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S級冒険者メリス、その力の片鱗


 ──るあああああああ!!

 僕の嘲笑に竜が激昂する。掠れた叫び声は臓器にダメージが通ってる表れだ。力を蓄える気配が増した。地を這う野生動物の、なけなしのプライドが刺激されたらしい。

 次に来るのは竜の息吹だろう。実にわかりやすい。

 当然僕は、さっきと同じ方法で回避するだけだ。

 ……あっ。


「す、ステラ様ー。シア様ー。大丈夫ですかー?」


 まずい忘れてた。今回、考えなきゃいけないの僕だけじゃないぞ。

 全く返事がない。僕は彼女らに駆け寄った。


「攻撃がきますけどー。動けますかー?」


 しゃがみ込んだお二人には、僕の声は届いていない。お互いの体を抱きしめ合いながら、がたがたと手足を揺すり、歯を鳴らし続けている。

 ……あー、こりゃ詰んだなぁ。


 僕らにはもう攻撃手段がないし、この状態じゃ二人に息吹はかわせないだろう。

 ステラ様が欠けたら攻撃手段がないし、シア様が欠ければステラ様の立ち回りを確保できない。

 あーあ無理無理。こりゃ無理です。


「メリー? これ。詰みだよ」


「まだわからない」


「わかるよ。僕じゃ二人まとめて避けたりするのは無理。僕は君より重いものを持って動けないよ。ちょっと間に合わない」


「ひとりなら。できる」


「……はあ。メリー。そういうところだよ」


 確かに、メリーの言うように、たった一人──具体的には攻撃手段を持ってるステラ様を僕が抱えて、それから全力で首や背中に張り付いて、更に暴れ回る巨体をなんとか捌いて、それからどうにかしてステラ様を戦線復帰させれば可能だろうさ。

 はは、『全力』だとか『なんとか』だとか『どうにかして』だとか。何回繰り返すんだいそれ。

 僕は体力ないんだよ。気力はもっとない。

 試練を押しつけてくれるメリーには悪いけど、僕はそんなことに命は賭けたくないんだ。


 ──それは、僕の勝利条件じゃないからね。


「きふぃ?」


 ……怖いけどさ。

 やるしか、ないよな。


 心臓が跳ねる。どこかに飛び出さないように、僕は自分の胸をしっかりと握りしめる。

 足が重い。ぬかるんだ泥濘でいねいに沈み込んだ足が、そのまま沈んだままでいろと語りかけているようだ。

 僕は自分の弱さをよく知っている。怖いのは嫌だ。痛いのも嫌だ。本心からそう思う。

 これから怖い思いをするぞ、と覚悟しただけでこのザマだ。

 心からいますぐどこかに逃げ出したい。

 怖いのは嫌だ。


「でも。──誰かが怖がってるのだって、やっぱり同じくらい嫌だ」


 僕は、二人を庇うように立った。


「はなれて」


「離れないよ。僕は、命を賭けて君を動かす」


 僕は、震えている女の子たちのそれぞれの肩にそっと手を置いた。二人は、びく、と小さく震える。

 意識してなかったけどなんか抱きしめる形になった。

 ……これ正気に戻ったら不敬罪で殺されるやつかな。まあ、いいや。少なくとも、竜の吐息が迫ってることよりは怖くない。


「安心してくださいね。世界最強の冒険者が。今。全部なんとかしてくれるから」


 ──いいや、竜の吐息だって怖くはない。僕は笑った。笑顔を作った。

 僕はメリーを信じている。

 やせぎすで意地っぱりで、拗ねやすくて口下手で、ちょっとだけ可愛い僕の幼なじみを信じている。

 だから、怖れることなど何もない。


「だから。どうか安心してほしい」


 ぱりん、ぱりん、と、辺り一面を覆っていた氷が音を立てて砕けていく。シア様の精神力はもうずっと前から限界だったのだろう。氷の結晶が大気を舞い、緩やかに蠕動する黒い鱗に銀を彩る。

