シア・ラ・ロールレアの三稜鏡《挿絵あり》
冷気が肌を刺す。
シア様の魔眼が、周囲に雪の華を咲かせていた。
「……し、失礼しました」
シア様ははっとした表情になって、雪の結晶を破裂させた。
どうやら、これは無意識で発動させていたようで、戦略的に怒りを表現したというわけではないらしい。
……正直、そっちの方がずっとこわい。僕は一歩下がった。
「……ヒントと言いましたね。……本当にわかりませんか」
シア様が立ち上がって、一歩分距離を詰めてくる。
僕は一歩分下がる。
シア様が距離を詰める。
僕は下がる。
シア様詰める。
僕下がる。
シア様。
僕。
シア様。
僕。
シア様。
僕。
シア様。
ぼ──あ、壁際。
「あー……」
「……逃がしません」
心当たりは、全くない……ってこともない。
最後に別れた時に、僕がお二人に何かをしたのが原因だろう。
──つまり、《ティワナコンの大石》を動かした時だ。
それはわかる。多分そこが原因だ。
「……姉さまは。おまえが戒厳令解除の、その直後に逃げたことにお怒りなのです。……わたくしも、少し怒っています」
「ええと……」
……まあ、何が原因で怒っているかまではわかっても、何故怒っているのかは、正直よくわからないんだけども。
憲兵隊の庁舎まで拉致されて、そこから『都市を救った英雄にコメントを』とか言われてもですね、全身から鳥肌通り越して変ないぼしか出ないわけですよ。
なんていうか、横から仕事をかっさらわれた形になる憲兵隊の人との温度差が激しすぎて風邪引きそうになったのですね。
というか、一度ひょいっと捕まえただけの僕じゃなくて、日頃から犯罪者を捕まえている憲兵さんにまず労いの言葉をかけてあげるべきなんじゃないかなー、とか。でもこれ僕が言ったらかなり痛烈な嫌みになるよなー、とか。真面目で熱心な憲兵隊との関係の悪化は避けたいなー、とか。
帰りたいなーとか。僕を担ぐのはむしろ不利益になるんじゃないかなーとか。メリーの髪撫でたいなーとか。
そんな感じで、打算と感情がぐるぐると入り交じっていて。放送は『はい』と『そうですね』で終わらせた記憶しかない。
そりゃ、そんなの逃げるでしょって。
……目の前の子に言えたらどんなに楽だろう。
──生存する上で、見栄とか恥とか外聞とかってものは余計な荷物でしかない。
地位も名誉も自分の身を縛る鎖だ。そんなものを勝手に背負いこんでは気苦労を増やす神経が僕にはまるで理解できない。
これまでの旅路で培ったその考えは、今も小指の先ほども変わってない。
変わってないんだけど、変わってないはずなんだけど。少し潤んだ瞳が揺れているのを見るとね……。
……なんていうか、僕は年下の子に弱い。背格好がメリーに似てるからかもしれない。メリーは見た目ちびっこだからな。
「……わたくしたちには、おまえがわからない。それが、腹立たしく思わせるのです」
わからないなら、わからないままで構わない。
僕には、メリーが──、
「それでも、おまえのことを。わかりたいと思うのです……」
……まっすぐな感情を向けられる。その眼に、いつもの怜悧さはない。
僕は曖昧に笑って誤魔──笑う僕の肩をシア様がそっと掴み、僕の瞳を下からじっとのぞき込む。
僕は、自分よりも背が低い女の子に、壁に押しつけられる体勢になった。
「ど、どうしたんです……?」
「……おまえのことを、もっと知りたい」
……僕のことを?
