「王都タイレリアの最新のトレンド。放火。さすが流行の最先端はちがうなぁ。先がナイフみたいにとがってる」
さて、結局11軒ほどの店を潰した後、僕らは裏通りの宿屋で大部屋を取った。
部屋のベッドは粗末なもので、僕らより前にシラミが場所を占拠している有様だった。なので就寝の際には《闇蝙蝠の翼暗幕》で部屋を二つに分け、その上で持ち込んだ寝具を使って寝ることになった。
ろくに掃除をしていないような店だ。店主の愛想も当然悪く、男一人女三人という歪な男女比にも大きな文句を付けない。利用する上で逆に都合が良かったのでこれはプラスポイントだ。
ただまあ、壁が薄いーとかなんとか言ってたけど。そりゃ、これだけ粗末なあばら屋ならそうでしょ。知ってますけど?
「……ふっ……」
静かな大部屋に吐息が響く。
僕は膝の上にメリーの頭を乗せ、メリーのわがままを聞いていた。
「……っ。きふぃ、もっと……、もっと……っ」
しんなりしたメリーが僕を求めてくる。僕は指先をほんの少し、わずかに傾けた。
とろんと蕩けた瞳と上気した肌。時々、ぴく、と身じろぎしてくすぐったがる姿は幼なじみながらとても可愛いものがある。
(……姉さま、姉さまっ……)
(ええ。あれは、いけないことだわ……いけない……いけない……)
ひそひそ話をしながらお二人が僕らを凝視している。
両手で顔を隠してるけど指の隙間から僕らを覗いてるのバレバレですよ。
「んっ……ふっ……」
それにしても、アルマン男爵とやらは変な人だったなあ。愛がどうこうとか、なーんかどっかの宗教のひとを思い出す言動で。
やっぱりシラフで愛を語るような連中はちょっと頭ぽかぽか陽気なんだなって。近寄らんとこ。
……ああ、やっぱり耳かきをしていると色々と考えが捗るな。こういう時はメリーの耳に限る。
適応が進んだメリーには新陳代謝がないため、当然耳垢もないんだけど。こうして、やってやってと時々せがんでくる。
僕に拒否権というものはない。
「……お、おまえの悪辣さには驚かされますね」
なんで声震えてるんですかシア様?
「……べ、べつに震えてなどいません。その、は、話をしているときに婦女子の耳をですね……」
ああ、いやこれ日課みたいなものなので。
「日課っ……!」
ステラ様がごくりと唾を飲み込んだ。
「……そ、そんなことより、今はおまえの悪辣さの話ですっ。何故あのような手口をっ……」
「そうですか? いやー、でも知らない方が悪いと思うんですけど」
知らないことを臆さず聞くのって大事だと思う。僕は尋ねただけだ。
でも知らなかったから、自発的に調べてもらう方向にシフトしてみたわけで。
「……知ってたとしても燃やしていたでしょう」
「ええまあ。そこは、口を回してもらいやすくしなきゃいけないですし」
かりかり。耳かきをしながら僕は答える。
メリーがむずがる。
「……それは、どうかと……」
「それでも、襲う相手はしっかり選んでるわよね? 今日の相手、全員禁制品を売ってたわ」
ステラ様が僕を擁護する。
結構ノリノリで店焼いてくれてたからな、このひと。
「さあ。偶然じゃないですか」
「11件も潰しておいて、どの口が偶然とか言うのかしら」
「……私も、一応、燃やす店はしっかり吟味してたように思いますが……」
「してないわけじゃないですけど、大したこともしてないですよ。過剰な敷地。床板の足音。赤子が腐ったような臭い、ってポイントを抑えて燃やしただけです。王都の治安が悪いだけでは?」
特に一番後ろだ。
禁制品……違法薬物の《ブラッド・ピル》はとにかく臭う。赤子の少し甘い匂いに、ツンと鼻を刺すような異臭が混ざってる。嗅げばすぐにわかる。
あるいは薬物じゃなくて、死んだまま放置された赤子かもしれないが、いずれにしてもろくな店じゃない。
