「くずですよこの男」
「ねえメリー。街まででいいから、離れてくれないかな」
「どして」
背中が痛いからだよ?
「二人がいるからだよ? 流石に安全に帰ってもらわないとまずいでしょ」
僕はメリーにもっともらしい理由を告げた。
「奇襲は危ないからさ。メリーも手伝ってくれないかなって」
「やだ」
「やだじゃないです」
「だめ」
「だめでもないです」
「むり」
──切り札を切るしかないか?
「はーー。そうやってわがままを言われると、僕メリーのこと嫌いに──」
メリーは泣きそうな顔をしながら、バッと僕から離れた。
体の痛みがスッと引いたぞ! 僕は自由だ解放感すごい!
「うん。ありがとうね。二人のこと、守ってあげてね」
「ん」
……でも罪悪感もすごいんだよなあ、これ。
すっごい顔に出るんだよなあメリーって。やりたくないって顔してる。
なんか貴族の二人、また僕のこと見てひそひそ話してるし……。
「……ま、街まで戻れたら、さっきの続き、していいから……」
「さんばい」
「三倍……? よくわからないけど、埋め合わせが必要ってことなら……」
「ん。よい。とてもよい。すばらし」
メリーはパッと表情を明るくした。現金な子である。
……本当は痛いから嫌だけど。
三倍って何が三倍なのか怖くて仕方ない。痛いのも怖いのも嫌なんだけど僕……。
ちょっと帰りたくなくなってきたなあ……。
あ、メリーが先方に立った。メリーが先導するの? 大丈夫かな。
「すみません、みなさん。今から出発を──」
ゴシカァン!とぶ厚い鉄板にメイスを叩きつけたような音が響く。
すわ何事かと音の方向に目をやると、この金色、なんか、前方の壁を破壊して、道を作っていた。
「なにしてるの、メリー」
「まっすぐ。さいたんきょり」
なるほどなー。
すぐ終わらせて街に帰りたいんだね。わー僕と同じだー。
街に帰るのちょっと怖くなってきたぞ?
「……ダンジョンの壁を破壊。やはり規格外ですね」
「流石はSランク冒険者ね。シア。サンプルにいくつか持って帰りましょう」
いつものようにメリーが買いかぶられている。
おおかた、ここぞという時に貯めておいた大量の魔力を使って、奥の手として壁を破壊してるとでも認識したのだろう。……メリーは平常運転なのに。
壁って素手で破壊できるものなの?っていうのは、僕もかなり疑問に思うけど。
痛くないのそれ? ああ痛くなさそう。メリーの細くてちっちゃい手は白いまんまだ。
「僕が後方で警戒、メリーが前衛でショートカットってことで。よろしくお願いします」
「構いませんよ。よろしくね」
「……背中を見せるのですか」
「冷静になりなさい、シア。彼らに敵意があるなら、既にあたしたちは危害を加えられてるでしょう。それは無礼というものだわ」
「いえいえ。ことダンジョンにおいて警戒心ほど大切なものはないですよ。むしろ感心します。ねえメリっ……」
……ちょっと目を離してるうちに、メリーが罠を正面から力ずくで粉砕している。
飛んでくる矢。微動だにせず当たる。突き刺さるどころかかすり傷ひとつ付けずに地面に落ちる。
落とし穴。落ちる。跳躍で戻ってきた。
岩。頭にぶつかる。岩の方が砕けた。
二人がドン引きしている。
僕だって引くわ。避けられるだろ君。避けなよ。
「……メリー! 代わろう! 君が後方で! 警戒に専念してくれないかな!」
「なんで」
「見てられないからだよ!」
「?」
首を傾げるんじゃない。涼しい顔をしてるんじゃない。
「めりがさき。そのほうがはやい」
「そりゃメリーには壁壊すってズルがあるよ。でも、いちいち罠にひっかかるような子に前を歩かせられません」
「めりのあと。あんぜんになる」
「君が安全じゃないだろ。ダメだよ」
「けが、しないよ」
ダメだって言ってるだろ。
ああもうこんなに汚して……。あ、こら。髪に砂がついてるんだから身動きしない。
僕がメリーの柔らかな金髪に手櫛を入れていたら、なーんかホブゴブリンの気配がする。石を投げて目玉を潰した。
直後血霞に変わるホブゴブリン。
僕の投擲技術が突然覚醒して相手を爆散させたのかな?
