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絶不調プティフール


 僕らが血の臭いを辿っていくと、そこには本官さんがいた。

 いつものハキハキした人……ではなく、今日はずいぶんと険しい顔をしている。目の下のクマもひどい。


「何かありましたよね」


 僕は確信系で尋ねた。


「民間人はここから離れ──え? あ、キフィナスくん……。ひ、久しぶりだな。ええと……そのっ、あ、あのとき、以来だなっ……」


「あのとき?」


 最後に会ったのは『新興宗教のテロ行為を止めてほしい』と依頼した時だったはずだけど……。


「……あ、その……、わ、わたしが。きみに、武器を向けたときだ。その……」


 ん?

 あれ? 事実の誤認があるぞ?


「本官さん、僕らが帰ってきたときに一度お会いしてますよ?」


「へ……?」


「まあ、足がおぼついてなかったですし、言動もふわふわしてましたけど……。領主のお二人にもぜんぜんタメ口使ってたの、覚えてらっしゃらないんですか? 本官さん『ステラちゃん』とか『シアちゃん』とか言ってましたよ?」


「え」


 本官さんの時が止まった。



「えっ? えっ? えーーーーっ!?」


 本官さんが慌て始めた。手足をあたふたとしている。このひと焦ると面白いな。


「ふ、不敬すぎる……不敬すぎるよぅ……わたしはマオーリア家の子女で、あの子たちも代行としてもうりっぱにがんばってて、それで、あぅ、キフィナスくんに、わたっ、わたしはあんなことして、してもらっちゃって、あっあっ、うわ、あーっ……」


 ──ぷしゅう、と湯気を噴きながら本官さんが倒れた。

 顔を赤くしたり青くしたり、本官さんほんと忙しい人だな。



 ……よっぽど疲れていたんだろう。本当に、アネットさんは忙しい人だ。

 こんなところに羽毛の山があるのは、ひょっとして睡眠不足からちょっとおかしくなってて、ここで寝ようとでも──。


「ちがう」


 ……胴からまっ二つになった死体を、発見してしまった。

 これを羽毛布団にするには……、いや、流石にちょっと、冗談にするには悪趣味が過ぎるな。アネットさん相手にやるものじゃない。

 僕はぐったりと崩れおちた、背が低くて誇り高い憲兵さんに謝りつつ、鳥の羽根まみれの遺体の顔を確認する。



 両目を失った、苦悶の表情を浮かべた遺体の顔。

 ──それを眺めて、僕が最初に感じたのは『ああ、この人知らない人だ』という冷淡な安堵だった。

 赤茶の髪の女性に、僕はこれといった心当たりがない。


 ……見ず知らずとはいえ、人の死体を見て特に心が動かないというのは、社会的動物としてどうなのだろう、と思わなくもない。まあ、僕はゲス科ゲス属ゲス人間だと生物学的に分類されても仕方ない部分がないこともないので、今更どうなのだろうとか考えてもしょうがないんだけども。

 ……このくらいは慣れてしまった。


 本官さんが寝てる間に、こっちも現場検証をさせてもらおう。

 デロルの憲兵を信用してないわけでも、本官さんの能力を疑ってるわけでもないけど。放っておけば犠牲者は増えるのだし、僕らは彼らよりも身軽だ。

 王都の憲兵隊は業務が被ってる近衛騎士に対しての反感からか、みっともない縄張り意識を主張することと能力に見合わない高圧的態度で噛みつくことを得意とする、乳幼児と高いレベルでの争いを繰り広げられるくらい有能な人たちばかりだったので。こういうのの対応に慣れざるを得なかったんだよね。

 ああメリー、ちょっとしゃがむから──。


「ん。めりが。やる。きふぃは、さわっちゃだめ」


 ……そうだね。血を媒体にする呪術なんかもあるし、何より血ってあまり清潔じゃないからね。任せるよ。

 メリーも気をつけてね。

 具体的に何に気をつけるって、服を汚さないように気をつけてね。


「ん。はじめる」


 ……メリーは、僕をじっと眺めたままだ。

 あの、メリー。メリーさん? いや、君任せにしないからいいけど、僕ばっか見てて何を調べるっていうんですかね? いや、いいけど。


 さて……まず、目視でわかる範囲から。

 まず、犠牲者は冒険者じゃない。これは確定事項だろう。


 冒険者は、自分の武器を周囲にひけらかすように持ち歩くことが多い。犯人が持ち去った可能性がある以上、装備があったかどうかについて確実なことは言えないけれど、足と手に血豆の痕がないことから肉体労働者ではないことは伺える。

