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空の棺を悼むものなく



 迷宮都市デロルの歴代領主は、領民に対してその影響力を色んな形で刷り込んできた。

 冒険者として過ごす分には全然まったく気にならなかったけど──意識させないことも巧妙な支配だったと言えるんだろうね──こうして為政者の側に立ってみると、その工夫は色んなところから見て取れる。


 憲兵隊の詰め所だとかの、不特定多数が利用する公共機関に肖像画を飾らせてみるのも、支配力を高める方策の一環だと言えるだろう。──具体的には本日、さる高名な画家(名前は覚えていない)へと発注してたステラ様の肖像画を領内の色々なとこに飾った。

 絵画スキルによって寸分の狂いもなく出来上がった20枚の絵画であるが、はっきり言って、あんまり出来がよくない。なんか身長とか二割増しくらいで盛られてるし。


 そもそもの話をすると──ステラ様はそこまで凛々しい顔をしていないのだ……!

 僕はステラ様と肖像画をそれぞれ見比べた。ちょっと残念な方が本物のステラ様だ。


「失礼でしょう!?」


 事実を指摘しただけですが。かろうじて赤色のシアさんかな?って方がまだ分かる。そっちの方がまだ似てる。


「……キフィ。私たちは姉妹ですが」


「え? いや、顔立ち全然違いますよね。言うほど似てないですよ? ステラ様こんな顔じゃないですし」


「あのね? これは、将来性を考慮した結果なのよ。結構なことじゃない」


 ほらもう、なんか本人へらーって警戒心とかなさそうな笑いしてるし。何年経とうと無理ですよ多分。この肖像画に至るまでにどんなミッシングリンクが隠れてんですかね。

 というか、別にシアさんにも似てないのだ。強いていうならステラ様よりはそっちの方がまだ近いってだけで。僕は肖像画との違いを事細やかに指摘した。ほらここ。まつげの長さ。2ミリくらい違いますよね。目の形ももう少し丸みがある。鋭すぎますよね、この絵。あと鼻の高さも違うかな。パッと見の時点で違うのに精査すると改めてなんだこの……、ステラ様とシアさん足して1.5を掛けましたみたいな……掛けてんですよね。足してるだけならまだしもさ。

 もう別人じゃん。

 これなら僕がステラ様を描いた方がまだ上手いんじゃないか? あ、絵の技術の話ではなく、ステラ様を描く、という土俵においてね。


「だけど肖像画ってそういうものよ? 重要なのは、私がどう見えているかではないの。どう見せたいかなのよ」


 ステラ様はドヤ顔で言った。

 どう見せたいかって……随分見栄っ張りですね。いやまあ、わかりますよ? 写真とかがないから、領民のイメージは絵画なんかに引っ張られる。普段目に付くところに飾っておくのは戦略としては有用だろう。

 だけど、本人のことをちょっとでも知ってたら笑いしか出てこないような拙い詐称、わざわざしなくても良くないです? ステラ様は十分に魅力的なひとでしょうに。

 ……まあ、ただでさえ最近めんどうなのに、調子に乗られたらもっとめんどうだから一番後ろの言葉は口に出さないけどさ。


「ふふ。領主ではない、ただのステラとしてなら、嬉しい言葉だと受け取っておくわね」


「そですかー。……はーーまったく。なんとも無駄で無意味で無価値な小道具ですねー。ああ、やだやだ」


 さて、なんでこんなものを用意したかと言えば、今週末に開催予定の葬式イベント用の小道具である。いや納品がギリギリすぎるだろ……こっちは作品じゃなくて商品が欲しいんですけどねぇー? 花もドレスももっと速かったんですけどー? 次は絶対依頼しないぞ、と心に決めたよね。画家の名前も2秒で忘れたわ。脳のリソースは有限なので。

 まあそれはいいや。

 ロールレア家というこの地の支配者は、伝統的に、葬式を盛大に執り行う。

 それは、故人への尊敬とかの殊勝な理由ではなく、たとえ身内の死であっても『先人はこれだけ偉大な人物であり、己はそれを継ぐものだ』という権威付けとしてしっかり利用するためだ。


 これは偏見とかではない。先々代以前の肖像画を、先代様が旧ロールレア邸を爆破したときに一緒に粉砕して瓦礫の下に埋めたのがその証拠である。大切なものはしっかり王都に避難させてたからね、あの男。

