迷宮都市の天才姉妹/迷宮都市の覆灰魔
ステラは未来を示さなければならない。
ロールレア家の過去を超克するために。
「大丈夫ですかっ!」
真剣な声音で、扉を爆炎で吹き飛ばしながら、さも今にも駆けつけたかのようにステラは夜の帳が下りた大ホールに入室した。
それは全くの茶番劇で、こんなことを思いついて実行に移す自分は、きっと大いに悪影響を受けているのだろうな、とステラはぼんやり思った。
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シアは過去を直視しなければならない。
ロールレア家の未来を支えるために。
「……コッシネル・フェニクロウア。本件に関する、全てを開示しなさい。そうすれば、減刑を検討しましょう。これは……司法取引、というものです」
冷静な語気で、シアはおよそ常識から外れたことを口にした。伯爵位の僭称は大罪であり、酌量の余地などあり得ない。
それはただの感傷で、このような提案をする自分は、きっと深く悪影響を受けているのだろうな、とシアははっきり思った。
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未来も過去も、実のところ、僕には割とどうでもよかった。
今日という一日をゆるりと過ごせるのなら、それ以上のことはなくて。
まあ欲を言えば、明日がいい天気だと嬉しいくらいで。
「いや~、こんなところで会うとはね~。見逃してくれないかなぁ」
人よりも力があるというだけの理由で、広い世界で一分一秒ごとに起こる悲劇に目を向けなきゃならないなんて道理はない。
いるだけで悲劇を引き起こす屑が裏でどれだけ蠢いていようと、岩の下に隠れるミミズをわざわざ覗く真似する必要はない。
僕らは日々をゆるりのんびり過ごしたい。そういうの、やりたい奴だけやればいい。僕の人生哲学は狭量だ。
「もう、そこに座ってるきみの幼なじみには危害を加えないからさあ~。だってホント割に合わないからね~。
想念を集める救済の象徴は、イチから作ることにしたのさ~。だから逃がしておくれよ。同じ灰髪だろぉ?」
昔の僕なら、手の届かない範囲で起きる罪業には見て見ぬフリをしていただろう。
世界は広い。だけど僕の世界はそれよりずっと狭くて、その狭さがちょうどいい。
王都にいた頃の僕なら、今の言葉で目前の屑を見逃しただろう。
「諦めなよ。逃げるあんたに、罪が追いついてきたのさ」
それを変えたのはきっと、僕の周りに増えた、大切なひとたちなんだろうなと思いながら。
月のない夜の帳は、ヒトの心にも作用する。ただ暗闇を生み出すのではなく、概念そのものが小瓶に詰め込まれており、不安や恐怖を惹起する。
闇が支配する部屋に差し込む光はステラが開いた扉の他にない。
大ホールに集まった面々の、酒気によって判断力が大きく麻痺した脳は、闇によって不安を掻き立てられ、光によって安全をより強く意識する。
頼りにならない頼れる執事が、計画段階から人間心理を織り込んでいた演出に、ステラのスキル《カリスマ》が合わさりその効果は更に高まった。
「お嬢様がなぜここに!?」
王都同行組の使用人のひとりが、驚いた声を上げる。オームに付き従う使用人はその能力から選定された。
故に、その精神力も強固だ。
「こうなることは事前に予期していたのよ。当家が《タイレリアの暗殺者》に襲撃されたのは、これで三度目なのだから」
それに対し、ステラは淀みなく語った。
嘘偽りを暴く類の《スキル》を考慮したステラの言葉には、注意深い表現がなされている。
この嘘ではないが事実でもない、灰色めいた表現はキフィナスによって練られたものだ。
一度目のデロル領伯爵屋敷爆破事件では、下手人たちは件の名前を用いていた。
二度目と三度目の襲撃を引き起こしたのは自分たちで、今回そう名乗っている。
だから、その手のスキルには検知されない。そしてそういったスキルの持ち主は、一度その発言を真と判定すればそれ以上疑わない。自分が生まれ持った判断材料を重く置く。なのでちょっと心得があればむしろ楽──といった旨の長口上を、けらけらと笑いながら彼は語っていた。
「緊急事態です。これ以上の問答はいらないわ。
父は。ロールレア家当主オームは亡くなりました。私には、この場にいる全員を、安全にデロル領の外に帰す義務があるわ。ゴーレム馬車を直ちに用意なさい」
何か言いたげな使用人の言葉を遮って、ステラは明瞭な指示を出した。
その後は迅速であった。
