迷宮資源:不確定名称《赤い本》
まあこれは別にいいだろってことで、厳正なる多数決の結果ダンジョンは破壊することになった。
シアさんが加勢してくれたのが大きい。メリーはとにかく何でも破壊派(この表現やばいな)、僕はまたダンジョン潜んのめんどくさいので破壊派、ステラ様は何かあるかもしれないので保存派だった。
ありがたい。
「……単純なことです。金貨数枚程度とおまえの時間とでは、価値を比較考量するまでもありません」
……けど、ちょっとやりづらい。
「領主としては、自領の資源回収地は多ければ多いほどいいのだけれど。……下手人があなたたちじゃなきゃ許さないんだからね?」
「はあ。でもダンジョンとかどうせ毎日増えまくりじゃないですか。それに、所有権がまだ確定していないダンジョンの取り扱いは冒険者個人に委ねられてる数少ない権利です。取られる前にしっかりウチらで確保しろって話じゃないですかね」
「それでも、腹を立てる権利はあるでしょう? もしかしたら、とても貴重な迷宮資源があったのかもしれないのよ? キフィナスさんが毎日壊してるのだってそう。もしかしたら、世界を大きく変えるようなものが眠っていたかもしれないのだわ」
「一言いわせてもらうとですねー。片づけできない人の考え方ですよそれ? 二言いわせてもらうと、僕は家令とかいうのにされてからは、まあ、それなりには配慮してまーす。それから、三言目には重ねて言います。
ステラ様そんなんだから片づけダメなんですよ」
「そう? でもしょうがないわね。だって、私は片づけてもらう側だもの」
・・・
・・
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需要と供給という論理によってモノの値段は定められる。誰もが口から涎垂らして喉から手が出るほど欲しいと思う物品は──なんとも世界の終わりって感じの光景だけど──どれだけ値を吊り上げても、支払ってくれる誰かがいる。
だけど僕らが拾ってきたモノたちは、そういうわけにはいかない。
そもそも、どれだけ価値があるものなのか売る側の僕らにすらわからないのだから。
「というわけで来ましたねー。デロル領のダンジョン学会。正式には、タイレル王国ダンジョン学研究会という名前ですがまあ正式名称はどうでもいいですね。えー、デロル領を本部としているダンジョン学という実学の研究集団です。もちろんこの国には複数の研究者コミュニティがありまして、ここは本家筋から割と異端寄りな分家してるところです。僕が入れるとこからもそれは頷けますよね。ダンジョンから回収された資源見込み品は基本的には冒険者ギルドの翻訳局にて調査されるのですが、換金までに時間が掛かります。だからまあ、今回はこっちでやってしまおうということで。そのためには道具が必要ですねー?あっ受付さんこんにちはー辞書借りにきましたー。あと今暇なひといますか? 形而迷宮学のラスティさんとか最近お見かけしてない気がします。ああそれと、いま僕の隣にいるのは領主のステラ様とシア様です」
僕はステラ様とシアさんに所属してる学会を紹介しながらついで感覚でステラ様とシア様を紹介した。
「ご機嫌よう。私は、自由な学問の発展というものの重要性を認識してるつもりよ。わたしの専門は錬金術なのだけれど、ここに同好の士はいるかしらっ? あるいは魔道工学でもいいわ。いるのであれば──」
「ステラ様ー。目的忘れてませんかー。えーっともう一回説明した方がいいのかな? はーー困った雇い主様だなぁ。そうですね──」
「……要件を簡潔に纏めます。我々は迷宮資源の翻訳処理を目的に参りました。ついては、覚えのある者を用意するように」
「は、はいっ……。し、少々お待ちください……!」
「あっ会議室とか使わせてもらえると嬉しいですー」
受付の人(正確には学会事務局の事務員の人)は、あからさまに恐縮した態度をしている。
学問と権力との関係というのはなかなか微妙だ。為政者は余計な知識を付けてほしくないが、学術研究は技術発達に繋がり、技術はカネの流れに繋がる。だから奨励してみたり規制したりを反復横飛びのように繰り返されてきた経緯がある。
デロル領を本部とし80余年の歴史を持つこのタイレル王国ダンジョン学研究会も、例にも漏れず為政者の冷遇を受けてきた……らしいよ。詳細は知らないしあんま興味ないけど。
「……先触れを出してから訪ねるべきだったのではないですか?」
「無駄に形式ばった手続きもこんな風に相手をびっくりさせないって意味では有用ですね。ぜんっぜん無駄だなって思いますし何よりそんなもんしてる時間ないですけど。まあでも、お二人と顔合わせするのは総合的に研究会としちゃプラスなんじゃないですか? 知らないですけど」
