妹様の詰問
先日、あまり円満な別れ方をしなかったシア様が、感情の見えない目をこちらに向けていた。
使用人や豪勢な調度品に囲まれてアウェー感がすごい。
「……彼がキフィ──統計をつり上げている犯人ですか」
「はっ、はいっ、ロールレア様っ。ですが彼はっ、捜査協力者として、都市の犯罪検挙数の増加に貢献しています。犯罪者の多くは周囲から素行不良を指摘されており下着泥棒の他にも多数の余罪が──」
「……そうですね。ですが、あまり名誉なことではありませんね」
ええ。犯罪件数は少ない方がいいですよね。だって記録されるんですし。
いやぁ、わざわざほじくり出してしまって若干申し訳ない。
「キフィナスくん! ……あ、し、失礼しましたっ!」
「……いいえ、許します。……マオーリア。下がっていいですよ。他の者も、席を外しなさい」
「はっ! しかしですねロールレア様!これだけは、これだけはなにとぞ! なにとぞ伝えたいです!! かっ彼は根本的には善良な青年なんですただちょっとひねくれて──」
「……下がってよい、と言いました」
「………………はい。失礼します…………」
本官さんはすごすごと下がっていった。
「……さて……。楽にしていいですよ。キフィナス。そして、冒険者メリス」
罠かな? 僕が不敬を働いた瞬間なんかされそう。
それに、言われるまでもなくメリーはずっと楽にしてる。この部屋に入ってからずっと、むしろ入る前からも、僕に抱きついたままだ。
痛みに慣れることはない。ただ、僕の胸には諦念がある。
「……人払いを済ませたのはそのためです。楽になさい」
「って言われても、まだ何人かいますよね。ほら天井に二人。一人は扉の前にいますし」
「ちがう。よにん、いる」
「ああそう? まあ誤差でしょ」
「……席を外せ、と言ったはずですが?」
シア様が部屋の温度をすっと下げると、部屋の外の気配は消えた。
「……失礼しましたね。躾が行き届いておりませんでした」
「いえ。むしろ使用人として、主を冒険者とひとりで対面させるって方がよほど問題あるのでは。悪いことしたなぁ」
「……姉さまであれば、彼らも命令に従ったでしょうに」
「あ、ステラ様は本日はご不在なんですか」
「……姉さまはまだお休みに──ではなく、お忙しいので」
「僕はこれからどうなるんです? 痛いのと怖いのは勘弁していただければーっと思うんですけど」
「……問題ありません。ただの事実確認です。
──キフィナス。おまえは何故、下着泥棒を増やしているのですか」
その表現だと僕が唆してるみたいだな?
「何故もなにも……、その方が、色々と都合がいいからですけど」
「……都合とは?」
「まあ、一言で言うなら、僕の身の回りは綺麗であってほしいかなって」
以前『事件になる頃には被害が出てしまっている。憲兵隊は犯人を捕まえることはできるが、被害を未然に防止することは難しい』と聞いたことがある。
大変なお仕事だなーって思う。僕にはとてもできない。
そんな僕にできるのは、善意ある通報くらいだ。
「……ですが、下着泥棒自体は冤罪でしょう」
ええまあ。確かに?
だからなのか、最近の官憲のひとたちは最初から僕の下着泥棒という通報を考えてすらくれませんね。来てくれた時点でクロかどうかの判断がすぐ付くような現場を保全することも大事なんです。ちょっとした信頼を感じますよね。
「……手口を聞いているのではありません。理由を話しなさい。……仮に捜査をさせることが目的だとして、何も……下着泥棒でなくてもよいでしょう」
ああ、そこですか。
一応言っておきますけど、別に僕が腹立たしい名誉を貶めたい二度と表通り歩けなくしてやりたいって思ってるわけじゃないですよ?
一応ね。一応。
下着泥棒にするのは物証の用意が楽なのと一般市民のみなさんの憲兵さんへの印象をよいものにするためです。
下着は用意が楽です。僕は新品を常に用意して持ち歩いてる。
そして印象については、下着被ってる人間は表に歩かせるとインパクトがありますから。
そいつ引っ張ってたら一発で仕事してるってわかりますもんね。
あ、重ねて言いますけど別に僕がムカついたからとか、僕が普段連行されてる印象を緩和できるからとかじゃ──、
「……そこまででいいです。おまえは、犯罪者の拘留をパレードか何かと勘違いしてはいませんか」
あー、今度やってみますか? 大型窃盗団とかそういう裏社会の組織グループで。
僕が知る限りこの都市にはいないと思いますけど、ああいう手合いって壁内にもいますしね。流石に壁外ほどじゃないですけど。
「……都市の風紀を乱すのは推奨されません。……この場に姉さまがいなくて本当によかった……」
「むしろより良くしたいという一心なんですけどねー、僕は」
「……おまえの言が本心であることを祈ります」
「はい。僕のたったひとつの武器に誓って」
「……この間折ったではありませんか、それは」
「新しいの買ったんですよ。ところで事実確認も終わったでしょうし帰っていいですか? 僕まだご飯食べてないんですよね」
「……待ちなさい」
えっ?
