ビギナー姉妹の受難
「帰りたいわ。まっすぐ街に帰りたい」
「……ダンジョンに潜ることを提案したのも。私が先ほど帰還しようと提案したときに却下されたのも。姉さまの方だったと記憶していますが」
「確かにそーだったかもしれないわね。でもね、心が死にそうなの! 暑いし臭いし襲ってくるし! あーもう帰りたーーーーいっ!!」
「……静かにしてください。姉さま。魔力がない状況でモンスターに遭遇するのは危険です。先ほどのように──」
「シアはよくもまあ。平然としてられるわね……」
「……そうでもありませんよ。姉さまも気をつけてください」
ダンジョンの一角。
行き止まりの壁を背にして、赤髪の姉ステラと青髪の妹シアは地面にぺったりと座って休息を取っていた。
服に刺繍された貴族位を示す紋章は、既に泥にまみれている。
こうして二人がダンジョンに入った理由は、ひとえに双子の姉であるステラの思いつきによる。
──ここ最近のダンジョンの生成速度は異常だ。
歴史的に、大都市の多くはダンジョン資源の囲い込みのためにダンジョンが生成されやすい土地に建っている。
迷宮都市は王国草創期に開発された都市だ。腕のいい冒険者と、良質な素材を獲得できるダンジョンを多数備えており、元々新規ダンジョンの生成速度が早い地域だった。
だが、早いと言っても昨今は限度がある。変化が必ずしも良いものとは限らない。生成速度に対する調査が必要であり、それはここ数年来の懸案課題だった。
……だが、冒険者の多くは学がなく、彼らの調査報告のうち、多くは役に立たない。その上、持ち前の暴力性で調査対象を破壊することも多い。ダンジョンで手に入るモノはどれもこれも値が付くせいで調査が進まないのだ。
──しかしながら貴族には、力を持つものには、相応の責務がある。
そして姉妹には、常人よりも遙かに力がある。常人を遙かに凌駕する身体能力と魔術の腕前は、現役のBランク冒険者にも引けをとらないだろう。たとえ相手が真剣を持っていても、その場で向かい合って試合をするならば容易く返り討ちにできる。
これだけの力があるのだから、生成直後の、自分たち二人だけでも問題なく探索が行える難易度のダンジョンであれば調査ができるはずだ。調査したい。あわよくば原因を見つけて解決したい。
ステラは妹にそう訴えた。
妹のシアは熟慮の末、その訴えに応じた。
二人だけ、というのは危険であるが、当主の父が現在王都にいる以上、命の危険が伴うダンジョンに家中の人間を許可なく随伴させることは憚られる。
そう伝えるとステラはとても喜んだ。
調査は進む、ダンジョン資源を直接この手で回収できる、実戦経験を積めるといいこと尽くめだ。
──そして何より、二人だけならネコを被る必要もない!
そうして、二人は本日生成が確認された《怪虫の巣穴》なるダンジョンに一足先に潜り込むことにした。
保有している魔力が常人とは違う。魔獣は一撃で沈み、探索はどこまでも順調だった。
──しかし、彼女らは冒険者ではない。
彼女らが熟練の冒険者であれば、いたずらにダンジョン内で魔力を切らすような立ち回りは慎んでいただろう。
彼女らが新米の冒険者であれば、魔力の消耗に過剰な危機感を覚え、すぐに撤退していただろう。
ただ不幸なことに、彼女らは経験に対して分不相応なくらい腕が立ってしまった。
(まずいですね……。魔力の回復が遅い……)
姉のステラは自身の莫大な魔力量にまかせ、無計画に魔術を行使した。
妹のシアはそんな姉を補助するように立ち回っていたが、罠を踏んで魔力を一度に吸われた。
ダンジョンの魔素は人体とは馴染みづらい。魔力の回復が遅くなるという事実を、知識はともかく感覚的に理解してはいなかった。
つまり、彼女らはダンジョンへの《適応》が足りていなかったのだ。
それにも関わらず勇み足で深入りをした。
結果、袋小路で往生するに至った、というわけである。
(はあ……。変わらずシアの表情が暗いわね。お姉ちゃんとして、ここは冷静にならないと……)
ステラは考える。先ほどの大声も、本気半分、空元気で自身と妹の緊張をほぐすが半分の奇行であった。
ばくばくと音を鳴らす心臓を意識の外に置き、冷静になろうとする。
(お父様なら、ここで焦るのではなく、一旦休息を取って態勢を整えるはず)
……行き止まりで休憩しよう、という案は姉・ステラからの提案であった。
行き止まりで休憩することの利点は、正面さえ警戒すれば奇襲しづらいことにある。
冒険者の死因の多くは奇襲だ。それを防ぐために行き止まりで休憩するという判断は、基本的には間違いではない。
基本的には、だが。
「ひっ……!」
ぐがああああああ、という獣の叫びに、妹のシアは反射的に体を縮こまらせた。
