黒幕
※これより数話、残酷な表現があります
──顛末として。
王都の優秀な憲兵隊の手によって集まった暴徒たちは無事収容。
トライコム氏は自分が《タイレリアの暗殺者》である旨を憲兵のひとりに主張しながら、ひどく怯えた様子で収監されることを望んでいた。
「これで解決……なのよね?」
「もちろんですよー」
もちろん──そんなわけがない。あくまで彼らは実行犯に過ぎず、壊滅させたところで第二第三の事件が起きるだけだ。
この騒動の裏には真犯人がいる。
……ただ、彼女たちを同行させる必要もない。
僕が請け負ったのは『屋敷を襲った犯人を断定し、この問題を解決する』ことだ。
屋敷を襲ったのは実行犯であり、もう彼らが屋敷を襲うことはない。
「あー、ただちょっと、急用を思い出したので。先に帰るといいですよ。もう、身分は明かしても大丈夫です。観光とかお土産とか選びながら、王都で羽を伸ばしてみるのもいいんじゃないでしょうか。いいとこですよーー。数年ぶりに来たのでよく知らないですけど」
僕は返事も聞かず、王都の捻くれ曲がった建物の壁を蹴って屋根を走る。
「きふぃ」
「うん。ちょっと騒がしいことするよ」
「ん」
* * *
* *
*
キフィナスは、べらべらと喋りながら活気ある王都の向こうに消えていった。
辺境を含め、多種多様な民族をひとつの皿にぶちまけた王都で、一度はぐれれば見つけるのは至難の業だろう。来年は千年祭ということもあり、地方から王都に移る王国民も多い。
シアは、はあ、と大きなため息をついた。
「……あの男にも困ったものです。無遠慮に姿を消すのはこれで三回目になりますよ」
もう少し一緒にいられると思ったのに、キフィナスはいつも素っ気ない別れ方をする。
「ふふ。不敬ね?」
「……はい。不敬です」
「どうしましょっか?」
「……な、何かしらの埋め合わせが必要かと……、思われます」
「まあ。なんて寛大な領主様なのかしら?」
ステラが妹をからかうと、頬にさっと朱が差した。
まずは髪を洗いなおして、それから身分を明かし、何名かの家人を連れだって領地に戻る。
ステラはうりうりと妹をからかいながら、領主としてやるべきことを考えつつ──。
「せっかくだから、お父様にご挨拶をしましょう。お土産を用意してみたりしましょ?」
自分の欲求に素直になった。
「……姉さま。お父さまは王都で長く過ごされています。我々がここで土産を見繕っても、仕方がないかと」
「んもう。シアってばそういうところよくないわ? だから贈り物が上手じゃないのよ」
「…………そうは言いますが。何より私たちには、今、お金がないでしょう」
シアはじとっとした眼差しを向けながら、姉に指摘する。
ステラはおほん、と大きな咳ばらいをして──。
「そうね。……わ、わたしたちが来ることが、一番のおみやげなんじゃないかしら」
しれっと方向転換した。
憲兵隊の主な業務は道案内だ。数多の旅人が集う王都タイレリアの憲兵隊と言えば、まさに道案内のエリートである。
姉妹は携帯していた家紋を示して自らの身分を明かし、憲兵の慇懃な先導の元、ロールレア迷宮伯邸宅にたどり着いた。
王の膝元にいる貴族には、家格相応の振る舞いが求められる。
自領デロルに建っていた屋敷よりも王都の邸宅はずっと大きい。
もちろん、自領の屋敷の小ささは、質実さを示すことでもある。姉妹は誇らしい気持ちと──ほんの少し、さびしさを感じた。
「き、きちゃったけど。いいのかしら……」
「……先触れを出した方がよかったのでは……」
「そ、そうは言っても、ほとんど着のみ着のままじゃない?」
姉妹が思い出すのは、いつも仕事をしている父親の姿だ。
そのため、理由もなく、突然会うことを気後れしてしまう。
門戸の前に立った瞬間から。
彼女たち姉妹は領主代行ではなく、離れている父に会うことに不安を感じる、年相応の娘子になっていた。
自分より遙かに歳が上の家人に命令するときよりも。