 冒険者はこんな白い手指を──。


「めり」


 あー、メリーが綺麗な指してるのは知ってます。既知の情報です。君は手のひら見せなくていいよ。靴を脱ごうとしなくてもいいです。情報量が増えない。

 性差による骨格の違いからくる身体能力は、《ステータス》《スキル》の存在でほとんど差がない。と言っても、やはり冒険者の男女比の割合は男の方が上だ。そして、男女問わずだいたい血豆のひとつやふたつは作って潰してる。

 くすんだ赤茶色の髪というのは、基本的に外向けの魔力が少ない傾向にあるし、純粋な身体能力を強化するなりして冒険者をやってるだろう。昨日か今日冒険者になった、とかじゃなければ、ダンジョンに入れば足に血豆くらいはできる。

 ……というか、血豆のない冒険者の女は加害者の側だ。具体的には人斬りセツナとか呪術師マレディクマレディコとか。


「まあ、あの人たちはいいや……」


 独り言で思考を元の軸に戻す。今やってるのは、死体からの情報収集だ。


 肌の状態から、健康状態はあまり良くはない様子が見て取れるが、それを化粧で覆い隠しているようだ。手先と胴体で、肌の色が違う。

 被服で普段隠れている胴体より、指先の方が白いことは通常ない。白粉おしろいを塗って、肌を白く見せているのだろう。


 ただし、衛生状態を鑑みるに、何らかの生活拠点は手に入れているようだ。少なくとも路上生活者ではない。

 どこかに泊まっているか、あるいは持ち家がある。だが、暮らし向きはあまりよくない、と言ったところか。

 口元に鼻を近づけるが、酒気の臭いはない。……時間を置いて、飛んだかな?


 ここは飲まなかったと考えてみよう。なぜなら、この辺りは関から遠く、冒険者連中が用があるところからも近くないために、宿というものが少ない。

 女性が一人、酔いながら暗い夜道を歩くなんて、いくら治安がいいこの街でも、自分で手首をスパっと切り落とすようなものだしね。

 仮に旅人なら、関所の近くにある宿場通りを使うはずだ。


 ──以上の点から、被害者はこの街の人間だと言い切っていい…………と、思う。

 もちろん例外は色々考えられるから、厳密には言い切るわけにもいかないんだけど。明かりのない夜に出歩くことが好きで好きでたまらないみたいな、奇特な趣味をお持ちの可能性とかを考え出すとキリがない。

 方向性を決め打っていくことで、推測は強度を増すものだ。だから、この街の人間ってことで話を進めよう。


 仮にこの街の人間だとすれば、なぜ襲われたのか。

 遺恨か。それとも、ただ純粋に運が悪かったのか。

 推測を進める糸口は死因にある。一般的に、人は直接残忍なことをするのを躊躇う傾向にあるからだ。

 ブレーキが元々ぶっ壊れてる人間や、感情の力でブレーキをぶっ壊した人間なんかもいる。

 僕は胸と胴、二ヶ所の傷口をじっと見る。


「痛ましいな……」


 思わず、そんな言葉が口をついて出た。


 ──その傷痕は、巨大なノコギリで強引に挽き潰したような、力任せのなまくらな傷だった。

 辺りにまき散らされている羽根の内に、肉骨片が混ざっているが確認できる。

 胸と腹の二カ所の裂傷。どっちが先に致命傷になったかはわからないが、ただ殺すことを目的としているのならどちらか片方で十分なはずだ。

 そうなると遺恨なり、嗜好なり、何らかの意図がある。


 ……ああ、ほんと。見てるだけで、痛くて怖い気持ちにさせられるな……。

 同じ通り魔でも、セツナさんとはえらい違いだ。

 あの人の場合、仮に胴体を二つに斬ったら、傷口を合わせればそのままぴったりくっつく形にするだろう。不謹慎だけど、そこには磨き上げた業というか、芸術みたいなのを……感じなくはない。いや、やっぱ感じないわ。同じ通り魔です。


 だいたい、あの人は誰かを斬るときにそんな余計なことを考えない。ただ純粋に斬りたいから斬るってタイプだ。意味わかんねえ。

 というか、そもそもセツナさんなら今、王都にいるだろうし。……あの人の場合、ここで冤罪を押しつけたところで嫌がらせにもならないんだよな。既に指名手配されてるし。そして何より、殺人犯が実在してる以上、その役を適当に押しつけても問題は解決しないわけで……。

 いや、まあ、今は混乱の元(セツナさん)はいい。『この案件には関わってない』以上の考えを抱くと何か不吉な予感がするので意識の外に追いやる。追いやれ。追いやった。


 しかし、この傷が直接の死因だろうか。胸でも腹でも、意識を奪うには一定の時間がかかる箇所だ。そうなると悲鳴が響いてるのでは?

