機構都市の歯車
そうして、キフィナスとメリスは、顔かたちが同じ住人たちから、異口同音に機工都市の滞在を許された。
しかし、穏やかな日々は始まらなかった。
「…………死んだ? え、嘘でしょ……?」
キフィナスとメリスが、二人でぎゅうぎゅう詰めになることを諦め──メリスの方が執拗に二人で入ろうとしていた──結局自前の寝具を使って寝た翌日。
朝一番に「案内役の国民番号7659291927、《煙突拭き》の一人が死んだでち」と、まるで天気でも話しているような態度で告げられた。
(ここでも、疫病神扱いかな……)
いったんは受け入れてもらった集落から排斥されるトラウマを思い出して、キフィナスの心臓は大きく跳ねた。
悲しむより先に、自己保身を考えてしまう自分の態度を自嘲しながら、亡くなった『ななさん』と同じ顔をした人に向き直る。
──機工都市の住人は、変わらぬ笑顔だった。
「……ぼくを、責めない、ですか?」
「? なんのことでち?」
「だって、その。ぼくが来た次の日に、あの人が……」
「ああ。そろそろ寿命でちたから」
その言葉は、キフィナスの胸に、どこか寒々しさの残る安心感を与えた。
キフィナスは不安になって、他の住人にも尋ねてみる。
「寿命でち」
「寿命でち」
「寿命でち」
すると、誰もが同じ反応を返した。
……死生観が違う。キフィナスが見てきた多くの土地で、死者に対する態度はその土地それぞれで違っていた。
手厚く悼み、土に埋めるところもあれば、魔獣の発生を抑えるために、火に焼べるところもあった。自分の家で飼い慣らしている獣の餌にするというところもあった。
隣の集落の子どもを連れてきて泣かせるところもあれば、悲しみを引きずるべきではないと泣く時には黒い頭巾を被るところもあった。
彼らの態度は、そこに依拠したものなのだろうか。
「そんなことより地上の方。今日も案内させてもらうでちよ。わたちは《歯車磨き》をやってまちたから、昨日の《煙突拭き》とは違うことを教えてあげられまちゅ」
「あ、えっと、その……、は、はい。おねがいする……、しますっ」
物思いに耽っていたキフィナスは、生返事をした後、自分たちを受け入れてもらうため、相手の言葉に従うことにした。
定住を考えているキフィナスとしては、住人側からの提案は非常にありがたいものだった。
──かちかちと、歯車が回転する。
隣の歯を噛み潰す勢いで、歯車たちは回り続ける。
カルスオプトの内部は、薄暗く蒸し暑い。
昨日《煙突拭き》に案内されたところよりもより機関部に近いところを案内されているらしく、温度も湿度も昨日の比ではなかった。さながら、神経症を患った風呂焚が燃料を無欠勤的に焼べ続けたサウナだ。
キフィナスの服は早々に汗まみれになった。
「あの、すみません。……みず、のんでもいいですか」
「きふぃ。だめっていわれても。のむ。のます」
「もちろんいいでちよ。地上の方をおまねきしてるのでちから、おみず? を、摂取していただいてかまいまちぇん」
「はい。その……、あ、あなたは。飲まなくても……いいんですか?」
「飲んだことがないでち。《歯車磨き》は外部からエネルギー補給をすることなくとも問題なく稼働できるでち」
「わ。メリーみたいなひとっているんだなぁ……」
そして、《歯車磨き》は魔術を行使する。
手指の先の中空で、黒い煤と埃が超高速で回転する。
《歯車磨き》が指を指すと、煤と埃の研磨剤が、高速回転する歯車をスイと撫でた。
「うわあ! ねえ見てメリー! 火花散ってる!! すごいよ!!」
「めりも。できる」
「いやなんか嫌な予感するからやめた方がいいよ」
「ダメでちよ地上の人! 歯車ひとつ壊れるだけで、機工都市全体がおかしくなっちゃうんでち!」
「あ、ご、ごめんなさいっ! ……ほらメリーも謝って!」
キフィナスはメリーの頭を強引に下げさせた。
(いまは見てるだけだけど。いつか、ここの人たちの力になれるのかな。……なれたら、いいな)
その翌日、キフィナスたちを案内していた《歯車磨き》が死んだ。
──歯車が走る。
磨耗したはしから修繕され、その回転速度を変えることはない。
「……ごめんなさい」
キフィナスは、死亡を告げられるや否や、それを告げた相手──《罐焚き》に謝罪した。
「なんで謝るんでちか?」
「……だって、僕を案内してから、もう二人もっ……」
「別に、地上の方が悪いんじゃないでちよ。元々、そうなる定めだったのでち」
「……ぼくは、悪く……、ない?」
キフィナスは、その言葉を受けて、頭がまっしろになる。
初めての言葉だった。そんな言葉をかけられるなんて、思わなかった。
キフィナスはいつも、異邦人で、不吉の象徴である灰髪で、排斥されるのも当然の存在であると言われ続けていた。
「国民番号7659293852が死ぬのは、そのように定まっていたからでち」
