ロールレア伯爵邸宅、最後の日
ロールレア家邸宅、執務室にて。
「というわけでですね。僕は正当性を持ってお二方に抗議がしたいんですがいかがでしょうか。差し支えなければ抗議をさせていただきたい。抗議させてください」
「開口一番にそれなのね」
「……喋りやすいだろうと家人を離したというのに。不敬では?」
「いいえ。僕は貴族であるお二方に敬意を持って、その上で抗議をしようとしています。どうか寛大なお心で許可していただけますでしょうか」
「……慇懃無礼もここまで来ると清々しいですね」
「別にいいわよ。許可します」
やった。ステラ様から許可貰ったぞ。
「ええとですね。ここ最近、僕は冒険者とかその手合いに命を狙われてます」
「そうなの。それは大変ね」
「大変ですよ。ダンジョンならともかく街中で白昼から、それに明らかな素人が僕を狙ったり、なんかもう絶対におかしい。そしてそのおかしさの起算点はあなた方と出会ってからなんですよ」
「ひとつの異常事態にはその裏に数多の異常があるものよ。私たちだけがその原因とは限りません」
「……その通りです。おまえ、いささか不敬で──」
──瞬間。
執務室の窓ガラスが割れ、顔を隠した男たちが部屋に飛び込んできた。
「なにごとっ!?」
「……姉さまっ。落ち着いてください」
あー。こんにちは。こんにちはー? コニチワー。……返事がない。
「確認ですけど。これって小粋なサプライズとかだったりしますか」
「い、いいえ。こんな連中は招いてないわね」
「そうですか。じゃあメリー……、いや、君が動くだけで家が壊れるか。えーと……」
「……失礼します、姉さま」
シア様が、ステラ様を守るように一歩前へと歩み出る。
同時に、ぶ厚い氷の壁が二人を覆うように地面からせり上がった。
「え、僕らも仲間に入れてほしい……」
「そうよ、シア──」
「……姉さまの身の安全を第一に考えました。姉さまは次期当主です。私たちの力は人間に向けるには加減も効きません」
自分に危害を加えようとする相手の心配とかすごい博愛精神に溢れる領主様だなぁ。しぜん相手をすることになる僕にも少しはその精神を向けてほしかった。
「……それに。おまえならこの程度、問題ないでしょう?」
どこから来たんですかその過大評価……。
僕は刺客の人を正面に見据える。
「ええと、黒服のひと? お話ししません? さもなければこのまま帰ったりとか。あ、お酒とか飲みます?」
返事には最初から期待してない。
僕は相手に向かってワインの瓶をぽんと放り投げながら、長棒を構える。
相手は空中の瓶を蹴り砕き、それを足場に加速して短刀で切りかかってきた。あわよくば引っかかって転んで頭とか打ってくれないかなぁという願望は脆くも崩れ去った。
でもあいにく、その程度の早さなら慣れている。身体をそらし、相手一人を引き入れるようにいなす。
──警戒すべきは口と腹だ。暗器を仕込むとしたらまずそこなので、必ず体幹を相手に合わせない。最小限の呼吸で、相手の行動に備える。
同時に、僕はこれ見よがしに背中を見せる……他の人は飛び込んでこないな?
「僕の武器は長柄でここは室内。それなら複数名でかかって数的優位のまま叩きのめすのが一番被害が少なく損害が多いはず。なのになぜ一人しか来ないのか。つまり毒ですね。その武器には毒が塗られている。だから同士討ちを恐れて手を出さない」
となると、僕にも打てる手はある。メリーが自分から動かないのは、今のところ機嫌が悪くなくて、その上僕ひとりでもなんとかできる状況だからだ。
やりたくないんだけど──まぁ、僕にも、幼なじみの期待にはできるだけ応えるかな、って気持ちはなくもない。
「そして僕が指摘した瞬間に少し体がブレましたね? ええ。毒に気づいた僕はこれから、二人以上で掛かってこられたらそれを意識して立ち回ります。しかし、いくら毒とはいえ随分警戒しますね? そうなるとかすり傷でも即死させられる猛毒、たとえば《スウィート・スノー・ホワイト》は入手が容易で解毒剤の入手が困難だ。塗られてますか? あ、塗られてるんですね。反応でわかりますよー。ははあ、それなら事故が怖い。実力的にも僕につけるのは一人で十分。二人以上はリスクがあるだけとなる」
舌を回せ。誤認させろ。戦況への感覚を狂わせろ。
喋れ。喋れ。とにかく喋れ。僕の憶測が事実なら相手は動揺するし的外れなら油断する。
毒が実際入ってるかどうか種類が当たってるかどうかなんて実際のとこどうでもいい。いいから喋れ。
