心の核
ある地点から振り返ったとき、過去の自分とは大抵今より愚かだ。それは多分、過去の自分の言動が今の自分を苦しめているからだろう。
要はまさしく今の僕だ。
一時の感情に任せて手がかりを自分から切った。
「……我ながら、やらかしたな。つい。衝動的に」
バカだろ。情報源だろ。バカすぎだろ。
あーもう。これじゃあ、ステラ様をバカとか言えないじゃないか。いやまあ、あのひと色々バカだけどさ。本気で何するかわかんないから。いやまあ、どちらかというと僕もその言葉を言われる側だって自覚は別にないこともないけど。そんな僕から見てもステラ様は突飛なことしでかそうとする。しかも大体その場の思いつきで。
だから僕が情報を拾わんとならんわけで……。拾えないとなると何するかわからんわけで……。
後悔はないけどさ。
手元の蜂蜜色の髪を撫でると、メリーはるっと小さく鳴いた。
たとえ記憶を保ったまま10分前に戻っても、僕は雨具女の侮辱にキレてるだろうし、100万回繰り返してもきっと同じ場面でキレる。
僕が僕である限り、キフィナスという人間である限り、絶対にそうする。愚かな選択をする。さもなければ、僕はもう僕じゃない。
何なら、なんであの時アイツの忌々しい火傷面を蹴っ飛ばしにいかなかったのか?って別の後悔が出はじめてるくらいだ。なるほど過去の自分はやっぱり愚かだな。
確かに、メリーは人より力が強いかもしれない。
愛想がなくて無口で面倒くさがりかもしれない。
だけど、そんなことが排斥される理由になっていいものかよ。
どれもこれも生まれついてのもので、それにメリーはすっかり慣れきってる。
だから、メリーの代わりに、僕が怒らなきゃいけない。
「きふぃ」
「なんだいメリっ──ぶ、ぐえっ!」
唐突にメリーが僕の背中に飛び乗った。
背骨からイヤな音が聞こえた気がした。
実態は殺人ボディプレスだけど外から見るとおんぶみたいな体勢になってる。
「ちょっ、降りて降りて!きみ普通に重いばばばばばばば」
「いこ。いこ」
メリーは耳元でぽそぽそ喋りながら僕の頭におもむろに手を置き、中身をシェイクするように左右に揺らした。
僕は脳震盪を起こしながらふらふらした足で宿屋に帰った。
・・・
・・
・
部屋のちょうど半分が整頓されて、もう半分が物品でごたついた部屋。
「──というわけです」
報連相とかいうやつが大事なのは認めざるを得ないので、僕は朝イチで隣の部屋の上司様まで事情を説明した。
言い訳のしようもない失敗を報告するというのは勤め人としてなかなか気が引けるが、それでも、やっぱり伝えないわけにもいかないだろう。
「……私はなにを聞かされているのかしら。惚気?」
「失敗の報告ですが。『僕は自分の信念とステラ様のしょうもねえ思いつきを比較衡量して信念を取った結果失敗しました』という報告ですが。……あれ、これイビってます?イビられてます? 部下に失敗を自覚させて精神的負荷をかけるみたいな。そういうのあります?」
それ逆効果だと思いますよ? 萎縮しますから。
組織のために積極的に行動しようという意欲が減って指示を待とうという態度になる。
少なくとも繊細な僕はなるね。間違いなくそうなる。何かにつけては動かない理由を並べるようになるだろう。
為政者のステラ様が志向するのは、自分の意志で、自発的に動ける人々のはずだ。そういうのよくない。
「良くないのは貴方なのですけど!? 否定できない正しい言葉の中に間違いを混ぜるのは詐術のそれでしょう!」
あ、バレた。
「バレるわよ! すぐそうやって油断ならないことをするんだから……、あなたに負荷を掛けるつもりなんてないのだわ。それに、この程度で萎縮なんてしないでしょう。あなたは、貴方がそうすべきって思ったことを止めたりできないひとだもの。