ロールレア家の使用人は、命令をより効率的に遂行するように遺伝子レベルで調教されている。ステラの合図から10分もしない内に、一時逗留用の館から物品類がすべて完璧な状態でゴーレム馬の牽く馬車に乗せられ、デロル領を訪ねた18の貴族家は直ちに帰参する用意が整えられた。
水晶のように透き通ったゴーレム馬に乗ったステラが、それを先導する。
下手人に当主を殺され、訪ねた貴族たちを避難させるという結果はまさしく敗戦そのものであるが──ステラの態度は、訪問客たちには気高く見えた。
デロル領の領民たちは領主の動向を十分すぎるほどに弁えており、領主の生活圏に一般的な冒険者は足を踏み入れることは少ない。
大都市の一角で、ゴーレム馬車の一団が都市の石畳に轍の跡を強く残してもそれを遮る者がいないことは異常ですらある。
無論、避難経路もこの日に至るまでに十分に計画された、冒険者ギルドに話を通した結果であるが。
『待て!!』
しかしこの時、そこに呼びかける者がいた。
それはステラにも聞き覚えのある声の──ヘザーフロウ帝国語だった。
「あなたに構ってあげる時間はないの」
その小さな人影を一瞥すると、ステラは愛馬のギアを一段上げた。
声の主は、ステラにとってあまり愉快ではない──何の因果かデロル領の救貧院に逗留する帝国の最終皇帝だ。ステラの信頼する腹心を面罵して、そのくせ彼の力に縋っておいて、なのにそれを恥じる意識すらない。
(おおかた、帝国派貴族が集まると聞いて、声を掛けてきたのでしょうけれど)
ステラに続く馬車は止まらない。
火急の有事に、いくら声を張り上げ、我こそ皇帝であると主張しても誰ひとり耳を傾ける者はいない。
『余は、余は黒き躑躅の胤であるぞ! 誰そ!! 余の言を──』
ゴーレムの蹄が石畳を叩く音が、幼帝の声をかき消していく。
もっとも、平時であろうと芳しい反応は返ってこないだろうが。
なにせ黒躑躅閥──帝国派貴族は、帝国語を学んだ経験などないのだから。
立場の弱い彼らが手にできるのは、黴の生えた語学の初等教本がせいぜいである。
題目として、自分たちに都合の良い団結の象徴を見繕ったに過ぎない。それは物理的にも精神的にも遠い距離にあり、意向をこちらに伝えることもなく、形ばかりの忠誠であることがむしろ正しくある。
そもそも、数百年前に世界の中心から離れたヘザーフロウ帝国は、灰の大平原を隔てた飛び地程度の関心しか持たれていない。
「やっぱり、シアが頑張り屋さんなだけなのよね」
ステラは、帝国語の文法を把握してはいないが、単語単位での知識は備えており発言の大意は掴める。
内容を理解した上で、彼女は統治者として、王国の貴族として、何より彼の友人として、その声を足音でかき消した。
そうして、彼女は今回の計画における自分の役割を──領主が代替わりする瞬間を目撃した証人を、ロールレアの外へ帰すことを──危なげなく終えた。
「こんなところね」
彼女は生まれる以前から迷宮都市を統治することが約束された、天賦の才を持つ娘なのだ。
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「話すべきことは何もありませぬ、妹様。私は、主オーム様を騙りました。一族郎党、連座で処刑台に送られるべき身です」
「……いいえ。聞くべきことは多数あります。あなたが当家に──ロールレアの血を引く者に忠誠を誓うというのなら、問いに答えなさい」
この大騒動は、その動機からして曖昧だ。
追憶に触れ、コッシネル・フェニクロウアと同化したキフィも、それを詳しく語ろうとはしない。
スキルに親しんだシアには理解できない感覚であるが──彼の中で、メリスのスキルによって他人の内心を暴くことは、公正ではないことらしい。
そもそも、彼は問題を解決することを目的としており、その動機を重要視はしていなかった。
迂遠な物言いを好むくせに、異様に短絡的なところがある。
「……私は、支えたいと思うのです。そのために、より多くを知り、視野を広げなければなりません。コッシネル・フェニクロウアは何故、今回の簒奪劇を企図したのか。貴方たちは、王都で何を企てていたのか。
答えなさい、コッシネル」
「……私は、貴方様の方が、ご当主に相応しいかと、存じます」
思いもよらない回答を受け、シアは瞳から青白い燐光を漏らした。
「……差し出口を挟むことは、許可しておりません。姉さまは長子として生まれ、それに相応しい資質を示してきました。ロールレア家は、その長い歴史の中で深い澱みを作った。姉さまは、それを是正しようというのです。
たとえ私が後継者であっても、改革を推進することは変わりませんよ」
「はい……。御館様も、あの日まで、それを常々口にしておりました」