「狙っている相手の情報がない、ということはないでしょう。魔力でできた氷の壁をなんとかする手段は用意しているはず。それが何なのかはわかりませんけど、時間の経過はあなたたちに利することになるのかな。なりますね。あなたたちが窓際に陣取っているのは準備が整い次第避難するためですか? するためですかー。いやー困った。困ったなぁー。あなたたちの手がわかっていても、この人数を前にしたら僕は攻めあぐねてしまいます」
「シアっ。この壁をほどいて、私が《目視》をっ……」
「……姉さま。あれはきっと、何かを考えています」
はいそうですよ。僕は今必死で次に出す言葉を考えてますよ。
足を、腰を、口を動かし続けながら考え続けていますので、できればどうかお静かに。
「えー攻めあぐねるといえばあなたもそうですね? 申し訳ないんですけどあなたの攻撃が僕に当たることはないですよ。なぜなら、もっと苛烈な攻撃を日常的に受けているので。人斬りセツナって頭おかしい人知ってます? 知らない? ああそう。はい、右左フェイント右、当たりません。《パワースラスト》? はは、軌道バレバレですよ。スキルなんて魔獣にしか当たらない当たらない。いやー、ですがこんな雑魚ひとりに手間取ってるあなたを見て周囲はどう思うでしょうね? 僕灰髪ですよ? きっと幻滅されますよ。ほーら幻滅される。現在進行形であなたの持ってる評価は減額されていきます。ああーどんどん減る」
短刀の軌道から相手の動揺を見る。動揺した相手の攻撃は短絡的に、直線的になるものだ。
まだ揺さぶりが足りない。
「命のやりとりをする間柄で、役立たずと思われるのは致命的ですよね。ほら窓を見て?みなさん難しい顔つきで、あなたの腕前を見て、こいつは果たして命を預けるに足る人間か?と値踏みされていますよ。さあ一分一秒一瞬僕を始末するのに手間取れば手間取るほどあなたの評価は減っていきますねーだって僕は見るからに素人だーしかも女の子を抱えたままあなたと応対しているー。あなたは使い捨てられる換えのきくどうでもいい一体の駒になります現在進行形でなっているなるなった。きっとどうでもいいことで捨てられて『必要な犠牲だった』『勇敢だった』とかいう美辞麗句を並べ立ててあなたの隣の人間は死を正当化するだろう。あなたの惨めな死骸は同僚に上司に部下にその実像を歪められてきっと何も残らないあなたには何もないここで命を懸ける意味も少女の命を狙う意味も何も何も何もない死んでしまえば何も残らない」
──言葉を重ねろ。猜疑心の種を蒔け。
ほんの一瞬、わずかな瞬間でいいから、味方に疑念を抱く瞬間を作る。
それが精細を欠く。注意力を削る。隙になる。
「だいたい、なんであなたなんかが飛び出してきたんです? そこの大柄な人でも、足が速そうな人でもなく──ああ!わかった!」
僕は、
げらげらと、
「──いっちばん弱いからですね! あは。ひゃ、ひキ、ひゃハひひひ!」
嗤った。
「……何がおかしいッ!!」
「ひヒゃ──いや、だってすっごく面白いですよね? 不意打ちしてきた卑怯者の中でもいっちばん弱っちいあなたと! 弱っちい魔抜けの僕が戦って! こうして拮抗してるわけですから!! ははは! はっはははは!!」
今まで沈黙を保っていた相手の感情が、いよいよもって爆発した。
ナイフの軌跡を通じてさまざまな感情が流れてくる。
激怒。萎縮。嫌悪。屈辱。殺意。不安。敵意。恐怖。動揺。憎悪。興奮。戦慄。緊張。萎縮。汚辱。焦燥。
そして──敗北感。
ない交ぜになった感情が見本市のように並んで、僕にナイフを突き立てるたびに激しい自己主張をする。残念ながら、先ほどまでの技術的な精緻さはない。
「はい背中。はい足下」
相手が隙を見せるたび、僕は手に持った棒きれで背中や肩や膝なんかをちょんと優しくつつくと、相手の動きはどんどん悪くなっていった。
荒い息づかい。焦点のぶれた瞳……うん。効いてる効いてる。
そして、何合か打ち合った後に手足がガクガクと震えだし、ついには膝をついた。
「はい。僕の勝ちで──あー……」
僕が勝利宣言をしようとしたら、相手はゲロを吐いた。
締まらないなぁ……。
というか、部屋が汚れるじゃないか。僕の責任になったら嫌だぞ。
「すみませんステラ様にシア様。僕は悪くないですが、部屋が汚れましたね。僕は悪くないですが」
「……嘔吐するまで心を折ったのはおまえでは……」
「やだなぁ。僕そんなことしてないですよ」
「そんなことよりあなた、まだ他にもっ──」
そして、先ほどまで窓際で僕らの動向を確認していた刺客の人たちも次々と倒れていく。
「あら?」
「……いったい何をしたのですか」
──そう。僕は彼の心を折ったわけじゃない。
最初から全員まとめて倒す気だった。僕は割れたワインボトルを指さす。
