魔人転生
「……あなたが、キフィの敵ですか」
「否定はしない。恨まれるに足る過去はある」
「仲良くできないものかしら?」
「そのクソ女から離れろッ! 早く! 僕の後ろに!」
射線を遮るように、僕はみんなの前に立つ。
ステラ様たちは危機感がない!
「この具合だ。難しいだろうな」
「何をヘラヘラ笑ってんだ。とっとと失せろ。あんたを見てるとイライラすんだよ」
ほとんど無意識全自動に口から出てくる悪態をそのまま垂れ流しながら、冷静な頭で立ち回りを考える。
この位置取りなら、僕に矢が突き刺さっている間に二人の魔眼がこいつを捉えられる。無事では済まない。済ませない。だからこの場で矢は射れない。
「悪くない判断だ。私は不利な立ち位置にいるな。……ならば、この状況を維持したままであれば、多少は落ち着いて話ができるだろう? 舞踏会の出席者たちが己の認知、その不協和を改善するまでの時間はそう長くはない。
その間に、お互いの勝利条件を整理しよう。迷宮伯。あなたの目的は何だ?」
「勝手に話を進めてるんじゃ──!」
「落ち着きなさい。……私の部下を非礼を詫びるわ。ごめんなさいね、リリ・グレプヴァイン」
ステラ様が頭を下げる。……なんで?
そこの屑に、君が頭を下げる必要なんて微塵もない。
「いいえ。私は領主なのだから、他方の使者への礼節を欠いてはいけません。……あなたの因縁を、理解はしているつもりだけれど」
僕に……呑み込めと? 君たちの危険と、この女の前科と、僕の怒りを飲み込めと?
ステラ様は理解なんてしてない。つもりになってるだけだ。昔話ひとつで──、
「……落ち着きなさい。おまえは、他ならぬロールレア家のキフィナスなのですよ。キフィ」
囁くようなシアさんの声。……そうか。そうだな。
握った拳から軋むような音がした。
「君はもう、荷物の少ない個人冒険者ではない。その直情的な気質は改めた方がいいだろうな」
「ッ……!」
「当家の使用人への指導は不要よ、リリ」
僕の後方から赤い燐光が弾けた。
「失礼した。彼についての謝罪は不要だ、領主ステラ」
グレプヴァインは表情を変えずに吠戯いた。
僕は舌打ちをする。……後ろのシアさんが、やんわりと僕の態度を咎めた。
「……私も、姉さまも。対面する彼女に思うところはあります。……おまえを、傷つけた相手なのですから」
その言葉にくすぐったさと、それ以上に気後れするものを感じて、僕は拳をほどいた。
その掌には、血を滲ませた爪痕が残っていた。
「目的と言われても……、困ってしまうわね。一口には言えないのだわ。あなたたちとお話をして、世界の危機というものを阻止するというのは勿論だけれど、当家の人員がまだまだ足りないというのもあるし、財政面で利益を出せるのなら出したいわ」
「……第一に、領内の政治・経済的活動は把握する必要があります。領内法および王国法に抵触する行いがあれば、その処罰も検討しなければなりません」
「できるなら協力体制を作りたいところだけれど、そうね。協力に値しないということも考えられるでしょうから。私たちは、あなたたちのことをまるでよく知らないのよ」
まるで目的が明確でない。勝利条件を定めて動いてない。
ステラ様はそういう行き当たりばったりなところがあって、その辺どうかなって割とよく思う。根っこが楽観主義なんだよな。
罠だらけのダンジョンを裸足で駆け回るような、いつスッ転んでもおかしくないことを頻繁にやってる。
「纏まってはいないけれど、計画には柔軟性があるべきなのだわ。情報が足りないのだもの、仕方がないわよね」
ああ言えばこう言う。
「では確認したい。あなた方の勝利条件に『この施設の維持管理』『人工魔人計画の移管』は入っているか」
「まさか! あんなものを食べているなんて、ぜったい体に悪いでしょう!」
