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死色の研究《挿絵あり》


 高い天井に一つだけ吊された燭台以外、この部屋に入る光はなかった。

 燭台の底に蝋がべったりとこびり付いているのは、無関心と手入れをする人間の不在を示している。

 狭い室内には、幼い体躯の亡骸が至る所に積み上っている。

 どの死相も皆一様に皺にまみれていて、死してなお剥がれない苦悶を張り付けていた。


 室内の気温は、骨の芯が凍えるように低い。

 ロールレア家次期当主姉妹──ステラとシアは、いまだ幼さの残る華奢な体を震わせている。

 彼女らの歯から漏れ出る吐息は、白い靄となって二人の鼻を濡らした。



「ステラ、シア。顔を上げなさい」


 メリスの力によって、異様な光景を突如見せつけられても、痩躯の男──オーム迷宮伯はなお平静だった。


 それはこの男が、この地獄に関係していることの証左であった。

 その事実にステラとシアは愕然とする。


「私たちは世界の法則について、驚くほど何も知らない。《適応》とはなんだ? 適応によって我々は力を得ることができる。その力の源とはどこにある? 考えたことはあるかい、娘よ」


「長口上の演説なんてやめましょうよ? 教育によくないですよー」


「教育の途中だ。邪魔をしないでくれたまえ」


「教育の重要性を認識してるからこそ、僕は畏れながら申し上げたわっ、け──とっ──」


 オーム迷宮伯は、抜き撃ちで樫の杖から魔弾を放った。

 キフィナスは目の前の()──折り重なった子どもの死体の山──を蹴って、避ける。

 衝撃で崩れた肉の山に魔弾が直撃し、肉塊が内側から弾け飛んだ。

 オームの得意とする魔術《重力の矢》だ。殺傷能力は非常に高く、治癒も簡単ではない。


「メリー! 今すぐあいつを黙らせて、二度と喋れないように──!」


「しない」


「なんで!」


「きふぃは。しってる」


 メリスの透徹な眼差しにキフィナスは怯む。その間に、オーム伯爵は何重もの魔力の壁を貼っていた。

 キフィナスは障壁に木製の棒を何度も叩きつけるが、適応していない肉体では何の効果もない。


「……メリー。これ以上は、聞かせるべきじゃない」


「きふぃ。ごうまん」


「だけど……!」






 障壁の向こう側でのやりとりを、オーム伯は全く意識していない。

 その瞳は、自分の娘だけを見ていた。


「《適応》とは、可能性の力だ。適応の高さとは、選べる可能性の多さを示している。可能性を奪い、その身に取り込むことによってヒトの肉体はより強固なものになる。そしてそれは、未分化なほど効率がいい」


「なっ……、なにを、言っているのですか……。お父様……」


「貴族と平民を分ける一番の境はどこにあるか。それは力だ。能力を磨くことは貴族の義務であると、おまえたちには伝えていたはずだね」


「…………父さま」


「おや。シアはもう答えに至ったのかな? 答えてみなさい」


「……っ、あのっ……」


「シア。積極性に欠けるのは、おまえの大きな欠点だよ。いいかい? ヒトは可塑性のある粘土として生まれ、その容積を増やしつつひとつの形を成し、それを削ることによって完成へと近づいていく。第一次性徴直前の肉体というのは、まさしく面積が増えた粘土が、何かしらの形を作ろうとする、一番エネルギーに溢れた時期なんだよ」


 オームは、俯いた姉妹の頭を優しく、慈しむように撫でる。

 その優しさが、求めていたはずの優しさが、姉妹にとって悍ましく思える。



「──だから、その時期の子供が、一番材料として適切なんだ」



 オーム迷宮伯は、穏やかに──さながら、姉妹の原風景に焼き付いている、黄金色のあの日のように──優しく微笑んだ。



「《ブラッド・ピル》という薬物を知っているかい。あれには精神の高揚や快楽の他に、適応の階梯を上げるという効果があるんだ。あれには、堕胎した赤子の亡骸が使われている。あれをなぜ禁制品にしたかというとね。誰もが簡単に力を得てしまうからなんだよ。もちろん、効率が悪いのいうのもあるけれどね」


