驚いた。
慌てて秀吉を諌める。が、
「ワシの人を見る目は確かだ、だからこそ天下も取れたのだ。そのワシが言うのだから間違いなかろう。こやつの目には英知が溢れている。何より、その器の大きさに惚れたのだ。この先、必ず役に立つだろう」
満足そうに秀吉が言った。
「はぁー」
と側近は気の抜けた返事をする。
図体が大きいだけの傾奇者にしか見えない側近達は納得がいかないものの、皆、頷くしかなかった。
秀吉は増田長盛に、伊藤の領地が決まるまでの間、預かっておくようにと命じて、木幡山の高台に造った仮小屋に戻って行った。
「やれやれ、太閤殿下も物好きだ。素性も分からぬ、貴様ら傾奇者を大名に取り立てるのだから……」
と嫌味を言う増田長盛に、
「震災で困っている人を助けないのか?」
伊藤は聞いた。
「この伏見城の惨状を見ただろう。城の再建の方が先だ。民衆とは、城の周りに巣くう、おまけのようなものだからな」
「おまけ、だと……お前達は人が死に掛け、救いを求めているのに何も思わないのか」
「人の死は戦場で嫌というほど見ている。何も思わぬ、思えば死が待っているのだからな。情けを掛ければ破滅だけが待っている、武士という世界はそういうものだ。お前達下賎の者には分かるまい。ワシら武士は、お前達の形だけの傾奇者と違って、死線を潜り抜けて来た。思うのは己の出世だけだ」
「では、誰も助けようとする者はいないのだな」
「冶部省が率先してやっておるわ。あ奴は何を考えておるのか今もって分からぬ。殿下の側近くで仕えながら、たった十七万石。欲のない奴だ」
「ジブ?」
「石田三成のことですよ」
と佐藤が小声で言った。
「ああ、あの陰気な肖像画の……」
伊籐は呟く。
出世のことより人名救助を優先する三成。
それが豊臣政権のためになる一つの理由であるが、自分の思い描いていた融通の利かない三成像とは違っていて、本当の石田三成を垣間見た気がした。
震災で人々を助けるのではなく、真っ先に城の再建を行う。
この時代、秀吉一人を中心に物事が動いていた。現代のでは考えられない時代に戸惑い、途方もない時代に来たのだと伊藤達は痛感したのだった。