……今の王都の憲兵たちが、いかに弛んでるか、ということだろう。
まあ、とはいえ数年ぶりのこと。
もし間違ってたら、その時はメリーの財布から迷惑料を出すつもりだった。
「正義の味方、みたいだったわよね?」
「はは。心が痛まない相手を選んで暴力を振るっただけですよ。正義を標榜するとかおこがましいな」
「……姉さまに不敬ですよ。ですが、おまえの言うようにあの所業は正義とは言い難いです。更なる恐怖を以て相手を支配するような行為は──」
「いいえ。あの程度なら、相手を縛れるのはあの瞬間だけですよ。今はもう怒りに変わってるはずです。僕は真っ向勝負で本官さんに負けるくらいには弱いんですから、ある程度のダーティプレイも許されるべきですね」
「ん。きふぃのつよさは。ためらわなさ」
ええと、メリー? まず耳かき中にいきなり動くのは危ないからやめてね。
それと、僕をあまり買い被ってくれないでくれると嬉しいよ。
「ようしゃのなさ」
弱いから容赦とか考えてられないだけだね。
「でも、きふぃは。あまちょろ」
……どこ経由でそんな単語覚えたんだか。
ああほら、メリー頭下ろして。次は左耳やるからね。
「……ゃう……。……っ……」
さて、これを終えたら僕も寝ることにしよう。
ゆっくり休んで、明日も朝から王都の建物をいっぱい燃やすぞー。いえーい。
流石に昨日の今日で事態が動く、なんてことはないだろうからね。
・・・
・・
・
ありました。
起きて、メリーの顔を洗って、着替えさせて、それから自分で用意した朝食を食べて。ふっと何の気なしに窓の外を眺めると、向かいの家が燃えていた。
暴徒に取り囲まれている。というか、昨日会った人たちがなんか厳つい人を連れて家を燃やしている。
こわぁ……。
「ええとステラ様? とりあえずあれ、延焼させないようにってできますか?」
「いいけれど。消した方がいいんじゃないかしら?」
「あー、いえ。最初の建物には火を付けたままでいいです」
窓の外から、天に向かって高く伸びる炎を眺める。
こういう光景、結構嫌いじゃない。炎をじっと眺めてると、なんかこう、ぼーっとできる。
何も考えないでぼーっとする時間は、いい思いつきを与えてくれる時間でもあり──。
「ふと思ったんですけど。放火ってめちゃくちゃ重罪ですよね?」
「……今更、何を言っているのですか? 王都法でも当人死罪、貴族位であっても領地没収や爵位の剥奪がある大罪です」
「勿論知ってましたけど。いやあー、そんなことする人たちがいるなんて怖いなーって」
「白々しいわね」
「いやいや、ステラ様だってかなりノリノリでやってたじゃないですか。それに、僕らはあの人たちとは違いますし」
正しいルールの破り方を考えるためには、まずルールが何かをきちんと知る必要がある。
大体どこの地域の法律でも放火は重罪だ。どうして罪が重いのかというと、火は容易には消し止められず、延焼による更なる被害が想定されるところにあるのだろう。都合のいいところに属性魔術師がいるとは限らない。
だが、そうした立法目的に照らして考えれば、優秀な火属性の魔術を使えるステラ様のお力を借りて、しっかり一棟分だけ燃やしきってから立ち去るっていう僕らの手口には安全性が確保されているわけで、そうなると減刑をもぎ取れる公算は固い。
そんなこんなで罪を色々と減らして減らして……、まあ、せいぜい『無許可で花火を打ち上げた罪』くらいのものだろう。その花火が最初から店ごと消し飛ばすのを目的にしてただけだ。
「……おまえは、裁判でもその長口上を垂れようというのですか」
「いいえ? そもそも裁判にならないと思ってますよ。目撃者はいませんから」