「ですが、領民が強くなることは、よいことでは……?」


「ステラ。莫迦を言ってはいけないよ。適切に管理できない力というのは、導火線が見えない爆弾と同じだ。いつ炸裂し、牙を剥くかわからない。我々は、我々よりも力を持たぬ人々を統治している。統治の根拠は個人の力にあるんだ」


「あ、あ……、あの、あのっ、わたしっ。貧民を救済するための計画を、お父様にっ……」


「……何を言っているんだい? そんなもの、時間の無駄だろう? 貴種が生まれながらに貴種であるように。生まれの卑しいものは、生まれながらに卑しいんだ。彼らを掬い上げる時間はない」


「…………では、父さまは、目的があって、貧民街を設けていたのですか」


「シアは賢いね。領地に点在する貧民窟は、みな都市計画の時点で設置していたものだよ。彼らは卑しいが、使い道はある。若ければ材料にできるから、なお良いね」


「お父様っ……、わたしはっ、あの、馬車から見える光景を、ずっと大切にしてっ……! わたしの領地は、どこもあんな風だって……!!」


「ああ。──あの通りは、本当に綺麗な角度だったからね。おまえたちに見せてやりたかったんだ」


 父の微笑。

 ステラは、膝から崩れ落ちた。



* * *

* *

*



 聞くに耐えない長口上。三文詩人は石を投げて叩き出すのがマナーだが、壁を貼られてそれもできない。


「ステラ。シア。おまえたちは、私の想定を遙かに越えて優秀だったね。私は、そんな娘を持てたことを誇りに思う。愛しているよ」


「……メリー。これ以上は、本当にダメだよ。ダメだ。あの子たちに聞かせるべきじゃない……」


 僕は、木の棒で魔力の壁を叩き続けていた。

 メリーは動かない。動いてくれない。

 その目は、どこまでも透明に、壁の向こうの三人を見ていた。



「──だから、どちらかを間引かなければいけないことが、本当に哀しい」



 …………僕が二人に本当に聞かせなくなかった言葉が、ついに外道の口から飛び出た。


「ま、びく……?」


「もっと前に、どちらかが脱落すると思っていたのだがね。おまえたちは、本当に優秀な子たちだ。私は嬉しいよ」


「……どういう、ことですか。……屋敷の暗殺者は、父さまの手のものだったのですか」


「そうだよ」


「うそ……、うそ……!!」


「嘘じゃない。あの屋敷も、使用人も、そろそろ建て替えが必要な時期だったからね」


「……古書に太陽蛾の鱗粉を塗ったのも、ですか」


「ほう。爆薬の種類まで知っていたのか。すごいな、シア」


「……知っていたのは、姉さまの方です」


「ああ。読むのはステラの方だと思っていたよ。好奇心が強いからね」


「…………そのときから。父さまは、わたくしたちを……、殺そうとしていたのですか」



「いや? おまえたちが14歳の誕生日を迎え、自分たちふたりだけでダンジョンに潜ろうとした時からだよ」



 ステラ様が、ぽろぽろと大粒の涙をこぼした。

 ……涙を拭ってあげる人は、ここには誰もいない。


「わたしの、わたしのせいでっ、お父様の怒りを買ったんだわ……」


「私は怒ってなどいないよ、ステラ。冷静に考えてみたまえ。おまえたちは、仮にも次代の領主だ。常に何十名も控えてる家臣が、誰一人、おまえたちの不在に気づかないはずがないだろう? そもそも、なぜ、おまえたちがダンジョンに入ろうなどと考えるに至ったんだい?」


「それは、わたしが、調査をしようとしてっ……」


「そうだね。手紙で近況を報告してもらった時に、調査が必要かもしれないと付言したのは私だ。ステラ。おまえは本当にいい子だね」



 ──僕が、最初に出会ったときから既に。

 ダンジョンに、たった二人で潜っていた、世間知らずのお嬢さんたちは。

 悪意によって絡め取られていた。



「どちらかが、己の血肉を、愛する(あね)(いもうと)に捧げるんだ。おまえたちの片方は、食材となって、もう一方の血肉として生きる。ああ、もちろん安心してくれ。どちらが食材になっても、ここにあるそれらのように、苦しむような真似はしない。一流のシェフを用意したからきっと美味しいはずだよ」