それと、繊細な人は自分のことを繊細って言わないわよ?」
「……姉さま。畏れながらその言には異議があります。キフィは、そう単純な精神構造でありません。私が解釈するに、これは冗談めかした自己開示かと──」
「かいしゃく。いっち。あってる」
なんか唐突にメリーはシアさんを肯定した。喋ってる途中に。そうやって遮るのよくないよ。
というか何も合ってないけど? 生きてる人間相手に解釈とか一致とかなんだいそれは。失礼でしょ。相手のことがわからないなら聞けばいいんだから。
僕は適当な理由を付けてメリーのほっぺをつねった。やらかくて縦にも横にも伸びる。そのままくるくる回してみると、メリーは僕の胸元にすっぽり収まった。
「じゃあ。ぜんぜん合ってないってことでいいね」
「あっふぇう」
「んー何言ってんだかわかんない。あってないね」
「なにを見せられているのかしら」
「……キフィ。メリス。私たちの部屋に来た理由は『世界の危機』に関する報告の筈です。直ちに本題に戻るように」
「まざる?」
「なっ──! い、いけませんっ。そんな破廉恥なこと……! ひ、人払いをっ!?」
シアさんが錯乱している。
半分綺麗に片づいてもう半分が荷物で混沌とした、何とも個性溢れる部屋には僕らしかいない。
これはメリーが毒電波とか放ったんだろうか……。僕は幼なじみの犯行を訝しんだ。
「シアも戻ってきて頂戴ね?
ふふふっ──本題は、これでしょう?」
ステラ様は床に無造作に置かれていた紋章入りの書状を手にとって、ニヤリと笑った。
その紋章の意匠は、王都で大量に焼き捨てた覚えがあった。
* * *
* *
*
「あなたの演奏を聴いて、私は、あなたを手元に置きたいと思った。文化の庇護者であることも、為政者の役目のひとつなの。あなたの演奏には、それだけの価値があるのだわ」
「……姉さま、ですが、」
ステラは無言で妹の諌言を制した。
「ヘエ。ソイツぁ、大変嬉しいお申し出でござンすね。あたくしの歌が、あンなたサマの心にすたっと刺さったと。それ以上の褒め言葉はありませンとも。
ですけンども──ヤハ。お断りしやす」
「どうして? あなたは、私たちに歌を聴かせたかったのではなくって?」
「エエ、ハイ。聴かせたかったですとも。しかし、それはあたくしの歌が、ちょうどいい具合に刺さるから、以上の理由じゃねンですよ。それに、毎日同じ歌じゃアあっちもこっちも飽きッちまいまサ」
ビワチャは、同じ旋律を繰り返す。
それは緩急強弱を凝らした技巧的なものから、一本調子の単調な音色に少しずつ変えていく。
「あたくしの歌は、いッつも新鮮であってほしいンですワ。だァから、旅芸人なんちうものをやらせてもらっとるンで」
ビワチャがそう語る頃には、リュートから奏でられるのは音の集まりに果てていた。
「それが、あなたを成す核なのね。それなら、手元には置いてあげられないのだわ。……そうね、それじゃあ、私が認可を出すのはどうかしら? ロールレア家の楽師を名乗って、諸国を遊説する認可を」
「はあ。ソイツぁ、あたくしが入ってる哲学者たちにワタリを付けるのが目的ですかねェ?」
「そういう算段がないとは言わないわ。ただ、領主として、領地に来た芸術家には支援をしなければならないというところが大きいわね。
あなたの演奏を、私は、良いと思ったの。そこには嘘偽りはないわ。だから、報を与えなければなりません」
「ほん。あんたたちの家にゃ、そういう気持ちのいいところがある。お家の伝統を棄てても、その気質は変わらないっちうコトでサあな」
「そう? 私は、私の心がそうすべきって命じたことに、正直でいるようにしただけよ」
