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領主姉妹のさいばん権/キフィナスの過去 5



「どうしたのですかっ!?」



 朝。宿屋個室のドアの前。

 包帯でぐるぐる巻きになった僕の両手を見て、ばったり会ったシアさんが大声を上げた。



「んー……メリーによる治療行為を装った虐待の痕跡、ですかね」


「そうではなくっ……、姉さま! キフィが大怪我をしています! 起きてくださいっ!」


「……んにぃ……、……あによぅ……ちょっとうとうとしてただけじゃな……、い? どうしたのですっ!?」


 二度寝をしていたらしいステラ様まで大声を出してきた。

 困る。


「ええっと……。迷宮都市ここに迷い込んだ野良犬とやりあってたんですよ。そこまで大した傷じゃないです。ただ、この包帯とかメリーが巻いたのでこんなんなってるんですよ。僕が負傷した箇所は指だけなんですが、この包帯は手のひらから手首の中ほどぐらいまでぐるぐる巻きにされている。これ雑にも程がないかな? しかもあまりにギチギチに絞めるから内部で鬱血してるかもしれない。これこのままだと壊死するんじゃないかな」


「まけたのが。わるい」


「メリーうるさい。……ただの野良犬ですから」



 ──誰かを殺すこと。

 選択の権利を永久に奪う行為は、唾棄すべき最低の行いだ。だから、敗北の結果、そのまま相手に殺されることくらいは最初から織り込んでいる。

 そんな命の取り合いに、メリーの力を借りるなんてことは……なんというか、卑劣だろうと思う。

 これは僕の選択ざいあくで、幼なじみを巻き込んでいいものではない。


 とはいえ勿論僕だって死にたくはないし、標的あいては本気の本気で殺したい。

 だから僕は、僕にできる範囲で、準備に準備を重ねて挑んだつもりだった。

 ……結局。僕の糸は一本たりともアイツに届かず、それどころか、こうして僕は生き長らえているわけだけど。



「……駆除しましょう」


 シアさんの目がマジだ。


 犬という動物はダンジョンで回収される生物資源キャトルであり──登録管理されている。たとえ死体でも金になるので野犬とか都市に生息しているはずがない。鳥とかと違ってダンジョンの外で野生化するのがとても難しい。

 ふつーに隠語なんですが。


「……承知しています。おまえの……過去の因縁でしょう」


「それで駆除って単語が出てくることに驚きなんですが」


「そうよ、シア。はしたないのだわ。──で? リベンジはいつやるの? 時間と場所と相手の情報を教えなさい。私も混ざります」


「ええと……」


「あなた。結構負けず嫌いなとこあるじゃない。ケンカなら付き合うわよ」


「ケンカて。はしたない言動は謹んでくださーい。しません。巻き込む気はないです。意味ないのわかったんでやりませーーん」


「巻き込ませろって言っているのよ。ね、シア」


「……はい。おまえを痛めつけた相手に、相応の報いを与えるだけです。だから、説明しなさい。……その因縁はいつからのものですか。やはり女性なのですか」


「えー……、黙秘します。はなしたくないでーーす」


 だってこれ、全部僕がひとりで作った傷だし。ダイナミックな自傷行為だし。

 ……振り返ると、グレプヴァイン自身は、僕に掠り傷ひとつ負わせていなかった。矢を掠らせることもなければ、張り詰めた糸を斬って跳ね返すこともせず、あのワイヤーアンカー射出器具に拘束された痕すら残ってない。

 あっちは手加減する余裕すらあったってワケだ。ハラワタが煮えそうなほどに腹立たしいことだが、それだけ力量差があったということだろう。

 とはいえ、標的にはしないって話だし──片方なら殺しても王都まで影響を及ぼさない、あいつならそう考えると思ってた──危険人物のことを話す気はない。……色々恥ずかしいし。

 戦果もそうだし、何より、その、なんだ……。まるで僕がこの子たちに泣きついたみたいな──、


「おんな。おうと。ぎるどいん」


「メリー。メリー。メリーさーん? ダメだよー。個人情報を勝手にぺらぺら喋らないでねー? ややこしいことになるからーー。普段黙ってるくせにこういう時ばっか積極的に喋ろうとするのやめてねー」


