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ニップルファックビースト(出オチ)


 乾燥しきった空気と照りつける太陽が、僕の体から水分を奪っていく。

 水筒にある水を喉に流し込むと、生き返った心地がした。


「ん……ふ」


 さっき水筒を一本破壊したメリーには、僕の分をわけてあげている。まあ飲み残しだけどね。


「まあ! なんだか、えっちですね?」


「アイリ女史? 流石に、その判定はどうだろうか。キフィナスくんはメリスちゃんに、手ずからお水をあげているだけじゃないか」


「いやいや、えっちです」


「女史の価値観にわたしは立ち入る気はないが。健全な少年少女たちをそういう目で見るのは。わたし。どうかと思う」


「無駄話してると喉乾きますよ。水に余裕はありますけど、無限じゃないんですから。また罠とか踏むかもしれませんし」



 ──風化した市街の中心部に、一際大きな建造物がある。

 見渡す限り赤茶色の石と砂だけの、木も金属もない、殺風景な都市の中で。

 風化した石製の建造物とは到底ミスマッチな、淡い銀色をしている扉──ダンジョンの最深部への扉は、遠くからでもよく見えた。


「目的地はもうすぐですよ」



 それから、何度かの散発的な襲撃があった。

 その度にアネットさんはあわあわと震え、僕は宗教の人に惨殺される僕を眺め、メリーは僕にぺたぺたとひっついてほっぺたをなすりつけてきた。痛かった。


 まあ、僕を除けば全体的に、痛い思いと怖い思いはさせてないと言えると思う。

 エスコートとしては、まあ及第点だったんじゃなかろうか。知らないけど。



 ──そして今。銀の扉の前に、僕たちは立っている。


「今から、このダンジョンの主と戦ってきます。お二人はどうか、ここで待っててください」


 僕は同じ轍を踏まない。貴族様を連れたときは大変だった。すごく大変だった。

 二人には絶対残ってもらう。


「あ、ああ。すまんが、わたしたちはダンジョンに明るくない。君の指示に従うよ」


「はいっ。心苦しいですけれど……」


「足手まとわれる方がよっぽど心苦しいので。気にしないでください」


「きふぃも。るすばん」


 えっほんと!? 僕も足手まとい!?

 僕は大歓喜した。小躍りでもしたい気分だった。した。


「喜びすぎる……」


「きふぃは。あぶない。めりはよゆ」


 うん、まあ。このダンジョンBランクだもんね。

 メリーの力なら余裕だろう。

 じゃあ任せるよ。


「すぐもどる」


「怪我だけは。しないようにね」


「したことない」


 もちろん、わかってるよ。

 メリーが、銀の扉に手をかけようと──。



「──待って!」


 僕はメリーの小さい手を、掴んで引き留めた。




 ……あれぇ?

 なんで今、僕、メリーを止めたかなぁ……?


