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死出虫の葬列



 流行はやりやまいや不注意の怪我、見知らぬ者の襲撃により、人はいとも容易く死ぬものだ。

 そうして、魂なき器の血肉は直ちに風化を始め、肉が溶け腐るごとに個は取り払われる。いずれは白い骨だけ残し、それをも時間という槌は砕く。その後には、何も残らない。

 それが自然の営みであるが──この逆さ王都では、その条理もまた反転しているらしい。


「構えておけ、キフィナス」


 濃厚な死の気配が、周囲から感じられる。背骨には常に暗く冷たい感覚が走る。

 リリが撃ち抜いた頭骨は、ありふれた死のモチーフだ。この世界ではさして顧みられることのない、個人の、故人の、凡人の死でしかない。

 だが、それは生者の脅威にならないことを意味しない。

 只人の想念と言えども、時に世界を毀損し得る。手負いの小鬼は悪知恵が回るのだ。


 冒険者ギルドの量刑執行官にして哲学者の思想狩人ソート・シーザー、リリ・グレプヴァインは、それをよく知っている。


(かの忌まわしき呪術師、マレディクマレディコのように。危機に瀕した弱者の方が、より精緻に死を空想するものだ。そして、熱量ある空想は現実に具象する)


 ──故にリリは、己の手足よりも信頼する黒檀の弩によって、頭蓋の内を過たず撃ち抜き、その思考を粉砕するのだ。


 足下に転がる骸は、一歩踏みゆくごとにその数を増す。カタカタと音を立てて立ち上がろうとする骨は一体、二体が四体、四が八体、八が十六三十二、数限りなく増えていく。だが白骨が動く前にもう一度殺す。弩を抜き撃ちて頭蓋を割る。弩弓で足りねば投擲し、刺さる矢杭を殴り穿って二連三連四五六連貫いていく。一度で足りないならば、安全のために何度でも殺す。それだけだが──。


(数が多い)


 この白骨の数量は、即ちこの国の歴史の厚みだ。

 言い換えれば、十年前の王都で死に絶えた100万人よりも、数百年に渡ってこの共同墓地に葬られた者の方が数多いという単純な事実である。

 偉大なる王の御時から990年。その間に旧王都は数多くを積み上げ、全てが崩れ、崩れたまま今ここにある。


 カタカタと鳴く頭蓋骨の大合唱が周囲に響き渡る。

 リリの暴力よりも、その数の方が増えている。


「ふむ」


 髑髏が鳴らす音に意味を求めても仕方がないのかもしれないが、リリには同行者の安全を維持する義務がある。相手の行動の背景にある意図を考察し、リリは鋼鉄製の右腕から言語(デフニング)()発機チャッターを起動する。

 耳鳴りを惹起する音に、後ろのキフィナスは「うるさいんだけど!?」と叫んで顔をしかめるが、残念だがこれはそういうものだ。発生源はリリの方が近い。諦めろ。


 この音は魔術師殺し──人間が人間を効率的に殺す技術だ。

 それが精神を塑性する瞑想であるならば頭蓋を割ればいい。

 それが世界に彫刻する詠唱であるならば、掻き消せばいい。

 元人間を相手にするには丁度いい技術である。



「……キフィナス。走る準備はいいか」


「あ?」



 ──しかし、この空間の本命は、どうやら死人ではなかったらしい。

 リリは直ちに義手に仕込んだ騒音装置を分解して踏み砕き、すぐ後ろのキフィナスに警告する。



「次の通路を振り向かずに左に曲がれ。……来るぞ!」


 濁流のように、右側から押し寄せてくるものがある。髑髏たちが隠していたカタカタ、カサカサという音は、重なり、狭い通路に反響し、近づくにつれてその低音は次第に大きく高く早くなる。

 リリが先行させていた、冒険者ギルド直売の斥候道具・ボールベアリングにもいくつか混ぜている偵察用ドローン──《自在式(スケプティック)複眼球・インスペクター》が捉え、一瞬で機能停止に追い込まれた要因が迫っている。



 それは、蟲だ。

 一匹や二匹ではない。

 静謐なる旧王都の地下墓地通路の天地の反転した地面から天井まで、その格式も世界の反転もすべて無関係だとばかりに覆い尽くす、何千何万何億もの蟲の大群だ。


 羽の生えたもの、地を這うもの、蛆が蚯蚓が蛾が蟻が蠅が百足が蟷螂が、黒いものが赤いものが白いものが極彩が混ざり混ざり混ざり合い、死肉喰らいの埋葬虫ども、その全てが混ざって怒濤を作り、天と地にそれぞれある骸をすべて蹂躙し、キフィナスたちを飲み込もうとしている──!




(閉所で悪竜の炎血は使えず、酸の嵐は推進力が上回る。影縫いで止めた虫ごと潰して、こちらに向かってくる……!)