僕はこの街のダンジョン学会に対して、まあそれなりに帰属意識がある。年会費は取られるけど、少なくとも冒険者よりは所属してることに対して心にいいものがあるからね。年会費高めに取られるけど。
まあ年会費はどうでもいい。どうせメリーの財布を経由して不足なく支払われるし、後ろ盾のない学術コミュニティがどう生き延びるかといえば財力しかない。
これまで自助自律でやってきている団体であるわけで、《僕が所属していること》を理由に政治的に厚遇されたりするのは、なんというか、ちょっと違うとも思うのだ。
だから、お二人にはしっかり判断してほしいなと思っていた。
「それに、シアさんに僕のことを知ってほしかったというのもありますしね」
……『僕のことを知りたい』という、いつかのシアさんの言葉。
僕なんかのことをいくら知ろうが、シアさんの人生に資するものは、やっぱりきっと有りはしないんだろうけど。
──それでも、僕はあのとき、嬉しいと思っていた。
「研究会の長を務めております、アイザック・マジックジュールです。本日はお日柄もよく……」
「前置きはいりません。話が長いひとは一人で十分なのだわ。この迷宮資源を──これらの本を調査したいの」
会議室のテーブルには、何段分かの本棚から拾ってきた本がバババババっと積み上げられている。
赤色の本で、表紙は無地。手触りは滑らかで、装丁もかなりきちんとしている。試しに背表紙掴んで適当に振り回してみても落丁する様子はない。
来る前に2-3冊開いてみたが、何が書かれているのかはさっぱりだった。
隣でメリーはぼーっとしていた。読めるけど読む気がない、といった態度だった。
「迷宮資源を資料としてご提供いただけると……!?」
「調査が終わったら売れそうな物は売りますけどね。調査の間は好きなだけ触ってもらっていいですよ。僕らはこれらの市場価値を測りたい。研究会では冒険者ギルドを通してない迷宮資源に直接触れる機会がある。お互いに利があると思いますがいかがでしょう?」
「──願ってもないッ! キフィナス会員! 吾輩は今日ほど君を会員として迎えたことを喜ばしく思った日はない!」
壮年の男性は口角泡を飛ばしながら叫んだ。
現金な人である。……まあ、いつも迷宮資源とか持ってこないしね。
当学会が現役冒険者である僕を会員として認めたことの要因には当然迷宮資源の期待があるので、むしろ逆にその期待には積極的に応えないつもりで過ごしていたのだ。
他人からの都合のいい期待とか、僕が叶えてやる道理が何処にもないからね。
「この好機を吾輩だけが独占するのも忍びないな……、直ちにエーデルクランツを起動して集合するよう連絡を頼むよ!」
「はい……。了解しました、先生……」
受付の人は重い足取りで素早く出て行った。
すごく大変だなって思った。
「あーでも、ご存じだと思いますけど、本は《追憶具》の可能性が結構ありますからね。特定のページを開くのがトリガーだったりします。せいぜい気をつけてくださいね」
「情報伝達を目的とする媒体だからなァ! 目録上で確認・記録されている追憶具において図書の形態は17.82%! 有意な差がある! だから良いのだ! 出逢えるかもしれない!運命に!百見は一触に如かずゥ!!」
アイザック学会長は本の山に飛びつく。
ほとんど机にダイブするような勢いだった。
「随分と……、個性的なひとがトップなのね」
「人は誰もが個性溢れるものですよ」
「む!? 同じページを開いても内容が変わっている……! さながら砂に描いた絵が風に吹き消されるように忽然とッ!!」
「んーまあ、ここまで変人だとは思ってなかったですが。研究発表の時は厳めしいおじさんなんですよ」
「当然である! 学術研究とは批判という鎚を時間という金床に叩きつけ、それでも尚後世に残ったものこそ価値があるのだからッ! 吾輩の《鑑定》スキルではまるで正体が掴めん……! 知識欲が加速する!」
「……大丈夫なのですか?」
「さあ? 氏の正気を僕は保証しかねますよね。ひょっとすると本を触った時点で脳みそを吸い取られた可能性だって無いとは言えませんし。
まあこれでも、10余年前の、魔術基礎方程式とかいう──《魔術行為が現実に及ぼす仕事量は、魔力の自乗に比例する》とか発表したりしてるらしいんですけどね」
「えっ!? 現代魔術理論の基礎じゃない! ……このひとが、あのアイザック師なの?」
「らしいですよー」
魔術周りの詳しいことは知らないので、僕に聞かれてもよくわからないですけどね。
僕はステラ様とシアさんの目の前に積まれている本をひったくりながら、ひたすらページをぱらぱら捲っている。
んー、ん、んーーーー。どれもこれも同じに見えるね、メリー。