 ちょっとメリー。打撲の痕とか、あるかな。


「ん」


 メリーの透明な眼差しが、死体を上から下まで流れる。

 ほんの一瞬だった。すぐに僕を見るのに戻った。

 あのー、大丈夫なんですかねメリーさん。


「あたまの、うしろ。なぐられてる」


 ああ、後頭部ね……。

 そうすると、気絶させた後、胸と胴体を裂いて、眼球をえぐり取った……ってことになるのかな。

 え? 何それ。どう考えてもやばいじゃん。


「はいが、ない」


 ……肺が、ない?



・・・

・・



「う、ううん……はっ! わ、わたしは一体──」


「あ、起きましたね。おはようございます、本官さん」


「ご遺体はっ!?」


「……そこに」


 僕は、横たわってた本官さんから視線をはずし、ちょっと前に一通り検分を終えた遺体に視線を向けた。


 結局、僕もメリーも遺体を直接触ってはいない。故人には申し訳ないけど、羽根まみれで血塗れって、衛生的にちょっとね。

 触らなくとも、色々と情報は手に入ったし。


「……そうか、見てしまったのか。ごめんよ。わたしが、きちんと遠ざけるべきだった」


 えーと……結構じっくり見ましたけど。

 むしろ遠ざけられたら困るというか……。


「……あっ!! それはそうと、わ、わたしどのくらい眠ってた!?」


 せいぜい5分か10分くらいでは?

 というか、本当に目の下のクマひどいですよ。ちゃんと寝た方がいいです。



「わぅ……、し、仕方ないだろう。あと……、その、けして他意はない。他意はないんだが、きみから、わたしにっ、しゃべりかけるのはっ……、ひ、ひかえてもらえないかなっ?」


「え、なんでですか?」


「いや、その、か、かんちがいしないでほしいんだが!きみに非はないよ! ない! ない、ん……、だけどっ! あ、あの、えっと、その……、わ、わたしの中で、あの一件が、まだ、いまいち消化しきれてなくってぇ……」


 要領を得ないな……。

 やっぱり体調悪いのかな?


「ぴゃっ! 近いちかい!! きふぃなすく! かおっ、ちかいっ!! だいじょぶだからぁっ!」


 え? いや、メリーに比べたら、別に普通では。


「めりすちゃんのきじゅんだとだめだよぅ……」


 アネットさんが、ぷん、とそっぽを向いた。

 とにかく受け答えが要領を得ない。やっぱり疲れてるんだと思う。


「ええと、とりあえず。僕は急用を思い出したので、これで失礼します。アネットさん、体調が悪いなら、ほんとに休まないとダメですよ」


「う、うん……」


 アネットさんの耳は、ほんのりと赤かった。

 やっぱ風邪かもしれない。




「……アネットさん?」


「ひゃい!? あ、ああ……。先輩ですか……」


「あー……さっきのやりとり見てたよ。やっぱりアネットさん、ちょっと疲れてるよね。俺、半休出しといてあげるからさ。今日はゆっくりしといで」


「じ、ジャック先輩!? ちがっ、わた、本官はそんな……」


「ご遺体の回収まで、ここは受け持つからさ。ほら、カレんとこいっといでよ」


「っ……、ちが、違います! わたしとキフィナスくんはそんな関係じゃなくってぇっ! ちょっと先輩! 押さないで──うわわぁっ!ごめんキフィナスくんちょっとどいて──!」


 どたどたと同僚の人に背中を押されて、僕に向かって本官さんが倒れ込む。

 僕は言葉通りどいた。


「うわああああああ゛あっ!?」


 本官さんはすごい勢いで地面を滑った。

 同僚の人は、くっくと笑いながら死体の方に戻っていく。結構ひどいな……。



「ぐうう……っ!」


 あー……無事ですか?