「王都って、ギルドの総本部の職員ってことよね。……そう。食料支援の返礼がこれですか。……ふうん? 此方としては、善意からの提案に拠るところが大きかったのですけれど。民の食を保障することは、統治者として最低限の義務でしょうに。ふうん。そうなの」


「えっいやあの、違くてですね! ああもう早速ややこしいなあ!? これ王都ギルド本部の総意とかじゃ全然なくて──」


「……構成員が引き起こした問題について、責任の所在は所属する組織にあります。厳正なる処罰を要求します。……同害報復として、腕二本を奪いましょう」


「というかそもそも今回僕が襲った側だし……! 矢ぁ射させることを最初から意図してたんですよ僕ぅ……! で正当防衛ってことで闇の中でぶっ殺せばその辺曖昧にできるなーって……!」



「……殺そうと、していたのですか?」


 シアさんは少し驚いた表情をした。


「……おまえは、犯罪者の命も尊いと。かつて語っていたではないですか」


「お屋敷を吹き飛ばした暗殺者を逃がしたわよね。割と独断で押し切って」


「そんなことありましたねー……。僕としては十分に議論を尽くしたつもりだったんですが」


「……議論とは、互いに譲歩し合意を形成する作業を指す言葉です。あの時のおまえは、譲歩する気などなかったでしょう。……だから驚いたのです。命が尊いという言葉は、普段曖昧にしか見せないおまえの、はっきりした実像だと思っていたので」


「ええ。尊いですよ? もちろん、命は尊い。まあ一人の命は惑星より重いーとか等しく同じ価値があるーとかそんな妄言吐く気はないですが。道行く誰かの命を山積みにしたって、ここにいる皆の命の方が僕にとってはずっと重い。

 だけど、価値があることだけは間違いない。

 それがどんなカスクズの今も呼吸していると思うだけで吐き気を催す緑の血とか流れてそうなクズゴミの内面も外面も醜悪で可能な限り速やかに死んだ方がいいと心の底から願ってるゴミカス野郎の──」


「長いのだわ」


「クズのゲロカスであっても。そいつの命は尊く、そいつには自分の人生を選択していく権利がある。殺人という行為が罪深いのは、その権利を永久に奪うためだ。

 ……その上で。それを理解した上で。昨晩の僕は、あいつを殺そうとした。……まあ結果、返り討ちにあったんですけどねー……」



「……そう、ですか。当地の領地法では、たとえ功臣の親族……一級市民であっても、殺人行為は厳罰に処されます。未遂であっても、殺意に伴う行動があれば要件が成立します」


「そうね。一番信頼してる家令がそんな犯罪者なんて。それは、とても残念なことね。ええ、とっても」


「……はい。非常に、残念なことです」


「……それは、本当に申し訳ないと思うよ。でも僕は──」



「……早合点するものではありません。おまえが今からすべきことは、動機を私に説明することです、キフィ。

 情状酌量の余地があれば、減刑することもまた、法で定められているのですから」


「それから、相手との関係もね。メリスさんが動かないのも気になるし」


「…………ええと」


「ほら。ちゃっちゃと喋りなさいな」


「まずここは法廷ではないですし、別に僕は犯罪者でもいいんですが。憲兵詰め所ふっ飛んでますしね」


「……いえ。判事たる我々と、被告たるおまえがいるのですから、法廷が成立します。……そして、おまえが良くとも、私は悪いと感じます。……わたくしは、おまえを誇りに思いたいですから」