そんなの聞いても、領主様の人生に資する何かがあると思えませんけど。
「………わたくしは。『知りたい』と言いました。……命の恩人で、父との訣別に立ち会ってくれて、いつも守ってくれるひとのことを、何も知らないのです……。わかるのは、髪の色と、出身地が王国ではないということだけではないですか……!」
「あ、その、ええと……『目と鼻と口がついてるところ』と『手足がまだくっついてるところ』、とかっ……」
……だめだ。いつもみたいに、舌が上手く回らない。
「ええと、とにかく。流れの冒険者なんて、都合よく使い潰せば──」
「できるわけないでしょう!?」
シア様が、らしくない剣幕で叫んだ。
……え?半泣き?うそ?え?いや?こ、困るぞ……。えっどうしようこれ僕だよね。うえぇ? ちょ、ちょっと待ってほしい。困る。よくわからないけど、なんか、僕まで困ってしまう。
なんか、胃をぎゅっと掴まれたような、そんな重さを感じるというか……。
め、メリー? どうしようこれどうすれば──、
「わたくしを。みてくださいっ……」
あっ、はい……。
あの、ええと、とりあえず、首に手を回すのは、控えていただければ……。
あはは……。
「……どうして、おまえはそうやって卑屈に笑うのですか」
「え?……あ、えっと……、生まれつきですかね?」
「……どうして、おまえはそんなにも寂しい……、狐のような眼をしているのですか」
「……ええ? あまり自覚してるわけではないので、なんとも……。やっぱり生まれつきなのでは」
「……どうして、それなのにおまえは。わたくしたちを、助けてくれたのですかっ……」
「手の届く範囲にいたので。あと、生まれつきですね」
「では、どうしてっ……。おまえは、好意を受け取ってくれないのですか……!」
「それは──」
嫌ってくれる相手の付き合い方には慣れてるつもりだけど。
──好いてくれる相手には、どんな風に接すればいいんだろう。
「……僕が、好意に値するような人間じゃないから──」
「ちがう」
……メリー?
「きふぃは。うらぎられるのが、こわいから」
……えっとね。別に、そんなことないよ。
一度や二度ならともかく、僕らがいったい何度騙されたか。流石に慣れるし心も動かない。
「……そう、なのですか?」
「そう。きふぃは、やさしい。だから、なんども。なんども。なんども。だまされた」
「……何度も……」
昔の話だよ。そんなの。
「えがおも。めも。うまれつきじゃない。だまされたから。だまされつづけたから。こうなた。ねてるとき、かわいい」
「……ね、眠っているとき、ですか……」
「ん」
最後の情報いります?
それに、そんなのは騙される方が悪いでしょ。メリーの言う『やさしい』っていうのは、つまり頭の出来が『易しい』、単純バカだったってことだ。
それに、騙そうって考えて近づいてくるやつは騙しがいがある。
僕は善良だけど、どこまでならやってもいいかってラインを自分から引いてくれるなら、そこに乗らない手はない。
「きふぃは。だれかをきずつけるのが、やなの」
……あの。メリーさんの中の僕はどんな聖人になってるんですか。
ぜんぜん参考にならない。これは偽証です。的外れです。フェアじゃない。だいたい、メリーがどれだけ僕のことを知ってるって話で──、
「せかいで。いちばん」
メリーは自信満々に言い切った。
…………まあ、そうかもしれないけどさ。
それでも、こういうのって誰かに聞かせるものでもないと思うんだけど。
「こいつらなら。きかせても。よい」
こいつって言わない。どこ指さしてるの。人に指を指すのはよくないし、何よりそっちは壁だよ。何が見えているんだい。
……ああ、もう、おかしいな。
僕はただ、冒険者ギルドへの関与は必要最低限──ではなく、薬草採取をし続けたかっただけなのに。
調子も予定も狂いっぱなしだ。
「……おまえのことが、少しだけわかった気がします。おまえは、偏見まみれで、皮肉屋で、常識が欠如していて……、けれど、やはり優しいのですね」
「ん。よい。みるめある。よくわかてる。しあ。おぼえた」
「……光栄です、冒険者メリス」
……メリーが交友関係を広げているのを見ると、僕はなんとも感慨深くなる。
これだけで、たとえ僕に対する評価が的を大きく外していても、僕はこのひとに出会えてよかったなと素直に思えるんだ。
あ、でもシア様。メリーと握手するのはやめた方がいいです。
こぶし壊れますよ。いえ冗談ではなく。
「……わたくしたちも、裏切ると、思いますか」