「あンなた様の周りは大変そうですねエ」
「そうかもね。だけど、きっと沢山文句を言いながらも、最後には受け入れてくれるのだわ」
「くクッ……! その傲慢さは、まさしく大領の器にございまサ! その器に敬意を表して、コイツを差し上げやしょう」
ビワチャは、一枚の書状を取り出した。
そこには幾何学的な紋章が描かれている。
「紹介状でサ。百聞は一見に如かず、百見は一触に如かずっちうもんで。ステラ様は、世界の崩壊を、ただ、目にしただけですからねエ。当事者になってみてはいかがでございヤしょう?」
「ありがと。でも、これでは貰ってばかりだわ」
「いいえ? お代は見てのお帰りで結構。あたくしは、あなた様の心の一部をひっかいた、爪に挟まるちっさな皮を、お代に持って帰りますんでね」
リュートの弦を掻く。
「宮廷楽師のビワチャ様、なんてェ肩書は必要ねえんですよ。あたくしの歌を聴く理由が、ビワチャ某が迷宮伯家に繋がるからなんてェのは──耐え難いんですわ。
あたくしの歌はね。その辺の誰にでもに、聴いてほしいんでサ。その辺を歩いてる若い子供に兄さん姉さん、どっちか一目じゃわからねえ、シワぁだらけのご老人。音でそいつら誘って惹いて、肩肘張らずに、当たり前に、ただ、そこにあるものとして聴いてほしい。10人でも100人でもヒャクマン人でも、何ならたった一人でもいんだ。あたしの歌が心を射止めて突き刺して、そいつが目をつむって眠る前に、不意に頭にお歌が流れりゃア、それ以上に最ッ高なことはねえ。
あたしは歌になりたい。
──眉間に皺する厳めし輩の、腹底捩って捻ってこねます、滑稽な歌になりたい。
──虫をも殺さぬお姫様の、胸裏焼っ焦がして真剣握らす、勇猛な歌になりたい。
──笑みが張りつく道化師の、厚顔歪めてくしゃりと潰す、哀切な歌になりたい。
──恐れる者なき勇まし志士の、背骨凍らし鍬に逃げさす、残忍な歌になりたい。
それだけなんだ。それ以外はいらねえんだ」
* * *
* *
*
なんてことをしてるんだ。
何をドヤ顔をキメてくれてんだ。
魔人がこの宿屋に進入してくるとかさあ……! それ普通に緊急事態だろ!?
「そう? 悪いひとではないわよ。そうね……、例えるなら、お節介な親戚みたいなものかしら?」
「……当家には、そのような間柄の家はありませんが」
「いたら愉快なのにね」
「愉快じゃないんですけど? なに危ない橋渡ってんですかね?」
「危なくはないわ。あの人はただ、どこまでも自分の核に正直でいるってだけよ。
それに──あなたが連れてってくれたら、出逢わなかったんじゃないかしら?」
ステラ様の真紅の眼が、僕を真正面から見つめた。
「あなたにできて、私たちにはできないことがあるように。あなたにはできなくて、私たちにできることがある」
「僕にできることなんて大したことじゃないですよ。で、僕にできる程度のことでステラ様たちのお手を煩わせるつもりもないです。やること多いんですからね」
「自分の能力を過小に評価したり過大評価したり、忙しいひとね。あなたにできる程度のことを失敗したって報告を先刻したのでしょうに」
「キフィ。──おまえは、私たちの世界を変えたのですよ。それを、大したことないという一言で片づけられるのは、……ええ、不快です」
「不敬よね?」
「……はい。不快にして不敬です。不敬千万甚だしいかと」
違っ、そうじゃなくて……、なんだ、言葉が上手く出てこない。
僕はあなたたちを敬いたいと思ってる。僕程度よりもずっと尊いものだと思っている。だから、そんな些細なことに気を回す必要とかはなくて──、
「「わたしを見なさい」」
宝石のように煌めく双眸が。
両側から、僕を射止めてる。
