戦闘・サキュバス《挿絵あり》
「と、とうさまがなんでっ……!? わ、わたしってまさか……?」
厳めしい中年男性を見て、アネットさんが動揺している。
……無理もない。見た目だけとはいえ、相手は肉親らしいしね。
「あの剣は《嵐の王》……。やっぱり、やっぱりどう見ても……。いや、もちろん尊敬してるけどそんな……、わ、わたしってもしかして、無自覚な……、ファザっ……?」
「愛は──すべてを許します。ファイト♪」
「うわああああああああ!!!」
アネットさんが錯乱している。
そんなアネットさんには目もくれず、彼女のお父さんを模したサキュバスは、銀色の剣を構えた。
多くの人は、同じ人同士で悪意をぶつけ合うのに慣れていない。それが殺し合いとなれば尚更だ。
しかも、その相手が親しい人間の姿と同じとなれば、殺意はどうしたって鈍らざるを得ない。
サキュバスが厄介な相手だと語られるのは、相手の意識を読みとって、そいつに応じた『叩けない形』の姿を取るからだ。
「はっ──」
──その点、僕は違う。だって僕、アネットさんの家族の顔とか知らないしね。
僕は眼窩に十尺棒を突き刺し、そのまま脳髄まで貫いた。
当然相手は即死だ。
「そいつは、ただの魔獣ですよ」
「あ、ああ……。す、すまない、わたしとしたことが──」
「いえ。別に」
アネットさんの優しさ──甘っちょろさは、僕もよく知ってる。
僕はそれを否定する気はない。その甘っちょろさにはいつも恩恵を受けているしね。
他に撃ちもらしは……うん。なさそうだ。周囲の黒い靄は、今はもうすっきり晴れている。
「探索に戻りましょうか。わかってると思いますが、ダンジョン内で不用意に何かに触らないように。だいたい罠です」
「はいっ。あの建物にも、その建物にも、入ってはいけないということですね?」
「そうですー。よくできましたねー。僕が先頭に立ってるのは、罠を解除できるようにするためですので、できれば歩調も僕に合わせてください」
「……あー、その、なんだ。わたしは、君よりもその、歩幅が……な? 身体的特徴から、その……」
……ここで背が低いのをぼかすとか。そんなの見ただけで全人類が知れる開示情報でしょうに。
アネットさん、まさか自分の身長をそこまで気を病んで……?
ああ、もっと優しくしてあげるべきか……。
「なっ! なんかすごい失礼な目線くれてるなキミ!? あーわかっただいじょぶだよ! べつにな、わたしだって君の歩幅に合わせるくらいできっ──」
アネットさんがぷんぷんと怒り──盛大にすっ転んだ。
あっ。
そこ罠の確認してないところだけど大丈夫かな……。
「ひゃわわわわわわわう!?」
ピンク色の、ツンとした臭いの煙がアネットさんの体に吹きかかる。
大丈夫じゃなかった。
「わあああ浴びちゃった! なんか変なの浴びたぁ゛ー!? やだ! えっちなのやだ!!」
ええと……。ああ。これは《魔獣寄せの芳香》だ。
急いで落とさないと、この香りを頼りに魔獣が沢山寄ってくる。低ランクダンジョンから高ランクダンジョンまで幅広く出てくる。
対処法は、一度装備を解除して清潔な水でよく洗い流すことだ。
……大したことないトラップで、本当によかった。
「アネットさん落ち着いて。それは、別に人体への影響はありません」
「ほ、ほんと……? えっちない……?」
「落ち着いてくださいよ。まず深呼吸しましょう」
はい、吸って……。
吐いてー。
「すぅぅぅ……」
「深呼吸って、なんだかいやらしいですねっ♪」
「げほっ、ごホッ! ……そ、そんなことないだろ゛っ!?」
「めりも。すう。す………………」
楽しそうだねメリー。
僕も吸うかな。すぅぅぅぅ……。
「キフィナスくん! そ、そんなことより、つぎはわたしはどうすればっ!?」
「はぁー……。あ、落ち着きました? じゃあ、脱いでください。装──」
「ふく脱ぐのっ!? なん゛でっ!?」
「落ち着いて。落ち着いてください。服じゃなくて──」
「わああああ! わあああああああ゛あ!! えっちなトラップでキフィナスくんがおかしくなったぁー!!!」
「終始おかしいのはあなたなんだよなぁ……! ああもう! いいから脱いでください! 脱がないって言うなら強引に──」
「ぴゃああああああああ!!!!」
抵抗しないでください! 抵抗しないで!
ああダメだ僕の力じゃ抵抗されたら勝てない。メリー!
「………………」
「ちょっときみ幼なじみの女の子を荷担させるのはいくらなんでも流石にゲスすぎやしな──あばっ?」
深呼吸したままのメリーが、手持ちの水筒を破壊して、多量の水をアネットさんに垂れ流した。
うわぁ、アネットさんびしょ濡れじゃないか。
メリーのやることは雑だなあ……。
・・・
・・
・
「う、うう……その、なんだ、めんぼくない……」
アネットさんは髪から水をしたたらせたまま、僕らに小さな声で謝った。
今日のアネットさんは明らかに本調子ではないので、別に気にしてはいない。
……気にしてはいないけど。もちろん気にしてないんだけど、アネットさんがあたふたしてるうちに、いつの間にか黒い靄がぽこぽこ受肉しているのは文句つけてもいいかなぁ?