娘子と見下されながら、他領の領主とやり合うときよりも。
ステラとシアは緊張をしている。
……彼女たちにとって、父親とはそれだけ大切なものだ。
オームの、髪を撫でる温かな手のひらのぬくもり。
耳をくすぐるような、優しいテノールの声。
──それを想うだけで、姉妹の心は温かくなる。
「ね、ねえ、シア? 一緒によ? 一緒にだからね?」
「……はい。姉さま」
二人は、せーので門に備え付けられていたベルを鳴らした。
王都付きの家令──姉妹とは、ほとんど面識がない──が表に出てきて、二、三の挨拶を交わした後、そのまま執務室まで通される。
(この先に、お父様が……)
姉妹には、その扉が大きく、重く見えた。
「……おや。ステラと、シアかい? どうして王都にいるんだい?」
数年ぶりに見た父オームの顔は、姉妹の記憶のそれよりもずっとやつれていた。
……さぞやお忙しかったのだろう。ステラは、今更ながら自分が軽率だったのではないか、と不安になる。
「き、来てはなりませんでしたか。お父様……」
「……申し訳ありません、お父さま。既にご存知かと思いますが、お屋敷が……」
「ああ。それは聞いていたとも。……二人とも、無事だったのだね。よかった。本当によかった……!」
オームは姉妹を、両の腕でぐっと抱きしめる。
「……いたい、です、お父さま……」
「こら、シアったら……、ちょっとくらい、がまんしなさいっ……」
「ごめんよ。久しぶりに、おまえたちに会ったからね。力加減ができなかった。……大きくなったね、二人とも。領地をほとんど任せてしまって、本当にすまないと思っている」
「そんな! お父様は悪くありませんっ! 謝らないでくださいませ!」
「……はい。わたくしたちは、領地を出ればただの小娘でしかありません。お父さまは、王都で、迷宮伯として、なすべきことをなしております。どこに非があるでしょうか」
「……私は。おまえたちのような子を持てて、本当に幸せ者だな。ありがとう。私の娘でいてくれて」
「はい……! わたしも、あなたの娘で、幸せです……っ!」
「……はい。お父さま……」
温かな家族の団らん。
ロールレアの幼き二人の才英は、年相応の女の子でしかない。
──だから、すぐ隣に迫っていた悪意に、気づくことが遅れた。
「失礼します。旦那様──」
父の後ろに控えていた使用人が、銀のナイフを手に持っている。
姉妹はそれを、ただ、ぼんやりと見つめ──、
「────間に合ったッ!!」
灰髪の青年が、窓を割って、使用人に痛打を叩き込むのを見て。
はじめて、自分たちに魔眼の権能があったことを思い出すくらいだった。
それは、姉妹がはじめて、キフィナスに出会ったときと似ていた。
気づいたシアは、顔を小さく火照らせる。
「初めまして、伯爵閣下。いやあ、持っていない招待状を忘れてしまいまして、不躾な訪問になったことをお詫び申し上げます」
青年は、たった一人で深々と頭を下げた。
「……君は?」
「名乗るほどの者じゃありません。僕は迷宮都市デロルを拠点にしてる、八流冒険者です。まあ、ちょっと幼なじみが強いくらいで」
尊敬する父に対してもいつもの態度を崩さない青年に、ステラはさすがに反感を覚え、口を出そうとする。
「あなた、流石にお父様にその口はっ──」
「この子たちの信頼を裏切れる相手に、名乗る名前はないんですよ」
それは、今まで色んなことをやらかしたキフィナスを見ていた姉妹が、まるで別人なんじゃないかと思うくらい、冷たい声だった。
* * *
* *
*
「突然何を言うのですか。お父様の御前です。あなたには感謝していますが……、控えてちょうだい」
長いようで短かった、5日程度のショートトリップ。
その間、穏やかで快活だったステラ様が、今こうして怒っている。
眉をきっとつり上げ、僕を睨みつける……。こんな表情、はじめて見たな。
「申し訳ないですけど。僕は敬意を払うべき相手かどうかは、肩書きじゃ決めないんですよね」