「……この件は本題ではありません。あくまで、おまえたちを呼ぶための方便です。……あの統計が不名誉であることも事実ですが」
方便……。僕はこれからどうなるんですかね?
舌とか引きちぎったりしますかね? 喋れないのはちょっと困るんですけど。
「……しません。身構える必要はありませんよ、冒険者メリス。わたくしは、おまえに過日の褒美を取らせようというのです」
「褒美?」
「……この執務室から好きなものを。どれでもひとつ、持ち帰ってよいですよ」
いや、僕はそういうのいらないんですってば。
下手に貴族様と仲良くなったりしても厄介なことにしかならないんですよはっきり言って。
後腐れはない方がいい。人の縁っていいものばかりじゃないからね。
かといって受け取らないのも角が立つから困りものだ。
「……メリー、どうする?」
僕は小声で隣の幼なじみに尋ねた。
「めり。きふぃに、もっといいのかったげる」
僕の意図を無視して、隣の幼なじみはよく聞こえる声で答えた。
「いらないんだけど」
僕はシア様の様子を見ながら、もっと大きな声で断った。
……というかこの人贈り物下手か? いやほんと困った。
マントとか剣とか盾とか、これ見よがしに冒険者に向けた豪奢な代物ばかり飾られてるけど、貴族に何でも持ち帰っていいって言われて本気にするようなの長生きできな──なんだこれ。
「きふぃ」
「うん。わかってる」
僕は書棚に押し込まれている薄汚れた魔導書を手に取った。
表紙は剥がれ装丁もボロボロだ。
「これください。いくらですか」
「……値などつけていませんが」
「聞いてみただけです」
「……相変わらずの態度ですね。そんなものでよいのですか。ここには、孕み黒山羊の一番革を用いた白マントなども用意しています。容易には手に入らない──」
「これでいいですー。ところで、いただいたものにはどんな扱いをしてもいいですか? 例えばこう、研究のために分解したりとかー。破損させてもいいです?」
「……構いませんが──なっ!?」
──僕は即座に窓から本を投げ捨てた。
「な、何をするので……っ!?」
直後。
ぼかん、と音を立てて前庭の一角が爆裂する。
そこには小さなクレーターが出来ていた。
・・・
・・
・
「じゃあ、僕はこれで帰ります。目録とか作ってしっかり管理した方がいいですよ。いつ拾ったか、どこで拾ったかも明記しとかないと危険です」
「……待ちなさい。おまえは何故、この書斎にあのような危険物があると気づいたのです」
「《太陽蛾》ですよ。特有の甘い匂いがしたので。六流冒険者ですけど、これでも経験はそこそこあるのでー」
「きふぃの、とくぎ」
「誰かのお陰で罠をかぎ分ける能力が身についたんだよ。誰かのお陰で」
《太陽蛾の爆鱗粉》は強い光に反応して爆発する。
書斎に押し込まれていたのは鱗粉を塗布した部分が光に触れないようにするためだろう。
ダンジョンにも似たようなトラップはあるし、辺境で物々交換をする時は気をつけなければいけない手口のひとつだった。
「……これでは、贈与ができていません。わたくしは──」
「あなたが息災であることがーー。僕にとってのーー。一番の贈り物ですよーー」
「っぁ────」
なーんて。
僕はウインクをキメながらくるりと反転してそのまま帰った。
──庭に出た瞬間全力で猛ダッシュした。
やばいわ。
あの屋敷に住んでるひと、多分現在進行形で命狙われてる。
めっちゃ関わりたくない。めっっちゃ関わりたくなーーい。
僕はメリーの手を引いて走った。とにかく敷地外に出たかった。
「もっと、はやく。はしる?」
「は──」
僕は風になった。
物理的な意味で。
「ふぁぁ……。ん……。おはよ、シア」
「……おはようございます。もう、昼前ですが」
「そうね。でも昨日はちょっと疲れたのよ。何せ奴隷売買だもの……。で、何も変わりはないかしら」
「……はい。例の冒険者キフィナスを招聘する運びとなり、礼として褒美を取らせようとしました。些事ですが──」
「ちょっと待って。私が寝てるときに呼んだの?」
「……はい。起こそうとはしました」
「もうちょっと強く起こしてくれれば……」
「……姉さまには自覚がないのですね」
シアは小さくため息をついた。
「……それに、姉さまは真正の当主代行です。姉さまが一冒険者に面会の時間を作るとなれば、私たちが迷宮に潜った件が表に出ることになりましょう」
「その配慮はありがたいけど、シアも代行でしょう。私が真正の当主代行ならシアは本当の当主代行よ」
ステラは目を細め、最愛の妹の形のよい頭をうりうりと撫でる。