「う……」


 それは卑怯だろ……。


「ね。私もよくないと思うのだわ。己の名誉を守る努力はすべきでしょう?」


「はー……。一言だけ口を挟ませて貰っていいですか? そういうのね、マッチポンプって言うんですよ? 何なら僕に名誉を与えたのもあなたたちなんですけど」



「知ってるわよ? 名誉の与奪は貴族のならいですもの。さっ。部屋に戻って頂戴。これより──裁判を始めるわっ!」



 ステラ様はイイ笑顔で言った。

 この人たち、出会った頃に比べて、なんというか……すっごいめんどくさくなったな。

 深刻にそう思った。




「……被告キフィナス。おまえの証言はすべて記録されます。おまえには黙秘の権利はありません」


 シア様はいつの間にか録音石を持っていた。

 結構ノリノリで判事をしてくる。


「自分の不利になる証言は許可しないのだわ。あなたは自分を悪く見せるクセがあるし、最後にはぜんぶ無罪にするのだもの」


「茶番なの認めないでくださいよ」


「……茶番ではありません。おまえが語ろうとしないのが悪いのです」


「いや……というかほら、そんなどうでもいいことはどうでもいいでしょ。だってどうでもいいことですし。

 それより、僕ら仕事しないとですよ。迷宮公社の運営を軌道に乗せることの方がよっぽど大事でしょう? 優先順位ですよ優先順位。手が足りないんだから動きつづけなきゃいけないんです。とりあえず学会行って調査の進捗確認しましょう。あとは冒険者ギルドにパーティとしての活動報告もしないとです」


「優先順位と言うのなら。ただでさえ足りない手を二本減らした原因は、直ちに確認する必要があるわよ」


「……はーあ、僕ごはん食べたいんですけど……」


「……階下の、ギーベ家の面々に聞かせるべきではない内容かもしれませんので。終わるまで食事は許可できません」


「キビキビ喋れば食事の時間も早まることでしょう。……こうでもしないとあなた、煙に巻いてきそうだもの。もちろん、私もお腹空いているのだわ。おあいこね」


 ごはん……。



「いーかげんそろそろ良いでしょう。昔のあなたのこと、私たちに聞かせて頂戴な」



・・・

・・



 今から、だいたい5年くらい前。

 辺境の果てから、灰の大平原を抜けて。雲よりも高い壁を目印に、僕らはタイレル王国までやってきた。


 色々なものを見た。

 美しい景色を見た。朝焼けの金色の空が、そのまま落ちてきそうなくらい近く感じる山の頂。

 光に照らされて七色に輝く水晶の砂漠。夜露に濡れる銀百合の花畑。

 君たちに見せてあげたいと思うくらい素敵な景色は、この壁の向こうにもある。……そのために、壁の外に出るなんてのは酔狂を越えて狂ってると思うけどね。


 目を覆いたくなるようなものだって、何度も何度も見た。

 苦悶の表情を浮かべる、干からびた旅人の死体を見た。蛆のたかった死体の身ぐるみは他の旅人に剥がされていて、毛髪すら頭皮ごと奪われていた。

 食料不足で、集落から老人と子どもが追い出される光景を見た。辺境にはダンジョンの外でも魔獣がいる。彼らは魔獣の餌になって、餌場だと気づかれた魔獣に襲われて集落も滅んだ。間に合わなかった。

 集落の秩序を保つための伝統として、ただ人より強く生まれてきただけの子が、生贄にされるところを見た。何とか間に合ったけど、なぜ助けたのかって本気で怒られた。

 髪を見ただけで石を投げられるなんてことは、比べればどうでもよくなるくらい、酷い光景は世界にいくらでも転がっている。

 人が集まれば勝者と敗者が生まれる。このデロル領だってそうだ。綺麗な表通りの裏には、統治のためにあえて作り出された低等級の市民がうなだれながら生きている。産み捨てられた私生児の局外者は、そもそも市民ですらなく、生きることさえままならない。

 これは別に皮肉が言いたいわけでも、無意味に傷つけたいわけでもない。どこにでもある、ありふれた悲劇だ。ありふれてると言い聞かせないと目を覆いたくなる──ごめん。本題じゃなかった。