──だから、キフィナスは悪くないと。
そう優しく語りかけられて、キフィナスの涙腺は緩んだ。
違和感に見て見ぬふりをしながら、障りのいい言葉に甘えていた。
「今日は、わたちが案内するでちゅ」
「……あ、はい。ありがとう、ございます」
案内してもらうことは必要だ。この広い都市の、どこに何があるのかキフィナスは全容を把握していない。
この小さな案内人の後ろで、キフィナスは今日も、蒸し暑さと戦いながら都市の見学をした。
炉に火を焼べ、蒸気機関が力強く震え、白と黒の煙が噴き出す光景を目に焼き付けながら、不吉な予感を考えないようにして──。
そうして、彼を案内した《罐焚き》も死んだ。
──歯車は止まらない。
遙か昔──カルスオプトが成立した時点から、その全身の歯車は回り続けている。
「…………案内、しなくても。いいです」
国民番号7659295371が亡くなったと告げられたキフィナスは、顔を青くして言った。
「どうちてでちゅか?」
上級機関士──《大工》の職務は、カルスオプトの増築だ。
稼働させたまま、機構都市を更に大きくすることに、彼らは命を尽くしてきた。
それ故に、小人はキフィナスへ問いかける。
「どうしても何もっ……、もう、三人も! ぼくを案内した次の日にっ!」
「そうでちね」
「だって、そんなの絶対おかしい! きっと、ぼくが悪いんだ、だって──」
「いいえ。地上の人は、悪くありまちぇんよ。そのように、定まっていたのでち」
迷いのない言葉に、キフィナスは怯む。
耳障りいい言葉が、今は居心地が悪くて仕方ない。
適切な返す言葉は、何ひとつ浮かばない。
「さ。行きまちょう地上の方。わたちのお仕事を、知ってくだちゃい」
「あっ……や、その、ぼくは……」
今日の案内担当である《大工》は、キフィナスの背を押すように準備をさせた。
そうして、初日に貰った《象の頭》を付けて、キフィナスは地表部に来た。
煙突から噴き出す黒い煙は、空をまるごと埋めて、外の様子はまるで見えない。どこを走っているのかは定かではないし、力強く動く多脚は、たとえ何かを踏んだとしても気づかないだろう。
小さく蒸気を漏らす配管が、地面の至る所に設置されていて、キフィナスは歩くのに少し困った。
なにせ、キフィナスの側は、足にしっかりとした力が入らない。
「きふぃ。だっこする?」
「……じゃあ、おねがい」
メリスの脇に抱えられたキフィナスは、自分の胴を万力のように締め付ける腕の力を感じる。
その痛みは、キフィナスが抱いていた行き場のない罪悪感を薄らがせてくれた。
──歯車が軋む。
《大工》は、《煙突拭き》《歯車磨き》《罐焚き》と異なり、複数の人員を必要とする作業だ。
あちこちに積もっていた鉄屑に、沢山の小人が群がっている。
「これは、カルスオプトを大きくするための資材なんでちゅ」
案内役が解説すると、小人たちは魔力によって、鉄屑を成型した。
鉄屑は、配管や歯車や薇発条、その他雑多な姿を取って、ふよふよと浮きながら、カルスオプトの地下に潜っていく。
「そろそろ、脚をもう一本増やす時期でちかね?」
「また演算速度が上がるでち!」
「採掘量も上がるでち!」
「「「「いいことでち。いいことでち! いいことでち!!」」」」
作業に従事している《大工》たちの、弾んだ声が聞こえる。
それはとても楽しそうで、少し離れていた案内役の《大工》も顔を綻ばせている。
キフィナスは、楽しそうにしている人が好きだ。髪を隠してそこに混ざっていると、楽しさを少し分けて貰えることが多い。
(ここに住むって決めるなら。ぼくは、あそこに混ざって、わいわいしてもいいのかな)
しかし、メリスに抱えられた今のキフィナスは、何故か彼らに混ざろうとは思えなかった。
「どうでちた?」
「ええと……。すごいなって、思いました。ぼくは、まほうを使えないんです。ごめんなさい。ぼくは、できないと思います」
「かわりに。めりが。つかう」
「いいんでちよ地上の方。わたちたちのお仕事でちから」
その返答に、キフィナスは困惑する。
共同体の成員には責務が生じるのが道理だ。
その責務を果たすために、まず案内をされているのではなかったのか。
「ずっと昔からの言づてなんでち。ここまで来た地上の方に、カルスオプトの機能を説明することは」
「……そう、なんですか」
「だから、地上の方は気負わずに、ただ見てくれればいいんでちよ」
そう言い残して《大工》は銀色の缶詰に入っていき、
翌日、キフィナスは次の案内の担当者から、死亡通知を聞かされた。
キフィナスは吐いた。
──回る。回る。歯車が回る。
軋み、狂い、修繕され、回り、回り、回る。
種籾を挽き潰す、石臼のように。
草木を吹き散らす、竜巻のように。
弱きものを轢き殺す、運命の車輪のように。




