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焦熱



 目に映るモノ悉くを灼き尽くす焦熱の魔眼。

 生まれながらに持ち得た、万人を容易く焼却する異能。

 感情のままに振るうことを律していた、常を逸する力。


 ステラは、目前の男に、それを行使した。


 彼女は、生まれてはじめて、本気で誰かを殺そうと思った。



 劫火が空に咲く。

 空気が沸騰し、虚空に白煙が立つ。

 殺意を籠めた初撃が外れた。ならばと火花を二撃三撃四撃と放つ。空が裂け水蒸気が破裂する音が響く。

 しかし男は、平然とそこに立っている。


「ッ……!!」


 ──ステラの視界が朱に染まる。それは噴火のように吹き出た燐光によるものかもしれないし、怒りによるものなのかもしれなかったし、どちらでも、それ以外でもよかった。

 どうでもいい。ただ、目の前の相手を焼却できるのであれば──!


「姉さまっ! 援護します!」


 無色透明の厚い氷壁がステラの周囲を護るように覆う。

 澄んだ氷は視界を遮らない。しかし、それすら今のステラには邪魔に感じる。壁も床も調度品も灼いてはならないというのに、その上壁にまで意識を向けなければならないのだ!


「いつも、お前の周りにはおっかない女しかいないな」


 軽口を叩く男は、不敬にもステラを見てすらいない。

 それなのに一撃を当てることができない。視界すべてを隙間なく灼いているはずなのに!

 一撃でも当たりさえすれば、


「当たりさえすれば、大型魔獣も骨ごと燃やせる大火力だ。そして距離を問わず、視界に入れるという条件で空間飽和爆撃を仕掛けることができる」


 レスターが投擲した一本の光剣が、シアの作り出した氷壁に轟音立てて突き刺さる。


「亜竜の吐息程度なら護れる、か。このレベルの防壁を即席で出せる遣い手はかなり限られるだろう。

 そもそも、この《欺瞞虹彩》下で、ここまで十全な魔術行使ができる奴はそういない。流石はあの政治力の怪物・オーム伯爵の娘だ。

 血をも統治し、後継者が強者であることを積み重ねた、天才であることを運命付けられた姉妹。聞いていただけのことはある。

 だが──」



 光剣が虹色の光粒子へと解ける。接触物を屈折させる微細物は氷壁に綻びを与え、厚い塊を細切れの粒へと分解していく。シアは氷壁の生成を続けるが、作った端から分解されていく。虹と氷の乱反射が織りなす極光が、屋敷の廊下に舞い散った。

 そして、魔力が注がれ続けている緋色の眼による爆撃は、余熱が壁や床を黒く焦がすに至って尚も一撃たりとも当たる兆しがない。



「俺には通じん。最上位冒険者という肩書きは伊達じゃないんでな」




「ちょっ、待っ、メリー! レスターさんを止めて!」


「れすたは。すてらも、しあも。殺さない」


「事故があるだろ! 加減し損ねただけで簡単に!」


「しなない」


 メリーは動かない。今も僕の顔だけを見ている。

 周囲の動乱にはまるで無関心だった。

 だいたい僕らをここに連れてきたのはメリーだっていうのに……!


「こなくともよい。よかった」


「そういうわけにはいかないだろ! じゃなきゃ、あのニセ領主はこのままレスターさんに──」


「殺されて。かいけつする」



 無表情なメリーは、事も無げにそう言った。



 ……確かに、メリーの言うことは正しい。

 現当主が近衛騎士によって叛逆の意志ありとして処された。そういう筋書きになる。

 しかし、迷宮都市そのものにまでその責が及ぶことはないだろう。その係累や一族郎党を皆殺しにする──というのは迷宮伯領に対する宣戦布告と同義であり、国を割りたくない王都タイレリア側はその選択肢を選ばない。加えて未遂で、証拠品は大体爆破炎上済みだ。

 そうなると、その処刑をこちらが受け入れ(まあ国家転覆を目論んでたって罪状も事実無根じゃないんだろうし)デロル領の後継者として、ステラ様を領主として認定する……というのが、客観的に見て妥当な落としどころになるだろう。

 国主ヤドヴィガ姫はその寛大さをアピールすることができ、こちらはそのまま領主という立場が戻ってくる。ロールレア家が王党派貴族であるという面目も──まあその辺は最近知ったんだけど──立つ。