もちろん違う。この破壊力はメリーだ。
肉眼じゃメリーは僕のそばから動いていないようにしか見えないけど、どうやら一度離れてホブゴブリンを撲殺、その直後にまた僕のそばに来たらしい。
いや、僕の胸元じゃなくて最後尾に行ってほしいんだけど……。
「なでなで。もっと」
「このために罠踏んだりしてないよね?」
「……。もっと」
メリー。顔に出るんだよ。
・・・
・・
・
人と一緒にいるときの沈黙には、二通りがあると僕は思う。
ひとつは居心地のいい沈黙。メリーはおしゃべりじゃないから、僕の方から意識して話題を振らないとお互いに喋らなくなる。
ただ、別にその時間は苦じゃない。
話すことはもちろん楽しいけど、沈黙を共有するのも案外楽しいものだ。
この前の雨の日も。宿屋で半日、メリーと僕はお互いに何も喋らず、ぼーっと過ごしていたりした。
僕らはお互いの沈黙を共有していて、のほほんとした優しい時間だった。
……別にこういうのならいいんだ。いくら静かでも。こういうのなら。
沈黙にはもうひとつ種類がある。
居心地の悪い沈黙。
つまり、今この場の状況だ。
「…………」
僕は黙々と十尺棒で先の安全を確保する。
罠があれば、ここに罠がありますとは告げる。それだけだ。
「……」
貴族の二人についても、耳打ちでの会話もやめてしまって完全に無言だ。
時折、呼吸の音がする。すっ、と、呼吸の度に小さく声が出ているのは、二人がダンジョンにあまり《適応》できていないことを示している。
適応してない人間には、ダンジョン内での呼吸すら苦痛を伴うのだ。
……お二人は貴族だし、それはまあ、そうだろう。ダンジョンへの適応が必要なのは、僕みたいに危険を冒さなきゃいけない立場の人間だ。
正直、勝利条件が僕たちとは違うひとは、最初からこんなとこで戦ったりしなきゃいいのに、って思うんだけど。
「……」
そしてメリーはいつもの調子を崩さない。
これだからメリーひとりで依頼者と対面させられないんだよなあ……。
メリーは基本的に僕以外のひととコミュニケーションを取る気がほとんどない。貴族だろうと平民だろうとメリーにとっては一切関係ない。
その上、何かにつけて暴力で解決しようとするフシがあり、貴族様相手でもその気質を平然と発揮しようとするので色々と気が気じゃないのだ。
トラブルを起こしたのは一回や二回じゃきかないし、それもあって今回のここ迷宮都市では領主様との繋がりなんかもなかった。
いや、でもさあ。だからって無言で愛想のひとつもなく足音一つ立てずに歩かないでほしいんだけど……。
「…………」
……ああもう、空気が重い!
ただでさえダンジョン内の空気は重くて息苦しいんだから、もうちょっと和気あいあいと……、いやでも、貴族様に過剰にフレンドリーに接されてもそれはそれで困るか。
無礼打ちとか本当にやるらしいし。怖い。
……メリーが貴族の二人に殴りかからないとも限らないし。どこに地雷があるのかわからない。
なんだか胃が痛くなってきたぞ! 笑顔を作ってる頬もちょっと痛い!
「……ねえ。キフィナスさん?」
「あ。はい。なんでしょう……ステラ様」
僕は手にした長い棒で罠を探りながら答える。
──街に来て最初にマスターしたのは、人の名前の覚え方だ。頻繁に出されるクイズで、失敗する度にペナルティが発生する。
この人たちは顔立ちも服装も本当によく似てる。違うのは魔力を映した髪と瞳の色だ。ステラ様は赤。シア様は青。覚えやすい特徴があるというのはいいことだ。
なにせ相手は貴族様。ペナルティで僕を100回殺せる権力はあるぞ。
「今のうちに、帰ってからの報酬を定めた方がいいと思うのです。ダンジョンの外では、貴族である私たちとあなたで会話する機会はなかなか作れないでしょう?」
「いえ。別にいりませんよ」
しいていうならレベッカさんにとやかく言われないことだけど。仮にそれ言ったらレベッカさんの命が危ないかもしれないからなぁ。
貴族ってどんな権限持ってるのかわからない。わからないけど、冒険者ギルドの一事務員とか指先ひとつで死刑執行できたりするんじゃないかな、たぶん。
レベッカさんとは相性が悪いなってよく頻繁に思うけど、あのひと悪い人ではないし。そういうのは本意じゃないです。
「いらない……? ……聞き間違いかしら。これでも、ある程度のお金なら出せるのですよ?」
