どうでもいい
「ねむ……」
帰ってきた二人から聞かされた情報は、心底からどうでもいい内容だった。
だから聞き流した。
執務室のソファに横たわったまま。メリーを抱っこしたまま。
「何? その反応は。ちゃんとあの人から情報を拾ってきたのだけれど」
あ?なんすか? 何?ってなんすか。
ちょっと意識失ってたらその場から消えてる人らがなんか言ってんですけどー。よく聞こえねえや。突発性難聴かな? 不思議だねー。心当たりとか全っ然ねえんだけどさ。
「すねてる」
「は?拗ねてないけど。何?」
胸元のメリーがまるで見当外れのことを言うので僕はほっぺたをつねった。縦に引っ張ったり横に引っ張ったりした。
「ふねへう」
「ははっ。何言ってんだかわかんないや。メリーは口下手だから困るねー」
はーい。僕は拗ねてますか?メリー。問いに合わせてメリーの首を左右にゆっくり振る。
たて、たて、よこ、よこ、す・ね・て・な・い。うん。拗ねてないよねー。うん、うん。僕はメリーの肩を揺らして頷かせた。
余計なこと言うんじゃないよまったく。こうやって茶々入れる時ばっか喋るんだからさ。
「傀儡師みたいなことしてるのだわ……」
僕はステラ様の言葉がよく聞こえなかった。
ねー?メリー。くい、くい。肩を揺すって頷かせる。
「……キフィ。謝罪は、しません。……必要なことだと判断しました」
シアさんが後ろめたさそうな声でそんなことを言う。
何が必要なことだよ。それは、あえて君たちがやらなくていいことだろ。組織の長ってのは、百聞で済ませていいんだからさ。危険性をまず判断すべきだろ。
「だから二人きりでダンジョン潜ったりするんですよ。軽挙妄動って言うんですね」
僕はいつものように皮肉を吐き捨てた。
「……怒ってるの?」
ステラ様が上目遣いで尋ねる。……なんだよ。僕が悪いみたいな……、僕じゃないだろ。
つーか怒っちゃいませんけど? 僕は怒ってんじゃなくて、あれだけ言ったのにアイツんトコ行くお二人に呆れてんですよ。諌言が効かない上司にどうすりゃいいんでしょーねえ。バカなんですか? ああ答えなくていいですよ。
「……あ、あのっ、あのね? わたしは、やらなきゃいけなくて……、」
「あーーーー……」
僕は居心地の悪さに髪の毛を掻いて、胸元のメリーをどかして立ち上がった。
これで謝らないってんだから、ほんと、ズルいな。
「まずひとつ。アイツの言葉は間違ってる。なぜならミス・バッドニュースの言葉だからだ」
「……真実の可能性は?」
「悪意ある真実と誤った推測とデタラメな嘘、そのどれも区別する必要はない。そして、アイツは悪意の擬人化で僕より愚かで平然と嘘を吐ける。情報源として不適切極まりないんですねー」
10万人の動員? 馬鹿馬鹿しい。
個人の戦闘力がそれぞれで違いすぎるんだから、数集めるより質高める方がよっぽど有意義だ。たとえば5000万人の僕がいたとして、メリーと本気で喧嘩して僕が勝てるわけないだろ。
身体のスペックが違う。一定の戦闘力のラインを越える相手には、いくら数を集めても何の意味もない。作戦を考えた奴はよほどの無能か、さもなけりゃ犠牲が出るのを望んでるかのどちらかだよ。
移動都市計画なんて聞こえはいいが、自殺志願者の行進だろ。
非戦闘員をダンジョンに入れるな。
「……ちゃんと聞いてるじゃないの。いじわる」
ダンジョンアタックってのは少数精鋭でやるべきだ。じゃなきゃ余計な犠牲者が増える。
旧王都の危険度を《禁忌の森》のようなSランクダンジョンのそれと仮定して、あの場では僕は本気で何の役にも立たない。
棒きれで罠を探るだとかの前に、大気の魔力濃度が濃すぎて肺に空気を取り込んだだけで破裂する。適応が低いと敵性存在と遭遇してない時点で死ぬ。僕の体験したこの国の最高位ダンジョン、不可能迷宮ってのは大抵そういうのだ。
冒険者ギルドにたむろしてる連中、Bランク以下は僕とそう変わらないだろう。Aランク以上って国内に何人いんの? いま100人もいないと思うけど。ダンジョンの方が居心地いいって行方不明になる事例は後を絶たないからな。
