メリーと僕と、みんなとの日常
「はーー……今日はこんなところですかね。めんどくさ極まりない……」
尻尾の先から始めた解体作業に丸一日掛けて、2割ちょっとしか進まなかった。
来客用の大ホールに置かれた竜の死体を、鱗を一枚一枚、できるだけ傷つけないように取り、寸法や元あった傷の具合などを目録にきちんと記録する。僕は鱗を一枚剥いでは休み、それを記録しては気晴らしの落書きを1枚描いてという生産性の高さを見せつけた。
ついでに、尻尾の鱗をはぎ取り、ごわごわとした表皮に切断用の蜘蛛糸を鋸のように入れて輪切りにすることもやった。6人前のドラゴンステーキ肉の用意だ。まったく過重労働性が高い。
「……私もついています」
「それについては、まあ、素直にありがとうございますってお礼を言いますよ。僕だけだと心が病んでましたね」
「……感謝は不要です。私が定常業務を遂行するよりも、これを迷宮公社ステラリアドネの高品質な商材とした方が、より高い利益を見込めますので。
……加えて。おまえが居てくれることを嬉しく思うのは、私も同じです」
隣のシアさんは、そう言って幽かな笑みを見せる。僕は曖昧な笑みを返した。
シアさんは真面目で体力がある。時折休憩を入れさせようと──僕が気まずいからだ──色んな口実を使ってみたのだが、3分とか時間を定めて正確に業務に戻る。そんなの、僕が病もうにも病めないだろそれ? 上司はちょっとくらいサボってくれる方がありがたい。
一方でステラ様は二枚ほど取ろうとして──ちょこちょこ細かい傷をつけて──早々に抜けた。他の仕事を口実にしてたけど、なんていうか……飽きたんだろうなって。サボり過ぎるのもまあ、それはそれでいただけない。
そんな素敵な上司様に僕は手先が器用でございますねと褒め言葉を送ると錬金術の素材にするからムダにはしてないのだわとかいう捨て台詞が返ってきた。
それはゴミにしたって意味じゃん?
「……物事には、適材適所というものがあります。当該作業について、姉さまは、些か……、不向きなところがありますが、優先すべきはデロル領領主としての仕事です」
シアさんの言うことは尤もではある。でも、それはそれとして、飽きたんだなって態度を隠そうとしないステラ様に思うところはあるよね。
適材適所と言えば、勿論メリーもそうだ。何なら尻尾の方の鱗、運んだ時に粉みじんになってたからね。ちなみに、そんな粉ですら売り物になる。僕らの後を尾けておこぼれに預かったって人もいるんじゃないかな。というか現物が欠けてる以上いるだろう。ただし、今のところ粉状の竜鱗が拾得物として届いたという話はない。
ふむ。……スキル使ってそいつの住所を突き止めて返すように丁寧に諭すか? メリーの荒っぽい腕力で起きた問題なら、僕も多少──、
「……構いませんよ。取り返そうと無理をする必要はありません。領主とは、時に寛大さを示すものです。姉さまも異は唱えないでしょう。……竜の骸を掲げて凱旋するにあたっては、メリスのその膂力も勘定に入れていたのですから」
「そうですか? それなら……。ええと、ありがとうございます。ほら。メリーもお礼」
「ん」
「ん、じゃないんですよメリーさん。いやまあ君が力加減とか苦手なのはわかるけどね? 握り潰さないだけ頑張ったんだと思うけどね?」
「がんばた」
「そうだねーメリー。頑張ったねー。えらいねー。……すいませんシアさん。ほんっとメリーがメリーですいません」
僕が形だけでも一礼させようとメリーの手に頭を置くと、何を勘違いしたのかメリーは僕の手をガシッと掴んですりすりと頬ずりをした。痛い痛い痛い。全体的に痩せぎすのメリーもほっぺは柔らかいが、そんなもんドラゴンを軋ませる超パワーの前には何の慰めにもなら痛いぃ!
「だんじょん。もぐる」
僕の腕を耐久テストしたまま、メリーはぽそりと言った。この話の流れで? 文脈ってわかる?