「……あの日?」
「《王都大禍》が、御館様を変えたのです。……お嬢様方は、かつてのあのお方を覚えておいではないでしょうが。
滅びに抗わなねばならないと、血塗られた道を歩まれるようになった。人であることを辞め、最も大切な──お二人さえも、その目的のために捧げようとされていた」
耳をくすぐる優しい声を、髪を撫でる温かな手を、シアは幾度も夢で繰り返した。
領主を支えることを目的に据えてシアが努力を重ねた理由には、きっと、その記憶が基底にあった。
「──ですが、全ては喪われました。私が最期に見た父の姿は、異形と化し、私たち姉妹に憎しみの目を向けるものです」
そして、シアは優しく温かな記憶と訣別をしている。
「……申し訳ありませぬ……! 私は、御館様をお止めすることが、できませんでした……。お嬢様が王都に訪ねてくることを知り、直ちに近衛騎士団を頼ったのです。
王都において、当家の関係者が重ねた凶行を報告し、貴方様方が御館様に対面する前に、すべてを終わらせようとしていたのです。訪ねられた際も、この私が背に刃を向けたのならば、せめてその場では考え直すのではないかと……!」
もし、あの時キフィの言に従い、王都の観光をしていたのなら、姉妹が父と対面することはなかったということだろう。
「あの時、御館様に刃を向けた時点で、死んでおくべき男なのです。なのに、何も果たすことができなかった……!」
「……謝罪は不要です。全ては、ずっと以前から喪われていたのでしょう。
たとえ痛みと恐怖が伴おうと、真実を直視せねばならないのです。貴方の目的が果たされていたとしても、順番が前後したに過ぎません」
シアは、静かにそう言い切った。
「……動機の半分が解けました。貴方は、自分が死ぬべき大罪人だと考えた。それ故に、躊躇いなく寿命を捨てることも、領主を騙ることもできた。
ですが、もう半分──どうして領主を騙ったのかという部分は、まだ分かりかねています。……解雇した使用人たちを戻すため、ですか?」
「はい。その通りでございます」
「……それは。当家に縛られることはないのだという、姉さまの慈悲なのですが」
「……そうですな。ステラ様は、お優しすぎるのです……。……我々ロールレア家の家臣一同は、この家にお仕えするために生まれたというのに。
ロールレア家は、その家の興りに能力婚があります。次代の子がより優秀な子となるよう、優れた《スキル》《ステータス》を持つ相手を自分の勢力へと囲い込み、時に数代を掛けてでも、その力を血に取り込んできた歴史があります。
御母堂ミーテラ様の魔眼の力を以て、ロールレア家の今代が天才として完成したように──我々もまた、仕える使用人として生まれる以前から定められていたのです。
それが、それこそが存在意義なのです」
すべての疑問を繋げる言葉に、シアは小さく息を吐いた。
「僭越ながら。お嬢様が新たに集めたあの連中では、貴族の正道で渡り合うことは不可能です。せめて、王都へ直参することを許された上澄みを──」
「──人には。険しい道を選ぶ権利があります」
シアの口から、誰かの言葉がそのまま衝いて出てきた。
「そして、それは貴方たちも例外ではない。
自分の存在意義とは、生まれついて定まったものではなく、自ら定めるものです」
その乱暴な論理を支えるように、自分の言葉が出た。
「……姉さまは、貴方たちにも、自分の人生を選んでほしかったのです。……ええ。それは、残酷かもしれません。あの日の我々には、想像力も、情報も足りていませんでした。今も十分ではないのでしょう。
ですが。私は姉さまの判断を、改めて肯定します。
そして、これを以て、コッシネル・フェニクロウアに恩赦を与えます」
「シア様……!?」
「領主オームは、今日、この日に亡くなったのです。貴方を裁く罪状はありません」
忠義を尽くそうとした彼にとっては、それこそが刑かもしれない。
それでも、生きて、生きて、生きて何かを見つけてほしいと、天才姉妹の片割れは願った。
「げほっ、げっ……、ぼくらはさぁ、よく……、似てると思うんだよぉお~……。ぼくらが磨けるのは、話術くらいの──げぼぇっ!」
岩肌が残る壁で顔面ごと摺り下ろしてやっているのに、まだ随分無駄によく喋る口だ。
取り替えた方がよいと思ったので、僕は唇をナイフで落としてやった。
血や肉で執務室を汚さないように気をつけながら、僕は今度は鎖骨をへし折った。
「が、あ、あ……! おなじ、はいいろ、だろぉ? 大母キキのこえを、ゆめで、聞ぃたろぉぉ? ぼくらは、せかいの危機を理かああああッ!」
よく喚く。




