大領地の家令
大領地の領主としての仕事とは、一言で纏めれば方針の決定と適切な人員の配置だ。ステラ様もシアさんも、領主代行の経験でその辺りの按配をきちんと弁えている。
「取り急ぎ、お父さ……前領主の葬礼を行わなければいけないわね。通例であれば他の領主を呼び込むのだけれど……」
「……ですが、当家は、遥か以前より姻戚外交を断っており、当家と血縁のある家々も既に失われています。……また、タイレリアの暗殺者の名前は、出席を妨げる十分な理由になるでしょう」
「偉大な領主だったと示すために、来賓は必要よね……」
「示す必要あるんです?」
領主としての仕事を前に、僕は素直な疑問を口にした。たとえ拷問をされても僕にはあれを偉大だとは思えない。
「なんだか……、わからなくなっちゃったのよ。いくら当家の伝統だと言っても、無抵抗に殺される気はないし、シアを殺させるつもりは絶対にないわ。だけど、お父様が私たちを想ってくれていたことも、嘘ではないの。
それに、王都大禍を受けても混乱なくこの地を治めていたのだから、それだけでも多くの人々にとっては偉大な指導者でしょう」
「……そうですね。客観的に見て、ある程度整合性を保つ必要はあるかと。姉さまが継ぐことの正統性自体は揺らぎませんが、前任者を軽んずる態度は讒言の種となり得ます」
「そっか。シアは、もう、割り切っているのね」
「……はい。全ては過日のことです」
「……そうよね。そう、なのよね」
全てが落ち着いて、多くがあるべきところに戻って。
ようやく彼女の内に喪失感が訪ねてきたようだ。
……ほんと、厄介なことだな。あの最低な父親は、死んでからもなおステラ様を苛んでいる。
正当防衛だろ、の一言で片付けていいと思うんだけど──人の感情というのは、何とも複雑な有り様をしているものだ。
お節介ながら、一言だけ、口を挟んでみるとしよう。
「ま、今のとこやることもないですし。しばらく悩んでていいんじゃないですかね。トップの一番の仕事は、究極的には、ただそこにいることです。余計なこと言うと忠誠心とかから無駄にありもしない余計な裏を読み取ろうとしちゃいますからね。
そんなことより喉かわきません? 僕は渇きました。お茶とか淹れようかなーって──」
「……キフィ。私が淹れます」
「そうですか? そうですか。じゃあお任せしますね」
ティーセットを手にするシアさんを僕は見送った。
んん、一言じゃきかなかった。
「それと。これだけは言っておきます。僕には、あれを尊敬する理由は一片たりともありません。スピーチが下手なステラ様のほうが、まだ偉大なんじゃないですかね」
「そうかしら」
「色々考えなきゃいけないのはわかりますけどね。領主様というのは、また随分と肩が凝りそうな立場ですので」
ま、どうやら今は僕もその一員なワケだけど。
「……最近は、淹れていませんでしたね。いかがですか」
──その一員として、執務室でまったりしている。
まったく肩が凝りそうだね、どうも。
「おいしいですよ。上品な味がしますし。すごくお高そうって感じです」
「ええ。シアのお茶は絶品ね」
芳しく香る透き通った琥珀色。その水上に、氷の蓮華が咲いている。味も見た目も優美だ。
ただ、この国ではアイスティーという飲み方はあまり一般的ではないらしい。僕が湯気立つ水面をふーふーしていたのを見かねたシアさんがいい感じに凍らせてくれたのがきっかけだった。東京駅のコンビニでよく飲んでいた僕らには結構馴染みがあるんだけどね。
「はい。メリーも」
「ん」
ほんの少しだけ開けたメリーの口にゆっくりと紅茶を傾けて流し入れる。めんどくさがりなメリーは食事を自分からは摂ることがないが、シアさんはちゃんとメリーの分も淹れてくれていた。
無表情のままメリーはこくこく喉を鳴らす。
シアさんが視線を向けるが、メリーは無言だ。メリーに味の感想とかを期待してはいけない。
「……キフィ。美味と言いましたが。宿屋の娘に比べて、どうですか」
「え? 比べるんですか? んー……。こっちはいいものだなって感じますけど、比べるとしたら。比べるとしたら、インちゃんの淹れてくれるお茶の方が好きですね。茶葉を色々混ぜてくれて、賑やかな味がするので」
「……成程。そうですか」
「ちょっとキフィナスさん? そこは『シアのお茶の方が世界一おいしい』って言うとこでしょ」
「めりの。おいしい。ゆうべき」
「いやそこ僕の好みですし。あとメリーは辛くて酸っぱいとか論外だからあれ人に出さない方がいいよ?賑やかな味ってそういうことじゃないから。というか味覚の方をいじってくるの良くないからね?ほんとに。そもそも好き嫌いって誰かに言われて答えが変わるようなもんでもないで……あ、それとも気を遣った方が良かったですか? まあ心にもない美辞麗句を並べろって言われればいくらでもできますよ。そこら辺の雑巾を10分くらい褒めるくらいならやれますし。メリーのお茶だってギリギリ褒めれるよ。例えば……、あー、えーっと……よく周りを壊さなかったねとか。その点シアさんのは材料費で赤字出そうですけど普通にお金取れる味だと思いますし元々ある評価を少し膨らませるくらいならもっと簡単に──」