「腐肉を食らうことは、中長期間の探索を行う冒険者にはそう珍しくない。多少適応が低くとも《解毒草》を服用すれば動けなくなることもない。ここは施薬院の位置も近く、安全には十分配慮されている」
凍りついた赤黒い肉塊を手にしたグレプヴァインは、迷う素振りもなくそれを口に運んだ。
シャリシャリと氷を砕く咀嚼音がする。その間、眉ひとつ動かさない。
「なっ……、何をしているの……?」
「屍人食同化法を試した。切開全置換法に比べ、拒否反応が大きく抑えられている」
──この女は、イかれてる。
「世界との接続の際に、魔人は未来を幻視する。その風景は異なるが、例外なく破滅だ。……あらゆる事物は、その始原から終末を運命付けられている。花が枯れるように、風が止むように、全てはいずれ滅ぶのだろう。
だが、それが明日であってはならない。その為に手がかりを、ひとつでも多くを集める必要がある。尤も、魔人カーマインの渇求原理は《探求》。私に適応できるはずもなかったが」
最初に設定した目的のため──勝利条件を達成するためならば、たとえ自分の命であっても容易く消費できる。
合理性と効率主義が行き過ぎた、黒蟻だ。
「──だが、あなたは違う。ステラ迷宮伯。あなたには、魔人に転生できる可能性がある」
「魔人に……? わたしが?」
そして、他人の命ならばもっと容易く、躊躇なく消費できる。
だから近づけたくなかったんだ。
「推測になるが、ここは、あなた方の為に作られた施設だ。教育方針・趣味嗜好・経験その他これまでのあなた方を形作るものの多くは、魔人に至るという指向性を持っている、ということだ。未成熟な魂魄は可塑性が高い。その身に取り込む魔人の原理に適応するように調整することで、魔人転生の成功確率は格段に高めることができる」
「……これも、当家の遺産ってコトかしら? あなた、ずいぶんと事情通なのね」
「冒険者ギルドの利害関係者については、一通り調査をしている。国家転覆まで計画していた相手の情報を把握しない理由はないだろう。現在の王都の意志決定は鈍く、遊ばせているタイレルの国力を来る破滅へと傾斜させるという姿勢には肯ける部分もある」
「……リリ・グレプヴァイン。貴方は、前領主の協力者ということですか」
「否。協力する理由に欠けている。冒険者という存在を──換言すれば、身分以外の尺度で社会へ貢献する人材を回収するシステムを──前迷宮伯は嫌悪していた。統治形態を脅かすためだ。大きな見解の相違があり、何より、ロールレア家は賛同者という理由では他者を厚遇しない。
周囲を見れば瞭然だろう。この空間を築いた者にとって、王都から場所を追われた彼らは、自らの同盟者ではなく、同じ属性を持つ以上のものではなかった。だからこうして、真相を知らされずに仮面をしている。
この認知結界上の舞台、仮面舞踏会という情景もまた、主宰者を──この異界にいずれ登場する主の存在が想定されている。自らの正当なる後継者、その社交界のデビュウをここで飾るという文脈を乗せるつもりだったのだろう」
グレプヴァインは淡々と語る。
ギルドの受付には全く向いていない眠くなりそうな一本調子に、その変わらない様子に、僕は吐き気がした。
「……少なくとも、これまでの情報と矛盾はありません。この言葉には一定の信頼を預けてよいと評価します」
「そうね。……それじゃあ、これも教えてもらえるかしら。魔人になるには、どうすればいいの」
「その肉を食し、渇求原理を身に宿し──」
「──そこまでだ。あんたの口から垂れ流されるものは、どれもこれも毒でしかない」
僕は糸を伝って、ぐずぐずに腐った天井吊りの死体に触れる。
「そして、あんたの勝利条件が達成されることもない」
ぐすぐず膨らみ、周囲に撒き散らされたそれは、一瞬で魔法の巾着袋の中に仕舞われた。
残っているのは、殺風景な土色の空間だ。
「メリス謹製の魔道具か。……神秘の出力が違いすぎるな」
今回の目的は、これの回収か破壊だって言ってたな?
