最深部にて
そんなわけで。
僕らは何の問題もなく《腫地肉林満願全席》の最深部へとたどり着いた。
出てくる魔獣はどれもこれも弱い。
どいつもこいつも僕の棒きれで殺せるくらいなのだから、これはもうピクニックか何かと言えるだろう。
「きふぃ。ゆだん。いけない」
「そのつもりだけど……珍しいね。メリーからそんな風に言うなんて」
「ここは。ふるい」
「先祖代々受け継いできた迷宮よ? 500年の歴史はあるわ」
「ちから。たくわえた」
「500年分の力って割に、出てくる魔物も弱いし、罠も存在しなかったけどなぁ」
「それが。わな」
「……警戒しろ、ということですね」
「ん」
思えば、メリーが僕にちょっかいかけてきてない。
いくら警戒してもしすぎではないということだろう。
僕は改めて気を引き締めた。
──最深部にぼんやりと浮かぶ銀の扉。その先に迷宮の主がいる。
このルールは、どのダンジョンでも変わらない。
「お二人は、ここにいてもいいんですよ」
「……言ったはずです。我々は、おまえに同行すると」
「ダンジョンの所有権は私たちにあるのだし、ダンジョン・コアの《経験》も私たちが得る権利はあると思うの。それに、待っているのは寂しいものね?」
そうですか。
僕は行きますよと合図をして、ドアノブを回した。
・・・
・・
・
扉を開けて最初に感じたのは、鼻がもげそうなほどの腐臭だった。
次に感じたのは、足下への違和感。
僕は辺りを見回した。
「うわっ……!」
──肉塊が、世界を埋めている。
空は赤黒い肉で覆われていた。地平線も、地上のそれとは違ってぐちゃぐちゃぶよぶよとしている。
ふと、ぬかるんだ足下を見れば、そこも腐敗した肉だった。
ぐずぐずに腐敗した肉は、ぶちゅりと音を立てて僕の足を深く沈める。
あー気持ち悪い……。既に腰の先まで、腐った汁でべったべただ……。
いやそんな場合じゃない。このままだと体重に従って、そのままずるずる飲み込まれ窒息──。
「……っ! 足場を、作りますっ……! みなさま、ここまでっ……!」
「助かります!」
シア様が空中に氷を張る。僕は《噛みつき草の生きたツタ》をロープに、自分を足場まで引き上げた。
ステラ様は足下の肉塊を爆破し、その爆風で自分を巻き上げる。
メリーはそのまま、地形の影響なんて何もないように地面につっ立ったままでいる。メリーはいつもそういうことをする。
「ふう……。ありがとうございます、シア様。あのままだと僕は生き埋め、地面の厚みを増やすのに貢献してましたね」
「……! ……いえっ、当然のことをしたまでです」
「シアが気合い十分で何よりだけど。ここの主はどこにいるのかしら?」
「そうですね。ダンジョンによって最下層の主がどこにいるかは異なります。最下層からまた探索、なんていうパターンもありまし──」
「ここ」
え?
「ここに。いる」
──メリーが指さしたのは、先ほど僕が埋まりそうになった地面だった。
「……つまり、この死体の奥深くに主がいるということでしょうか。身を隠していると?」
「ちがう。ここ」
「あー、メリーが言いたいのはですね。500年間以上かけて作られたこの空間そのものが、このダンジョンの主……、ってことみたいです」
「今まで魔獣が出ることがなかったのは、もしかして……」
「恐らく、この、最下層の主が食い尽くしていたのかと──」
ちょうどその時、空間を裂いて魔獣が現れた。
ダンジョンではよく見られる現象だ。これを見られた人間は縁起がいい、と言われている。なにせ無防備な魔獣を攻撃する機会に恵まれるわけだし、そりゃ縁起がいい。
だが、今の僕らにはそうでもなかった。
その魔獣は地面に足をついた瞬間、銀の扉を開いた僕らと同じように、肉塊に足を捕られた。
底なし沼にハマった時の対処法として、決して焦らず、無駄な圧力を足場に伝えないということがあるのだが、どうもこの魔獣にはそういった基礎知識や人生経験が足りないらしい。
ぎゃあぎゃあと喚き立てながらもがけばもがくほど、肉塊の海に沈んでいく結果となった。
そうして、元気だった声はやがてげぼげぼという水音……腐汁まみれの呼吸音に変わり、その後すぐに聞こえなくなった。ちょっとした滑稽さがある。
すると新しい魔獣が現れる。そいつは体格や姿格好は先の犠牲者と異なっていたが、迎えた末路は同じだった。
ぎゃあぎゃあ、げぼげぼ、ぎゃあぎゃあげぼげぼ、ぎゃあぎゃあげぼげぼぎゃあぎゃあげぼげぼ。ぎゃあぎゃあげぼげぼぎゃあぎゃあげぼげぼぎゃあぎゃあげぼげぼぎゃあぎゃあげぼげぼぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあげぼげぼぎゃあぎゃあげぼげぼぎゃあぎゃあげぼげぼぎゃあぎゃあげぼげぼぎゃあぎゃあ──。