「……いいえ。おまえは、それでいいです」
シアさんはそう言って困ったように笑った。
自然体でいていい相手には、できれば軽薄なお世辞とかは言いたくないのだ。
・・・
・・
・
実際に現場を担う人員は、トップのその時々の判断によって右に左に傾き揺れる方針のうち『これだけは絶対にこなさなきゃならない仕事』と『ある程度軽視していい仕事』を自分の裁量で判断している。
これは、別にそこまで悪いことじゃない。為政者は絶対の忠誠とかいうものを望みがちだが、結局のところ一番上の椅子から地べたは見えない。もちろん度を過ぎてたら掣肘くれてやる必要はあるけど、唯々諾々と命令に従われるとむしろ困ることもあるのだ。
その手の態度のために、治安維持や食糧管理など、統治にあたって必要な基幹機能はたとえ政変があっても大きな混乱が生じないようになっている。
なっているんだけど……、憲兵隊の拠点をメリーがぶっ壊したわけで……。
個人間のトラブルの調停が滞っていたりだとか、増加した犯人不明の刃傷沙汰だとか──こっちは何故か犯人に心当たりがある──影響は出ているわけで……。
誰かに伝令を任せるわけにはいかないわけで……。
「というわけで再建費用です。建築費はもちろん備品類もこれで購入してください。それともうちょっと上質紙使っていいですよ。ああ、散逸した記録類は僕が一通り写しを取ってましたのでそれ差し上げますね。随分都合がいいって?いやボロボロだったので写してたんですよ。記録して保存するものはケチっちゃダメですねー。ああそれから予算は増額します。この機会にね。いやーよかった。以前よりもずっとマシな環境です。むしろ災い転じて福までありますよね?ありますねー。壊れてよかったと言っても過言ではないのでは?もしかすると過言かもしれないですが、少なくとも去年までのように修繕費を切り詰めて備品等の予算に回す必要はないですよ本官さん」
「…………キフィナス、どの」
僕がお菓子と再建費用を手に──これはメリーのポケットマネーだ。文字通りポケットから雑にボトボト出てくる──幌の張られた仮庁舎へと直接挨拶に向かったとき、アネットさんの表情は真っ暗だった。
というかアネットさんに殿とか付けられても調子が狂うな。いつもの調子でいいですよ。
「……いえ。本官は、一官吏に過ぎません。家令であるキフィナス殿から特別なお取り計らいを受ける身分ではありません」
「や、特別な取り計らいとかは別に……」
「本官と貴殿では、立場が違うのです」
すごい調子狂う……。
あー、えー……、どうしよ。あ、ジャックさん? アネットさんどうしたんです?
「今日は調子が悪いんだよ。……あー、俺もコトバづかい変えた方がいいスかね? キフィナス殿?」
「いえ別に。どっちでもいいですけど、ジャックさんは僕が尊敬に足る大人物だと思います?」
「や?ぜんぜん思わんね。胡散臭くて怪しいと思う」
「……ジャック先輩。その態度は不敬に当たりますよ」
「別に当たりませんが」
「だってさ、アネットさん。この程度の軽口で三等市民・憲兵隊・ジョンの子ジャックの身分を脅かされることはない。そうだよな? 家令のキフィナス君」
「そうでーす」
「ですが……」
「だから言ってるだろ? ──俺らにゃ関係ないんだよ、アネットさん。ウチらは配置すらされなかったんだから、ご領主様の死について責任を感じるトコはない」
「ジャック!」
「いやー副隊長。お怒りですけど事実じゃないスかね。俺らだってクッソ忙しい中で打診はしたでしょう。断ったのはロールレアの家の人っスよ」
ジャックさんは僕に目配せをした。
茶番劇に付き合え、ということだろう。
「いやあ、前任がすみませんね。どうにも、憲兵隊を信用していなかったみたいで。ジャックさんの憤りも当然です」
──ムーンストーンを匿っていたからだろうな。局外者を誘拐し素材としていたのは、どうやら10年近く前からやっていたらしいし。
カナンくんが捕まっていた例のゴロツキ連中も、当時のロールレア家からストップを受けてその背後関係を洗えていない。僕がちょこちょこ庁舎に顔を出して捜査記録の写しを取っていたのは、把握していない爆弾が残ってないかを確認するためだ。
……とりあえず爆弾はないと思う。ただ、ちょっとドン引きする量の骸を重ねてるくらいかな。
「これからは仲良くやっていきたいと思いますよ? 自由な、熱心な活動を期待します」
「そいつは嬉しいね。ま、そっちにどんな企てがあったかを暴くつもりはない。だから、ウチの捜査へのちょっかいもほどほどにしてくれると嬉しいよな」