 ノコギリのような歯がびっしりと生えた竜の口が、僕たちに照準を合わせるようにぐるりと動いた。

 メリーは動かない。


 緊張と恐怖で刹那が瞬時瞬時が暫くへと引き延ばされる。シア様の魔術で冷えた大気が、僕の呼吸を白くした。

 そこに腐臭と熱が混じった風が頬を無遠慮に撫で回してくる。口からは、紫色の燐光が漏れている。もう竜の息吹まで一瞬の猶予もない。

 メリーは動かない。


 死が迫ってくる。

 視界が紫色に覆われる。

 吐き気を催す悪臭が漂う。

 それから僕の鼻先に、熱い紫色の塊が、触れ─────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────





 瞬間、一筋の線が走った。

 風もない。音もない。眼前に広がっていたはずの紫の世界は、金色の線が描かれると同時にかき消えた。

 僕の鼻には確かに触れた感覚があったけど[無傷]だ。漂っていた悪臭も、最初からなかったかのように消失している。


 亜竜は顔面をまるごと抉られていた。

 メリーは微動だにしていない。しかしその小さな手のひらには、べっとりとした竜の赤黒い血が滴っていた。


「ふぅ……うおっ、あっ、わっ!」


 僕は安堵からずるりと後ろに倒れ込み、石の壁に頭をぶつけた。


「あいったたー……」


 ダンジョンの主を倒すと、周囲の風景は無機質な石室へと変わっていく。

 これはどのダンジョンでも共通の現象で、毎度付き合わされる僕なんかもう慣れきっている。


「ありがと。メリー」


 その間に僕は、ぶすっと不機嫌な幼なじみの手をハンカチで拭きながら、ねぎらいの言葉をかけた。


「ん」


 ……不機嫌だ。めっっちゃくちゃ不機嫌な顔してる。さっきまでの比じゃない。

 いやほらダンジョンコア出てきたよ? メリーこれ壊すんでしょ?

 早く壊そう壊して脱出しよう。ね?


「めり、しない。きふぃやる」


「無理なの知ってるでしょ。僕じゃ壊せません。まったく適応してないからね」


「やる」


 ぐいぐい押さないでくれませんかって痛い痛いコアに体を押しつけないで潰れる潰れる!

 はーーーー。やりますけど。やりますけどね? 割れなくても文句言わないでね?


「やるの」


 ──部屋の中央に安置された紅く輝くダンジョンコアは、どくんどくんと脈打つように蠕動している。

 僕は雑に棒を振った。

 ぺきん。棒はへし折れた。


「ほら無理だった」


「てがある」


「嫌だよ。素手で物殴るとか痛いしって痛い痛い痛い手もげるもげるもげちゃうからやめてやめて」


「やる」


 この子は木の棒が根本からへし折れるのを見てないのか……? ひょっとして僕の手にも同じ運命を辿ってほしがってる?

 でもやらなきゃもがれるし折れるよりはマシかな。えいっ。


「すんどめした」


 いやわざとじゃないんだって。

 ほらっ。


「すんどめ」


 体が勝手に反応するんだよ。しょうがなくない?