「ん。おなじ」
「いやいや。同じって言ったけど、ふつう同じ本をひたすら棚に並べるってこともないと思うんだ、け、ど──?」
ふいに故郷の言語、日本語が目に入ったような気がして、僕は該当のページを捲り直した。確かに42ページだったはずだ。42。42。42。
捲り直したはずなのだが、何度開いても、同じページにたどり着かない。ページ表記は下部中央にあることもあれば上端にあることもあり、ある時は幾何学的な図形、またある時はなんかよくわからない草みたいなスケッチそのまたある時は規則正しく並んだ文字と思しき何かの羅列またあるときは不揃いな絵の集まりまたあるときはまたあるときはまたあるときは見つからない。42が見つからない。確かにあったはずなのに。どこだろう。何故だろう。何故見つからないんだろう。僕は確かに見たんだ。それはたぶん警句で、箴言で、すべての答えで、なのに僕はうっかり見逃してしまった。
どこだ。どこにある。どこだ。どこだ。
どこだ、どこだ、どこだ、どこだどこだどこだどこだ──。
「おなじとこには。にどとつけない」
メリーが僕の膝に座って、そんなことを囁いた。
……それで、僕は戻ってこれた。
「ステラ様。シアさん。これ以上その本は読まないように。直ちに閉じてください」
「残念……とも、言っていられないわね」
「……はい。おまえの様子は、尋常ではありませんでした」
「アイザックさんをはじめ会員の皆さんは──えー……、自己責任でどうぞ」
ぞろぞろと集まってくる学会員の人たちは、みなギラついた目をしている。
玩具を取り上げて余計な恨みは買いたくないというものだ。危険なところですっ転んでケガしたがっている相手を止めようとしても無駄というものである。
しかし、まあ。図書は著者の思考を不変であるよう記録し伝播するために編まれるものなわけだけど。
そもそも記録が可変であるこの《赤い本》は、おおよそ真逆であるように思えた。
ビリー・トロイアムは、迷宮都市デロルに埋められた折伏の毒である。
忠誠には、それを維持する努力がなければそう何代も続かない。遠方にいるのならば尚更だ。
王党派と目されるロールレア迷宮伯家。なぜ王党派を続けているかと言えば、それは忠誠などという曖昧な理由ではなく、旗幟を鮮明にすることで実利を得られるためである。
王家にとって、忠誠を語るその口がたとえ軽かろうと些末な問題である。しかし、袖の下でナイフを研いでいるとなれば話は別だ。
そのために、王都は各領地に監視役を送っている。
トロイアム家は、その一員である。
デロル領の一級市民として認定された時点で、トロイアム家は王家からの草であることも看破されており、監視の目の中で厚遇される家であった。
「君のことはよく知っているよ、トロイアム。よく当家の一員のような顔ができるものだ。いや、娘にはまだ伝えていなかったかな」
──裏切り者のトロイアム。
ロールレア家の家臣団が一斉に解雇されたタイミングは、まさしく彼にとって好機であった。
旧王都災禍で王家が力を失った今、デロル迷宮伯家の力はこの国でも有数のものだ。権力の中枢に潜り込み、その動向を探らねばならない。
明らかに尋常ではない解任劇と、灰髪の厚遇という異常な状況に、一等・二等市民の多くはまず困惑した。
キフィナスの呼びかけに応じたのは、礼節を弁えない三等以下の市民が殆どである。
ビリーにとって、それは自分を受け入れさせるに都合がよかった。
その目論見は概ね成功したと言えるのだが──、
次期領主と、家令を名乗る灰髪の青年による差配は、あらゆる前例主義というものを憎悪しているかのような変革具合であった。
弱者と強者を定め、時にその立ち位置を変える。
貴族による統治の本質とは、即ちこれだ。
弱者は、自分が弱い立場であることにいつか理由付けをし、合理化をする。それは統治者にとって都合のいい心の動きであり、その手の類を一人二人捕まえてその地位を押し上げてみるのは、儀礼的なパフォーマンスになる。
つまり、持ち上げられた弱者は夢想を見て、
悪夢を見た強者は追い落とされることを畏れる。
そのために救済する弱者の数は注意深く減らしておくことが基本だ。
しかしながら、まだ一月と経っていない内に、弱者救済を目的とする公的事業が既に三回は掲示書きに掲載されている。
「トロイアム。君にお願いがあるんだ。
娘の無事を確認したいのさ。……得意だろう?」
権力の本質とは即ち、自分の希望を他者に実現させることにある。
目前の男──オーム・ディ・ラ・ロールレア・ソ・デロルは、それを十分に理解している様子が伺えた。
「承知しました。御館様」
裏切り者のトロイアムは、その命令に何の感慨も抱くことはなかった。