 つまり、祖霊を敬うとかそういう建前は、瓦礫に埋めてもいい程度の価値しかないってこと。まあ王都に避難させたモノも大部分は僕らが──僕『ら』を強調しておきたい──ノリで爆破したんだけどさ。


 ステラ様の隣に飾られている、この7割増しに美化された男の肖像画に、僕としては、まあ、思うところがあるってわけ。

 今後は執務室にこれを飾るとか、はっきり言って気が滅入るね。



「……無駄でも無意味でもありませんよ、キフィ。これは、合理的な判断に因るものです。権力とは、権威によって生み出されるもの。よって、権威を示し続けなければなりません。現状、隣領ダルアのように、当領地まで諜略を仕掛けてくる輩は少なくはないでしょう」


「そうね。先代に比べれば実績もなければ実力もない、ただの小娘だってナメられているのよね。あなたもそれは、感じるところでしょう?」


「ええ、まあ……。小道具ひとつでそれが得られるって考えれば、まあ、合理的ではありますよ、合理的では。この小道具に商品としての価値があるとは思いませんけども」


「……キフィ。ペテル師の絵画を、そう貶めるものではありません。市場価値はおまえの言ほど低くはないでしょう。好悪の感情を、物品の価値を見積もる際に混ぜるべきではありませんよ」


「誰が描いたかで褒めたり貶したりするのもどうかと思いますねー。人物よりも作品そのものを見るべきでは? そして、これはステラ様ではない。であれば、作品としての評価は低く見積もるのが適当じゃないですかね。更に言うと納品が遅れていますね。あと、ついでに言えば、納品がギリっギリなんですよ」


「ばちばちの私怨じゃない」


「は? 正当な理由ですけど? 言うならば公怨ですけど。だいたい、『高名な芸術家様の作品である』って属性を理由に評価をするのなら、僕はメリーの一挙手一投足についてもいちいち褒めてあげなきゃいけないですか?って話になるで──おッぶァ……!」


「ほめても。よい」


 唐突にメリーが頭を僕にズッと寄せた。(こっちが多分メリー側の認識)

 僕の無防備な胸にヘッドバットがぶち込まれた。(これが僕側に襲い来た現実)


「~~~~ッ!」


「ほめてよい」


「……ッたぁー……。はー、はいはい。メリーはえらいねー。何が偉いのかわかんないけど。えらいえらい。僕のあばらぶち折れて偉いねー。満足?」


「もっと」


「そっかぁ。褒められる側としてなかなか図々しいね。謙虚さって大事だよー。少しずつ身につけていけるといいねー。あ、あと僕たぶんアバラ5本くらい折れてると思うんだけどさ。これって労災とかって下りるのかなぁ? どう思う?メリー」


「ん。しあ」


「……傷病手当の範囲外です」


「なるほど。肖像画と合わせて気が滅入りますね、どうも」


 まったく気が滅入る。

 気が滅入るだけで、全力で反対はしているわけではない。まあ飾ってるだけで勤労意欲がゴリゴリ減退していくけどね。

 スペア未満の貴族連中は、概ね全員その所属と目的を割り出せた。わからないのは甲冑の人だけだ。ずっと脱がない。そのくせ甲冑なんて来てるから探索でよくヘバる。ちょっと意味不明すぎて怖い。

 シアさんの言うとおり、どうやら連中は余所の貴族からウチへのスパイを兼ねてたり兼ねてなかったりしていて、まあ別にそうでなくてもろくに指示に従わず、訓練の進捗はちっとも進んでいない。


 僕は勿論として、ステラ様もナメられていることは間違いないだろう。

 権威が足りないって言うのは、まさに、ステラ様に代替わりしてからずっと付きまとっている課題だ。



「あなたの気持ちもわかるけれど。──私には、この街のみんなをより良い未来へ導く義務があります。たとえ小さくても、その為の工夫は重ねるべきでしょう?」


 ……まあ、そこにも異論はないんですけど。





「あ、そういえば葬式の日。有給使いますので」


 感情的な反発はあるし何より勤労意欲がゴリゴリ減っているので、僕は思い出したようにそんなことを言った。

 有給制度って素敵だ。なお、使うときは三日前までに申請するように。労務管理も僕の仕事である。


「えっ? いや、却下するわよそんなの。あなたは家令として──」



「使いますー。労働者の権利は保障されるべきですー。有給を使いまーーす。さもなければ病気になる予定があるので欠勤しますね。病名は当日までに適当なのを考えておきます」