──道の行き止まりにある二つの柔らかい肉を見つけて、獣が咆哮したのだ。
「《レッサー・オーガ》……! 燃えっ……足りないっ! だめっ! シアっ、逃げっ──」
疲労は冷静な判断力を奪う。
三方を壁に囲まれていれば奇襲はない。それは正しい。その一方で、逃げる場所も身を隠す場所も存在しないということでもある。
姉も妹も、もう魔術を行使するだけの余力は残っていない。
……ごく僅かな、たった一発分でも魔力があれば、この程度の相手、簡単に返り討ちにできたのに。
「姉さまっ! ここはっ、わたしがっ!」
妹が両手をぐっと伸ばし、姉を隠すように立ち塞がった。
その手は震えている。足にいたっては、しっかり立つのさえおぼつかない。
ただ、その目だけは、鈍色の刃を握りしめ、こちらに疾駆する獣を見据えている。
「シアっ──」
獣が迫る。迫る。迫る。
あの膂力で切りかかられればひとたまりもない。
凶刃が最愛の妹に振り下ろされる、その刹那──。
「よいしょっと」
とすん、という柔らかい音と、場違いな呑気な声。
それと共に、屈強なレッサー・オーガは、頭から木の棒を生やした。
命を奪おうと疾駆してきた巨体が、ずるりと鈍く倒れ込んでいく。
「……へ?」
ステラは柔和な、ともすれば卑屈そうな笑みを浮かべた青年と目があった。
魔力がないことを示すくすんだ灰の髪に、優しげな印象を与える顔立ち。軽薄そうな笑みを顔に張り付かせている。
年期の入った革製の防具に、頭だけは金属製の──恐らくは新品のヘルムを身につけている。
全体的に穏和な雰囲気を纏いながら、目つきだけはどこか鋭い。
「うーん……、またやらかした。やだなあ……もう一度洗わないと」
(ただの木の棒……? 歳は、同じくらいみたいだけど。この人はいったい……)
青年は、こちらのことを気にせず、脳漿にまみれた棒を壁に地面に擦りつけている。
「強く擦りすぎないようにっと……。削れないように、それでいて汚れはしっかりなすりつける……ううん、結構難しいなこれ。でもわざわざ買い換えとか面倒だしなぁ」
その姿は、なんというか……せこい。
自分たちの命の恩人を値踏みするようにじろじろと観察していることに気づき、ステラはこほん!と大げさに咳払いをした。
そして、余所行きの、貴族としての立ち振る舞いを意識しながら男に声をかける。
「……あの、ちょっとよろしいかしら?」
「はい?」
「先ほどは助かりました。ありがとう」
「あー……、あはは。いえいえ、通りがかったのはただの偶然です。気にしないでください」
「そういうわけにはいきません。これでも貴族ですもの。恩誼には報いる必要があります。私はステラ・ディ・ラ・ロールレア。こちらが妹の、シアです」
「……シア・ラ・ロールレアと申します。この度は、ありがとうございました」
優雅なカーテシー。洗練された発話法。
先ほどまでの、命の危機を前に震えていた少女たちの姿はそこにはない。
「やっぱ貴族のひとかー……。ええと、僕はキフィナス。姓も爵位も学もない、辺境出身の四流冒険者ですよ。ただの四流なので、あまり気にしないでください。あとできれば、何か失礼なことがあっても、ダンジョン内でだけはお目こぼしいただきたいなー、ってー……」
「そうね。ここはダンジョンですものね。楽にしてくれて構いません」
「罠かな? いえ、そういうわけにもいきません。僕とあなた方では身分が違います。弁えているつもりですよ」
「……そうね。そのような判断を含めて、あなたの好きにしてください。ところで、その子は?」
──小さな女の子が、べったりとキフィナスの背中に抱きついている。
金を薄く引き延ばしたように輝いた髪。透き通った琥珀のような瞳。
その顔だちは、自分の容姿にそこそこ自信のあるステラの目からしても整っている。まるで、熟練の人形師が作り上げた人形に魂が吹き込まれたような美しい造形だ。
そして、表情は氷のように動かず、一切の感情が読みとれない。青年が笑みを浮かべていることもあって、少女の無表情はよりいっそう強調されている。
そのことも、姉妹に彼女が作り物──人形であるという印象を強めた。
「妹さんかしら? 随分懐いているのですね」
「いや、この子は妹というか──」
「めりが。あね」
「いやどっちかと言ったら僕が兄でしょ……。そもそも僕ら、血縁関係ないよね」
「あね」
「あー、この子はメリー……メリスって言います」
「あね」
「……メリス? まさか。《雷光一閃》のメリスですか?」
メリスという名前を聞いて、姉の後ろに静かに控えていたシアが反応した。
「あね」
「そこは後で詰めていこう。後でね。今は暫定的に僕が兄ってことで。それよりメリー。君の二つ名沢山あるけど、あれ聞いたことある?」