「………………えっと。そもそも、あなたたちはこの地の領主で、僕はただの弱小冒険者だ。裏切るも何もないんじゃないですか? まあ、たかが一冒険者に便宜を図るのは、むしろ領民に対する裏切りだと思いますけど」
「……卑屈すぎますよ。おまえに多少の便宜を図るくらいは──」
「じゃあ薬草返してください」
僕の提案に、シア様は薄く笑った。
ああ、やっぱり双子なんだなって感じさせる笑みだった。
「……おまえは、不思議なひとです。見る角度が少し違うだけで、おまえの印象は、善にも悪にも傾く。その有り様は低俗にも、高尚にも見える。……油断させるために馬鹿のふりをしているのか、相手に考えさせるために馬鹿のふりをしているのか、それとも、本当に馬鹿なのか。……まるで、三稜鏡のようです」
シア様は、手に三角柱の形をした氷を現出させる。
「……わたくしは。三稜鏡を眺めるのが好きでした。虹の光が、見る角度によって姿を変えるのです」
「はあ。僕は灰色ですけどね」
「……いいえ。わたくしには、七色に見えます」
「ははあ、目の調子が悪いのでは? お休みになられてはどうでしょう」
「……その物言いは、あまり好きな色ではありません」
だから、どの角度で見ても僕は灰色ですって。
「……おまえには。わたくしにできることならば、どんなことをしてもよい、と思っています」
それは、『髪の毛を撫でさせろ』とかも許すってことですかね。
あんまり不用意な発言は感心しませ──、
「はい。許します。……ほら、撫でなさい」
……あの、本当にどうしたんですか。
突然メリーみたいなこと言うのやめてください。
メリーはメリーで僕の手をシア様の頭に乗せようとするのはやめようね。不敬だし何より僕の腕がきしんでるんです。というか君絶好調だな。
「なでる」
「……な、なでるっ」
ええ……。
「……わたくしの言葉は、偽りではないつもりです」
僕に髪の毛を触られて、少し頭髪を乱したシア様は、顔を少し赤くしながらそんなことを言った。
あんなことをされた今、いつものような軽率な発言をする気にはなれない。
……正直、ちょっとどきどきした。年下の女子に突然、髪の毛を触らせろというのはそれだけでちょっとヤバいし、その上相手は領主様とかいう二重のヤバさなのだった。触れるか触れないかくらいのタッチで撫でていたら、もっとしっかりというオーダーが入ったり、とにかく心臓に悪かった。
「……ですが。それは、『シア・ラ・ロールレア』個人の話です。私たちは、この地の領主として、おまえの訴えを退けます。姉さまの言うとおり、これは規定事項なのです」
「おや。手厳しいですね」
「……この地に住まう人々すべての安寧こそ、私たちが優先しなければならないことなのです。父は、最下層を配置することで、統治を安定させるという手法を取りましたが──私たちは、その道は歩まない」
「一番下からひとつだけ上の層からの反発が予想されますけど」
「……それならば、第二、第三と策を講じればいいのです」
「救貧策ばかり出す行政を、一般のひとはどう見るんでしょうね」
「……理解を求めていくより、他ないでしょう。掲示書きのような形で、政策を明文化します」
「何年かかるかわかりませんよ」
「……それでも。父と訣別したあの日から、私たちは道を違えないことを誓ったのです。……だから、どうかおまえも、協力してください」
……気が向いたら。
薬草をなんとかしてくれるって言うなら、また考え方は変わるかもしれませんけど。
「……しません。わたくしが好きな角度のおまえは、特別扱いを受け入れない、高潔なおまえなのです」
なるほどなるほど。
やっぱり、目の調子が少し悪いんじゃないかな。
そう思ったけど、口に出すのはやめておいた。
・・・
・・
・
「あーあ。結局解決しないな。どうしよう、メリー」
「きふぃ。うれしそう」
「あーやだやだ。メリーの目はすごく透き通ってるけど、ひょっとして見えるものまで透明なのかな?」
「うれしいね。きふぃ」
「……いやいや、嬉しいわけないでしょ。おんぼろ臨時領主邸までわざわざ行った意味、ないんだから」
「いみは、あった」
……そう?
メリーもそう思うかい。
まあ、メリーが思うなら、いいかな。
さて。いったん冒険者ギルドに戻り、僕が僕らしく働ける依頼とか──。
《冒険者キフィナスの立ち入りを禁ズ!!!!》
わあ。
入り口に物々しいバリケードと、雑に貼っつけられた、湿気でよれよれになった紙っぺらが貼ってあるぞぉ。
どうしよ、これ。
「……姉さま。退出してからずっと、そこの壁に耳を当てておいででしたね」
「……しょうがないでしょう。だって……、どんな顔をすればいいのか、わからなかったのだから」