「ま、いいでしょう。説明を続けてくれるかしら」
「……はい。まず、姉さまがお忙しくされていた、昨日の時点ですが。マオーリア家の次女から、都市の治安について定例報告を受けまして」
「え、昨日アネット来てたの? 内容は?」
「……近年、犯罪者の検挙数が大きく伸びていることを指摘しました。治安が悪くなったわけではないという言でしたが、統計で下着泥棒が目立っていたのです」
「したぎ」
「……はい。それが、どうも多くはキフィ──あの冒険者が捜査協力をした結果だと。奴は組織犯罪に強いのだと」
「ええと、つまりどういうことかしら。ここには組織的な下着泥棒グループが沢山いて、彼はそれを追ってるの?」
「……いえ。下着泥棒という冤罪を押しつけて一時拘束するそうですよ。その間に憲兵隊が捜査することで、本命の人身売買などの罪状を突き止めているようです」
「へえ。……わたしたちじゃ取りづらい手だわ。倫理的にも法的にもね」
いくら貴族に権力があるといえど、その振るい方は適切なものでなければならない。
権力には複数の形態がある。たとえば、自発的に行使する明示的な権力。これは一番シンプルな形だが、反発を招き政敵の攻撃材料になる。
仮にロールレア家で強制的な拘束手段を用いれば、この種の権力を行使したと見なされるだろう。よほど風聞の悪い相手にしか使えない。
「……ですので、倫理と法を口実に呼び出したのです」
「なるほどね。わたしとしては、領民が日々をより善く生きられるならその辺りの建前をでっち上げるくらいは多少適当でもいいのだけれど……。シアはそうじゃないのよね?」
「……はい。法とは規範であるべきです。規範を外れた行為は慎むべきです。……もちろん、わたくしは姉さまの意向に従いますが──」
「あのねシア。お父様から私たち二人が代行に任じられたのは、多面的に判断をするためでしょう?」
「……お父さまにも、意志決定を一本に統一すべきである、と申し上げたのですが……」
「それならシアが判断すべきだわ。あたしはそーゆうの苦手だもの」
「……姉さま……」
「それより続きを聞かせて? 彼を呼んで、昨日のお礼をしたのよね。何を渡したの?」
「……この執務室にあるもののうち、どれでもひとつ、と」
「え? シア、贈り物を相手に選ばせたの?」
「……相手が望むものがわかりませんので」
「……そっかあ。シアに任せちゃいけないこともあるのね」
「……なぜそのような目で見るのですか、姉さま。……それに、本題はここからなのです。キフっ……あの男はそこの棚から古書をつかみ取って、前庭に放り捨てたのです」
「え? どういうこと?」
「……すると、古書が突然爆発。あの男はそのまま逃げるように帰っていきました。……わたしは引き留めたのに」
「爆発? え? なんで? ごめんなさいシア。お姉ちゃんちょっとわからないからもう少し説明してくれる?」
「……やつは、無礼だったのです。言うに事欠いて、心にもないくせに、わ、わ、わたしの身がいちばん大事だなどとっ──」
「そっちじゃないわ。爆発の方」
妹の様子がちょっとおかしい。
「……そちらですか。太陽蛾の鱗粉という爆薬がページに塗布されていたそうなのです」
「太陽蛾ね……」
「……ご存知なのですか?」
「まあね。趣味の錬金術で取り寄せたこともあるもの」
「……姉さま。常日頃から申し上げておりますが、あのようなご趣味は品位を……」
「品位はシアが持ってればいいわ。そんな形のないものより、わたしは多くを見たいの。聞きたいの。知りたいの。それに、抱えきれないほどの黄金を作れたら領地の経営に活かせるわよね?」
「……姉さま……。その好奇心は、少し抑えた方がよろしいかと……。先日のダンジョン騒動も、それが原因だったではないですか」
「でも、有能な冒険者と出会えたし、亜龍の牙や骨を回収できたわ。シアだってキフィナスくんを「気に入っていません。好いていません」
妹が面白い。ステラは緩む頬をかみ殺しながら、どう可愛がろうかと考えると──。
「お嬢様がた! 二点ほどご報告があり、お目通りを願いたいっ! ひとつはドノヴの国の公爵家令嬢が誘拐されたこと! もうひとつはキフィナスだかいう男が──」
「入りなさいマリク。……はあ。面倒なことになりそうね」
大声の執事を執務室に迎え入れる。
マリクは基本的に優秀なのだが、粗野なところがあるのと大体厄介ごとを持ち込んでくるのが玉に瑕だ。
「奴はなんと、屋敷から一歩出た直後に逃げるように──」
(お父様の執務室に、爆弾……ね)
マリクの声を聞き流しながら、ステラは何か、大きな胸騒ぎを覚えた。