そこからも生まれては呑まれ、現れては呑まれ。
まるで、生と死のサイクルを早回しで見させられているような光景に、ステラ様が大きくえずいた。シア様も顔色を青くしている。
……まあ、無理もないだろう。自宅のそばにこんな悪趣味な無限屠殺施設があったら、僕だって家の建て付けの悪さと間取りについて文句のひとつでもつけたくなるだろうからね。家なんて持ったことないけど。
ああ、でもお二人のご自宅は既に爆散してたっけ。そうなると拳の振り下ろしどころがないな……。かわいそうに。
「攻撃とか……してこないのかしら」
「する必要がないんだと思います。例えば……」
僕は長棒を突き刺したが、もちろん何も起こらない。
ただ表面の死肉を損壊しただけだ。
その間にもずぶずぶずぶずぶと、地面は大量の死を食らい、その体積を増やしていく。
「ステラ様もお願いできますか。全力で地面を焼いてみてください」
「いいけれど……」
ぷすぷすと腐った肉が焼けると、その臭いは更に強烈なものになった。
ステラ様はたまらず中断。僕よりもずっと潰した面積は広いけど、結局えぐれた部分はすぐ塞がった。
「シア様もやってみます?」
「……いいえ。姉さまで届かないのです。私の魔力では無駄でしょう」
「そうですね。僕よりは遙かにマシでしょうけど、意味はないでしょう。まあ、こういうわけで迎撃する必要がない。衰弱死、餓死、圧死……ええと、好きなものどれでもいいですけど、とにかく、ただ自分の体を増やしているだけで、冒険者もいつの間にか肉塊の仲間入りをするというわけですねー。削る速度より増やす速度の方が早いし、休憩もいらないようですから」
それにしても、この肉に加入した際の福利厚生はどんなものだろう。冒険者よりマシだというなら、一考の価値はあるかもしれないぞ。
問題は絶対苦しくて怖いことだな。論外だった。
「メリー? これ、僕らじゃ詰みだよね」
「ん。むり。つみ」
「そうだよねぇ。じゃ、お願いしてもいいかな。……合図してからね? 絶対合図してからだからね?」
「わかた」
「あの。すみませんシア様。あの氷の壁、全力で展開できますか?」
「……はい。おまえの判断とあれば」
メリーは、細くてしなやかな足を、ほんの少し、いつもより高く持ち上げた。
その間に、僕はシア様にお願いして、分厚い氷の壁の中に収まる。
……あれ、シア様? なぜ僕を掴まえて……?ああ、肩に掴まった方がいいですね、確かに。今から衝撃来ますので。
準備いいですか?いいですね? さん、に、いちっ……!
「メリーっ!」
──僕の合図と同時に、
世
▅ ▆
▁▂ ▃ ▄
界
が ▇ █ ▉
砕 け
た 。
░ か
░氷░ べ
の 障 壁 は一瞬で砕け散る。
きらきらと舞う氷の破片が、赤黒い肉塊が埋め尽くす世界に妙な色彩を与えて、
その不釣り合いさに僕は思わず笑ってしまった。
「はは、ははは……」
くる。
⫷ 衝撃が来る。 ⫸
⫷ 衝撃が来る。 ⫸
⫷ ⫷ 衝撃 ⫸ ⫸ ㄑる。
きた。
僕とシア様とステラ様はどうにか踏みとどまり、メリーの右足から生じた破壊を目の当たりにしている。
足をつけていた地面が根本から弾け飛ぶ。
空を覆っていた肉塊が、
地を埋め尽くしてた肉塊が、
地平線のように広がっていた肉塊が一粒残らず
ど
す
黒
い
血
霞
になった。
地面がなくなったことで、重力もなくなったらしい。
僕ら は ふ わふ わ と 宙 に 浮い た
そのまま、僕とシア様とステラ様は、上へ、上へと、昇っていく。
メリーの生み出した破壊の衝撃は、血肉を微細な霞に変えるだけでは飽きたらず、痕跡すら残さないよう崩壊させ始める。質量保存の法則を無視した破壊は、対象を超えて、世界全てへと広がる。
光
が最初に失われ、次に音が吸い込まれた
上
下も
前後
左右も 何もかも失われていく世界で
ぽつんと
……メリーだけは、ずっと同じ位置に立っていた。
僕はそこに手を伸ばそうともがくが 届かない
届かないまま 僕の視界は役目を失った
──ああ きっと
世界の終わりとは
このような形なのだろうなと
ぼくは思った──
「……というわけで。メリーがどれだけ強いのか、お二人にもわかっていただけたと思います。評価を修正してくださいね」
ダンジョンコアが安置された部屋で、僕が意識を取り戻してから最初にしたことはマウント取りだった。
「いえ。確かに……、すごかったけれど。別にあなたの手柄ではないでしょうに」
「そう。そうなんです。僕の手柄じゃない!」
「……なぜ嬉しそうなのです、おまえは」
「いや改めて。幼なじみが軽く見られるのは嫌なんですよね。これでメリーが僕よりずっと──」
「めりも。や」
「……わたくしにも、冒険者メリスの気持ちは理解できますよ」
あれぇ?
返しが予想と違う……。




