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事件発生

※残酷な表現があります。


 迷宮都市デロルは、朝から曇天だった。

 気が重くなりそうな空の下で、アネットは憲兵隊として号令を掛けられ、現場に赴いている。


「ひどいな……」


 ──これで何件目だろうか。

 ここ数日、迷宮都市デロルを騒がせる連続猟奇殺人事件。

 『朱鳩しゅくの羽根』の、被害者は。


 アネットは先輩の──肩書き上は同僚の──ジャックと共に、現場検証を行っている。



 道の裏手にある猟奇的な死体に、集まり、ざわめく群衆たち。

 ……善良な彼らは、人の死に怒りや悲しみを覚え、犯人への恐れを抱きながら、好奇心から死体を一目見ようと集まってくる。

 恐怖と娯楽性は同居する。公開処刑に民衆が集まるのは、極悪人の死を娯楽として認識しているからだ。アネットはあまり好きではない。

 ただ、あの制度が守るべき倫理というものを伝えるにあたって、効力が高いことも理解しているし、アネットの考える善良さを市井に生きる人々に押しつけるつもりもない。


 ──ただ、アネットは知っている。人は好奇心から非日常を求め、往々にして後悔する。

 個人差はあれども、人の死というのは、たとえ他人であっても直面すれば心に傷跡を残す。

 職業柄、アネットは人間の性質をよく知っていた。


「離れろ! この場は、憲兵隊が預かった! お前たちは、早く持ち場に戻りなさいっ!」


 何より、痛ましい事件の犠牲者を見世物にするわけにもいかない。

 アネットは大声で人払いをしてから、遺体と対面する。


 10代後半から20代前半と思しき女性だった。

 市民登録がなされているか否かは、遺留品から調べてみないことにはわからない。

 胴体を二つに切断された上に、胸を切り裂かれ、その上、両目まで抉られている。

 日々のパトロールのために顔が広いアネットだが、この遺体については浮かばない。

 あるいは、面影が残っていないかもしれない。


「……故人の名誉のために。彼女のご遺体は、本官にお任せください」


 既に亡くなっているとはいえ、女性の肉体に男性が無遠慮に触れるのは問題だろう。アネットは提案した。


「アネットさん、……大丈夫か?」


「はい。本官は、問題ありません。先輩は、市民の目にいたずらに触れぬよう、引き続き人払いをお願いします」


 アネットは目の下にクマを作りながら言った。



 ──憲兵隊のアネットは、領主代行の帰還を以て、ようやく市民の暴徒化を防ぐという任務から解放された。

 激動の日々だった。一週間の平均睡眠時間は3時間を切った。最後の方は意識が曖昧だった。なんかもう、誰と会ったのかとかどんな会話したのかとかぜんぜん覚えていない。

 しかしそれも終わり、庁舎の堅くて臭いベッドじゃなくて、ようやく、やわらかいおうちのベッドで眠れる……。


 ……と思いきや、またぞろ厄介な案件が降ってきた。

 憲兵隊の指揮系統が大混乱にあったため、被害を認識するのが大きく遅れたのだが、どうやら領主邸が爆破される前後から、辻斬り事件があったことが報告された。

 そうして、アネットの自宅に帰れない日々が続くことになった。


 もちろん、アネットは自らの職務に誇りを持っており、やりがいを感じている。自分の働きによって、誰かを守れると信じている。誰かを守れるのなら、自分の骨身を粉にしても構わない覚悟を抱いている。


 ──だから、何より、この街の誰かを守ることができなかったことが悔しい。

 アネットは歯噛みしながら、遺体へと向き直る。


(むごいな……)


 ──血を吸って朱に染まった鳩の羽根が、辺り一面に散らばっている。


 犠牲者は皆一様に、胴を二つに裂かれ、胸を切り開かれている。そして、臓器を抜かれて空になった胸いっぱいに鳥の羽根が詰まっている。羽毛の量は明らかに過剰で、詰めた上からも、羽根をいつまでも乗せていったのか、体中がすっぽりと埋め尽くされている。

 鮮血吹き出す犠牲者の死体を、毟り取った鳩の羽根で埋める行為は、自身の犯行を隠蔽するようにも、アピールするようにも感じられた。

 この奇妙な現場は、領主邸爆発の直後、黒い服を着た6人の男性が鋭利な刃物によって斬殺された事件を除き、現在確認されているどの通り魔事件でも共通のものだった。


(最初の6人の殺害。単なる冒険者同士のトラブルかと思われたが……、あるいは、犯人はあの一件で殺しの味を覚えたのかもしれん)


 身元のわからない6名の遺体。冒険者ギルドにも照会を頼んだが、結局何者なのかわかっていない。

 毒の塗られたナイフや《爆破》の巻物スクロールなど、明らかに一般人が所有できない物品をも所持していて、この処遇も悩みの種であった。



(爆破事件の重要参考人でもあるのだよな。ウチで凍結させて腐らせるのを防いでいるあの遺体、時間を作って、ちゃんとシア様に確認を取るべきなのだが……いや、それよりも今は現場を検証するべきだな。しっかりしなきゃ)


 アネットは遺体に積もった羽根を払う。


「うっ……」


 犠牲者の胴体からは臓物がこぼれていて、悪臭を放っている。

 アネットは不快感に反射的に顔をしかめ──故人に不快感を覚えてしまった自分に対しての怒りで、更に顔を厳しくした。

 といっても、童顔のアネットにできる範囲での厳しさであるが。

 そのまま、傷口を確認していく。


(これは……。聞いてはいたが、まさか、実際に目にすると……)