「何言ってるのよ。一般人っぽい客もたくさん怯えさせてたでしょうに」
「そうですね。そして彼らは商品を見た」
王都で禁制品を売っている店に、突然の襲撃者だ。
まともな人間なら関わり合いになりたくないと思うだろう。何せ明らかに別世界の出来事だから。
人間は、自分の目で見える範囲の世界を守りたがる。
苔むした岩が厳めしげに鎮座していたとして、それをわざわざひっくり返してミミズがのたうち回ってるのを見たがる人間は趣味が悪いと言われる。そして世の中に趣味の悪い人間の数は少ないのだ。
僕なんかは、むしろひっくり返さないと安心して座れない、って思うんだけどね。
「……ですが、目撃者の数はけして少なくありません」
「そうですね。ところで、ここの憲兵のひとたちはとても優秀なんです。『問題は問題とされない限り問題にならず問題ない』。いつまでも見つからない犯人を追い続けるよりも見つけやすい犯人を追いかけた方が効率的であることを知っている」
「『私たちのやんちゃが咎められることがない』っていうのは、ちょっと複雑な気分だわ。ここは王都、陛下のお膝元なのに」
「ステラ様はかなりノリノリだったと思いますけど」
「ええ。仮に捕まっても、誰かから命令されたって言い逃れもできますもの。それなら、暴れなきゃ損よね?」
「……姉さまはどうしてこうなってしまわれたのか……」
「とても素敵なひとだと思いますよ、僕は」
……あれ、空気変わった。
「……きいてたけれど。聞いていたけれど、誰にでもそんなことを言うのね、あなた」
「誰相手でも、じゃないですよ。素敵なひとに、素敵だと。事実を伝えたまでです。ステラ様は快活で決断力に富んでいる」
「っ……」
「めり。めり。めりは」
「いつも素敵だと思うよー。メリー」
「ん」
「……わ、わ、わたしは、どうでしょうか……?」
「シア様も素敵ですよ。聡明でありながら相手の声をきちんと聞ける。すごく誠実な人柄なんだなって、お話をしていて思います」
「ひゃう」
ひゃう?
……なんだこの空気。僕は戦略的に窓の外に意識を追いやった。
「あーー、あーーーー、いかにも自分たちチンピラです、みたいな雰囲気出しちゃってるぞーー」
へたっぴだなぁ。
それは、自分たちが『見える範囲の世界を脅かす人間』であるってアピールしてるに他ならない。
通報したらヤバそうなのと、通報しないとヤバそうなの。僕らは前者で、彼らは後者ということになる。
「……下手と言いますが。お前と手口は変わらないのでは?」
「手口は同じでも意図が違いますよ。なんで火を付けたかって言うとですね。襲撃者の印象がぼやけるからなんです」
強い光源は肌の色を覆い髪色をくすませる。熱は臭気を歪める。そのために油を撒いた。
また、放火が重罪だと認識されているからこそ選んだ。これは相手に、カッ飛んだ野郎だと誤認させるねらいがある。
以上。僕の手口には一定以上の合理性・意図性がある。
一方、彼らがやっていることは、単なる報復に過ぎない。襲撃に意図性がない。
あのなんか一番目立つ巨体の……双頭鬼?とかいう人たちでしょ多分。バレバレだ。
だから、僕が放火っていう手段を選んだのはあくまでそういう合理的な理由があって──。
「でも、一番はムカつくからでしょ?」
「……さあ? どうでしょうね」
「わかるわよ。私だって、同じ気持ちだったもの」
「……えーと。そんなことより、そろそろ頃合いです。お二人はここでゆっくりしてても──」
「行くわ。狙われたのは、私たちですもの」
「……はい。姉さまの言うとおりです」
「そうですか。じゃあお先に。外に出る支度を整えてなくても、待ったりはしませんよ」
僕はよそいきの服を来て棒を持って、窓から降りて壁を蹴り、火事の現場へと向かった。