 …………僕を恨んでくれれば。

 大好きな人に裏切られた、って想いはしなくてすんだだろうに。


「能力的には、おまえたちは二人とも優秀で、二人とも欠点がある。私は、平等におまえたちを愛している。難しい問題だから、誰かに委ねていたのだがね」


「……ねえ。もういいだろ、メリー」


「きふぃ? なんであのこたち、たすけるの」


 なんでって……、つまらないことを聞くね。

 手の届く範囲で、いっさい僕の負担にならない程度なら、僕は誰かに手を伸ばしてきただろ。じゃないと寝覚めが悪いからね。

 今回だって──、



「きふぃは。わるものになろうとした」



 ……ええとね。

 今日の僕は、ちょっと悪者の気分になりたくなったんだ。


「うそ」


 嘘じゃない。僕は気分屋で、ろくでなしで、それから──。



「やさしくて、おひとよし」



 ……そんなことは、ないよ。

 いいから、早くこのバリアを割って、あの不快な言葉を止めてくれないかな、メリー。

 ちょっとね。聞いているとなんか、胸がムカムカする感じなんだよね。


「きふぃは。ほごしゃ?」


 ……違うよ。

 しいていうなら、僕は君の保護者だけど。

 君以外の保護者になる予定はないかな。



「じゃあ、なんで。しんじつを、かくす?」



 ……知らない方がいいことって、あるでしょ。


「えんねつのませき」


 そうだね。……あの子たちはああ言ったけど、独占的な資源ひとつだけで、大領地を経営できるほど稼げるわけじゃないだろう。熱は確かにエネルギー効率がいいけど、まったく代用が不可能な魔石じゃない。

 それ以外の収入源があって、メリーが連れてきたここは収入源の大きなものなんだろうね。

 ──例えば、局外者の子どもを、()()()に売ろうとしていたゴロツキなんて、まさに奴の息が掛かっていたんだろうさ。


 でも、そんなの部外者の僕には関係ない。

 僕は貴族とか嫌いだしね。説明するのも面倒だ。

 単に、僕は僕のために、一秒でも早くロールレア家のご家庭をめちゃくちゃにしてやりたいだけであって──。



「きふぃ」


 ──ああもう! そうだよ!

 僕はただ、目の前にいる子を、助けたいって思っただけだよ!

 そりゃそうだろ! 僕なんかに助けてって言ったんだぞ! それを無碍に出来るわけないだろ!? ……何を笑っているんだいメリー。そんなにおかしいかい。ああそうだよ僕もおかしいと思うよ笑いたきゃ笑っていいよ!


「ん。すなおなきふぃには。これあげる」


 ……石ころ?


「かんつうのがいね──」


 あーーはいはい、わかったわかった。よくわからないけど、メリーがくれるってことはSランク危険物だろ。


「だから、おまえたちで決めなさい。どちらが、糧にな──」


 僕は実の娘に演説垂れて気持ちよくなってる男の頭めがけて、石ころを思いっきりぶん投げた。



 ──ぱ、ぱぱ、ぱぱぱぱぱぱぱっ!!

 何重にも貼られたバリアが小気味いい音を鳴らして破裂し、

 勢いを止めない小石は男の左肩ごと腕を吹き飛ばす!


 爽っ快な気分だな!


「っ……!!」


 おっとぉ、いけ好かない男がこっちに向いたぞ?

 やあやあこんにちは! あなたが意識を向けるまで、5分くらい?かかりました。



挿絵(By みてみん)



「……君は、なにかな?」


「いやあ、聞くに耐えなかったので。僕ら冒険者には、下手な詩人には石を投げてもいいってルールがあるんですよ。またひとつ賢くなれましたね?」


 ──今からあなたを黙らせるまで、何分くらいかかるかな?

 僕は、これ以上ないくらい完璧なウインクをした。


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