僭主者
王を擁する封建制社会とは、すなわち上位者が下位者を支配することによって成立する社会である。
タイレル王国は一千年もの永きに渡ってその国体を維持し続けてきた。
すなわちその歳月は、いかに効果的に他者を支配するかという技術学問大系を大いに発達させた。
王国歴80年──建国から一世紀を経ない時点で、王侯貴族たちは『生まれながらに優れた貴種には、生まれの劣る者たちを導く義務がある』という意識を芽生えさせていた。
国を隔てる壁の先、天空大地を舞い駆ける竜虎が何故強いのか? 生まれながらに強いためだ。貴種が強くあることは、それと同じく自然の道理であった。
国家という大樹が年輪の厚みを増していくさなかに、その種の思想はより深く重く醸成されていった。
技術が思想を支え、思想が技術を先進化させる。両輪を備えた車輪は、弱者を轢き潰すように進んでいく。
一方的に解雇を告げられたロールレア家の使用人たちが、なおも変わらず忠誠心を懐き続ける理由は、まさしくそのためである。
貴族には歴史がある。
それはすなわち、家臣たちを選定する過程において、数十年数百年、何代にも渡って支配の技術を行使してきたことを意味する。
──ロールレア家に勤務していたかつての使用人たちは、皆いずれも、ただの一滴たりとも他家の血が入っていないという徹底具合からもそれは窺い知ることができた。
故に。
(想定の外だ……)
領主を僭称した使用人は、懊悩の中にあった。
彼あるいは彼女には、一切の私心がない。
ただ、歴史ある迷宮伯家に相応しくない灰髪を追放し、救貧政策と称した自らの支配体制を揺るがす愚法悪法のことごとくを撤回し、迷宮伯息女様の優秀な手足となる人材を揃えることが目的であった。
しかし領主の血を引く正統な後継者が二人揃って、灰髪などと共に家を出られては、その目的は果たされない。
それどころか──重しを付けられた始末だ。
(少し気に入られただけの迷宮勢子の分際で。随分と小智慧が回るものだ……。この短い期間で、当家の屋台骨が何本も折られている)
僭称領主オームは、先の動きがあの灰髪の手によるものだと誤認していた。
現在のロールレア家の使用人たちには、三通りの派閥がある。
ひとつは前領主オームに随行し、あの襲撃の際にも王都にて働いていた者たち。彼らはオームが既に亡き者であることを知っており、当然、ただ形姿容貌が同一であるだけの存在に心底からの忠誠を誓うことはない。しかし、自身への忠誠心はなくともその目的意識は共通している。
ひとつはデロル領内に留まっていたか、他領との折衝、情報収集のため王都を離れていた者たち。彼らは、オームの死を知らず、この僭称領主が帰ったことを純粋に喜んでいる。爆破解体する屋敷に配置されていた彼らの多くは──処分が妥当であると判断されるだけの劣った能力の手合いだ。彼らから向けられる忠誠心には苛立ちを覚える。それは真正なる領主オームに向けられるべきものであり私が領主オームであるのだから彼奴らには目がついていないのか。
そして最後に、あの灰髪に雇用された、使いものにならない連中の群れ。
こいつらは最悪だ。忠誠心という概念が存在しない獣の集団である。
しかしながら、ステラに『あれらを受け入れろ』と命令されれば、自分は受け入れざるを得ない。僭称領主オームの中には、領主として父親としての自分と、使用人としての自分が統合されてそれらが並立するという、混濁した意識がある。
「静かにしたまえ」
ざわつく集団を、僭称領主は一喝する。
……その言葉を受けてなお、第三の集団は喚くのをやめない。
「ふむ」
その内のひとりの眼球を、オームを名乗る人物は刳り抜いた。
「いああああああああ!!! あアっ……ア、ア。ァ……」
小うるさい女だ。悲鳴を上げる細い喉をぐいと片手で縊ると、女はすぐに白目を剥いた。
「まったく……物覚えが悪い輩は、殺してしまった方がいいのだがね。優しさと甘さを取り違えてはいけない」
──領主に必要なのは、適切な残虐性だ。
痛みと恐怖は、他者を支配するのに都合がよい。
……しかし、まだ殺してはいない。愛娘ステラの命令を順守しなければならないのだから。
「領主の命令は絶対である。忠誠こそ、至上のものだ。おまえたちに、今一度思い起こさせてあげよう」
……この集団をまとめ上げるのは、いささか骨が折れそうだ。
しかし──長期戦になれば、こちらに利がある。
この身は、いつ滅びてもよいのだ。
領主が死の間際に発する言葉は、すなわち神聖不可侵な遺言となるのだから。
* * *
* *
*
メリーが、自分から進んで誰かの力になりたいと思えたことは、本当に嬉しいことだ。
どうも僕らは、辺境の旅路で歩くさなかに、お互いにお互いのこと以外に対する関心を少しずつ落としてしまったように思う。
それは、人と人との間で生きる今の僕らの生活において、結構な悪癖だと言えた。
だから、うん。誰かと一緒に生きていくための第一歩を踏み出せたことに対して、素直に嬉しくはあるんだ。
だけど……メリーにできることってあるかなあ……?