 ──ステラ様が考え、僕らが実行しようとしているアイデアよりも、ずっと冴えたやり方だろう。



 この騒動の発端には、それまでの使用人を解雇し僕を登用したステラ様の選択がある。

 その責任を、死にかけの敵対者の命ひとつで清算できるのは、きっとすごく破格だ。



「……メリーが映像出したのは、情報共有のため?」


「ん。きふぃは、しらせろってゆう。ゆった。やった」


「そっか」



 メリーはぺったりと廊下に座った。ここで動く気はないらしい。

 こういう時のメリーを動かすのは困難だ。地面に根っこを生やしているように微動だにしない。

 それはよく知っている。


 冒険者というのは、気心が知れた相手に刃を向けることにも躊躇いがない。お互いに笑い合った直後シームレスに殺し合いに移行するなんてこともある。

 レスターさんは比較的穏和な性質だが、一番大切なものを蔑ろにされることだけは許さない。

 それもよく知っている。


 そして、レスターさんが相手では勝負の真似事にすらならない。

 どれだけ入念な準備を重ねに重ねたって無理だ。レスターさんには不意打ちも罠も毒も通らない。100万回やっても相打ちに持ち込むどころか一撃入れることすら無理。

 僕は弱くて相手は強い。

 それだってよーく知ってる。



 でもさ。

 僕は止めるよ。


「かいけつ。するのに?」


 うん。

 提示された二つの選択肢のうち、より愚かで、よりバカげてて、より苦難な道を選択する権利が、人にはある。

 その道に文句を言いながら付いていく権利もね。


 僕は深呼吸をした。



「レスターさん。今日はこのままお帰りください」



 僕の声は少し震えていたかもしれない。

 地雷を踏めば僕は死ぬ。サクっと死ぬ。今からそんな地雷原でタップダンスしなきゃならない。



「そうもいかん。手柄を作れないと姫様の元に帰れない。ああ、お前はそこから動くなよ。安全の保障ができんからな」


「わたしを……! 侮らないでッ!」


 ステラ様が叫ぶ。荒れ狂う熱波が、崩れゆく氷壁を溶かして僕の肌を容赦なく焦がそうとする。

 魔力によって生じた物理現象は、コントロール次第で余熱を周囲に伝えずに鋼鉄を蒸発させるなんて芸当も可能だ。

 だが、今のステラ様はそこに一切気を回してない。目の前の相手への憎しみに支配されている。



「ステラ様。無駄ですよ」


「いいえ! 一発でも当たればよいのでしょう! それなら──」


「レスターさんは魔眼に映らないんです。この光粒子には《屈折》の概念がある」



 Sランク冒険者というのは、基本的に両手の指じゃ足りないほどの二つ名を持っている。活躍の度に吟遊詩人のネタにされ同業者に噂され、尾ヒレと背ビレが付いた後に足が生えて明後日の方向に自走を始める。

 その内のひとつが《魔眼殺し》だ。

 王都の邪眼遣いこと《呪術師》マレディクマレディコの両目を抉ったことからその名が付いた。



「同業者の手札を晒すのは感心しないな。キフィナス」


「感心しないのはこっちの方ですよ。やろうと思えば、氷を形成する位置を変えることも、炎でこちらを燃やすこともできる。組み合わせから詰んでるんですよ。素人いたぶるのやめましょう?」


「……ッ!」


 ステラ様が歯をギリリと食いしばる音が聞こえた。

 ……人の感情というのは、なんとも始末に負えないな。


「……姉さま。ここは引きましょう」


「だけど、今っ、爺やを殺そうとしてるのでしょう……!? ここで引くわけにはいかないわ!」


 ステラ様の言葉には方便が混じっている。

 尤もらしい言葉の裏に込められた、目前の相手に対する憎しみを感じられないほど僕は鈍感じゃあない。



「それは僕がさせませんよー」



 ──が、鈍感なフリは得意だ。



「さ。対話をしましょうレスターさん。

 お姫様にとって、よりよい選択肢を選べるように」



 それから、ハッタリもね。

 僕の勝利条件は、レスターさんを引かせることだ。

 レスターさんに何言えば納得してくれるかなんて──まあ、舌が筋肉痛にならない内に思いついて何とかなるさ。



・・・

・・




 べらべら。

 べらべらべらべらー。

 べらべらべらべらべらべらべらーー。

 準備運動とばかりに中身のない言葉をとにかく並べ立てると、レスターさんは早々にウンザリ顔をした。


「俺はすぐにでも帰りたいんだが」


「いいえ? レスターさんには政治がわからない。あなたは近衛騎士連中の政治ごっこに辟易しているはずだ。そして、今回の一件はヤドヴィガ姫様の勅命ではない。そのレベルなら一人で来るってことはありえませんし、そもそもあの人がそんな命令を下すとも思えない。というかそれならレスターさんは会話に応じさえしないでしょう。制止する僕らを振り切る──いや屋敷ごとねじ曲げているでしょうね。違いますか?」


「お前の推測は当たっているよ。だがそれだけだ」


「それだけじゃありませーん。姫様の勅じゃないならいくらでも譲歩の余地がある。僕の勝利条件を達成できる目がある。そもそもの話をすれば、この扉の先にいるのはオーム伯じゃなくて影武者だ。ムーンストーンの手術を受けて、顔も人格も前迷宮伯その人に見せかけた──まあ《哲学者》案件なんですよ」


「……アイツが生き残っていたのか? しかし、それなら尚更殺さないとならん」


「あっやべっ──えーと、その、あれです。違います。あの腐れ外道の被害者みたいなものでしょう? 違うんです。今のニセ領主様は頻繁にメンテナンスが必要な身体なんですよ。だからそのええっと──あ、そうだ。泳がせるとムーンストーンが釣れますよ?」


「アレが一番厄介なのは、その周囲の価値観を汚染することだ。口車に乗ったというだけで殺す理由には足りるぞ?