 十字に切り裂かれ、開かれた胸。その内側には、びっしりと規則正しく鳥の羽根が詰められていた。

 空洞の部分を埋めるように、羽軸うじく──羽根の中央の軸、その尖った先端部を、筋肉に突き刺して固定している。

 その異常な光景に、アネットはめまいを覚えた。


 ……次いで、着衣。

 着衣には、血液以外のよごれは見あたらない。アネットは下半身を確認して──気は進まないが、重要な作業である──この女性が、汚されていないことを確認した。

 財布も残っている。物取りが目的ではない。


(だが、故人を特定できるものはないな……)


 目を抉られ、苦悶の表情を浮かべた表情から、誰かの顔と同定することは困難だ。赤茶色の髪の持ち主は多く、目を抉られているせいで保有してる魔力属性から割り出すことも難しい。

 仮にある程度の目星を付けられたとして、遺族や友人などに今の彼女の顔を見せることも憚られた。

 身体的特徴と、着衣等の遺留品と、本日以降上がってくる行方不明者の捜索依頼を付き合わせて、被害者が何者なのかを判断する形となるだろう。


 アネットは被害者の特徴を一通り記録簿に書き記すと、ジャックに葬儀屋の手配を頼んだ。


「じゃあ行ってくるが……アネットさん。くれぐれも、無理はするなよ」


「はい。本官は大丈夫です」


 アネットは、羽毛に潰されている死体と、たった二人きりになる。



(……彼女は、日々を善良に生きた町娘なのだろうか。……あるいは、悪徳に手を染めざるを得なかった人なんだろうか)


 物言わぬ死体は、何も答えてはくれない。

 彼女がいったい何者なのか。いつ殺されたのか。なぜ狙われたのか。誰が犯人なのか。

 わからない。わからないが──いずれにしても、こんな形で人の命が失われていいはずがないっ!


 夜闇に紛れ、自分自身に与えられた力を、他者を害することに使うなど──卑劣が過ぎるっ!

 その卑劣とは、迷宮都市デロルの一憲兵隊員となることを誓ったアネットにとって、最も許せぬ悪徳だった。


(……因果なものだ。憲兵隊が動くのは、いつも決まって被害が出たあと。守ることができなかった誰かが出てからじゃないと動けない)


 アネットが日夜パトロールに熱を上げているのは、憲兵の存在を周囲に認識させることで、できるだけ被害を出さないためにある。


(もしも、わたしが集会の監視をせず、夜の巡回を欠かさずしていたなら、あるいはこの事件は起きなかったかもしれない……)


 指導者のアイリ女史の人柄は知っている。彼女は常識がズレているところがあるが、誰かのために動ける善良な女性だ。

 結果として暴動など杞憂に過ぎなかったのだから、彼女の善性をもっと信じるべきだったのではないか。


 睡眠時間の足りないアネットの疲れた思考は、執拗に『もしも』を考えさせる。

 もしも、アネットが集会の監視などしなければ。もしも、アネットがアイリ女史ともっと上手く交渉できていたら。もしも、領主邸の爆破事件などが起きていなければ。もしも、キフィナスくんがいたら。……キフィナスくんがいたら?いやこれは関係ないだろう。アネットはぶんぶんと首を振る。

 アネットの中から、どんどん、とりとめのないもしもが浮かぶ。

 もしも、もしも、もしも、もしももしも──。


「……ええいっ!」


 ──しかし、いくら考えようが既に起きてしまったことは変わらない!

 できることは、いつだって、これからへの対応だけだ。

 アネットは自分の頬を、べし、と叩く。力加減を考えない頬への張り手は勢いが強く、普通に痛かった。


「これ以上の被害を出さないように、犯人を突き止めなくちゃいけないな……!」


 アネットはただ愚直に、職務を全うすることとした。

 街の人々の笑顔を思えば。じんじんと痛む頬も、ちょっとやそっとの超過勤務も、まったく苦にはならなかった。



「いやぁ、困ったよね。ここまでくると困惑通り越して疑惑だよ。レベッカさんの業務内容にだけ『僕を怒ること』って一文が書き加えられてるんじゃないだろうか。ひょっとすると、レベッカさんも職場内でパワハラを受けたり──」


 ──風に乗って、血の臭いがした。

 ツンと鼻をつく臭いは、何度嗅いでも嗅ぎ慣れない。


「……メリー」


「ん。しんでる」


「……そっか。そう、だろうね……」



 ……遠くの喧噪は、これに関連したものだろうか。

 ざわざわと人々が騒いでいる。


 血を吸った鳥の羽が、一枚、僕の足下に転がってきた。

 ……僕には関係ない。痛いのと怖いのは嫌だ。迷宮都市に人は多い。目を逸らしていれば、僕が関わる可能性はほとんどないだろう。

 僕が傷つくことは、まあ、多分ない。

 ないんじゃないかな。

 だからトラブルに首を突っ込む必要も、もちろん義務なんかもないわけだけど──。



「…………今日。ダンジョンはお休みしても、いいかな」


「きふぃは。いいの」


「……うん」


 ──でも、誰かが痛がることになるからさ。


 心から。本当に心の底の、底の底の、更に底から、痛いのと怖いのは嫌だよ。僕はメリーと二人、毎日を穏やかに過ごしたいと思ってる。

 ……でも、僕が痛いとか怖いとか感じることより、その人が傷つく方が、ずっと嫌だと。そう思える人が、僕には結構増えたんだ。


「……。ん。それは、いいこと。めりは、きふぃを。まもる」


 うん。

 ありがと、メリー。


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