「次元しんぷく?から、探索予定範囲がこの国の倍くらいなんですって。補給線を確保するためって聞いたのだわ」
「……作戦予定期間は5ヶ月。移動できる前進拠点という発想は、そこまで的を外した案ではないと思われますが」
「はあぁ? ……本気で意味がわからん。なんだそれ。未探索で5ヶ月程度? 僕の巾着袋ほどじゃなくても、王都なら遠征用の収納魔道具くらいあるだろ。死者を増やすだけだ、不合理極まりない……のは、あのクソ女が一番わかってるはずだ。こんなので騙せる訳がない……考えろ……」
「……キフィ?」
「……この手の大事業は複数人の思惑で動いている……感情だけで動く者も利益を出そうとする者もいる……だが、それでも行為には何らかの意図はあるはず……ただ無意味に死者を増やす……? 死に意味があるとしたら……」
──口減らし。帝国難民をすり潰すための口実。
犠牲者を出すこと、それ自体も目的に込んでいる。
「冒険者ギルドが……、いや、あの女が食料支援の窓口なんてやってたのは、そういうことかよ……!」
・・・
・・
・
そんなことよりベッドシーツの換えを用意しよう。
もちろん魔人の死体は渡さない。
そういうことになった。
実際のところ、見ず知らずの10万人がどこでどう死のうと、僕には関係ない話だからさ。
どうでもいいんだ。
ちょっと脳みその容量よりも熱意の方が溢れすぎてる連中を募るのだろうさ。死地に参加することが名誉である~!みたいな触れ込みでな。ウチのビリーさんなんかは釣られそうだから気を付けないといけない。僕の命令を実行してくれる数少ない頼れるユニットだからな。
ああそれから、ちょっと暮らし向きが明るくない奴らも参加するかもしれない。一発逆転のチャンスをチラつかせると簡単に手を出してくれるんだ。あいつらにとっては名誉なんてのは関係ない。が、王家が計画してるってところに都合よく利益を見いだすだろう。
で、全員ゴミみたいに死んでいく。
人格の高尚さも低俗さも関係なく、死ぬときは容易く死ぬ。足を滑らせて死ぬ。すっ転んで死ぬ。
まっすぐに背を伸ばして素敵な夢を語ろうと、食うに困って行き着く先の末路でも、どうしようもなく平等に。
自由意志による選択で、己を死地に追い込むことを僕は止めない。……というか、止められない。個人の生き方は、たとえ余所からちっぽけに見えようと、言葉のひとつや二つを投げる程度で変えられるほど、つまらないものじゃない。
今の僕は、わざわざ止めてやるほど暇でもない。
だけど、いくらなんでもさ。
知らない内に屍肉を喰わせるような真似は、流石にどうかと思うんだよ。
……兵站に多少の問題があっても、きっとこの程度じゃ止めないだろうけど。いや、そもそも問題じゃないか。手に入ったら余裕ができるってだけで、大勢には何の影響もない。
「……あー、やめやめ。休日を楽しもう、メリー」
「ん」
なにもかも、僕らには関係のない話だ。
どうでもいい。面倒ごとには最初から関心を持たないに限るね。
今日の空は晴れていた。
そんなことよりベッドシーツの話をしよう。こっちの方が重要だ。重要極まりない。
宿屋とはそこに戸籍を置いていない相手に提供されるサービスだ。言い換えよう。余所からうじゃうじゃ涌いてくる冒険者とかいう連中と商売している。
よって、衛生観念というのが死んでるとこも珍しくはない。ベッドシーツとは、その最たるものだ。
複数の都市を行き来するタイプの冒険者の中には、自前のシーツを用意して宿屋のボロ切れを引っ剥がしたりしている。……まあ、そういうとこはベッドもボロボロなんだけどさ。敷き藁がチクチクして、野営の時みたいに外套床に敷いて寝た方がマシだったりする。
毎日宿屋の娘さんがお掃除に来てくれるなんて宿屋は、どちらかというとだいぶ珍しいのだ。シーツも毎日洗濯してくれてるしね。……すごくありがたいな改めて。
で、ここまでは一般冒険者の話。
僕の場合、朝起きるとお腹の上にメリーが乗っかっててシーツがブチ破れてるなんて怪奇現象が時折発生する。犯人はいったい誰なのか。その犯行動機は。すべてが謎である。
ねえメリー? メリーさんはどう思う?