「もう。いつもそうやって唐突なんだから」


「……事前に伝えてくるだけ、半歩程度とはいえ改善はしているかと……」


「シアがわたしより甘い……! お姉ちゃんに対してよりも甘い対応をする……! ウソでしょう……!?」



 不吉な灰の髪が、お貴族様のお葬式なんて舞台で、目の届く範囲に上がれるワケないでしょうに。

 権威を示さないとって状況なのに、僕がいるのは合理的じゃないでしょ。



・・・

・・



 メリーによる解体に伴う増改築を繰り返した宿屋・翠竜の憩い亭は、周囲の家よりも屋根が高い。まあ、なんかひっそり裏手にあるしね。この宿屋は立地がどう考えても悪いのである。

 そんな屋根の上だが、穏やかな春の日には、ここでひなたぼっこをしたりできる素敵プレイスだ。なんか定期的に破壊されるので、たとえ横たわっても汚れとかも気にならない。いやまあ、一応外套は敷くけどさ。その方が柔らかいし。


 季節は冬。少し肌寒い屋根の上にて。

 僕はメリーと横たわりながら、《遠見鏡》で葬式の様子を眺めていた。



『タイレリアの暗殺者が処刑された』


 吟遊詩人なんかの口から、そういった報をデロル領内のあちこちでも耳にするようになって以来、当家からの招致を渋ってた貴族連中の日程調整は驚くほどスルスルと進んだ。というか、連絡してないところからも参加希望の手紙が次々に届いた。

 そういえば暗殺者さんはロールレア家を狙っているって設定だったんだっけ? 知ってるかって遠回しに問いかける手紙もあって、だから、こちらも知らないって正直に、同じくらい遠回しに答えたよ。


「あれが、わざわざそんなこと訊ねてきた法衣貴族のドネリ家かな。なんか震えてるや。ウケる」


 うん。ただ正直に答えたはずなのに、何やらすごく恐縮している姿は何なんだろうね? 貴族村で使われる語彙って、なんかコミュニケーションに致命的な齟齬出てるんだけど使ってて大丈夫なのかなぁ?

 言葉って円滑なコミュニケーションを図るために存在してるのでは?


「しっかし、石を投げれば貴族に当たるって具合だねえ。ある意味壮観ではある。ある意味ね」


 どいつもこいつもお綺麗な服を着て、不格好なほど顔を白く塗ったりしている。あー嫌だ嫌だ。臭いんだよな、あの手の顔料類。

 ステラ様たちも、今後は侍女とか使ってああいう感じの化粧とかするようになるのかねー……。


「なげる? なげる? ぶつける?」


「メリーが投げたらミサイルになるでしょ……。ぶつけるにしても、今日は貴族じゃなくてこの集会に混ざろうとする冒険者クソバカの方だよ」


「ぶつける」


「無差別テロはやめてね。あくまでやるにしても警備だからね。いやまあ僕は今日は休みだけど……」


 憲兵隊も近くに控えているとはいえ、攻撃側が一方的に優位だからね、こういうのは。俯瞰しての警備は必須で、当然、正規の担当者だって配置自体はしている。本部はビリーさんの担当だ。


「いと。はってる」


「ただの自衛だよー。休みの日に仕事なんてしないよ。休みの日は、休むことだけ考えたい。だって休みなんだからね。

 だから、僕はメリーとこうしてボーッと過ごしてるんだろ?」


 他人の能力を信用できるかというと、正直、僕にはぜんぜん判断できない。気配とかスキルとかステータスとか、胡乱な手段で相手の力を判断する能力を備えていないから。

 だから、できることはしなきゃだろ。



「……いやでも本当に多いな貴族。なんか気分悪くなってきた」


「へらす?」


「すぐ暴力に訴えようとするのやめようね本当に」


 手紙で記されてた参加者は、国王の代理として通商卿──領主への外交とかを担当する大臣みたいな役職──それから貴族が54家計143名だったかな。そこに各家の使用人なんかも付いてくる、と。まあ貴族の葬式って場に使用人とかは列席はさせてないようだけどね。