「その瓶に入っていたのは《貴腐人の口噛み酒》です。酒気を吸っただけで寒気と泥酔、それから激しい嘔吐をもたらします」
完全な劣勢の状況下になっても彼らが動かなかったのは、十分な酒精が体内に回っていたからだろう。ダンジョンで産出される資源のうちには、こういう、需要がなくて市場に出てこないものも数多く存在する。《呪い酒》はその一種だ。
「面白いわ! すごく面白い素材です! ねえ、これ、もう一本あるかしら? 是非試したいことがあるの!」
「えっなに突然……。ありますけど……、腐った死体の口内に残ってたカビだらけのブドウ粒を集めて作られた酒、ってことみたいですよ?」
「味はどうなの?」
「僕はお酒飲まないので。ただ、噂だと天上に昇るような気分を味わえるとか。そのまま戻ってこれなくなりそうですけどねー」
「……それよりも姉さま。やつの言によると、私たちはまだしばらく氷の中にいた方がよいかと」
酒気は換気をすれば逃げるし、ちょうどそこに割れた窓がある。シア様とステラ様は分厚い氷で隔壁を作ってるなら問題ないなって思いました。
まあ正直、氷で隔離して観戦されるとかちょっとくらいなら吸って気分悪くなってもいいんじゃないかな?とも思──あっ。
「あー……」
やば──やばい。
そろそろ僕にも効──効いて、きいてきたぞ。そりゃそうだ。
いくら窓があるっていっても、そんなすぐには──空気にまざ──まざってるもんね。
あれだけしゃべれば、そりゃあ──こうも──こうもなるか。
ああ、意識が──意識、意しきがあい昧になって──ああ、まず──まずい、あいつらしっかり無力化しな──しないといけないのに。
「めりぃはかわいいなあ……」
ぼくのくち──口からなんか、よくわからないことばが、た、たた、たれながされてる。
あ? メ──メリー、なにを──。
きれいな目がちか、ちかづいて──いいにおいと──やわらか──やわらかいかみが、ぼ、ぼくのかおに──いっっっったぁ!!!
くちびる!くちびるが噛まれてる!! とれる僕のくちびる取れ……げうっ!!!
「もがっ! ……もっ……、あがっ! げっ……」
メリーの口から、僕の全身に空気をぐっ!と流し込まれた。それも、何度も。
内側から! 内蔵から破裂するっ! 誰か、誰か助け──。
「…………」
氷の壁から、二人が僕らをじっと眺めていた。
ステラ様は興味津々に、シア様は……?どんな感情だこれ。両手で顔を隠しながら、なんか目を潤ませながら、それでいて僕を凝視している……? どんな感情だこれ……?
僕とシア様の目が合うと、メリーの唇が僕を解放した。
僕はどさりと床に倒れる。
「あの、め、メリー? 何してるの突然……」
「とんだ?」
飛んだって……ああ、そういえば思考がはっきりしてる。
さっきのは酒気を飛ばしてくれたのか。
「きつけ。する? もっとする?」
「だ、大丈夫! ほら見てもうこんなに元気!!」
「する? する?」
「しません!」
「する? する? する?」
「しないってば。しません。しま……、え、なに、ひょっとして僕のこと食べようとしてたりする……? なんか肉食獣みたいな……。え、なにその視線。え」
さっきから唇への視線が尋常じゃないんだけどまだ付いてるよね僕の唇……? あっ付いてるよかった。
え、なに!? ちょっと顔近づけるのやめて? まだ刺客拘束してないんだよ?
「した」
「うわぁすっごい雑にぐるぐる巻きにされてる……いや、ほら、顔近づけないで、もう大丈夫! 大丈夫だから! 意味ないから!」
あああああ!! 猛獣に唇が食べられる! 見ないで!! 見ないでください!!
くそっ逃げっ……逃げられない!
「いやメリーせめてここじゃなくて──」
「する? いま? あと?」
「あ……、あと」
「やくそく」
……ううう。
時間は確保できたし後でなんとか誤魔化さないと……。
「………………盛りのついた動物ですか。おまえは」
「えっ僕? 僕なんですかこれ?」
「ごめんなさいね。シアってば、この間から熱病にかかってしまったのです。許してあげてね」
「はあ……。それなら謁見は別の日に回した方がよかったですかね」
「……いえ。問題ありません。……姉さま、虚言は謹んでください」
「ふふ。気づいてないのかしら? ま、いいわ。そろそろ氷を──」
「ちょっと待ってください!」
──おかしい。
なんで窓が割られて、大きな音を立てて、この家の使用人がまだ来ていない?
それは、つまり、この襲撃が──、
「メリーっ!!」
──衝撃。ぼかーんという間の抜けた音が、どこかで聞こえた気がした。
そしてその直後。
屋敷ごと巻き込んだ爆風によって、僕たちは全員、空中に投げ出された。