「いい? 自分ひとりでできることなんて、きっと、なんであっても、大したことじゃないのだわ。だから、私たちには言葉がある。これ、誰かさんが教えてくれたことなのだけれど」
「ですけど、ステラ様もシアさんも、その、眼が──」
「何かを壊せるだけの力ね。こんなもの、べつに大したことじゃないでしょう」
「……はい。氷細工が得意な程度ですね」
ステラ様はあっけらかんと言う。
シアさんもその言に続いてきた。
「シアと一緒なら、あなたと一緒なら。もっと沢山のことができる。ひとりでできないことは、みんなでやればいいの。世の中には色んなひとがいて、私の思いもよらない考えのひともいるのでしょう。だけど、手は繋げるはずだわ。
失敗したら、みんなで悩んで、別の正解を探せばいい。他の誰かが正解を持ってることだってあるわよね」
ステラ様は危なっかしいくらい、誰かとやらの善性を信じ切っている。
悪意のある誰かが近づいてきたらどうするんだ。
騙されて、痛い目を見て、それじゃあもう遅いだろ。
「……そのために、私がいます。そして、おまえもいますね」
「シアさんだって十分危なっかしいんですよ! 僕なんて言うまでもなく!」
「あなたとシアが騙されるなら、どうしようもないでしょう?
そうね。その時は……、笑ってごまかすんじゃないかしら?」
そう言って、ステラ様はまぶしく笑った。
まあ、失敗した部下が説教されるというのは道理であり。
今日の僕はその道理になんとなく逆らわないでいようと思った。
「いい? 私たちにしっかり話して、大切なときは一緒に行動すること!」
「善処しますー」
「もうっ。生返事モードね! ビワチャなんかよりもずっと厄介なんだから!」
「……いえ。改善の兆候はあります。この状態に入っても諭すことは有効です。経過を観察しましょう」
好き勝手言ってくれるものだ。
凝り固まった偏見によって培われた僕の世界が、変わることなんてありゃしない。
気まぐれに聞いてみてるだけだ。
「それで、この紹介状のことだけど──」
「処分するのはどうですかね」
「却下よ」
「じゃあ燃やしましょう」
「ダメね」
「はーしょうがない。じゃあ裏紙に使いましょうね」
「……キフィ。懸念は理解できますが、この紙片をどのように有効活用するかを考えるべきです」
罠だろ。
有効に使うも何もない。ガラクタの山に埋めてそこから掘り返さないでくださいよ。
「ガラクタの山ではありません! いつでも見つけられるもの! 他のものたちと一緒に、特別扱いしないことが一番望むことでしょうし!」
あの人でなしが望もうが望むまいがどうでもいいんだけどなー。
「この、哲学者たちという組織には多様性がある。活動の多くは到底賛同できるものでは到底ないけれど、あなたの旧い知り合いの──グレプヴァイン? 彼女の、差し迫る世界の危機に対応するというスタンスには肯けるところがあるわ」
「いやアイツは真正の屑ですよ。老若男女顔色変えずに殺してきますよ。何なら、ステラ様たちは狙われてると考えてもいい。僕ならそうする。殺し方を1から100まで考えて、その達成確率が高いものを実行する輩だ。アイツには近づけさせない」
「思うのだけど、その人に対してあなた、少し強固すぎないかしら」
「それはステラ様がアイツを知らないから言えるんです。そして知る必要はないしその機会を与えるつもりもない。絶対にね」
「──はんー! ごはんですよー! おにいーっ!」
戸の向こうからインちゃんの声がする。
「……姉さま、キフィ。その主張は、平行線を辿るのではないでしょうか。別の解法を模索しては」
「そうね。──でもその前に、スメラダのご飯を楽しむことにしましょうか!」
そういうことになって、僕は欠伸をしながら食卓に向かった。