「ある」
正直、はじめてのおつかいレベルなら両手を上げて万歳しながら後ろからあと尾けてくだけなんだけど、そういうワケにいかないじゃん。
人の名前を覚えようとしない、コミュニケーションというものをよく理解してない子がですね。こんな複雑な状況をなんとかできるとも思えないわけですよ。
というか、何をどうすれば解決すると思ってるのか怪しい。
「ある。あるよ。たくさんある」
「じゃあ試しに一番よさそうなアイデア言ってみてよ。人道的な配慮をした上でね」
「ん。ぜんいんせんのうする」
「アウトに決まってんだろバカ」
僕は思わずバカとか言った。メリーは不服そうにしている。
いやでも言うよこれは。だってバカだもん。は? なんですかーおばかなメリーさん。何か不満がある顔ですねー?
「かいけつするよ? いたくも、こわくもない。へいわてき」
「抜け道らしきもの通って自慢気にしないでくださーいねー。普通の暴力よりよほど卑劣だからなそれ」
ダメダメ、絶対ダメだ。他ならぬメリーにそんなことさせられるか。
はあ……。メリーは期待薄だな。薄々わかってたけど。
僕は改めて、この複っ雑な問題解決のための音頭を取ろうと思った。
「いやもう、ほんと複雑な状況になってますよね。ここはいったん、いまの問題点を整理──」
「あるよ」
……なに? なにがあるの? 話の腰を粉砕骨折してくれるね。
まあ試しに言うだけ言ってみていいよ? 言うだけならタダだしね。積極的な発言にはそれだけでマルをあげる。
「はぎとる」
「また物騒な単語出たな……。何をですか」
「あいつ」
表現が物騒なんだけど……。ステラ様とシア様、全身からクエスチョンマーク出てるよ?
あー、まあ、僕はメリー学の権威かつメリー語の翻訳班でもあるのですぐに理解できたけど。
「えーとつまり。領主様を自称してる精神異常者さんの。顔の皮を剥がして元の顔に戻せるってこと?」
「そうゆった」
言ってねーよ? 少なくともステラ様とシア様は理解してねーよ?
エグいなあ……。で、その案ってすごい痛そうだけど、参考までにどんだけ痛いの?
「めりが。ぶつのとおなじくらい」
「即死だろそれ」
駄目だろ。流石にそれは問題です。
まず暴力的すぎるし、続いて暴力性が高すぎるし、更に『ぶっ殺しに来てから死体を変装させた』って言説が通るだろ。
「どうせ。すぐ死ぬ。死ぬよ?」
メリーは、ひどく、どうでもよさそうに言った。
「どういうこと……!?」
その言葉へのステラ様の反応は劇的だった。
「ん。たましいのかいざん。ばいおみめてぃくす」
しかし、やはりメリーの言葉は端的で、やっぱ共感性に欠けている。
──そしてそれ以上に。その言葉で、僕はだいたい理解した。……あいつ、くたばり損ねたんだな。
たった二言話しただけで説明を十分果たしたと思い込んでる口壊滅的幼馴染から、僕は説明を引き継ぐ。
「色々ある整形手術のうち、とりわけ最悪なやつです。寿命を使って、姿かたちを完全にそれそっくりにする、ってやつですね」
「……寿命を使うとは、どの程度?」
「にかげつ」
「二ヶ月? それならそんな、大したコト──」
「残ってる寿命の方ですよ。……蝉より長いってことは、今回はかなり長いです」
この悪魔の技術は、ずっと昔からタイレル王国に存在していたそうだ。
突然の流行り病で、後継者を定めずに死んだ当主。その魂を借りた──という口実の元、生前に重用されていた家臣がこの手術を受けて、当主に成り代わり当主の言葉を発する。
そうすることで、跡目争いを防ぐタイヘンにベンリなギジュツなんだと、あの髑髏のような男はヘラヘラ笑いながらペラペラ語ってくれた。
胸の中がどす黒い感謝の気持でいっぱいだ。どうか死んでくれ。
「そんなの……!! ねえ、どうにかならないの!? 治してあげたりとかっ!」
「? なおす? できる」
「ほんとっ!? それなら──」