だけど、僕は引かない。
彼女たちとの短い旅の中で。父親って単語は何回か出てきていた。
ステラ様もシア様も顔を綻ばせて、その時は幼い領主代行でも、慈悲深いが世間知らずの為政者でもない、ただの女の子たちだった。
きっと、とても大切な人なのだろう。
「不敬よ、あなた」
「姉さまっ……!?」
ステラ様の瞳から、赤き燐光が迸る。
僕の顔スレスレの位置で、火花が奔った。
「これは警告です。お父様への侮辱を、撤回なさい」
「やだなー。侮辱なんてしてませんよ。だって侮辱って、もともと名誉があるひとに対して行うことでしょ?」
「──取り消しなさいッ!!」
「はい。やっぱり侮辱してました。若干申し訳ないですー」
僕は取り消した。
「あなたねっ!!」
ステラ様が激昂する。
……よし。メリー? 打ち合わせ通り、いいかな。
「ん」
さて。
──僕は今から、彼女たちにとっての悪役になる。
「……ね、姉さま、落ち着いて──」
「なにごとっ!?」
──辺りから、すとんと光が消え去った。
僕は《月のない闇夜》瓶を地面に叩きつけたからだ。
この空間に新しい光源が生まれない限り、この闇が晴れることはない。
「ステラ、シア。あの男は、おまえたちの知り合いなのかな」
「え、ええ……。でも、もう知り合いでもありませんっ!」
……そう言ってくれるなら、僕も助かるよ。
僕は《闇蝙蝠の羽暗幕》を身に被り、闇と同化する。
ノータイム・ノーモーションで繰り出される炎は厄介以外の何者でもないが、僕を視界に収めなきゃ、使うことはできない。
あとは、メリーに任せてこの場を──。
「メリー!?」
新月のように、真っ暗な闇の中で。
/メリーが/
/指先を/
/振るった/
■/月のない闇夜/
□切り替わるパノラマ 闇が晴れる ◆カット◆
■/執務室/人物5名/昼/
□壁がパタンと倒れて世界から立体がほどける ◆カット◆
■/執務室/人物2名/夜/王国歴996年
□疲れた顔の男は赤い錠剤を受け取る ◆カット◆
■/王都タイレリア/遠景/夜/
□王都の夜は新月の夜も煌めいている 眠らない町 ◆カット◆
■/光の届かない路地裏/人物1名/夜/
□娼婦が抱き抱えた赤子には既に息がない ◆カット◆
■/篤志家の地下室/人物2名/昼/
□善人面を豹変させ継子に虐待する父親 ◆カット◆
■/街角/人物3名/昼/
□遊んでいた平民の娘が誘拐される ◆カット◆
■/実験場/
□泣きわめき命乞いをする声◆カット◆
■/
□生きたまま脊髄を◆カット◆
■/□◆カット◆ ◆カット◆ ◆カット◆
□◆カット◆ ◆カット◆ ◆カット◆
◆カット◆ ◆カット◆
◆カット◆ ◆カット◆
◆カット◆ ◆カット◆
◆カット◆
■/廃棄場/背骨が抜かれた子供の死体の山/昼/
世界は立体を取り戻す。
僕らが立っていたのは、元の執務室ではない。
「ひっ──」
「ああ、……見てしまったんだね。ステラ。シア」
──そこには、地獄が広がっていた。
暗い部屋。
打ち捨てられた子どもの死体が、山のように折り重なっている。
男女問わず、背の部分には大穴が空き、流血痕が床を赤茶色に染めている。おびただしい量の血の臭い。逆に鼻を鈍感にさせる。
室温は肌寒く、冷気が肌をぴりぴりと刺す。
死体の山がまだ腐っていないのは、この室温に因るものだろう。
そして、いずれの亡骸にも、苦悶によって生まれた深すぎる皺が残っていた。
「な、なにこれっ……!?」
「……ね、姉さまっ、姉さまっ……」
二人は半狂乱になっている。
そりゃ、頼れる父親の仕事場が突然こんなことになったら驚くだろうさ。
……というか、打ち合わせと違うんだけど。メリー。
「ん」
あの二人には、僕が悪者だってことにするはずだったよね?
君はスキル使って姿が見えないようにして、僕が辺りを暗くしたら対象を確保してすぐ場所を移す、そういう手はずだったはずだ。
「めりは。やだ」
君さぁ……!