 この数は……国内のだいたい1/4の家が来ている計算になるのかな。いや、多い多い多い。……ほんと、寝泊まりをさせるスペースを用意するところから大変だったよね。王都と違って色々と閉鎖的なこの領地には、領事館みたいなものは置かせてないんですよ。一等・二等市民の家を召し上げて模様替えして……ああ、思い出すだけで憂鬱になる。これから原状復帰をしてから何か勿体つけつつ返すのも必要になるんだよなぁ……。こんな数の館、日常業務の範囲で管理できないから。


 とにかく数が多い。

 これだけの数が列席した理由は、もちろん前領主様の善良なお人柄によるもの──で、あるはずがない。おそらくは、いま勅命が出ている旧王都攻略について、各領地の動向を把握したいという事情もあるんだろう。


 ──王家に恭順するのか。それとも、いよいよ反旗を翻すのか。

 ここに列席してる貴族連中は、神妙な顔をしながら、腹の内ではそんなことを考えているんだろう。

 前領主様はそんなこと考えてたらしいし。だけど、そこにノセられるのは少し困る。別路線を取りたいわけだからね。


 だから、少し前に訪ねてきた貴族ども──帝国派貴族が多い──については、あえて今回、こっちからは招致はしていない。相手から連絡を受けても、先の一件で迷惑を掛けたとか理由を付けてこっちから呼び込むことはしなかった。

 それでも来る家はあって、そういう場合、たとえば列席者の順番なんかを調整したりすることで、来賓者のランクとして一段下げていると周囲に示すようにしている。……ほんと、貴族って面倒すぎない?

 腕相撲強いやつが偉いみたいな世界の方がいっそシンプルで生きやすいんじゃないのかなぁ?


「うでずもう。する」


「しないよー。僕の利き腕折れちゃうからねー。だから僕の手を取るのやめてねーそっちには曲がらないからねー」



 空の棺ってのはある意味象徴的だ。棺の中になにも入ってないように、列席者たちの敬意も空っぽだ。

 ……これだから、葬式とかいう行事は嫌いなんだよね。


 僕は自分の顔の筋肉を揉みほぐしてみた。……顔にべったり貼りついた笑みは、その程度じゃ取れてくれない。

 僕はどうも、ああいう場には出られない。



「……タイレリアの暗殺者が死んだ、か」



 僕はここにいる。息をしている。痛くも怖くもなく、生きている。

 タイレリアの暗殺者を名乗る権利がある人のうち、最もロクな死に方しないだろうなって思っていた人が、やっぱり、あっさりと死んだらしい。

 そうだろうなと思った。

 別に、今更誰かかが死んだくらいで心を動かしたりするほどじゃない。危険人物で、おおよそ人格に問題があって、定期的に僕に実害を及ぼす相手だ。尚更にそう思う。そうあるべきだ。


 これはカナンくんにも伝えた。

 カナンくんは、そっかの一言で師匠の死をあっさりと受け入れているようだった。

 冒険者の世界に、カナンくんの方が先輩の僕よりずっと適応しているようだった。

 腕相撲で勝ち負けを決める世界も、それはそれで楽じゃないってことだね、どうも。



 視界の先の、棺の中はちょうど空っぽだ。

 僕はそこに、知り合いの姿を都合よく空想してみて──棺の中でじっとしているような人柄じゃあないなと思い直して、それだけだ。


 この胸にあるものは、きっと、感傷でも何でもない。

 ただ、ほんの少し、刹那の間だけ夢想した、というだけだ。



* * *

* *

*



「商家の出だ。10年ほど前に両親を亡くした。現在、冒険者ギルドの職員をしている。それ以上、私の人生に語ることはない」



「そうかな? 王都の抹消者スイーパーミス・バッドニュース。たとえば、先の《暗殺者殺し》を子飼いの吟遊詩人たちを使って宣伝させた理由はどこに由来するのだろう」


「……あれの死を、旧王都攻略に反対する異分子の象徴とするためだ。タイレリアの暗殺者という、恐怖によって掣肘する機能は、今の王都には既に必要ない。これまでは、王都タイレリアの治安を維持する機構が麻痺しているために必要だったに過ぎない」