 見殺しにしてごめんなさいね。受け止めようとしたら、多分僕の方が無事じゃ済まないので。

 僕ってば超虚弱体質なんですよ。孤児やってた子に腕相撲負けちゃいそうなくらい。


「……キフィナスくん! どうしよう、わたし、今日休みにされちゃったんだけど!?」


 本官さんは、涙目で、やっぱり要領を得ないことを言った。

 憲兵隊の就労環境も、本官さんの有給消化率も、僕があまり関知しないところだ。

 よく知らないけど、仕事を休めることはいいことだと思う。なにせ僕には休みがない。まあ、逆に言えば仕事らしい仕事もないんだけど。

 休みを貰えたなら素直に喜べばいいのでは?


「よかったじゃないですか。ゆっくり休めば──」


「よくないっ!」


 本官さんは大声で叫んだ。

 耳が痛い……。僕は耳をさする。


「わたしが休んでる間に、何かが起きるかもしれないじゃないか! わたしが居合わせていたら、なんとか──」



「ならないですよ」



 僕は冷静に言った。


「繰り返します。なりません。更に言います。ならないです。そんな体ふらふらで、なんとかなるわけないでしょ」


「っ……」


 たとえ無学無教養の酔っ払いクソ冒険者だって、あの死体を見たら『犯人が手練れである』『ぶっちぎりでイカれてる』の二点は読み取ることができるだろう。

 睡眠不足のアネットさんには難しかったのかな?


 この間ボコボコにされた人間が言うのはなんだけど、アネットさんはあまり強くない。はっきり言って、対人の技術はへなちょこだ。……何より人を相手にするには優しすぎる。

 そんな人が、万全じゃない状態でいったい何ができるってんですかね。自殺行為と変わらないでしょう、それ。

 犠牲者と土の下でティーパーティーしたいって言うなら、僕は、あなたの知り合いとして止めますよ。


「でもっ!」


 落ち着いてくださいよアネットさん。

 あなたが活動してる間だって、あなたの手が届かないどこかで『何か』はいつだって起きているんです。

 ちょっと休むくらいでそれは変わりませんよ。


「それは……そうかもしれないが……」


 自分の手が届く範囲を超えて、誰かを助けようとすることは、とうてい無──、


「それでも、わたしが動いてれば救えるかもしれないんだよ、キフィナスくん」


 ──ああ、いや、今のなしで……。ええと、えーと……。

 ……ダメだ。今の言葉は逆効果だ。失敗した。

 アネットさんの目は、情熱に燃えている。


「──わたしに、姉様のような才はない。《嵐の王》の担い手にはなれない。しかし、マオーリアの子女としての志は捨ててはいない」


 ……はあ。僕はため息をつく。

 やらかした。これじゃ、口先で丸め込んで、この深いクマを作った人を休ませられない……。

 ごめんなさいジャックさん。


「わたしが、アネット・マオーリアが、マオーリアである限り。わたしは全身全霊で、人々に尽くさなければならないんだ」


 その声は強く、表情は鋭く、決意は固い。

 アネットさんは思いこみが激しくて、身長が小さくて、おせっかいで、声がやたら大きくて……だけど、いいひとだ。 



 ……ここは、正直に話そう。その方が、まだ安全だ。


「……ええと。僕とメリーは今日、ダンジョン探索を休んで、犯人を捜そうとしていました」


「ん」


「……ばかな!? 危ないだろっ! そういうのは、わたしの──」


「今のあなたの方がよっぽど危ないから!」


 …………つい、大声を出してしまった。

 アネットさんが驚いた表情をしている。……僕も驚いてる。

 これはいけない。というか、めっちゃ恥ずかしい。


 街の人たちがこっち見てるぞ。

 僕はハッとした。アネットさんもハッとした。

 僕らは二人、気まずく顔を見合わせる……。



「ええと……場所、変えましょう?」


「……ああ。うん。とりあえず、制服、ぬいでくる。庁舎の前で、まっててくれるかな」


 アネットさんは、そう言うと小走りで駆けていった。



「きふぃ?」


「そう面白がらないでくれるかなメリー。僕だって、自覚はあるんだよ」


 ……自分でもガラじゃないなって思うし、はっきり言ってちょっと気持ちわるいんじゃないかなって思うんだけどさ。


 誰よりひたむきでまっすぐな、この街で一番元気で小さな憲兵さんが、青い顔して横たわっているのを見たときに。

 僕は。改めて、このひとが傷ついたら嫌だなって思ったんだ。


 …………なんだい。なにニヤニヤしてるんだいメリー。

 つねるよ。

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