 ごはんが遅くなるのはよくないね。漫然と喋るとだめだ。


 ええと……、いずれにせよ、だ。

 辺境の旅路の中で、僕とメリーが心穏やかに過ごせる場所など何処にもなかった。

 メリーを受け入れてくれる場所では、力を持たない僕は腰巾着だと忌み嫌われて。

 僕を受け入れてくれる場所では、メリーの生まれ持った力はどうやら過剰すぎた。

 ──だから僕らは、雲より高い壁に向かったんだ。



 王国の壁の外には、壁をぐるりと囲うような形で小さな集落が林立している。

 誰も彼もを受け入れられるほど、この国の食料事情は豊かじゃない。土壌が痩せていて、ダンジョンの外では作物がろくに取れないからだ。農耕牧畜よりも、狩猟採集の方が優勢な産業構造なのは、他の旅人たちからも聞いていた。……というか、話を聞くに農耕牧畜という概念が王国にはなさそうだな、と当時は思っていた。


「冒険者です」


 だから。

 王国で生きるために、僕らは冒険者を名乗った。


 入国までの間にもまあ色々とゴタゴタが多かったけど……ただ言えるのは、入国審査がもうちょっと遅かったらあの壁は壊れてただろうね。

 建国神話にも出てくるような大切な代物だなんて、当時の僕らは全く知らなかったし、興味もなかったからね。




 それから乗合馬車で4日ほど過ごして──その間に絡んできた連中は全員メリーがギリギリ半殺しにして……多分半殺しのはず……──王都にやってきた。

 旅の中で時折耳にした、世界の中心とまで言われる場所がどんなものなのか目にしたかった、という気持ちがあった。……今考えるとどうやら、それは10年前に大災害のあった旧王都のことを言っていたらしいんだけど。

 それでも、僕が来た当時から、王都タイレリアは夜にも明かりがギラギラ輝く眠らない都だったよ。


 現王都であるタイレリアは元々王家の直轄領のうち、ダンジョン数が多くてかなり発展していた場所だったらしい。新王都として遷都が決まったのも、そういう流れからだったと聞いてる。……まあこの辺りは、僕よりもずっと詳しいかな?

 ともあれ。そんなダンジョンが多い都市というのは僕らにとっても都合がよかった。

 冒険者という職業はダンジョン探索を生業にするものだ。ギルドは国内の各地にあるが、ダンジョンの数には偏りがある。少ない場所だと、縄張り争いや人間関係で大変そうだからね。



「冒険者ギルド・王都タイレリア本部へようこそ」



 ──目つきの鋭い受付嬢に出会ったのは、王都に着いたその当日だった。

 リリ・グレプヴァイン。……通り名は、ミズ・バッドニュース。

 王都の冒険者ギルド本部には、量刑執行官という役職がある。これは通常、表には出てこない役職で、多くの冒険者はそんな物騒なものがあるなんてことさえ知らない。一言で言えば、()()()()をしすぎた冒険者を殺すことが仕事だ。


 冒険者には、僕みたいに王国以外からやってきた──王国語が母語じゃないって人間も珍しくないからね。それから、育った文化が違う。言語や文化の違いは、思考形態の違いとなり、それは容易に周囲とのトラブルを引き起こす。