「しらない」
「やっぱり? いちいち覚えてられないよね。……ああすみません。えっと、その二つ名に聞き覚えは正直ないです。けど、Sランク冒険者のメリスだったら。この子です」
「この子が、あのメリスなのね……」
「……姉さま。信用するのは危険かと。名を騙っているのかもしれませんし、あるいは……」
いかに庶民の生活から縁遠い貴族と言えど、自国の興廃を決める上級冒険者の知識は持っている。
Sランク冒険者のメリスと言えば、三国に並ぶもののない凄腕冒険者で、管理できない超難度ダンジョンの破壊も多数手がけている。ロールレア家でも何度か依頼を出していたはずだ。
純金を薄く引き伸ばしたような髪と、磨かれた琥珀のような透き通った瞳。可憐な容貌に見合わぬ実力であるという噂は聞いていた。……それと共に、悪い噂もまた耳にしている。
──曰く。凄腕のSランク冒険者・メリスには、彼女とは不釣り合いなくらいひ弱な男に付き従っている。
それは弱みを握ったからだとも、何らかの呪術を使ったからだとも。語られる手段は違えど、男が何らかの悪辣な手段でメリスを操っているという見解は概ね同じである。
──そしてそいつは、《女使い》と呼ばれていた。
シアは姉の袖を引き、ひそひそと耳打ちをする。
「どうしたの? シア」
(……Sランク冒険者のメリスはご存じですよね)
「もちろん。知らないわけがないでしょう」
(……であれば、あの灰髪の《魔抜け》は《女使い》でしょう)
「そうでしょうね。それで?」
(……姉さまだって、あの男の噂のひとつやふたつ聞いたことが──)
「でも、あなたを助けたのは彼よ?」
(ですが……)
「えーと、差し支えなければ教えてください。お二人は、これからどうなさいます?」
「途中で魔力が切れてしまったの。だから帰れなかったのです。よかったら、あなたに同行させて貰えないかしら?」
「そうだったんですか。それは大変で──」
「姉さま!」
シアはステラの手を思いっきり引き、大胆に耳打ちを始めた。
(……いいですか。相手は悪い噂の絶えない冒険者ですよ。何を要求されるかわかりません。危険です)
「そんなこと言っても、あたしたちだけで街に帰るのは危険よ。帰りの道も、モンスターに追われたせいでわからないのだし。ここは信用するべきでしょう」
(……迷宮都市の敵はモンスターに限らないと、お父さまも常日頃からおっしゃっているではありませんか)
「『信頼とは委ねること』ともお父様は言っているでしょう? あたしは、他ならぬ彼に助けられたのよ。噂話ではなく、己の目を信じます。……シアのそういうところ、お姉ちゃんよくないと思うの」
(……わたしは、姉さまのそういうところは美徳だとは思いますが──)
「僕らはこれから……どうしようか、メリー。この二人、どうも貴族のひとみたいだけど」
「もっともぐる。たんさくする」
「うーん、人命優先ってことにして早く帰らない? 道はわかってるんだし次の探索は早くここまで着けるよ」
「もぐる。《コア》壊す」
「そっか。……えーと、すみません。僕らは今日、このダンジョンを破壊するためにいたんですよ。同行していただくのは構わないんですが、帰るまでもうちょっと時間ありますよ?」
「破壊、ですか……。あまりやってほしくないですが、ここなら間引きの範疇ね。ええ、構いません。このまま帰るより、貴方たちに同行した方が安全でしょう」
「そうですか。じゃあ、出来る範囲で、お二人の安全には気をつけます。痛いのも怖いのも嫌ですもんね」
「そうね。姉として、シアにそんな目は見させたくはありませんから」
「姉さま……」
なお、ダンジョンにそこそこ強引に妹を連れ込んだのは姉である。
彼女は本心から妹の身を案じている。だからこそ、タチが悪いのだ。
《装備》
適応が進んだ冒険者は、装備が自分と一体になった感覚を得る。
重装鎧を軽々と着こなす華奢な女冒険者は、適応が進んでいることを示す。適応とその資質次第で、装備の重さをまるで感じず機敏に動くことも可能となる。
しかし、キフィナスには適応の経験がないため、装備の重量をしっかりと感じる。
当人としては見るからに硬そうなダイヤモンドやロンズデーライト製の全身鎧を着たいのだが、力も体格も体力もないためそんなものを着たら動けなくなってしまう。
そのため、年季の入った革鎧と新品のヘルムという装備を好んで用いている。
革鎧は軽くしなやかで、身体の動きを阻害することがない。
頭は急所なので、少しでも傷ついたら新品に取り替える。
なお、メリスの服はキフィナスがその日の気分で着せ替える。今日は薄手のチュニックとロングスカート。