「あらら……」
気づけば、辺りには僕の姿をしたサキュバスと、メリーの姿とサキュバス。それから、さっきのアネットさんの父親がうじゃうじゃ湧いてきた。
だいたい割合としては同数くらいか。僕らの思考をそれぞれ読みとったらしい。
「メリー、困った」
「………………」
え。もしかしてまだ吸ってたの?
もう深呼吸やめていいですよメリーさん。メリーさん?
いやリラックスしすぎでしょ。
今の状況見てくださいよ。僕囲まれてますよ。
「………………ふ。まだ。だめ。いける」
どっちの話? もしかして深呼吸? 帰ってからやらない?
いや、仮に今の状況でまだ手を出さないって話なら困るよ。
いくら人型相手ならある程度戦えるって言っても、僕は囲まれたらどうしようもないんだけど……?
ああだめだ。メリー動いてくれない。
「まあ! 愛の人とお連れの方と武官の方がこんなに!」
「はゃー、やっぱり二人はお互いに大好きさんだものなー……、となるとやっぱわたし……。ええ……、いや、ありえないでしょ……」
──僕は何の脈絡もなくカッコいい決めポーズをした。
「えっ?どしたのキフィナスくん」
「きふぃ。よい。すばらしい。きーぷ」
「礼拝ですかっ? 礼拝なのですかっ?」
違います。
僕のコピーたちはそれに追従しない。
……うん、やっぱり姿だけを模しているようだ。
僕の思考までコピーしているなら、そのポーズに絶対合わせる。
全員で似たようなポーズをすれば相手に威圧感を与えられるし、何より同じ姿格好を活かして、積極的に同士討ちを狙いにいくべきだからだ。
「やーい灰髪。やーーい」
僕が挑発してみても無反応。
というか、意味のある言葉を返そうとしない。……できないのかな?
発話器官はあるだろうに。そこが魔獣の限界ということ──おっと。
僕の姿で指先から《魔力の矢》を撃ってきたぞ。僕使えないのに。ウケる。
「はは。全然僕じゃないじゃんね」
「ん。きふぃのほうが。すてき。すぐわかる。ひとめでわかる」
「愛ですね♪」
「いや、まあ僕もメリーとそこのメリーもどきの違いくらいわかるけどさ。表情が違うし」
これは愛っていうか、まあ普通のことだと思う。
メリーの方が遙かに表情豊かだ。なんていうか、あっちのコピーは悪い意味で作り物っぽい。
「ごめん。キフィナスくんの方はともかく、メリスちゃんはわかんない」
「えっ見る目ない。観察力に欠けるー。執行力低くないですか?」
「い、今はオフだし! わたしの執行力は低くない゛っ!!」
そうですかね……っとと。
流石に四方から撃たれるのはしんどいな。これは線だからまだかわせるけど、囲まれたら物理的に避けられない。
アネットさん……はちょっと不適切だし、ここはどうするか──。
「お任せくださいっ♪」
えっ? 宗教のひと?
「愛に怯えるっ! 悪の魔物さん! さあ衝撃でぇ──」
僕の姿をしたサキュバスの頭部に、《聖人の頭》なるイカれた鈍器でガツンとフルスイング。
そのまま相手の頭部が弾け飛ぶ。グロい。
「目を! 覚ましなさいっ!!」
そして、沢山生えている糸ノコギリが、四方八方に伸びていく。
うわぁ。これ毛生えの奇跡かな? 鉄製だからまだギリギリセーフだけど、想像するとすごく気持ち悪いなこれ。
伸びる。伸びる。鉄線は際限なく、どんどん伸びていく。
もつれる、絡まる、締まる。蠕動する髪は、そのまま相手をズタズタに引き裂いていく……うわ僕の方にも飛んできたっ!
僕がしゃがみ込んでかわすと、糸ノコギリは僕のすぐ後ろにいた、僕そっくりの生き物の脳を削っていた。
「片づきました♪」
──いや、エグいエグいエグいエグい。
僕じゃないからって容赦がなさすぎるじゃんね。僕じゃないけど僕なんだよ。
えっなに今の。残虐すぎるでしょ。生きたまま鉄の茨で拘束されて全身傷つけられつつノコギリで急所をじわじわ削り落とされる人の気持ち考えたことあります? 僕はなかったです。
なかったのに考えざるを得なくなったわ。
「ただの魔物ですっ♪ お怪我は、ありませんか?」
いや、ないけど。
ないけどさぁ……。
確かに、ただの魔獣って最初に言ったの僕だけどさ。
正直、思うところは増えたよね。
「わたしはファザコンじゃない、わたしはファザコンじゃない、とうさまへの愛は普通、おふろはもう卒業してる、わたしはノーマル、わたしが殿方とご縁がないのは仕事が楽しいから、わたしは……」
「ブツブツと小声で何を……? やっぱり今日のアネットさん、だいぶおかしいな……」
------------------------------
《サキュバス》
シェイプシフターの一種であり、本来の姿を持たない魔獣である。意識を読みとってきて、もっとも印象深く、危害を与えづらい相手の姿で襲いかかってくる。
あくまで『危害を与えづらい相手』であり、それは必ずしも愛欲の対象とイコールではない。
これだけではアネットの性癖がインモラルであることを示すことにはならない。
複数で行動する冒険者パーティでもっとも忌避される魔獣である。
冒険者界隈では下品な冗談が流行っていることもあって(人間関係が弱いキフィナスは知らない)、戦闘をするとだいたいパーティの人間関係はぐちゃぐちゃになる。
自分の姿をしてる相手や、自分が大事に想っている相手を目の前で殺されるのは、誰だって気分のいいものではないのだ。