 そして冒険者ギルドという集団は、組織として、所属している冒険者たちを管理しなきゃいけない。

 その回答は、暴力という共通言語によるコントロールということになる。


 この国の権力構造は、貴族・商人・冒険者で三角形をしている。その一辺こと冒険者という存在は、主に暴力という力で、この国の権力構造に大きな影響を与えている。

 それを束ねるギルドもまた、やっぱりその論理を使っているってことだね。

 ……野蛮だろ? ほんっと野蛮だろ。だから僕は冒険者が嫌いだし、君たちに冒険者なんてなってほしくなかったんだ。


 ──そんな冒険者ギルドの、暴力を行使することに一切躊躇いのない人間。

 それがリリ・グレプヴァインだ。

 人種としては、突然君たちに斬りかかってきた人斬りセツナと同じ類だよ。


 なんでそんな人間が受付をしていたのかといえば、どうやら組織制度の都合らしい。

 裏方仕事だけを担当する相手を雇うのは非効率的だから……ということになるのかな。

 で、口に出すのも悍ましいあの女は、顔半分を埋めるような大火傷をして、現在王都とデロル領を行き来してるらしい。

 王都のギルド本部も、あの火傷痕に受付をさせないくらいの美意識は持っていたらしいね。

 あいつが今、表向きには何の仕事をしているのかは知らないし砂粒ほどの興味もないけど、地方都市を巡って()()()()()()()()()んじゃないかな。

 いいかい。……見かけても、絶対近寄っちゃダメだよ。紫の髪の、血に塗れた黒のレインコートは、都市伝説になるような相手だ。



 え? あいつとの関係?

 そうだな……、まあ、いくつかモノを教わったことがある程度、かな。大して多くはないし、どれもこれも忘れてもいいどうでもいいことばっかりだ。

 あいつは表向き、王都の冒険者ギルドの受付嬢だったからな。


 最初に教わったのは、髪の染め方だ。

 自分が弱い存在だとアピールしながら往来を歩くのは、余計なトラブルを招く。メリーに首を折られる血気盛んなバカが僕にケンカをフッ掛けてくるのは未然に防いだ方がいいだろうから、僕はあいつに従った。

 ああ、うん。今はやってないね。結局のところ、強者は相手のだいたいの魔力を感知できたりするから、そこまで大きな意味がないんだ。大都市のいいところは、道行く人が他人に関心を持たないことだよ。みんな自分のことで手一杯だ。少なくとも、辺境の小集落に比べたらずっと過ごしやすいね。

 そして、どうも髪を染めようが染めまいが僕はケンカを売られやすい。もういいだろ、って思った。勿論疲れるのは嫌だから迷宮都市ここに来た当初に盛大なご挨拶をキメて──おっと。また脱線するとこだったね。


 第二に教わったのは、武器の扱いだ。

 僕には膂力がない。魔獣と大岩を切り裂くくらいの力がないと話にならない。幸い、どこかに狙いを定めることは苦手じゃないから、ダンジョンに入る前に、誰かに魔力を籠めてもらう魔導弩を使ってた。ああ、メリーは無理だったよ。即破裂した。

 ん? そうだね。今は棒しか持ってない。魔力を使わせる相手もいないし、何より僕には戦う気とかないからね。糸もその頃から使ってたけど、こっちはメリーが勧めてきたから今も使ってる。ある日突然、名案でも思いついたように『にあう。よい。よくにあう』って推してきた。あ、専用の指貫きの黒手袋とかもあるよ。あまりにもだッせえからこれ今使ってないけど。

「ださくない」僕の昔話に茶々入れない。まあ付けろって言われたら付けるけど……メリーのセンスは時々わかんない。


 最後に教わったのは……。人の殺し方だ。

 ──ある日の夜。僕は、ギルドの処刑人としてのあいつの仕事を目撃した。

 魔力灯マジック・トーチが眩しいほどに周囲を照らす夜。光を吸い込む黒いレインコートが、相手の脳天を貫くところを見た。

 ……それが、きっかけだった。


 とはいえ、東京でその手の本を読んでたこともあって、僕は医学の──正確には解剖学の──知識がそれなりにあったからね。

 人体のどこにどんな機能があるのか。言い換えればどこを損傷したら死ぬのか。どうすれば効率よく相手を殺せるのかという教えは、ほとんど不要だった。

 だけど……、迷いなく躊躇いなく容赦なく命を奪うのに慣れることは。まあ……、王都で学んだことになるのかな。


 僕には、その辺の石ころでも持っているような魔力が欠片もない。それは逆に、魔力探知のような暗殺対策が通用しないということを意味する。……それは君の、君だけの強みとなりうる、とか抜かしてたっけな。

 ほんと、口が上手いことだ。




 で、ある日裏切られた。

 処刑人として、あいつはメリーを狙った。


 昔のことが聞きたいって言うから、ちょっと話してみたけどさ。

 ──僕があいつを絶対に許さない理由に、それ以上の言葉はいらないだろ?