ざまあ見ろよ。あんたにはもう、二度と手が届かない。
「キフィナスさん!? 何をしているの!」
「選択肢を多くするために、情報を集める。それはいいよ。
だけど、この女を情報源にするのは危険だし、そもそも最初から考えなくていい情報はノイズでしかない」
「詐術はない。私の開示した情報は、私の認識する限りの事実だ」
「思考の誘導はしてるだろうが。白々しいんだよクソボケ」
情報の出し方ひとつで、特定の選択肢の価値は容易く誤認させられる。
ここがロールレア家が管理していた施設なんて情報を、あえて開示する理由は親切でも何でもない。大体、それくらいのことは想像が付くんだよ。自明なんだ。それをあえて口にしたのは、その後の情報を──魔人になれるって下りを印象づけるためだろうが。
くだらねえこと考えやがって。
「この子の……、ステラ様の人格はどうなる。そのリスクは何だ。あんたのそれは、誠実な態度でも何でもないんだよ。すぐに明らかになることを偉そうに語っただけだ」
「それこそ自明ではないのか? 人格は、その身に取り込んだ魔人の残滓と統合されるだろう。世界と接続して、新たなる名前を得る。そうして内にある渇求原理を、己が第一に遵守するべき規範として認識する」
「名前を奪われる時点で、それはもう、ステラ様じゃないだろ。どう呼べばいいんだ? 新しいオナマエで呼べってか? 嫌なこった」
自分を規定するのは、人格と、大切に抱えてるものだろ。
その両方を失って、別の自分として新生するというのは、
「それは。死ぬことと何が違うんだよ」
「肉体は喪失せず、意識の連続性は継続する。死という語には該当しないだろう」
グレプヴァインはすらすら抜かした。
「ふッざけんな!! つくづく話が通じねえな!」
僕は土壁を蹴り飛ばした。
天井からは土埃が落ちてくる。ゾンビみたいになってた仮面の連中のいくつかがその音に反応した。どうでもいい。
蹴り飛ばした勢いのまま僕は言葉を重ねる。
「たった一人が犠牲になって、それで救われるようなちっぽけな世界ならッ!
そんな下らないモンだったら! 最初っから! 滅びちまえばいいだろッ!!」
「……また、それか」
何度だって、誰にだって同じことを言う。
そんなモンはやりたい奴がやりゃいいんだよ。
僕の隣の、大事な誰かにやらせるな。
「日を改めよう。冷静な対話は、この場では難しそうだ。そろそろ舞踏会の夢も醒める。後日、冒険者ギルドを訪ねてほしい」
「二度と来んな……!」
「……息災でな、キフィナス。《幻影舞踏》」
そんな言葉を残して、グレプヴァインは消えていきやがった。
……幻影舞踏ってことはあいつ、生身じゃねえじゃん。
何が目的だよ。それじゃあ回収なんてできるわけがない。僕の行動が読まれてたってことか? ちょっと煽ればこんな風にあの女に都合よく動いてくれると? ……いや、あの死体は食ってたな。どこかですり替わったか? わからん。あれの得意技だからな。
いずれにせよ、僕の行動はあいつにとって想定内だったことは間違いない。
ああクソなんッて腹立たしい……! 死ね!死ね!死ね!!
「……キフィナスさん」
「マジで死ねやあの──ええと、あー。すみません、ステラ様。差し出がましいマネしましたね。ただまあ、今しがたご覧いただきました通り、あのクソ女は狂ってて、悪意を悪意とも思わず……」
「…………そのお肉。渡して頂戴」
「姉さま……!?」
■カーマインの苗木
探求という願望を抱えた魔人カーマインは、己の肉体を9に分け、それらに回復魔術を使用して9つの並行自我を持つ群体となる。
群体となった魔人は、更に己の身を分けていった。カーマインの苗木とはその一部に当たる。
その目的は、魔人という存在の役割を侵犯しない範囲で、社会形態を変革・混乱させる手を講じるという探求心にあり、同じ魔人という種を殖やすという手段を選んだ。
魔人■■■■■と敵対し、9機はいずれも自我を喪失したが、魔人を殖やすことを──より優れた力と、老いることなき肉体を得ることを──良しとする為政者たちの手によって、カーマインの肉体は人類社会の中に残った。
人外の魔力は今なお機能しており、それは無限に肉を供給する。不適合者にとっては動物性の腐肉以上のものではない。過去、飢饉の際にはこの肉を《料理》スキルで加工することによって餓えを凌いだ例もあった。
魔人の腐肉を取り込むことについて、それ自体の健康への被害はさほど大きくはない。少なくとも、この世界の人々の多くは、それが表面化するより前に寿命を迎える。