ブッ込んできたなぁ……。
軽薄そうな態度のジャックさんは、僕の反応を見てセーフラインを見極めるつもりらしい。どこかでヒジを入れることを求められている。……そういう腹芸は苦手なんだけど。
「しませんよー。前領主殺害の捜査には全面的に協力しますよ。何なら《真贋の秤》を受けてもいい。あ、ステラ様たちは当然駄目ですよ」
──まあ、死体の模型は完全に焼却したし、目撃者たちも他領に帰した後だけどね。
僕はけらけら笑った。
「お貴族様の盤上遊戯を暴くつもりないスよ。ね?隊長」
「……失礼した、キフィナス殿。この者の発言の非礼をお詫びする」
訳:非礼は詫びるが内容は訂正しない。
ふむ。どうやら憲兵隊は、あの一件を盤上遊戯に捉えているらしい。まあ、僕が家令に就き、旧家臣が再度放逐されたという一連の流れは屋敷の外でもそういうことだと認識されるだろうね。
まあそりゃそうだ。概ねその見方は正しい。
正しいのだが──誰よりまっすぐな彼女が誤解されるのは、面白くない。
「ちっぽけな僕の魂を賭けて、これだけは言えますよ。ステラ様は、あの男を排除しようなどとはしてません」
「そうか。……この辺がラインかね。ま、ウチにとって重要なのは、キフィナス君が菓子と雨風をマトモに凌げる新庁舎をくれることだよ。
まあ、アネットさんは違うみたいだが」
「……いえ、自分は……」
「外回りと事情聴取。いっといで」
ジャックさんがアネットさんの背をどんと押した。
取調室はメリーの手で破壊されて既にない。僕の後ろから、控えめな足音がついてきた。
アネットさんの背にある槍の石突きが僅かに摺り音を立てる。
僕の背にへばりついてるメリーの足がざりざりと音を立てている。
パトロールということで、僕らは人気のない裏通りを歩いていた。
いつもは結構お喋りなアネットさんは、その間、終始無言だった。
「……キフィナス殿」
「はいはい? なんですか本官さん。ついにお喋りしたくなりました? しましょう」
「…………ごめんなさい。オーム殿が亡くなられたのは、おそらく、わたしのせいなのです」
……ん?
いやぜんぜん違うが。当人の自業自得だろ。
「それは警備につけなかったからですか? ジャックさんの言うとおり、責任を感じることじゃないですよ」
「いえ。……父に、オーム殿の帰還を報告したのです」
えーと、アネットさんの父っていうと……ああ、王都の団長さんか。
「……ここ数年で、父とオーム殿の関係は悪化していた。そして、今回、王女の剣の……あの、七曜騎士がここに派遣された……!」
レスターさんどんな悪名を積んでるんだ。
アネットさん震えてるぞ。
「……わたしは、それを、伝えるべきなのに。ステラちゃんたちに、そんな非道いことができるわけがないのにっ……! ……わたしのせいなんだ! 大通りを通る君に向けられる視線は、わたしのせいだ……!」
「そんなのありましたかね」
僕は、けらけら笑った。
「人の荷物まで背負い込もうとするべきじゃないですよ。その刺又だって引きずってるんですから」
「なんで……、きみは、変わらないの? 道行く人たちの声がきみを蔑んでいる! そうじゃないって、声を上げてもいいんだよ!?」
「言って聞けば楽なんですけどねー」
「それだけじゃないっ! なんできみは……、まだわたしに話しかけてくれるんだ……? わたしはっ……! きみに二度も刃を向けたんだぞっ!?」
「そんなこともありましたかねー」
「そんなことって……!」
「慣れてるので。ほんと冒険者って野蛮なんですよ。血の気が多くて頭が悪くて、後先をまるで考えないから殺し合った相手と同じ盃を呑み交わしたりとかしょっちゅうなんです。あ、僕は酒とか呑まないですけど」
──だけど、変わってはいるだろう。
今の僕は、アネットさんになら何度刃を向けられたって仲良くしたいな──なんて思っているんだから。
痛いのと怖いのが嫌いだっていうのに、まるで非合理極まりないのに、そんなことを考えることを自分がいて、そんな自分が嫌いじゃないと思ってしまっている。
「僕は。今日のアネットさんを見ていて、なんだか……さびしいなって思いました。慣れてるはずなんですけどね」
「……きみと、わたしは、立場が違うんだよ?」
「それ言い出したらアネットさんの家柄も違うんじゃないですかね」
「……そうかな」
「そうです」
僕は力強く断言した。
目の前にいる憲兵隊の小さなお姉さんを、僕はこれでも尊敬しているのだ。
「一つだけ言えるのは。これはアネットさんのせいじゃないということです。あと名誉のために言っておくとレスターさんは犯人ではないです。おっと一つじゃなかったな。二つでした。そうですね。まあ何が悪いかって言えば──」
僕は道端の石ころを掴み、
「足をつまずかせるような小石が悪いってことで」
地面に叩きつけると三つに砕け散った。