キめられた腕にぎりぎりと軋みを感じる。
「はーー。メリーは興味の幅が狭すぎるんだ。ほんとどうかと思うよ? まあいいけどさ。頭おかしくなりそうな単純作業が過ぎてメリーのいつものが癒しに感じるくらいだから。よし、今日はステラ様ハブりましょう」
「……いけませんよ、キフィ」
飽きたんだなって態度を隠そうとしない人に思うところはしきりにあるのだ。
・・・
・・
・
「今日も大冒険だったわね!」
「小冒険でいいんですよ」
「そうだったのですかっ? ご領……ステラ様!」
宿屋にて。僕らはドラゴンステーキの完成を待っていた。
一応、僕でも食べられることは事前にメリーに確認している。『どくはない』って言ってた。頼りになり過ぎるコメントだ。毒はない。じゃあ何か他にあるの?栄養過多で肉体が爆発するとか? 僕の幼なじみはまるで説明が足りないのに、もう必要な範囲は十分語ったという態度だ。いつもの無表情だけど。不安で仕方ない。
「わたし、冒険のお話が聞きたいです!」
「あーインちゃん。別にしょうもない失敗だからね」
「ふふん。それもまた醍醐味でしょう? 苦難や失敗をまとめて笑い話にして、冒険者は明日を往くのだわ」
「あ? そんなん恨み節に変えてる連中ばっかですよ。というかー? 失敗したご本人が吐いていいセリフですかねーそれはー」
今日は斥候やってみたいとかほざいたステラ様が先頭に立とうとした瞬間に感圧式の罠を踏んで大岩に追いかけられたりした。ステラ様がドヤ顔で魔眼で焼こうとした結果燃えさかる大岩へと変化したせいでシアさんの氷で止まらなくなって大変だった。
絶対やらせん。二度とやらせん。先頭に立つなら最低限10尺棒くらい持て。僕以外の冒険者は全然そういうの持たないでスキル頼りだったりするけど、地形の把握とかでも本当に便利だからさ。
「……き、キフィナスさん? 一応聞くのだけれど、その小帳は何かしら?」
「ステラ様の罪状を書いてます。纏まったら提出するためですね。シアさんに渡して裁いてもらいます」
「えっ? え? む、無駄よ? 罪を裁くかどうかって最後には領主に委ねられるのよ? だから書くのやめて頂戴。やめて。やめてったら!」
「裁いてもらいます」
「……キフィ。姉さま。戯れはほどほどに。……来たようですよ」
──香ばしやかな匂いが、やわらかく鼻先に運ばれてきた。
それは野趣を伴っていて、それだけで、口内にじわりと涎が溜まって、まるで自分の唾液がスープのようにさえ感じられる。
あ、絶対おいしいやつ。ようやく僕がそんな単純な思考ができたのは、涎をごくりと飲み込んでからだった。
「前菜も副菜もぉ、こんな最高級の食材の前にはいらないわねぇ」
やや間延びしたスメラダさんの甘い声が、木製のトレイを運ぶ。
かちゃかちゃと音を立てる食器さえ、僕の空腹中枢を刺激してくる。
それはそうと──。
「なんでメリーが台所から一緒に戻ってくるんですかね」
「つくった」
一応聞くけど。なにを?
「りょうり」
なんで?
「わからす」
え、あの、なんの話……?
あのさ、確認なんだけど、その手に握ってる黒い混沌みたいなのから何かドギツい臭いが発生してるよ? ぎとついた黒油って感じの異臭。しかもそれが嗅いでいて花の香水みたいに心地よくなってくんだけど。違和感で頭がおかしくなりそうだしなんか嗅がされてたら僕の口の中に何やら涎由来じゃない物理的な水分が生成されってッ──溺れッ──危ないな!? なんだこれ!口の端から黒い油垂らしてる光景完全にヤバいだろ!? 食卓に同席しちゃダメだろ!
「きふぃのいちばんは。めりの。めりがつくったの」
「メリスちゃんには勝てないわねぇ」
スメラダさんは一切の世辞なく本心から発言した。
これは高ランク料理スキル持ちの発達した味覚によるものだ。それはさながらキュビズムを理解できる芸術的素養みたいな感じで……、一般人にそんなものは理解できないわけで……。
「わかる。わかれ」
怖い!怖い怖い怖い! 近寄っ近づけるのやめっ、やっ、あ──!?