 迷宮都市デロル、冒険者ギルドのバックヤードにて。


「レベッカ。これは好奇心からの問いなのだが」


「は、はいっ! どうしましたか?ウチのギルドに何か問題が──」


「責任者が酒精に依存した手の震えを隠そうとしていない点には問題があるな。我々冒険者ギルドの起源が大衆酒場にあると言えど、酒場の店主は差配する立場だ。それに耽溺するものではない」


「ヒッ」


 本部査察官にして量刑執行官の一言にレベッカは青ざめた。


「現時点では問題とする気はない。大都市のギルドとして、求められる成果を達成しているのならば、それは『困った趣味』という表現で済ませられる。どうやら君にとっては、あれがいた方が都合がいいらしいからな。

 私が訊ねたいのはその件ではない。……キフィナスたちは、どうだ。ここでは、どうしている」


「あ、はいっ! メリスさんは本当に素晴らしいお方です!! 強くてかわいくてそれでいてかわいいっ! お人形さんみたいですよね!」


「王都で活動していた頃、あれとの意志疎通は困難だったが。改善の傾向があるのか?」


「かわいいですよね」


「……そうか。そうだな。メリスはいい」


「いいですよねっ!」


「……。メリスのことは、いい、と言ったんだ。……キフィナスの方は、どうだ」



「あいつはカスです」



 レベッカは真顔で即答した。


「それは灰髪だからか」


「髪なんてどうでもいいんですよ。ウチにはアイツの他にも灰髪の冒険者の方が何名かいます。……薬草取りや安全が確認されたダンジョンでの資源回収くらいしかさせられませんけど。でも、アイツ仮にもDランクなんですよ?」


「ああ。そのために彼は、血が滲むほど足掻いて──」



「なのに薬草取りて! 毎日毎日薬草取りって! あッり得ねえでしょ!?」



「……む?」


「しかもアイツがダンジョン潜ってるのなんてこっちは当然把握してんですよ! コッチは2ランク違うダンジョン潜んなって規則で言ってんのに完全無視でメリスさんと潜ってるのくらい把握してるってーのに! 目立つからすぐ報告されんですよ! されてんのにヘラヘラしてんですよアイツ! 地図士マッパーこなせそうな出来の地図とか書こうと思えば書けるのもまた腹立つんだよな。ダンジョン潜ったなら迷宮資源を提出しろや……!最悪活動報告はよこせや……ッ!!」


「そうか。……変わったな。そういえば、迷宮伯家の家令になったとも聞いているが。そちらはどうだ」


「…………はあ……。それも頭が痛いんですよ。あのひとの処分ができなくなったのは勿論、ロールレアの次期ご当主様に色々と悪い影響を与えまくってんじゃないかなって……。言っちゃなんですけど今の伯爵家がゴタついてるのもアイツのせいじゃねーの……? あ、あと報告しました通り、地名付き爵位の当主筆頭が冒険者になるなんて前代未聞のことが起きまして……規則に沿ってパーティ活動報告を求めないといけないんですかねえコレ……」


「確かに前例はない。が、それは冒険者ギルドの有り様に大きくプラスになる可能性がある」


「それ失敗したら大マイナスってことじゃないですか……。最悪王都本部まで飛び火しないように立ち回りはしますけ、ど、も……?」


「──先輩! 大変です! 伯爵家からの使者が! なんでも、当主不在の際に結ばれた食料支援に抗議するとかで──」


「あああやっぱりぃ! 巻き込まれた時から、なんかイヤな予感してたんだよなぁぁっ! レイラはカウンター戻って! 私が出ます! すみませんが離席します!」


「私も出るか? 王都本部の人間として、担当者と話をする用意はある」


「…………いえ! 今はまだ問題ありません!」



 レベッカは慌ただしく離れていった。



「そうか。去り際のあの態度は、この状況を見越してか。……そうだな。冒険者ギルド迷宮都市デロル支部は、彼らの活動を支援せざるを得ない。

 ここデロル領における貴族と冒険者の衝突。それを避けるための緩衝材になって貰わなければならないからな」



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