「きふぃ? て」


「あ、いや。うん……なんだろこれ」


「きふぃ? このさき、あぶない。いたいよ。こわいよ」


「ああ、うん……そうだよね。うん。絶対そうだろうね」


 メリーは、僕を優しく諭してくる。

 ああ。うん。痛いのは嫌だ。怖いのは嫌だ。


 ずっと踏破されてないダンジョンの主とか、どれだけの脅威なのかわからないし絶対怖い。

 そんな気持ちの人間は、まあ足手まといにしかならない。


 だからきっと、メリーの負担を増やすだけなんだろうけど。

 これは僕のワガママでしかないのは、よくわかってるけど。


「痛いのも怖いのも、まあ、もちろん嫌なんだけどさ。なんか、手が離れないんだよね」


 ──だけど、戦ってるこの子を、たったひとりにしたくない。

 ほんの一瞬でも、そう思ってしまったらダメだった。


 僕はメリーが世界で誰より強いって信じてるけど。

 それでも。そんなことの前に。

 ──メリーは僕にとって、たったひとりの幼なじみだ。


「きふぃ」


「……つ、ついてくだけなら、まあ……、そ、そこまで? 怖くないかなー、って……」


「きふぃ」


 聞き分けの悪い子を叱るようなメリーの声に、僕は今更後悔が増してきた。

 メリーは僕をじっと見る。黄金色の透き通った瞳には、ビビって腰が引けてる僕が映っていて──うう、失敗かなぁ。


「あ、いや、その、どうしてもって言うなら、僕はやっぱりここにいようかなって──」


「──愛!愛です!あい! らぶ・いず・ぱわー! ご安心ください! わたくしが、ご一緒させてさしあげますっ!」


 えっなに突然何を!?


 宗教の人が横合いからタックルして、扉を開けて、

 僕を強引に扉の中に押し込んで──。


「ちょ、あ、アイリーン女史っ!?」


「いってらっしゃいませっ♪」


 ひとつだけ、今まで我慢してたこと言ってもいいだろうか。

 ──なんなのあの女!?



・・・

・・



 熱砂の世界。

 赤く燃える太陽が、全生命を灼き尽くさんとばかりにギラギラと激しく輝く。

 そして、地平線の向こうまで赤茶けた砂が広がっている。


 この世界には、きっとそれ以外何もない。



 ──空気を吸うだけで、全身が重くなる。

 毒……じゃない。これはプレッシャーだ。僕は懸命に歯を食いしばった。

 ……ああ、ダメだ。腰が抜けて、立てない。


「きふぃ」


 逃げたい逃げ出したいここは危険だ相手は危険だ相手が見えないメリーは大丈夫だろうか僕にできることはない僕は無力だ。手が震える十尺棒を取り落とす足が笑う棒を取れない動けない僕はその場にへたり込んだ僕は完全に足手まといだ。メリーの言うとおりだった。僕はダメだ。怖い怖いのは嫌だ。きっと痛い絶対に痛い痛いのは嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ帰りたいメリーを連れて今すぐに帰りたい。相手の殺意のスケールが違う。危険だ。メリーだって危ないかもしれない。でも僕がいるせいでもっと危ない。これならいっそ、メリーの言葉にしっかり従っておけば──────ぎゅう。


「痛たたたたあっ!!」


 メリーが、腰を抜かした僕を抱き締めた。

 僕の頭が、メリーの小さな胸にある。とくん、とくんと、鼓動を感じる。


「きふぃ。だいじょぶ」


 ……ごめん、メリー。僕は、君の前でこんな無様を晒すつもりは──。


「けキャ──きひャヒハひゃ!! まさか、そんな雑魚がオレの領域、《エンリル神殿旧蹟》まで来るとは思わなかった!! ブーバの導きってのは残忍残酷残虐だなァ?」


 軽薄な嘲笑が、頭の中に重く響く。

 ──《魔人》だ。怖くて顔を上げられないが、多分声の主は男だろう。


「云百年ぶりの客だ。自己紹介をしてやろう。オレの名はバーントシェンナ。以上!! まあ、冥土でその名を広めてくれや」


 ……だめだ。いつもみたいに口が回らない。開けることすらできない。

 こいつらは人型で、ある程度の思考ができて、それなら僕にも何かできることがあるはずなのに……!


「悪ィが、こっちも役目なんでなァ? いやァ、虫ケラを潰すのは心が痛むッ! ヒャッは、ハハはハハハハ!!」


 心にもないことを。目の前のげらげらと笑う魔人は、殺しを楽しんでいる。その笑い声に、僕の心はざわざわと震える。

 笑顔は、笑い声とは威嚇になり、相手の恐怖を煽る。僕はよくわかってる。よくわかってるはずなんだ。

 知性を持った相手なら、むしろそこに付け入る隙がある。それなら僕にもできることがある。

 でも、体が言うことを聞かない……。


 プレッシャーはどんどん強くなる。

 僕はもう、自分の足の感覚がない。


「《其はシュメール最高神・エンリルの敵対者! 天をも犯す黒き猛牛! 文明のアポトーシスよ、その暴威をここに示せ》!!