まだ生きてた。
スメラダさんが調理したドラゴン肉は大変美味しかった。どこか野性味を残した蕩けるような味は、語ろうと思えば小一時間は語れるが、逆に言葉がずっと無粋になりそうな、そんなお味だった。
メリーが生み出した混沌は美味しい以外の感覚なかった。筆舌に尽くしがたいというか、語ろうにも本質的根源的恐怖みたいなものが言葉ってツールじゃ表現できなさそうな、そんなお味だった。
どちらが上かと問われた。わかったか、とか言われた。わかりかねる。全然わかんね。僕はお説教モードに入った。いいかい、メリー? 美味しさの定量的な数値で言うなら、まあメリーが一番だろうとは思うよ?だけど食べ物ってそういうものじゃない。美味しさだけが唯一にして絶対の指標でそこさえ操作できれば良いわけじゃないんだよ。たとえば温かさとかいや温度の話ではない。加熱が大事とかじゃなくて。いやまあ、聞かれた以上はまあ、メリーが一番ってことにするけど。しといてあげるけど。でもこれは純粋な勝敗じゃなくて付帯事項とか余録みたいなものを多分に含んだ評価だからね? 料理対決なのに料理自体は採点不能でそれ以外の要素から得点を得てるのは趣旨が違うというのは理解しておいてほしい。それでよい?いやよくないよね。僕は君に、向上心みたいなものを持ってほしいと思ってる。ズルはよくない。そういうまっすぐな感性を培ってほしい。僕?僕はいいんだよ。今はメリーの話をしているんだ。なんていうのかな、先行を取って自分の美味しいしか感じられないように味覚を潰そうみたいな魂胆が最初の黒油攻撃にはあったよね?なかった?考えすぎ? そうじゃないよね。黙っててもわかるよ?メリーは結構手段選ばないしさ。だからね──、
「また始まったのだわ」
「……楽しそうですね、メリス」
「キフィナスお兄もです」
「デザートもあるわよぉ」
メリー? 聞いているのかいメリー。まったく君は昔からそういうところが──。
迷宮都市の裏通りの、やたらと辺鄙な場所にある宿屋。
貸し切り状態になっていて久しいそこでは、毎日がこんな調子だ。
ここ最近の日常は、前よりずっと大変で、ずっとずっと賑やかになった。
僕はそんな日常が──、
「あのっ。お兄っ! 手紙が来たみたいです!」
デザートのインターバルを置きながら、メリーを諭している最中。来客の応対をしてたインちゃんがぱたぱたと報告してきた。
こんな夜間に? 僕は訝しんだ。
「鎧を着てた人でした。デロル領のご領主様と、キフィナスお兄宛て……って聞きました」
……インちゃんの持つ手紙の赤い封蝋に、僕はなんだかすごく見覚えがあった。
「私たち宛? 私たちがここにいるのを知ってるってこと?」
「……これは、王家の紋章ですか?」
手紙の封を開けて中身を検めるのは僕の仕事だ。インちゃんから受け取ったそれには、全く歪みのない二重正円と、その内側に小夜啼鳥が記されている。
僕はベリベリっと雑に剥がした。
「ええ。お姫様──ヤドヴィガ・リコ・タイレル女王からですね」
個人と言っても、この国にはもう一人しかいないのだけど。
さて内容はといえば、ステラ様を38代目ロールレア伯と認めるという内容だ。
これはレスターさんに伝えていた件だろう。この紙切れ一枚をきっかけに、ステラ様は対外的に、この地の領主代行ではなく領主を名乗ることができるようになる。勲章自体は父親のヤツをもう持ってるわけだしね。
だから叙爵式に出ないって選択肢も──まあ不義理極まりないけど──取れるようになった。
「そう。それ自体はありがたいけれど……」
「……そのような重要な書面を、宿屋に送るのですか?」
「そこは、配達人がレスターさんだったんでしょうとしか。
……はあ。まったく、面倒極まりない」
そして、それに伴い王都にデロル領の代表者を寄越せとある。
──早い話が僕への出頭命令だった。
-------
■【王家の紋章】
貴族や有力ギルド、あるいは有力な一部の冒険者は、自己を識別する紋章を備えている。
王国歴200年前後の内戦に由来する、タイレル王国の歴史ある伝統である。
王家の紋章については、タイレル王国建国当初より使われたもので、そのデザインも簡素なもの。肉眼では識別できないほどの精度で正確な二重丸が王家であることを示す。
王族は個人単位で紋章を持ち、真円の内外に装飾が施されている。円の内側に記された小夜啼鳥は、ヤドヴィガ姫を象徴するもの。
(赤い蜜蝋への印は本来の紋章よりもずっと簡素化されている。ほとんど使われることがない)