 安全第一が骨の髄まで染み着いてるんだ。いやー僕の意志に反して動きを止める肉体には誇りさえ覚えるね。

 というわけでメリーが破壊すればいいと思うよ。


「だめ。めりは、しない」


 ……うーん、重傷だなあ。

 なんだってメリーは僕に意地悪をするんだ。帰れないだろそれじゃ。


「かえらなくていい」


 よくないです。

 そっぽ向かないでよ。


「いじわるは。きふぃが。さき」


「僕は意地悪なことはしてないと思うんだけど……」


「そいつをつれた」


「指ささない。当たり前のことだよ」


「あぶなかた。そいつらまもった。……あぶなかった。ほんとに、あぶなかった」


「君のシナリオに乗っても危ないのは一緒だ。むしろ体力の限界で早々に動けなくなったんじゃないかな」


「そしたら。めりがたすける」


「そのタイミングがちょっと早かっただけだろ?」


「ちがう。きふぃは。いのちをすてようとした」


「僕は自分を盾にしただけだ。……メリーと同じだよ?」


 ──君が『自分を盾にしてもいい』なんて言うから、僕も同じことをやっただけだ。

 だから、仮にそれを意地悪ととったなら、やったのは君の方が先だろ。


「…………。おこった?」


「ちょっと怒った」


「めりも。おこ」


「そっか」


 メリーはそっぽを向いたまま、小指の先だけをこっちの小指に絡めてくる。

 僕もそっと小指を重ねた。


「じゃあ、お互い悪かったってことで。仲直りしようか」


「ん」


 そうやって、僕らはいつものように指切りげんまんで仲直りの儀式をする。


「ゆーびきった」


「きった」


「……あのー、メリー。メリー?メリーさん?メリーさーん? 指。指ほどいてください」


「もっと」


「なんで? いやいたいいたいほどいてほどいて」


 絡ませた指をほどこうとすると、なんかメリーがやたら抵抗してきて、小指がちぎれそうなくらい痛かった。

 ちぎれてないよね? ……うん繋がってるな!



・・・

・・



「……う、ううん……」


 あ、ステラ様意識取り戻した。


「ここはっ……!? わたしっ! 亜竜はどうしたの!?」


「もう倒しましたよ」


「そうだったの。……ごめんなさい。私たちでは足手まといだったわね」


「あー……あはは、いえ。とても奮闘されていたと思います」


 僕は苦笑した。正直言ってその通りなんだけど、僕がダンジョンの傾向から敵の強さを低く見積もりすぎていたのも悪いし。亜竜、それも黒色なんて出るとわかってたらもっと本気で止めていた。

 しかもこの巨体だ。《名前付き(ネームド)》でもおかしくなかった。


「それより、早く帰りましょう。僕はもう帰りたいです」


「そうね。ところで、亜竜はどうするの?」


「どうする……? ああ、放置しますけど。邪魔ですし」


「流石に勿体ないと思うのですけれど……。あの、あなたたちが必要ないと言うのなら、こちらで回収してもいいかしら?」


「ざこ。いらない」


「メリーもこう言ってます。いりませんのでご自由にどうぞ。あと、シア様を起こしてあげてください」


「ざこ。いらない」


「……釈然としないけれど。たしかに、シアを起こさなきゃ可哀想ね。もう大丈夫よ、シア」


「ざこ。いらない」


「それ僕に言ってるやつ? 刺さるから繰り返すのやめてねメリー」


 ステラ様が震えるシア様を優しく抱きしめる。手足の震えが次第に収まると、白い肌をかっと上気させてステラ様の後ろに隠れた。


「シア? どうしたの?」


「……なんでもありません。姉さま」


「疲れておいでなんでしょう。もうすぐ帰れますから、どうか安心してくださいね」


 僕は朱色の輝きを湛えるダンジョンコアを指さした。


「──というわけで、コレ。僕じゃ壊せないので、壊してもらってもいいですかね?」

 緋色の結晶が砕け、世界が歪む。核を破壊することでその形を失い、僕たちは元いた場所に再配置される。そういう仕組みになっている。


 意識が──混濁──す■。

 この感覚は──何度体──体験し──しても──慣■ない──。



『ま──ブーバの仔が──まで来ると■の。永い時──驚──■────』



 どこか──どこ■らか──声──声が──聞こ■る。



『無論──には従──。しかし──には随分と嫌われ──な。この──が、かの矮躯ご■きと同一■さ──とは。くくっ』





『し──哀れ──な。……この世界は、もう直ぐ、消えるというのに』



 意識を完全に手放す刹那。

 最後の一言だけは、なぜかくっきりと聞こえた。

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