 顕れろッ!《ニップルファックビースト》ッッ!!」


 ………………は?

 なんだそのふざけた名ま──なんだこのプレッシャー……!!



 僕は腰を抜かしたまま、メリーの体温と鼓動を感じたまま動けない。

 抱き締める痛みすら、どこか遠くに感じられる。


 ──そして、空から太陽が消えた。


「なんだ……これ……」


 ……日が沈んだわけじゃないことは、頭上に少しだけ目をやったらわかった。



 一頭の、黒い、巨大な獣が。


 僕らの頭上、天蓋を覆いつくすほどの大きさの獣が、現出している。


「──っは……!! が……!! うげぇぇぇっ……」


 吐き気を催すほどの悪臭だった。

 メリーの胸に顔をうずめてるから、何とか僕は吐き気を堪える。

 ……そう。この服は似合ってるからお気に入りなんだ。僕が汚すわけにはいかない。


「跪け、下等生物ッ! コイツは《ニップルファックビースト》。熱砂の繁栄都市ニップルを蹂躙(ファック)し、最高神を追い落とした(ビースト)だァ!!」


 巨大な足が、僕らを踏みつぶそうと迫ってくる。

 上空から、風圧が僕の全身の骨をミシミシと軋ませ、死が迫る。

 ……ああ、ちくしょう! 僕には、何もできないっ!!


「きふぃ。がんばりや。よい。よくがんばった」


 ……メリー? 何をする気なんだい?


「じゃま」


 そう言って、メリーは砂粒を握ると、天へと無造作に投げつけた。



 ──ごう、と音を立てるメリーの右腕から、世界に破壊が広がる。



「なッ──」



 メリーの手から放たれた小さな砂粒が、突き刺さり、突き破り、世界ごとまとめて、一息に、すべてをぐずぐずに崩していく。

 黒い巨獣の足に砂粒が刺さり、肉片へと変え、その肉片もまた細切れになる。




 赤茶色の世界が、黒い獣の肉塊でできた黒煙に満たされていく。




「嘘だろッ!? たった一撃で、アポトーシょげひぃッ──」



 そして、小さな人影も黒煙の中に飲み込まれ──そのまま、僕には見えなくなった。



 もう、右も左も、前も後ろもない。

 中心点だけが無風で、そこ以外はすべて、黒き破壊の渦の中にある。




 砂まみれの世界。そのすべてが、渦の中に飲み込まれ、攪拌され、消え去っていく。


 僕の意識もまた、そこに溶けて、沈んでいくような──────。








 ……だれかが、僕をだきしめている。


 あたたかい。


 鼓動のおと。






 すべてを壊しつくす大きなうずの中で、僕は、小さくまばたきをした。




 世


  界


 が


  ゆ


   が


  む 


    .


     .


   .





 ……僕が目を開けると。

 既にそこには、メリーとダンジョン・コア以外、なにも残ってなかった。



《ニップルファックビースト》

シュメール時代、都市ニップルでは最高神エンリルを都市神とし、宗教的中心地として繁栄を極めていた。

王権の正当性を主張するに当たって、最高神を祀っているニップルは重要な都市であると位置づけられ、ニップルを巡って争奪戦が繰り広げられる。

しかし──文明が衰退するに応じてニップルもまた小さくなっていき、今となってはその形も残さない。


ニップルファックビーストとは、ニップルを凋落させた存在──シュメール文明を衰退させた大反乱および風化させた時間──という概念を一匹の獣として受肉させたものとなる。

魔人バーントシェンナは、配置されたダンジョンの由来を理解し、現象に《名を付ける》ことによってひとつの文明を崩壊させるほどの力を持つ獣を生み出した。

これは彼だけの権能ではなく、ダンジョンを管理できる力を持ち、かつ知性を持つ存在であれば《名付け》は可能である。

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