 お前の選択肢論は久々に聞いたが。お前の理屈なら、俺が偽領主とやらを殺すことも自由であるはずだ。事実、王都の頃のお前はそうやってセツナとかに付き合ってただろう」


「僕の手が届く範囲なら止めてますよ」


 そして、今もそうだ。

 走って間に合うところにいた。だったら僕は止めなきゃいけない。



「コッシネル・フェニクロウア氏を殺させるわけにはいかないんです」



「……ん? コッシネルと言ったか?」


「言いましたが」


「それは、王家への情報提供者の名前だ。

 お前たちが屋敷を襲撃するその前日、その男は、ロールレア家当主・オームによる叛乱の企てを自白した」



 ……どういうことだ?



・・・

・・



 それから。

 驚くほどあっさり、レスターさんは身を引いた。

 

 情報提供者の身の安全を保障するというのは、慈悲深いヤドヴィガ姫殿下のご命令であるわけで命令系統の上位に位置する。というか、王家に忠義を見せた相手を保護する、か。

 おそらく、レスターさんの側からも僕の発言に嘘偽りがないか調査をするだろう。そして、コッシネル・フェニクロウアという人物の足取りが忽然と消えたことを確認するはずだ。


 勝利条件をクリアした僕らは、虹粒子が既にかき消えた窓から退出した。


 ……まあ、とはいえ。勝利条件は満たしたと言っても。

 ステラ様へのフォローはいるよね。



「えーっと、あの、ステラ様」


「……知らない。なに」


「納得はしてもらえないかもしれませんが。レスターさんを追い返しましたよ」


「納得……、できると思うの?」


「思いません。だけど、納得してもらうしかない。Sランク冒険者というのは、この国の暴力の頂点なんですよ。向き合った状態で、よういどんでり合えるような相手じゃないんです」


「それでも……! わたしは、」



「そもそもなんで怒ってるんですか?」



 これ聞くとなんだか人の心がわからない冷血動物なんじゃないかと思われるかもしれないことを承知で──シア様がすごい目で僕を見ている──それでも、僕は問わずにはいられなかった。


「それはっ……! わかるでしょう!?」


「わかりかねますねー。

 僕は。正直あの屑をレスターさんが殺したって聞いて。よかったって思いましたよ?」


 僕がそう言うと、ステラ様は目を丸くしてから、ぱちぱちと瞬きをした。



「…………わたしも、そう思ったわ」


 その声は、シアさんよりもずっとか細い声だった。





「……あの男の言葉を聞いたときに。つい、……『よかった』って思っちゃったの。それが、いちばん赦せなかった。

 ああ、お父様を殺してなくてよかった、って。……でも、そうじゃないでしょう……!?

 それまで、ずっと、私が殺したって考えて、わたしは、その責任を取らなきゃって、わたし思ってたのにっ……。それなのに、そんなの……、そんなの、都合がよすぎるでしょう!?」


「それでいいじゃないですか。ラッキーってことで」


「死に追いやったのは、わたしです」


「それ言い出すとそもそも正当防衛かと。じゃあ間を取って、反撃されたどっかの屑が悪いですね? 自業自得ってやつですねー」


 僕は無神経にけらけら笑った。


「でも……、それだけじゃないわ。もっと、都合がいいことを考えてしまったの。

 あの男が殺していなければ……、訣別をすることもなくて。……私と、シアと、あなたと、……それから、おとうさまも、一緒にいられる未来もあったんじゃないか、って……」



 ……そんな未来はあり得ない。

 それは、ステラ様が一番わかっているだろう。

 それでも、彼女はふと、そんな夢想を抱いてしまったのだろう。


 わずかな沈黙があった。

 さすがに。これをばっさり否定できるほど、僕は人でなしでも冷血動物でもなかった。



「悪いことばっかり考えるより、都合のいいことを考える方がずっといい。一度悪いことを考え出すとクセになりますからね。失敗と後悔ばっかり思い返すことになる。それなら、都合のいいことを……いい面だけを考えようよ。

 ね? ステラ様の手は、まだ綺麗なままだったんです。君は、自分の父親を殺してはいなかったんだ。

 それは、それだけは無条件で喜ばしいことだと、僕は思うよ」






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