「お金には困ってません。むしろ僕ら二人じゃ使い道がないくらいです。メリーが稼いでくれますので」
「……姉さま。くずですよこの男」
「シア。会って間もない相手の人格を即断するのはよくないわ」
「ああ、すみません。辺境で育った人は基本こういうものだと思いますよ。お金がよくわからないんです。価値を信じられないというか」
「……辺境出身者は全員ひも……? 姉さま。やはり……」
「シア。今日のタイレルの繁栄は異文化を受け入れてきたことにあるのよ。多様な価値観は尊重されるべき。お父様のお言葉でもあるわ」
「……姉さまの瞳がお曇りに……」
「シア! ……こほん。金銭では足りないですか。なら、何か望みを言いなさい。できる範囲で──」
「だからいりませんって。僕は大したことしてないですよ。はは」
偶然声が聞こえて、なんとなく走りたくなったから声の方に走って、偶然モンスターがいたからなんとなく殺しただけだ。
僕は作り笑いを浮かべた。
「いいえ、大したことです。あなたは私のたった一人の妹を救った。だから、礼を受け取りなさいな。それとも。私の妹の命には価値がないとでも?」
「いえいえ。命の価値は軽重はありますけど尊いと思いますよ。貴族様ならなおさらでしょう」
「なら、対価を受け取ってもいいでしょう」
「いいえ。いらないです」
「過剰な謙遜は美徳ではないわよ?」
「辺境育ちに徳なんてないですよ」
「いいからお礼をさせなさい」
「いりません」
「お礼」
「いやです」
「おー! れー! いー!」
「無理です」
「ああっ、もうっ! なんでそんなに頑ななのよ! 素直に受け取って、あたしに恩を返させてよ!」
いやーそう言われましても……あっ地中が振動してる。
──来るぞ。
「あの、ステラ様。ちょっと五歩ほど左に」
「左? いったい何の……ひっ!」
──ぴぎいいいい! ぴぎいいいい!
僕はステラ様を優しく突き飛ばすと、先ほどまで立っていた場所から、巨大な肉色の芋虫が飛び出してきた!
うわーすっごい。僕の身長の10倍くらいの長さあるんじゃないかこれ……。
「距離を取ってくださ……うわっよくよく見るとすごい気持ち悪いなこの虫! 鳴き声もあってなおさら!」
僕が大声を出すと、ぞぞり、と巨大な肉塊は僕に向けて体を傾けた。
なるほど、音で判断してるのかな? それなら気を引くのも簡単だ。
「お二人は下がってください。できるだけ静かに、足音を立てないように」
僕は棒で地面をコンコンと叩く。僕の音に反応して、肉塊は小刻みに蠕動する。
そうだ、僕はここだ。ふー……。
僕は棒を構え直し、自分の神経を研ぎ澄ます。
──手が震える。体の大きさは即ち力だ。だからこそ大きな一撃がいる。相手を殺すにはどこを狙えばいい? 僕の武器はただの棒きれ、相手は人型じゃないから慣れてないし急所がわからない。勝利条件は全員の生存。どこだ。
怖いのは嫌だ。だが今は震えを止めろ。痛いのは嫌だ。だから前を見据えて、こいつを──。
「ん」
そんなことを考えていたらメリーが一瞬で撲殺した。巨体は潰れ、緑色の霞がダンジョンの壁に弾け飛ぶ。
ありがと、メリー。僕じゃ無理な相手だったってわけだね。
……それにしてもよく素手で触れるねそれ。緑色の体液べっとり付いてるし……。
とりあえず、今すぐ手を洗おうか。ちょっと臭いよ。
《魔獣》
主にダンジョン内に出現する生命体。明確な定義は定まってないが、この世界の人間であれば「あっこいつだ」と本能的に理解できる。
魔物、モンスター、悪魔など、複数の呼称が混在しているがだいたい全て同一の存在を指している。呼び方の違いは、文化や環境、生活の問題や、親しんだ冒険譚での表記の違いに由来するものかもしれない。
中には、二日酔いの幻覚を魔獣と呼ぶ人間もいる。冒険者はほぼ例外なく酒が好きな人種だが、二日酔いまで好きな酒狂いというのは案外少ないのだ。
壁を作り、独自の文化圏を築いている三国には領内に魔獣が発生することはない。
ダンジョンにて生成された魔獣は、ダンジョン内に充満する魔素によって形を保っているため、外に出るとすぐに崩壊するためである。
とある研究者が実験と称して抵抗するゴブリンを拘束し強引にダンジョン外に持ち出そうとしたところ、外に出て3秒後、のたうち回りながら砂のように消えたという記録もある。
そいつはサイコパス扱いされて名前が──氏の名誉から、匿名という形で研究結果が残されている。