「ふふ……。面白いね、キミは。心は揺れない。しかし、魂が揺らいだよ。これだから、ヒトとの問答は楽しいんだ。その回答には、キミの本質は顕れていないね。

 キミの人生の中で、キミの魂を灼いたものがあるだろう? その火傷の痕が──おっと」


 黒檀の矢が、クロイシャの耳を掠め、闇の奥へと突き刺さった。

 しかし、暗闇に浮くように白い魔人の肌には傷ひとつ付いてない。


「貴方に与えるものは、私には何もない」


「いいや。幾千の言葉を重ねるよりも、ずっとキミの熱量が伝わる回答だったよ。この世界の条理をある程度理解するキミが、まさか、このボクを相手に敵対行動を取るのだからね。

 そして、これはコミュニケーションの一形態以上の意味を持たない。

 解像度の高さが、そのまま個が行使できる力となる。根を下ろした空想の上でしか現生人類は生存できず、魔人は根の国よりの質料だ。在り方が違う我々に真っ当な手段で勝てる道理はなく、真っ当でない手段を、先日使い果たしたばかりだというのに」


 クロイシャは穏やかな笑みを作ってみせた。

 相対するリリが熱量は、胸裏の紫炎は、魔人の凍てつく骨芯にも響くものがある。


「だから、教えてあげよう。キミの知りたいことを、知りたくもないことを。区別なく教えてあげようじゃないか。

 ──誰に知識を撒いたか、だったね。

 まずは、セレニテス=リタ・タイレル。哲学者ムーンストーン君には、数刻ばかりの問答と3世金貨を3000枚ほど貸与した。そしてその弟子、ラスティ・スコラウス。キミと同じく、知識が欲しいとのことだったからね。彼の体感時間でおよそ三万年ほど。

 この世界について、その成り立ちから終わりまでを、そのあまねくを教えてあげたよ」


「そこの目が虚ろな男が、それか」


「そうだよ。ボクとしても、いい加減お帰りいただきたいところなんだけど──」


 リリは黒檀の矢で発狂したラスティの頭蓋を撃ち抜いた。

 倒れ伏す肉体に燃える竜血を浴びせ、灰へと変えた。


「……おやおや。いけないね、これは。彼からは、もう熱量が貰えなくなってしまった」


「狂死するか焼死するかの違いだ。あれからは既に、熱量とやらの回収は望めまい」


「店主のボクとしては、その死因は大きく異なるよ。どうか店内では、火気の使用はご遠慮いただきたいところだ。債券証書が燃えてしまうかもしれないからね」


 クロイシャが指を鳴らすと、炎はそのままかき消える。

 黒灰もまた闇の中へと消えていった。


「あの男の弟子は帰せない。貴方の知識という、人類社会に対して最悪の力を持っているならば、尚更に」


「ん? ああ、そこまで気にしてはいないよ。ボクが、キミと敵対する理由にはならない。キミの立場であれば、排除することは合理的な判断だ。

 異なる知識体系は、空想の補助線となる。この国が教育機関を置かない理由だ。知識の取り扱いひとつで、キミの危惧する世界の崩壊は個人でも十分に実現が可能だからね」


 魔人の算盤では、熱量をより与える者がどちらかという比較考量は既に済んでいるようだった。

 だから、あの男をリリの目前に出してみせたのだろう。

 魔人の友好的な態度は、全てが利己行動へと繋がっている。


「たとえば、彼の心酔していた灰月長に倣い、この世界からキキの魔法を──スキル・ステータスという概念を消し去る、とかかな」


「……貴方は、それを吹き込んだのか?」


 リリの義手に仕込んだ回転鋸が、乾いた音を立てる。

 この世界は、その技術を前提にして成立している。



「すべてを知ることを求められたからね。そして、彼の人生の物語はそれに足る起伏があった。取引とは、誠実であるべきだろう?」



(──やはり、危険だ。この超常の存在は、そう望む者と巡り会えば、世界を破滅させることさえ躊躇わない)


 身構えるリリを見て、魔人はおや?と小首を傾げた。

 もう脅威はこの場で取り除いただろうに。あるいは、この場で敵対すると見做されたか?