「……治療した後、その一族郎党を処刑することで。
それで、本件は解決となりますね」
冷静なシア様の言葉に、ステラ様は泣きそうになった。
「待って……! 待って頂戴! それは、あまりに……っ、だってわたしのせいでしょ!? 私が、みんなを追放したから……!」
「……領主を。貴族の家長を騙る行為は、この国では何よりも重罪です。領地法よりも優越する、最高法規に規定されています」
「酌量の余地があるはずだわっ!」
「……ありません。罪には罰がなければならない。それは、権威を維持する絶対の条件です。
私たちだけが知ることであれば、不問とすることもできたでしょう。しかし、使用人一同が騙ったことを知っています。……いえ、使用人だけではないでしょうね。
父を模した姿格好をした人物を目撃した民衆の存在。漏れ聞こえる情報から、他領の貴族たちもじきにオーム迷宮伯が帰還したことを知ることになるでしょう。
……ロールレア家が、タイレル王国の貴族である以上。情状酌量などありえないのです」
「だけど……っ!! なんでよ……! わたし、わたしはただ、みんなに……!」
──僕は、ステラ様の行動が純粋な願いによるものだと知っている。
だが、シア様はその大本の部分──追放した理由を未だに知らないままだ。
「……そろそろいい加減、シア様にも話すべきなんじゃないですかね」
「だっ……だめよそんなの! だってそれは……!」
「聞く権利はあるはずですよ。なにせ──他ならぬロールレア家の歴史なんですから」
・・・
・・
・
怒られてもいいからと、僕がステラ様に説明を促した。
彼女の感情はぐちゃぐちゃだろう。でもきっと、話すなら今しかない。
──魔人ビワチャがかつて語った、ロールレア家の血塗られた歴史。
それは、あの一件が狂った当主による凶行ではなく、ただの家の倣いであったことを示す残酷な真実だ。
意図せず、二人は伝統への背信をしていた。貴族という種族にとって最も大切なものを、いつの間にか踏み躙っていた。
「……事実ですか。キフィ」
「はい」
「……いえ。愚問でしたね」
しかし、シア様に大きな驚きはないようだった。
……あるいは、シア様なりにずっと考えていたのかもしれない。
狂った当主の一代限りの凶行で片付けるには、示唆するものが多すぎた。
「……この地にも、ありましたか」
「あんまり答えたくないんですけど……ええ。ありましたよ。既に処理しましたけどね」
「……そうですか」
グラン・タイレルからタイレリアへ遷都してから10年。その間に、王都の地下室にてあれだけの骸の山を積み重ねていたわけだけど──瓦礫の下にあった骸は、その比じゃなかった。
屋敷を爆破仕返して王都から帰ってきたあと、僕とメリーは星も寝静まる深夜に邸宅跡地をこっそり探索した。当時、領主不在の中で混乱を収めようとしていた憲兵隊の警備はとても手薄だったのだ。
だから、冒険者たちが探索する痕跡も──それはつまり苛立ちに任せた乱暴の跡を意味する──多数残っていたわけだけど、地下深くにあった壕については、なんとか手つかずのまま僕らが発見することができた。
そこにあったのは、夥しい数の屍蝋化した骸の山。半径2キロメートルほどある地下の空間のどこを見ても死体が転がっている有様で、臭いがひどいし毒ガスが発生してるしで、魔道具なしじゃ呼吸さえできやしない場所だ。
……僕らは、苦悶の表情を浮かべたままの犠牲者たちに火を放ち、灰へと変えて埋葬した。
だからこそ、僕はビワチャの言葉にも大して驚かなかった。
「……姉さま。わたくしは、少し……、怒っています」
「……ごめんなさい、シア。伝統と格式を大切にしているあなたには、ぜったい伝えるべきじゃなかったのに……!」
「違います……! なぜ、ひとりで抱え込んだのですか!
姉さまが心を痛めていたことを、わたくしは毎夜目にしていました! どうしてっ、言ってくれなかったのですか!