 走る。走る。走る。

 励起した屑魔石の即席爆弾を投げても、爆風で最前列を潰したままこちらに迫ってくる。酸の嵐に呑まれながらも、進行を止めない。幸い、虫どもの速度は人間よりも速くはない。

 ……後方に控える、生きる終末・メリスには頼れない。

 キフィナスが望まない限り、あれが力を振るうことはないだろう。それは、リリにとっても都合がいい。

 他の終末装置があの暴威に共鳴しないとも限らないためだ。



「後に続け! 追いつかれれば──魂まで喰われるぞ!」



* * *

* *

*



 冒険者が一番鍛えなきゃいけない体の部位はどこか? これは一切の議論の余地なく、足だ。

 どこかの幼なじみが好む『正面から全部ぶん殴る』なんてのは、一般的には愚策だ。なぜなら、道具というのは使えば消耗する。武具の手入れだってタダじゃない。仕事なので、アシが出ちゃいけないわけだ。なので、一般的な冒険者は時に遠くに迂回して、尻尾巻いて逃げて、駆け回って……とにかく、足を使う。

 だから、冒険者を見るときはまず足元を見よう。だいたい冒険者なんて不安定で社会的な立ち位置が不安定で永久離職率が高い仕事やってる奴はどこかに弱みがある。が、そんな中でも足元に気を使ってないのは、どうせすぐに冒険者じゃなくなるから気にしなくていい。

 僕の故郷とも言える東京駅に遺された技術の多くは、魔力とかいうよくわからん技術を除けばこの世界の数百年以上先の水準だが、靴だけはこの腐れ後進文明世界ラーグ・オールでも悪くはない。必要は発明の母というやつだろう。


 まあ、つまり何を言いたいかというとさ。


「ふッ……、ふッ……! し、しんどい……!!」


 僕はここんとこ冒険者ではなくお貴族様の使用人をやっているわけで。

 いよいよ冒険者という肩書きを外したい気持ちでいっぱいなわけです。

 そんな中でね? ゴールもわからん道を走らされるような冒険者としての資質を問われるようなシチュエーションは困るんですよ。もういい加減冒険者じゃないでしょ僕。ぶっちゃけ高ランクダンジョンで僕にやれるコトとかないんですよ。


 ──後ろから響くカサカサカタカタ鳴る轟音。

 ──マスクの上からも漂ってくる濃厚な死臭。

 ──走らなきゃ喰われる。本能が教えている。


 ああもう……本当に嫌だ! 嫌すぎる!

 幸い、相手の足はそう速くはない。そして、天地が逆さまになっていることが、逆に幸いしてる部分もある。天井部分には荷物を置かないからね。

 だから、全速力で走れば、僕の足でも問題なく逃れられる。

 ……だからこそ、メリーには頼らない。頼れない。


「きふぃ。がんばる。よい」


 僕が抱えてるメリーさんは状況が理解できねーのかエラくのほほんとしている。ナメたコメントをよこしてくる。

 そうだよ頑張ってるよ。ヤバいの迫ってる中でも何か知らねえけどフワフワフワフワとシャボン玉に就職したみたいな動きしやがってる子がいるからおなかをとっ掴まえて逃げてるんですよ。

「きかない」あ?じゃないんですよ。効くとか効かないとかじゃなくて、蟲の群れに飛び込ませるとか論外だから。

 一応言っとくけどメリーきみ結構重いからね?


「けいこ。めり、かるい。かるいよ? はねのよう」


 自分で言うか? 羽のようって、浮いてたところだけだからな共通点。

 ああもう……ほんと、世話が焼けるんだから。……僕の気も知らないで、すぐ滅茶苦茶するんだ。

 しっかり掴まえてなきゃ。


 走る。走る。走る。

 とにかく必死に走り続ける。

 動く骨の障害物を跳ねてくぐって躱して走る!

 右に曲がって左に曲がってまっすぐ進んで走って走る!!



 …………あーーーーーー!!もう帰りたいなあ……!

 帰って執務室で命の危険のない事務作業したい……!!

 たとえばほら、バカ貴族からのクソおてがみにお返事とかそういう……?

 んーいや、やっぱしたくねーわ……! やっぱり僕は冒険者だったのか……!?


「ん。まいにち。もぐる。もぐてる」


「そりゃあメリーが行くからねえ!! 僕は冒険者とカはッ……ぜヒっ、あっ唾液ツバが変なとこ入っ……!」


「余計な体力を消耗するな」


「あアぁンうるっさいなぁッ!!! だいたい、あんたのナビゲートを、僕が信じると思ったら大まちがッ……がフッ!ごッ、ごほッ!!……う、ううう……!!」


 酸素が足りない。マスクの中は汗がぐっしょりだ。だけど、これ脱いだら腐った空気で肺がやられそうだから取るわけにもいかない。

 しんどい……。足は止められないのが、またしんどい……!

 そのクセ茶々入れてくる相手が二人も居やがる。メリーはいいよ。そういうトコあるの知ってるし。慣れてるし。なんでちょっと楽しそうなのかなあって全部終わったら文句言うけど……ああもう、しんどいなぁ!!!!