「警戒を解いて構わないよ、リリ君。当店では、顧客同士のトラブルには不干渉としている。キミがたとえ、彼らに暴力を行使しようと──あるいはキミが暴力を受けようと──それをボクが止めることはしないということだね。

 ボクは、現世の裁定者ではなく、ただの一商人に過ぎない。ヒトを裁くのは同じヒトであるべきだろう?」


「……ただの一商人? 貴方は、経済活動のすべてを握っているだろう。建国以来、この国の通貨供給量は貴方が管理している──即ち、この世界の経済規模は、貴方の想定した通りに収束する。貴方は、経済という空想を共有し、それを私物化してきた」


「過大評価だよ。代替品を用いて交換するという発想は、初期階梯の文明でも見られる。そこまで特殊な文化ではないし、完全な管理ができるほど単純なものでもない。人格のあるインターフェースとして、星の記憶からその概念を人間社会に持ち込んだことまでは認めるけど、あくまで優位なプレイヤーの一人を越えることはできないし、それを越境することを望まない。

 重ねて弁明すれば、ボクは、あらゆる市場経済の参加者が、価値基準の単一尺度として金銭を用いるという状況をあまり望ましくないと思っているからね。それでは、熱量を惹起するモノが数値によって定量化されてしまう。一定の値を超えると効果がなくてね。定性的なものに比べて、その上限は、そこまで高くはないんだ」


「……貴方の生きる世界が、タイレルの地ではないことは理解している。その価値観を開示することで私の認知を歪め、終末装置と変えようとする企てならば、今ここで、私の頭蓋に風穴を空けることでそれを拒絶する」


「いやいや待ってくれ。そういった意図はないよ? キミは少し、自分の命というものを軽く見てはいまいか。ふむ、良ければ相談に乗ろうか? こちらの時間は幾らでもあるし、急ぎの用があるのなら、この空間の時間は操作してもいい。ボクはキミよりも年長者で、人生における解決策を提示できるかもしれないよ」


「不要だ。私の人生は、命の使い道は私が定める」


 その答えがお気に召したのか、クロイシャはくすくすと笑みを零した。


「いいね──それじゃあ、3人目を紹介してあげよう。彼には、何度かの問答と、事業運営に際する投資と、それから、ボクの管理迷宮核の破片もあげたよ。初めて対話した時から、彼の思想はなかなかユニークでね。ボクもすっかり気に入ってしまった。

 彼もまた、世界に疎外される存在でね。心の内に、それとだけ定めて燃え上がる炉を備えてはいないことが欠点なのだけれど……、もう少し上手くやれば、大きな熱量が期待できるかもしれないんだ。勿論、ボクから手を掛けるのは主義に反するところだけど──キミが刺激を与えてくれるというのなら、それを止めたりはしないよ」


 クロイシャは笑う。



「名前は、キフィナス。そう──キミの知っての通りの人物だ」



 どこまでも楽しそうに。




「ふふ。ボクは、客同士のトラブルには干渉しないよ。

 ──サービスだ。お帰りの銀の扉は、どこに繋げるのを希望するかな?」



 魔人は完璧に笑ってみせた。






「ふう……」


 葬式は、何の問題なく執り行われた。

 バカなことをやらかす冒険者も盗賊とかもいなかった。正確にはいないこともなかったが、簡単に黙らせることができる程度だ。それも計画的な敵意があるというよりは、短慮な目立ちたがり屋って感じのやつ。糸で雁字搦めにして冒険者ギルド前に逆さ吊りにしている。


 国の1/4相手に喧嘩ふっかけて内戦引き起こそうぜ、なんてイかれた考えを持つ輩がいなくて本気で何よりである……!

 他にも、貴族側で問題起こしてデロル領に責任擦り付ける最低最悪の自作自演劇やらかすとか、ギリッギリまで警戒していた。



「……そうなると、後は僕らの問題を何とかしなきゃいけないわけだ」



 旧王都攻略作戦。血生臭さで鼻が曲がりそうな、厄介すぎる公共事業。

 僕らの取れる選択肢から、そろそろ、何かを選ばなきゃならない時が来た。



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[一言] 双子の顔をしれっと……いや、ノギスで測ったかのように精密に区別できるキフィ=サン、あなたは灰髪の限界を突破してジョブ《ヒモ》に目覚めていますね。隠しステータスなので気がついていないだけです。…
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