わたしはっ……、そんなに頼りなく思えますか……!?」
「ちが──ちがうの、シア! そうじゃなくて──」
「──あー。すみませんね。僕も抱え込んでたのでー。ひとりじゃないでーす。あ、あとメリーもかな」
そんな二人の会話に、僕は無遠慮に割り込んだ。
「なんて言うのかな……。頼りないとかじゃなくて。傷つけたくないってことあるでしょ。大切な相手に。大切だからこそ口にしない、言葉にできないことなんて、誰だってきっといくらでもある。
そこを責めるのは、妹って立場を使ったワガママだと思いますよ。いやまあ、妹はワガママ言ってもいい立場なのかな」
「キフィ……、口出しをしないでください。これは私たちの問題でっ」
「君たちの問題なら、僕の問題だろ」
……君たちがそうしたんだ。僕を変えてくれたんだ。
こんなところで喧嘩なんて──それも、お互いがお互いを想い合ってるために喧嘩なんて、させるもんかよ。
「僕が保証する。間違っても、君が弱い人間だなんて軽んじたわけじゃない。ただ、君に痛みを与えたくないって──」
「めりは。ふたりで、いたがりたい」
……メリーが、自分から声を上げた。
その発言には、僕は到底納得ができないわけだけど──。
「しあも、そう?」
今は僕らじゃない。
「はい。その通りです。メリス」
「じゃあ。あやまる。あやまるべき」
メリーは、無表情のまま、すごく得意げにそんなことを言った。
それを見て──くしゃくしゃな表情になっていたステラ様が、堪えきれないように笑う。
「……あはは。そうね。まったくその通りなのだわ。流石、ずっとキフィナスさんに付いてるだけあるわね。
ごめんなさい、シア。……ちょっと、独り善がりだったわ」
「……いえ。こちらこそ、姉さまの意向に反し、傷つけてしまいました。申し訳ありません」
そこからは、仲のいい姉妹がお互いに謝りあって──また、僕がてきとーなところで割り込まなきゃいけなくなった。
何やってるんだか。僕にしたって、まったく損な役回りである。
損すぎて損すぎて、この役を誰かに譲る気は、もうすっかり消え失せていた。
・・・
・・
・
「……それならば。あえて暴かないことも、慈悲であるかと考えます。地位を恣にする手合いであれば容赦はしませんが、……現状の当家を想い行動に出たのであれば……。使用人の質は、はっきりと、当家成立以来最悪です。洗濯ひとつで窃盗騒動など、通例起こるはずがありません」
「そうね。きっと……、私たちのことを想ってくれているのよね。
……彼らが忠誠を誓う家では、もうなくなっているのだけれど」
伝統を棄てるとは、すなわちそういうことだろう。
僕が家令なんて立場に転がり込めたのは、きっと、過去との訣別という象徴的な意味合いもあったのだ。
今回の一件はその思い切りのよさが招いたことだけど……、僕はそれを、好ましい美点だと思う。
「さて。どういう方針にしましょうか、ステラ様。
僕らは案はいくらでも出しますが、最終的な選択権は、あなたにあります」
──それはそれとして。
自分の選択の責任は、他ならぬ自分自身が背負うべきだ。
「そうね。……わたしが、選ばなければいけないことね。少し、悩む時間を頂戴」
「ええ。存分に」
重荷をひとつ降ろした今の彼女なら、それくらい背負えるだろうと僕は思った。
「ん。めりが、ときをとめてる。ぞんぶんにかたってよい。なやんでよい」
「さらっととんでもないことするよね。でも、話し合いには参加してくれないのかなメリー」
「……。めりのあん。きふぃ、だめってゆう」
あれ、なに?拗ねてる?
いやでもさ、ダメなものはダメだって。なんでも許すのはちょっと違うじゃん? 僕だけが被害受けるならまあ百万歩くらい譲って熟慮の末まあ許さなくはないけどってあのメリー。メリー? 聞いてる? 聞いてますか?
もしもーし。……また拗ねてる! めんどくさっ。
「……キフィを、そう責めないでください」
「ん。ゆるす。きふぃ、あくしゅ」
「え、あの、これしなきゃだめ? 僕こぶし破壊されたくないんだけどっていたたただだあだだだだだだ」
僕は仲直りの痛みに苦しんだ。
……しかしそれにしてもなんか、存外仲いいな?
あの、言っときますけどシア様? 僕のほうが仲良しですから。ね、メリー?
「ぷん」
くそ……! これまだ完全に機嫌直してないな? こぶし壊され損じゃん……。あ、シア様ちょっと!
あくまでこれはタイミングの問題であって! 僕のほうが!僕のほうが上ですからね!