 デロルのみんなはどうしてるだろう。王都に行ってから、仕込みをして、それからダンジョンの中の時間で……。外では、どれだけの時間が流れてるだろう? みんな元気かな。

 疲れからかどんどん思考が逸れて、それでも足だけは動いて──あっ。


「《幻影舞踏ミラージュ》ッ!」


 ──蹴っつまずいた僕の襟首を、細くしなやかな腕が掴む。

 首がぐえってなっているところに、しっかりした力でわき腹を締めて……いよいよ殺しに来たかッ!? メリーは危ないから離れッ……。


「暴れるな。……メリスも、そのままでいい。追いかける蟲どもに呑ませるつもりはない。あれは、この空間における死の象徴だ。

 土の下で数百年積み重なった想念……死の間際にわずかに意識を取り戻した者たちの、人生最期の光景──動かぬ肉体をむ虫どもの蟲葬だ」


「離せよ……! そんなの知ったこっちゃないっての! 別に僕は、あんたの助けなんて必要としてないって言ってるだろ!」


「では。メリスの助けか」


 ……僕は、聞こえなかったふりをする。

 だというのに、言葉を重ねてくる。



「キフィナス。君は、メリスに依存している。君は根底の部分で、メリスの存在に、その力に甘えている」


 ……やめろ。


「この旧王都がどれほど危険なのか。君はそれを、根本的なところで理解していない。

 世界の破滅に至る引き金を知らない。対手の脅威を知らない。君は、何もできない。

 だが、メリスが望むなら、全て、容易く握り潰せる。だから、理解する必要がない。……それは、全くの甘えだ」


 やめろよ。

 リリ・グレプヴァインの……裏切り者の言葉は、どれだけ鋭くても、僕には届かない。

 だから、無意味なことはするな。


「君とメリスの関係は、メリスの力によって成立している」


 言うな。それ以上言うな……!



「君は、かつて私に語ったな。メリスに、ふつうの人間並みの生活をさせると。

 ──そんなことが、できるわけがないだろう。ならば、君はここにはいない」



 君はただ君自身の領分を全うすべきだった。

 領邦都市で己にできることをすべきだった。


 僕よりもずっと速い足音も、呑もうとしている蟲の大群が立てる音も、淡々とした師匠の言葉をかき消してはくれなかった。




 迷宮都市デロル、ロールレア家の執務室。

 名代のキフィナスが王都に向かい──同行し、半ば本気で旧王都に同行しようとしていたシアを何日か掛けて宥めすかして帰してから──既に数週間が経過している。


「順調ね。──面白くないくらいに」


「……はい、姉さま。キフィに付けていた氷粒ビーコンが、本日未明、魔力を追えなくなりました。……あちらでは始まったのかと」


「やっぱりお姉ちゃんそれどうかと思うのよね」


 組織を再編した張本人、ロールレアの家令職キフィナスの不在は、領地経営に驚くほど影響を与えなかった。

 徹底したマニュアル化、意志決定体系の整理。いつ不在にしても、問題が発生しないようにしていたのだろう。


 ……それは『自分がいつ消えても問題ないように』という、全く的外れな気配りの表れだと言える。

 姉妹にとって、本当に面白くないことだった。

 家内の讒言も、日に日に大きくなってくる。魔眼で睨んでやろうかと思ったことは、一度や二度ではない。


「まったく……面白くありません。帰ってきたあのひとに、沢山文句を言うつもりだったのに。『あなたが居ないうちに、私のおうちはボロボロなのだけど?』って」


「……はい。それを理由に休日を没収しましょう。毎日、日が落ちるまで、キフィにはこの執務室で過ごさせるのです」


「ね。ロウキホウ?キフィナスさんが時々言うそれも、私たちには一切関係ないのだし」


 しかし、姉妹の目論見は上手くない。財務状況を多少傾けようと、いよいよ弱者・寡婦救済の公共事業を始めてみても、経済状況は大きく上向いている。

 キフィナスが発案した『株券』による有力商人との定期会合、その場で旧王都攻略──戦争への特需の情報を共有し、その利益を大きく得ているためだ。

 王都への一時出店の許可、『御用達』紋章の一斉付与、そして、商人連合隊キャラバンの結成。王都に集まる貴族に対して、数多の冒険者を抱える迷宮都市のブランドは機能する──全て、キフィナスが発案したことである。


 ロールレア家の迷宮公社ステラリアドネを中心に開発・販売する貴族向けの装備──とりわけ靴に大きく意識を向けた、格式高いデザインの装備一式は、飛ぶように売れている。

 旧王都攻略戦に参加しない法衣貴族さえ、当家の顧客になることそれ自体を目的にして、少なくない額を支払う。

 全部全部、あの、いつもへらへら笑って無駄口を叩く、皮肉ばっかりの、性根がねじれてるのかまっすぐなのかよくわからない、大好きな青年から出てきた案だ。



 ステラは、積み上げられる金貨を眺めながら、つまらなさそうにため息を吐いた。



「……キフィは、どうしているでしょうか」



「さあ? あのひと、よくわからないもの。目を離したら、何をするかわからないひとだわ。本当に。


 けれど……どうせ、いつもみたいに上手くやっているのでしょうね。

 私たちがそこにいないというのが、シャクだけど」





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