「しかたない」
そっか。そうだね。仕方ないね。……まあ、君に普通に過ごしていてほしいというのは本心から思うし、不可抗力なのはわかってるけどさ。繕い跡のあるシーツも悪くはない。
ないけど、いちいちインちゃんに縫い物をしてもらうのも悪いからね。買った方が早いのである。このお金とかいう金属片の一番の使い道は、そういった労力を省くことにあるのだ。
というわけでやってきたのは雑貨店。相変わらず寂れている。
「いらっしゃ……ああ、お前らか」
ぐしゃ、という乾いた音に振り向くと、メリーが早速床板を踏み抜いていた。
僕は店主のヒゲおじさんに財布から修繕費を渡した。金貨1枚で足りますね? 足りますね。むしろこんなボロ屋ならお釣りがくる。逆に払い過ぎなくらいだ。何も悪いことしてないな。むしろ善行では? 感謝していいですよ。
「相変わらず頭おかしいな……。教育に悪いからウチの姪には近づくなよお前ら」
あれ? 金貨いらないです?
「お前さん今かなり最低だぞ」
そう言って店主さんは金貨を懐に納めた。よし。問題は解決だな。あっちの通りの雑貨屋は寄りませんよー。なんか警戒されてるので。
いつものいい感じの棒と、そこの大きい布ください。
「あー……、それは予約があるんだよ。先客がいんの」
「そうですか。欲しいんですが」
「商売には信頼ってもんがあンのよ。欲しいからってホイホイ渡せるか」
「そうですか。何枚積めばいいですか?」
僕は金貨をジャラつかせる。
「あのなあ……、2枚でいいぞ」
はいはい。話が早いね。
僕がシーツに手を伸ばそうとすると──、
「バーニィさんっ! こんにちは! 今日も愛ある一日ですねっ!」
……この声は……。
「……! 愛の人! こんなところでお会いするとは奇遇ですね! わたくし、バーニィさんにシーツをお願いしていたのです。うちの子がだめにしちゃいまして……うふふっ。善いお店ですよねえ♪」
シーツに伸ばしていた手が引っ込んだ。……先客ってアイリーンさんかよ。
「なんだかお顔が優れないようですね、愛の人。お悩みがあるのですか?」
「別にないですけど。顔なら生まれつきですね。それから僕は愛の人ではないですけど」
「ご謙遜を。愛の人は愛の人ではないですかっ♪」
この店。こんなひと常連にしてんの?
だから寂れてんじゃないスかね。
「お前さんが言うのかそれ」
「……なるほど、面白い。なかなか考えたね。核が受肉した段階のダンジョンは、ひとつの概念によって規定された世界となる。黄昏郷──かつての王都グラン・タイレルに対抗するは、人類最高の発明たる都市という概念というわけだ。ヒトの持つ可能性。そのために熱量を高める姿は、いつもボクの心に熱を与えてくれる」
「またダニどもの覗きか? 貴様も悪趣味じゃの」
「キミの態度も大概だよ。よく魔人という役割が破綻しないものだ。ボクは、現生人類に恩恵を与えるという役割を全うしているに過ぎない。彼らを見守っているだけさ」
月のない夜よりもなお昏き闇の中で、原初の魔人は囁く。
「尤も、そのためには10万人という規模では少ないがね。都市という概念をなんとか成立させる最小規模ということなのだろうが、かつての王都の人口は100万8502人だ。都市には人口の流出という気質がある。相性がいいとは言えない。さて、これからどう工夫をするのかな?
ボクは、期待している。希望している。熱望している。
かつての故郷を奪還することにのみ心血を注いだ、ヒトの身でありながら魔人の在りようの彼女が、果たして何を為すのか。
それが破綻したとして──途上の熱量だけでも、ボクをまた温めてくれるだろう」
最近多くて嬉しいねと、楽しそうに魔人は笑った。




